ノート:星野あい

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節の名称について[編集]

少しそれぞれの節の名称が冗長であったり、星野本人から離れ過ぎてしまっているような気がします。 最初の節をなくして、「アメリカ留学」「津田塾塾長として」と節を分けるのはどうでしょうか。 また、最後の節も「津田塾大学へ」というのは津田塾大学の項目の節には適しているとは思いますが、星野が昇格したわけではないのであまりこの項目には適さないかと思います。「大学昇格に向けた奔走」などとして、サブセクションにする方が良いかと考えます。--Dassaim会話2022年5月20日 (金) 06:31 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。ご意見を反映した「改訂案」を作ってみましたので、重ねてご意見を頂ければと思います。--Pooh456会話2022年5月20日 (金) 09:28 (UTC)[返信]
おつかれさまです。
私の感覚では、「理科の増設」と「大学昇格」は「塾長として」の節のサブセクションに入るのではないかなと思います。--Dassaim会話2022年5月20日 (金) 09:59 (UTC)[返信]
さっそく有難うございます。「改訂案その2」を作成してみました。--Pooh456会話2022年5月20日 (金) 10:42 (UTC)[返信]
基本的にはこのような節の構成で良いと思います。
一点、私の理解不足で恐縮ですが、理科の設置はそれほど重要な点だったのでしょうか。例えば、日本で初めての女子大での理科設置、理科の設置によって経営が改善した、などであれば、重要性が示せるのではないかと思います。
もしかしたら、「戦時下の大学運営」などの方が適切かもしれません。--Dassaim会話2022年5月21日 (土) 07:37 (UTC)[返信]
「理科の増設」については、飯野(2000)や古川(2022b)で
  • 全てが不足している戦時下で、英文科しかなかった津田塾に理科を設けるのは、無から有を産むような至難事であったが、塾の存続のために断行された。
  • 数学科・物理化学科のいずれでも、入試の倍率は2倍から3倍に達した。
  • 戦時中に理系の学科を設置した女子専門学校は相当数あった(古川(2022b)に校名が示されていますが、公立校が多く、私立校は少ない印象です)。ただし、戦後の新制大学への移行の際に、内容が不十分であると文部省に判断されて廃止された例が多い。
といったことが書かれております。津田塾の数学科が現在まで途切れることなく存続していることからも、「理科増設は、津田塾にとって重要な出来事であった」と理解しております。--Pooh456会話2022年5月21日 (土) 08:51 (UTC)[返信]
説明いただきありがとうございます。
全く知らなかったので、勉強になります。
そのような内容(例えば「当時英文しかなかった津田塾に新たに理科を設置することは困難ではあったが、星野はその実現に奔走した」「戦後も廃止されずに学科が維持された」などの記述)があれば、節の名称としては非常に適切であると思います。--Dassaim会話2022年5月21日 (土) 12:09 (UTC)[返信]
「節の名称」についての議論は収束したと思われますので、記事に反映しました(差分)。至らぬ点がありましたら校訂をよろしくお願いします。--Pooh456会話2022年5月21日 (土) 13:44 (UTC)[返信]