ノート:木簡

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

すみませんが、11月18日の編集を戻します。長屋王の木簡を何と比較すると何がわかるのか、不明です。紙が高価だから木簡が併用されたというのはその通りだと思うのですが。それと、「ちなみに」以下は木簡の話ではありませんから、要らないと思います。Kinori 2005年12月31日 (土) 08:44 (UTC)[返信]

保護活動については触れなくて構わないのでしょうか? --58.91.92.78 2006年5月28日 (日) 09:20 (UTC)[返信]

保護活動という言葉でどういうことを指しているのかちょっとわかりませんが、もし木簡の発掘、保存、読み取りの技術についてであれば、あると良いと思います。書いてくださるならありがたいことです。しかし、木簡が出た遺跡を大切にしようという活動についてでしたら、木簡に限らず遺跡すべてに言えることですから、書かなくても良いと思います。Kinori 2006年5月28日 (日) 15:07 (UTC)[返信]


11月18日版に修正した者です。すみませんまず、文字と紙がほぼ同時に伝わったって言うのは間違いなので、その部分は絶対に直しておくべき項目です。稲荷山鉄剣や墨書土器の存在を考えると、紙がない時代から文字は存在しているものと考えられます。

次に長屋王宅の木簡についてですが上記を否定するあまり、(過剰に反応したせいでで)無駄に文が長くなってしまっています。申し訳ありません。 言いたかったことというのは次の通りです。いち遺跡からの多量の木簡というが当代一流の王族であった長屋王宅から出ていることが重要で、あそこで見つかった殆どが紙による文書ではなく、木簡が大量に発掘されていることを考えると、他に毎年大量に発見される平常宮木簡の量と共に、いままで発掘・発見された紙の文書量とを比較すれば、1:紙が高価であるから木簡を併用したこと 2:木簡は幾度も再利用され大量に破棄されている ことは最低限推測できるのでその旨を書いておくべきかな、というのが当初の意図です。

したがって『紙がまだ高価であったことから、安価な木簡が多用されている。これは長屋王宅や平常宮などから発見された木簡と紙の文書の量を比較すれば明らかである。』と修正すれば問題がないと思われますがどうでしょうか。

ちなみにwikipediaでは、和紙の項目に『飛鳥時代の推古天皇18年(610年)に高句麗の僧侶曇徴によって紙漉きと墨の製法と、紙の原料となる麻クズの繊維を細かく砕く(繊維の叩解)ための石臼が伝えられた。』と書く一方で稲荷山古墳の項目には『鉄剣は471年に製作されたと推測されているが、一部では531年説もある。』とかかれている時点で、wikipediaの正確性はさしおいても、すでにwikipedi上で矛盾しています。誰が書いたか知りませんが、同時に伝わったという記述はあまりに根拠がありません。

これにより『紙と文字が同時に伝わった→木簡と紙の併用』という前の版の論拠が無くなります。したがって、紙が高価であるから併用した、と書くのがより自然であると私は思います。

付加知識として、木簡一度書いた木簡を刀子で削ってまた上から書いてを繰り返します。しかし一方で全く削っていない木簡もあるし、あるいは壊したり再加工した者も多種多様です。再利用の例としてはたとえば巻物の軸として再利用されたものもあります。こうした補足的な面も多少はあった方がいいんじゃないでしょうか。 実物含めて私の近くには資料は結構あるので、もう少し補足できるかな、とは思います。2006年6月11日 (日) 21:31 (UTC)

なるほど、それで趣旨がわかりました。おっしゃるところは、紙だけではなかったという点の説明ですね。それはその通りだと思います。他方、その箇所で私が説明したかったのは、それと逆の見方で、木簡だけではなかったという点でした。明記しませんでしたが、日本に冊書がない理由と、日本の木簡に定格がない理由につながります。
曇徴が伝えたのは紙の製法ですから、紙が入ったというのとはまた少し違います。紙の本はさらにさかのぼるはずです。鉄剣にいれる文字を作った人は、ふだん別のもので文字を読み書きしていたはずです。
当時の中国は紙木併用ですから、日本に文字が伝わったときも、そういう知識と一緒に来たはずです。それが冊書が作られなかった理由だろう、という趣旨のことが、『木簡が語る古代史』にあります。それに反対する人がいるとは思えないのですが、しかし私が書いたような、伝来事情を断定するような文では確かに誤解が生じます。これは書き改めなければなりません。
しかし、出土した紙の量と木簡の量を根拠にする書き方も、やはり誤解を招くと思います。捨てられたものがそのまま出てくる木簡と、漆の蓋にでもされないと出てこない紙とでは、残存率が違います。量の比較は危ういと思うのですが、どうでしょうか。
木簡の利用・再利用方法については、ぜひ加筆をお願いします。長くなるようなら独立の見出しを立てるのも良いと思います。Kinori 2006年6月12日 (月) 01:05 (UTC)[返信]
で、併用の事情について書きました。足りないところがあったら書き直すか書き足すかしてください。Kinori 2006年6月12日 (月) 07:49 (UTC)[返信]

破斯清道[編集]

日本の木簡に「著名な木簡発見」という見出しで破斯清道という人物へのリンクが作られました。中国の木簡の「著名な木簡発見」節に書かれていることと、だいぶ趣が違うようです。居延漢簡など、数・質ともに大きく有名な木簡発見を取り上げるのはいいと思うのです。しかし、木簡で初めて知られた事実・人物は本当に数多くあります。その中の一つだけを挙げるのも、多数を列挙するのも、体裁かよくないと思うのです。というわけで除きました。事後報告になりますがご了承いただければと思います。--Kinori会話2020年2月18日 (火) 15:42 (UTC)[返信]