ノート:日本語の乱れ

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ノートの新規発言は下に付け足すようにしてください。また、トピックには見出しを付けてください。 見やすいノートにするためにご協力お願いします。

日本語の誤用との違い[編集]

日本語の誤用との違いがわからなくなっているように思います。もともと線引きが難しいものではありますが、誤用の方は語源的に明らかな「本来の用法」との乖離(「役不足」など)にとどめた方が良いのではないでしょうか。誤用の方に書かれている

  • ×私ってコーヒーとか好きじゃないですか。→私はコーヒーが好きなのです
  • ×主任も行かれるのですか。→いらっしゃるのですか。

これらなどは乱れとする方がいいのではないかと思います。 210.139.98.180 2006年10月1日 (日) 17:33 (UTC)

むしろ、乱れの項目を誤用の項目に統合したらいいのではないでしょうか。項目の趣旨自体が若者批判になってるので、wikipediaの記事としては不適当だと思います。220.209.118.168 2006年11月27日 (月) 08:51 (UTC)
絶対反対。この記事は冒頭ではっきり「保守的な(時代に取残された?)年寄りの繰言を観察しているもの」である事を宣言しています。記事が若者批判をしているのではなく、「~といってその使用者(主に若者)を批判するやつがいる」と読んでください。そのうち標準語がそのように変わる可能性を予感させるものを「誤用」に統合すると、むしろ批判の主体がwikipediaになってPOVが確定します。それから、新規発言は下に足して下さい。LR 2006年11月29日 (水) 22:38 (UTC)
LRさんに賛成します。冒頭部分はちゃんと中立的になっていますし、新しく付け加えられた部分が中立的でなかったら編集すればよいことです。--モノノハズミ 2006年12月3日 (日) 09:27 (UTC)
どちらのページもある程度中立だと思いますが、二つ同じようなページがあるのは確かです。両者で挙げられている例のほとんどは、明らかな「誤用」(日本人であればほぼ誰でも「正しくない」と思えるもの)、または明らかな「乱れ」(規範的とはされていないが多くの人が自然に受け入れて使っているもの)とは言えないと思います。明確にどちらかの例と言えるもの以外はこの二つとは別の一つのページに移すなど、何らかの形で整理する必要があるのではないでしょうか。--ペー 2007年4月8日 (日) 16:38 (UTC)

「日本語の乱れへの懸念」という流行現象[編集]

この項目、「日本語の乱れへの懸念」という流行現象については扱わないのでしょうか。記述したい場合には別項目を立てた方がいいですか?Walks 2006年9月8日 (金) 18:44 (UTC)


謙譲語+れる・られる[編集]

"謙譲語+れる・られる"の項についてですが、二方向敬語(動作の受手と仕手双方に対する敬語)とも解釈できることを付記すべきではないでしょうか?項目名が「取り上げられることの多い例」なので実際に誤りであるかどうかはあまり関係がないですが、公正のために。 Nosaa 2006年4月19日 (水) 19:24 (UTC)
単なる慣用表現とも解釈できますし、なんとも難しいですね。この件は引き続き考えることにしてとりあえず「も」を入れます。mononohazumi 2006年4月20日 (木) 21:59 (UTC)


方言と乱れ[編集]

ご注文の品はひょうたんでよろしかったでしょうか。

一部地方では、過去形の方が、現在形より丁寧とされるのだ。この記事は、方言すらも「乱れ」としてしまう標準語至上主義のようだな。2006年3月28日 (火) 08:50 (UTC)

最初の定義に「日本語(標準語)」云々とありますね。それのみを扱っていると明言しているわけです。そもそも各方言によって語彙も文法も違うので、「どこそこの方言にあるから間違いではない」などと言い出したら何も言えなくなってしまいます。そんなわけで「標準語至上主義」というのも当たっていないような。別に、どちらが偉いわけでもないですし。そういう意味で、個人的には「標準語」と呼ぶのも好きではないです。「共通語」と呼びたいところですが、まあそのへんの定義の違いは両項目をご参照ください。死郎 2006年3月28日 (火) 15:20 (UTC)
死郎さんに賛成です。冒頭の「理想の日本語(標準語)と現実の日本語の食い違いを否定的に捉えた語である」というのは、否定的に捉える立場から離れた客観的な記述をするという意思表明と解釈できますし、個別の例でも細かく両論併記がされていて、中立性にも問題ないと思います。mononohazumi 2006年3月29日 (水) 10:13 (UTC)
方言も「日本語の乱れ」の一つだと見なされる場合もあると思います。そういう標準語至上主義によって言語変化を「乱れ」と呼ばれるのでしょう。Creature 2006年10月19日 (木) 11:33 (UTC)

「その誤用が方言から生まれたのか、方言とは全く無関係に生まれたのか」というのを確認しなきゃならないですね。たまたま方言に同じ表現があっただけという可能性も低くないですし。211.1.193.111 2006年9月25日 (月) 18:09 (UTC)

「過去形の方が現在形より丁寧に感じられる」というような場合、「たまたま方言にもあった表現」ではなく人間の認知的な傾向によって同様の用法が出現したという可能性も高いと思いますし、そういう変化こそが「日本語の乱れ」の大きな要因だと思いますよ。Creature 2006年10月19日 (木) 11:33 (UTC)

語尾の付け替えによる動詞化[編集]

名詞の「パニック」に「る」をつけ動詞化。「パニックになる」→
「パニクる」のように動詞化されている。ただしこれも必ずしも
近年の現象とは言い切れず、近くは「サボる」(「サボタージュ」の
省略形「サボ」に「る」)や古くは「装束く(しょうぞ・く)」(名
詞「装束(しょうぞく)」を動詞化。)などようにかなり古くから見られる。

これを日本語の乱れと呼ぶことには抵抗があります。このような造語法を誤りとして排除してしまっては日本語の造語力が低下してしまい、日本語の貧困化を招くのではないでしょうか。「装束く」の例に留まらず、「明るい/明かり/明らか」「群れる/村」「欠ける/欠片(かけら)」「白/白い」のように古くからの日本語には語尾の付け替えによって品詞を転換したものが無数にあります。語尾の付け替えによって品詞を転換することを誤りとする考えが日本語の黎明期からあったとしたら日本語の語彙は随分と貧しいものになっていたでしょう。

英語でもドイツ語でもエスペラント語でもこのような品詞の転換は多かれ少なかれ行われています。逆に品詞の転換ができない言語の例は思いつきません。もしそんな言語があったとしたら、品詞ごとに異なる語根を作るか借入するかせねばならず さぞかし大変でしょう。

mononohazumi 2005年8月7日 (日) 00:39 (UTC)


現在進行形の形容詞化[編集]

* 動詞の現在進行形の活用を形容詞化。少ないんじゃない?→少なくない?  白いんじゃない?→白くない?などが正しいが、
例:遅れているんじゃない?→遅れてない?
  食べているんじゃない?→食べてない?
~んじゃない?を~ない?にするのは、形容詞で活用するのが正しい。 違うんじゃない?→違わ(く)ない?も同様である。

とありますが、「遅れている」を「遅れてる」と縮めれば当然に否定形は「遅れてない」だと思いますが。「遅れてる」自体が日本語の乱れだとする立場もあるかもしれませんが、少なくとも形容詞化とは違います。mononohazumi 2005年8月7日 (日) 00:39 (UTC)

現在進行形という呼び方は英語じゃないのでおかしいので、変えておきました。

デビット 2005年9月2日 (金) 22:30 (UTC)

コメントアウトしました。mononohazumi 2005年11月14日 (月) 12:45 (UTC)


誤用は含めるか[編集]

誤用も含めますか?
私が最近気になっているのに「一生懸命」があります。NHKなどのテレビの字幕で話し手が「一所懸命」と言っているにもかかわらず字幕には「一生懸命」とでることがあります。 Baffclan 10:37 2003年11月7日 (UTC)

これは難しいですねぇ。たしか、もともと「一所懸命」が先にあって、かなり昔(江戸?)に(誤用からの?)派生語として「一生懸命」ができて、本来の「一所懸命」と「一生懸命」は意味が違うのですが、国語辞典でも「一所懸命」の二つ目の意味として「一生懸命」を挙げているものもあるわけで、実際「しょ」と「しょう」が中途半端でどっちともつかない発音をしている人も多く、実用上は区別困難な場合があるというか。。。明らかに「一所懸命」のみの意味(つまり、自分の土地などを意識した用法)を指して明らかにそのように発音しているのに「一生懸命」と字幕が出れば、誤りと明確にわかるのですが・・・。 Kozawa
「すべからく」がものすごく気になりますね。呉さんの怒っている顔が目に浮かびます0null0 02:50 2003年11月10日 (UTC)
「一生懸命」に関しては、一応、NHKの見解を貼っておきます。Ojigiri 10:57 2003年11月10日 (UTC)

漢字の誤読や誤用が定着したものや、逆さ読みが定着したものはどう扱いますか? 前者は、

  • 独擅場(どくせんじょう)→独壇場(どくだんじょう)
  • 消耗(しょうこう)→しょうもう

など。 後者は、

  • 種(たね)→ネタ

など。Firstmimic 11:09 2004年1月15日 (UTC)

ネタ帳[編集]

ネタ帳

  • 変体少女文字
  • 「ちょ~(超)」の多用

--
Lupinoid 02:45 2003年11月10日 (UTC)

ネタ帳

  • 勘違いでぜんぜん違う意味に使われてしまう言葉
    • 気のおけない
    • 情けは人のためならず
    • 役不足
    • 耳障り(意味が変わってきたに入れた方がいいかも)
  • ごっちゃになって出てきた言葉
    • 汚名挽回
  • 意味がかわってきた言葉
    • むかつく
  • 流行表現
    • ~的

Kozawa 03:02 2003年11月10日 (UTC)

ネタ帳

  • 流れに棹さす
  • 檄を飛ばす
  • 喧喧諤諤(喧喧囂囂+侃侃諤諤)
  • 私って○○じゃないですか
  • 半疑問形(半クエスチョン)←日本語の乱れとは別の問題かも
  • あらたしい→あたらしい(過去の乱れの例)

nnh 03:32 2003年11月10日 (UTC)

ネタ帳

  • 千円からお預かりします

Michey.M

ネタ帳

  • 他力本願
  • 鬱陶しい
  • おざなり、なおざり
  • よろしかったでしょうか
  • 私って○○な人ですから
  • ○○の方(ほう) ←方角や場所ではなく、人や事物を指して濫用される場合

Gombe 11:31 2004年1月15日 (UTC)

コレが便利、使えるという日本語表記のアンチョコの類があれば、参考資料に挙げて欲しいな。Mishika

ネタ帖

  • 的を射る + 当を得る → 的を得る
  • !?や?!

--Goki 2005年3月18日 (金) 02:55 (UTC)

ねたかしら、最近のつかはれかたかも

  • 「え」いりことば(齋藤衛命名?)
    • たべられるtabe・rareru→「ら」ぬき→たべれるtabe・reru
    • ここから類推して、
    • いけるik・eru→(ikeが語幹であるとして)→いけれるike・reru(可能の意味をさらにつけるつける)

--壽日 2005年12月24日 (土) 14:50 (UTC)

ネタ帳

  • 『ちげ~よ』
    • 男子高校生が使用。「違うよ」の意か。江戸言葉の「違ぇねぇ」(違いない)が現代に持ち込まれて変化。
    • このままでは「違いよ」と言っている事になる。

--Gordon S 2007年2月5日 (月) 08:41 (UTC)

      • どっちかというと名古屋弁の「ちげぁねぁ」にちかいのかなぁとか--by らあご 2007年2月5日 (月) 15:25 (UTC)
        • 『おめぇにはちげぇが分からねぇのか!』(お前には違いが分からないのか!)でしっくり来ますが。いかがなもんで。--Gordon S 2007年2月20日 (火) 03:41 (UTC)

異論です。「ちげ~よ」は,「違いない」の意味の「ちげーねー」から変化したものではなくて,本文であげられている『動詞「違う」を「違かった」「違くない?」のように形容詞化。』の系統に属するもので,「赤かった」:「赤くない」:「あけー」=「違かった」:「違くない」:x  x=「ちげー」という変化で生まれたものです。「違い」という形容詞は今のところ生まれてはいませんが。--Haruharu 2007年9月25日 (火) 16:17 (UTC)

同意です。おそらく①「違う」という語意がどちらかというと動詞より形容詞になじむものだった、②(とくに男子高校生的な口語の話者としては)二重母音を含む「違う」じゃなくて単母音化されたイケてる語形がどーしても必要だった、といった背景があったのではないでしょうかね。「怖ぇ」「ひでぇ」「ウゼェ」など形容詞一つで文を立てることはよくありますし(動詞はあまりないですね、「ムカつく」ぐらい?)、その流れで強いニーズがあったのではないかと。ぎゅうひ 2008年5月21日 (水) 10:39 (UTC)

ネタ帳

  • 逆接の「も」(「~ものの」の略?メディアが多用)
「巨人、4番が2ホームランするも敗退」

--Zw105000 2008年10月28日 (火) 19:40 (UTC)

辞書を引くと、これは接続助詞で「後世の文語風表現」とありますね。昨今の“乱れ”ではなさそうです(多用し過ぎるのが問題ということなのかも知れませんが)。--死郎 2008年10月29日 (水) 13:51 (UTC)

文法上許容すべき事項(十五番)で許容されている用法なので、逆にいえば明治34年までにはかなり一般的になっていたということです。--モノノハズミ 2008年10月30日 (木) 08:26 (UTC)

全然[編集]

全然 - 「全然~ない」などと後ろに否定や打ち消しを伴うのが正しいとされ、そうでない場合に「日本語の乱れ」とされる。
しかし夏目漱石などによる近代初期の文学作品に否定を用いない例があり、必ずしも近年の乱れとはいえない。
さらには「漢字の意味を考慮するなら『乱れ』どころか自己是正現象である」とする立場もある。
全然の後ろに肯定を伴いたいときには、「全く」、「とても」、「完全に」などと言い換える方法などがある。
全然の後ろに肯定で伴うと違和感を覚える者がいる。
但し、「全然違う」などは、「違う」が打ち消しとされるので、正しい言葉である。 

「全く」も本当は「全然」と同じで、後ろに否定や打ち消しを伴うのが正しいのでしょうか?僕が中学時代の国語の先生や英語の先生は、「全く」は「全然」と同じで定や打ち消しを伴うのが正しいとおっしゃいましたが。
僕は小さい頃、自然に、「全然」の後ろは否定や打ち消しを伴うのが正しいと脳の中で覚えたので、全然の後ろに肯定を伴うと違和感を覚えます。
なので、相手に、「全然普通」や「全然同じ」などと言われると違和感がします。ですが、「全然違う」と言われても違和感はしません。
しかも、その国語の先生は、「違うは打ち消しだから、全然違うは正しい言葉である」とおっしゃっいましたし。
ちなみに、「全く」の後ろに肯定を伴っても、僕は違和感を覚えません。
ってことは、全くの後ろに肯定を伴ってもOKなんでしょうかね?
伴わないと、使いようがありませんし。

デビット 2006年5月19日(金) 19:50 (UTC)

「全然違う」でも違和感が無い。何故なら「違う」は打消しだから、との事ですが、わたしは「全然違わない」でも違和感がありません。打消しの否定は肯定じゃないんでしょうか。だとすれば、「全然」の後ろに肯定が来てもおかしくは無いように思います。--アイシス 2007年6月28日 (木) 06:18 (UTC)

私は、「全然違う」にはやや違和感を覚えます。「全然~ない」が一番最初の形ですから
「打消しをともなってもよい」というのは、その後にでてきたものかと思います。つまり「全然」のあとには、否定文または否定の語句がつくということに変化したということです。
ここで二重否定は意味は肯定ですが、文自体は否定文だということを考えれば、「全然普通」は、「普通」というのは否定の文でも否定の意味でもないので、いけないという事になります。
ただ、「普通」という言葉が、否定の意味で使われる会話ならば問題ないと私は判断します。以前にも上げたと思いますが
「これおかしい?」
「全然普通だよ」
この場合「普通」が「おかしい」を否定しているので、正しい用法になるといえるのではないでしょうか?--by らあご 2007年6月29日 (金) 19:26 (UTC)

いくつかの言い訳?[編集]

  • 「全然~(肯定)」の使用…

(肯定)の部分が、文脈上否定になる場合
「これおかしくないかな?」
「ん?全然(おかしくない)普通だよ」
この場合は、否定文の省略からきていると考えられませんか?…

  • ~円からお預かりします。

これは、「から」をつける場合は動詞は「頂戴します」つけない場合「お預かりします」にするべきかと
1000円から、(商品代金を)頂戴します
1000円お預かりします。(そこから商品代金を頂戴します)
この二つの混用かと思われます。前者を間違いだ(敬語でない?)と言う人がいたため起こった誤用です。

  • ~ほうおもちしました。

選択肢がいくつかある場合間違いではないと思うのですが…
コーヒーと、ケーキのセットを頼んだ場合、
「コーヒーのほうを(先に)お持ちしました」
のニュアンスでつかっているのかと

  • こちらがデザートになります。

同様に、相手がよくわかっていない可能性があると考えた場合
間違いだとは言い切れないかと思います
たとえば、日本でチーズの塊を持ってきた場合、「こちらがデザート(メイン)になります」は間違いではないとおもいますが
変化する可能性は十分にあるかと…
by らあご

ShikiHでございます。らあごさんの文章は注目すべき物です。句点が無く、改行が多く、…で文を終わるような人がこのような意見なんですね。参考になりました。--ShikiH 2009年9月23日 (水) 02:06 (UTC)

謙譲語+れる・られる[編集]

話者と、主語の人と、目的語にくる人の関係が、話<主<目の場合、目的の人の謙譲と主語の人に対する尊敬を表す場合使う。
と、聞いた覚えがあるので、これは2重敬語の1セクションとしたほうが、分類的にもいいかと思います
このままで、違ったものと考えるのも見解のひとつなので、本文はコメントをいれておきます
---by らあご

「音色で子音を代用」?[編集]

> *1980年代生まれの日本人からは、声の音色で子音を代用することが多くなった。インターネットスラングの類には、この傾向が顕著である。

このくだり、「音色で子音を代用」の意味がわかりません。具体例は? 死郎 2006年7月5日 (水) 12:30 (UTC)

  • おそらく、こういったものかと
思います→おもいまつ
しました→しまつた

書かれたものと違うかもしれませんが…---by らあご 2006年7月5日 (水) 12:58 (UTC)

ああ、なるほど。しかし後者は母音も変わっているし、むしろ字面ではないかと思います――が、いずれにせよ説明が上手くないように感じますね。とはいえ、さてどう直すべきでしょうか。死郎 2006年7月5日 (水) 17:16 (UTC)

是非とせいぜい[編集]

意味がかわってつかわれることが多いかとおもいますが…

是非
なにがなんでも ⇒ よろしかったら
せいぜい
精をだして、がんばって ⇒ 適当に、どのようにしても、

--by らあご 2006年7月20日 (木) 01:54 (UTC)

どのようにしても、は、目いっぱい努力しても、と同意なので、左側(原意)だと思いますが?LR 2006年7月20日 (木) 09:49 (UTC)
らあごさんの仰るような意味で使われているのを聞いたことがありません。地域差でしょうか、それとも私がテレビを観ないためでしょうか? らあごさんはどのような場面で上で挙げられたような用例を耳にされましたか? 私は愛知県在住、テレビはここ10年以上年に数時間しか見ていません。ラジオは聞きますが、NHKは保守的な言葉遣いですし、民放ラジオは名古屋弁です。モノノハズミ 2006年7月20日 (木) 10:37 (UTC)

名古屋の方ですか……では、この単語がきになったのは名鉄バスで「せいぜいおつかいください」というくだりを聞いたからです。この言葉自身は間違っていませんが、違和感を覚えたのでどうなっているのかなと思いノートに書きました。ほぼ同じ意味で、是非が肯定的、せいぜいが否定的な意味で使われることが多いかとおもいますが、違っているでしょうか……--by らあご 2006年7月21日 (金) 00:00 (UTC)

あら、地元同士でしたか。よろしくお願いします。バスには滅多に乗らないので聞いたことがありませんが、乗る機会があったら気をつけて聞いてみます。でも、その用法が仮に名鉄バス特有のものだったら、全国的な話題でないのでこの項目(日本語の乱れ)には相応しくありません。名古屋弁の項目に相応しい?のかな……。 モノノハズミ 2006年7月21日 (金) 09:05 (UTC)

重複表現[編集]

  • あとで後悔する
  • 一番最後
  • 従来から

口語での強調表現とする見方もある。昨日のNHKラジオより--by らあご 2006年7月27日 (木) 00:26 (UTC)

使われ始めた時期が古くても[編集]

先ほど「形容詞+です」が100年(以上)前から使われている旨の加筆をしましたが、これは同表現を日本語の乱れと見なすことに疑問を差し挟む趣旨ではありません。たとえ万葉集から使われている表現でも日本語の乱れだと感じる人が多ければ日本語の乱れです(「形容詞+です」はそこまでは古くありませんが)。使われ始めた時期が意外と古い旨書くこと自体は意義のあることだと考えて加筆しました。--モノノハズミ 2006年7月30日 (日) 13:10 (UTC)

「バモイ」は「バリキモイ」超キモイということだ。

これはどこに載せればいいですか?[編集]

以前から気になっていたことなんですけれど、

  1. カタカナ語を知らない中高年層と、ことさら外来語を使いたがる若者とのジェネレーション・ギャップがあると思いまして。具体的には次のような事例です。
    1. ユニクロにアルバイト採用が決まって働くことになった息子(娘)が、両親に「どんな店なんだ」と聞かれて、「うん、カジュアルウェアを売っている店なんだ」と答えたところ、お店だと言っているのに、果樹園に雇われたのかと勘違いされた。
    2. 大都市の大学に進学して、就職が内定した息子(娘)が、「職種は何だ」と尋ねられ、「アパレル関係の企業」と答えると、「暴れる」と聞き違えたためか、暴走族か暴力団かと思われてしまった。
  2. 「忘れてはならない」と「忘れてならない」の混用。「忘れるべきではない」の意で使うならば後者では意味が成立しないと思います。他に「なくてはならない」と「なくてはならない」など。
  3. お母さん方に多いように感じるんですが、「10分で行ける」を「10分で行く」というのは変じゃないかと思います。「10分で行くことが出来る」ということであれば間違っていると思うんですけども。
  4. 僕が創った「日本語の変化」に入れた方が良いですか?嘗ては「よ(良・善・好)そう(な)」「な(無)そう(な)」とすべきであった「よい」「ない」の推量形が、「よさそう」「なさそう」となったのを変化とする人と乱れとする人がいるようなので、検討の価値はアリかと。
  • Mononohazumiさんからご指摘いただいたように、目新しい表現というだけで「これは乱れている」とか、乱れと誤用とを混同してしまって「こんな誤用は御用だ!(笑)」みたいな記事を増やしすぎたところはあったかもしれませんね。特に、かな書き・カタカナ表記に関する記事は某女性モータージャーナリストとか、彼女が看板になっている某自動車雑誌に対して暗に批判しているだけに過ぎず、これでは百科事典としても役に立ちませんもんね。僕が使用しているPCは公共物なのでブログとか作れないですし、2ちゃんねるは有料じゃないかと思って、NHKや新聞記事で日本語の乱れや誤用が盛んに指摘されているようなので、自分なりの見解で記事に載せたいものが多々あるんですね。後先考えず無闇に書き込みをしてしまって、ぐちゃぐちゃになっているところがあるので、今後気をつけたいと思います。

LRさんはいかがですか。

210.155.225.210 2007年1月15日(月)16:30(更新)


カタカナ語の使用頻度が増えていることは統計的な事実だったと記憶しておりますので、このこと自体は記述に値するでしょう。
ただ、カジュアル→果樹園やアパレル→暴れるは、よく出来すぎていて、まるで落語家が作った小話のようです。笑点かなにかのネタが一人歩きしている間に実話と誤認されたということはありませんか?
また、「カタカナ語を知らない中高年層と、ことさら外来語を使いたがる若者」というのは私の実感と違います。中高年層こそ若作りをしたがってかことさらにカタカナ語を使いたがり、若者はカタカナ語でしかいえないことはカタカナで言うにしても、ことさらには使わないように感じます。安倍首相の就任演説にカタカナが多いと批判されたのも記憶に新しいところです。
客の側の言葉使いについてのご意見は、百科事典にそぐわないと思います。
モノノハズミ 2006年12月14日 (木) 21:53 (UTC)
210.155.225.210さんには納得していただけたようで何よりです。--モノノハズミ 2007年1月12日 (金) 13:14 (UTC)

「カタカナ文の濫用>用途を限定する場合の表現」項について[編集]

「クルマ」「ケータイ」というのはあくまで表記の問題であって、ここでいう「乱れ」に居れるべきものではないのではないでしょうか。 「車で行く」「携帯を買う」と漢字で表記したとしても、マイカー、携帯電話以外の解釈はほぼありえません。 かつ、少なくとも「車」に関してこの用法を乱れだとする意見を見たことがありませんが、いかがでしょうか。 特に異論がなければこの部分は削除しようと思うのですが。Creature 2007年2月19日 (月) 16:39 (UTC)

正確な情報をお願いします[編集]

学生言葉」という表現について - 別個で記事も立ち上げたんですけど、出典が必要でしょうか。僕は専門学校で企業の面接を受ける際の心構えのVTRを見たことがあるんですけれども(1993年ごろ)、「僕」というのは学生言葉で、「私(わたし、わたくし)」を使う--by らあご 2007年3月10日 (土) 16:11 (UTC)ようにと言っていたのを記憶しています。しかし肝心の定義が分かりません。中高生の間で使われるものと、大学生のスラングとがあると思いますが、どなたか信頼できるソースがあればお願いしておきます。

それと、「ご案内します」は二重敬語ではないのでしょうか。「『ご案内します』が正しい」と書いていたのが削除してあったもので、いささか旧聞に属しますが。

210.155.225.210 2007年2月26日(月)15:35

正確なソースではないですが、NHKの番組で「明治の書生が『僕』を使い始めた」といっていたはず…です--by らあご 2007年3月10日 (土) 16:11 (UTC)

それと…「10分で行く」というのは、「10分で着く」の意味が強いかと思います。--by らあご 2007年3月10日 (土) 16:11 (UTC)

ら抜き言葉は独立させては?[編集]

本文にも書かれているように、ら抜き言葉は、日本語の乱れと言うよりも寧ろ合理的な進歩だと思います。られる、で統一する方が曖昧で、よっぽど「乱れ」だと思います。いっそ「ら抜き言葉」として独立した項目にした方が良いのではないでしょうか。 --219.167.197.220 2007年5月11日 (金) 09:11 (UTC)

ら抜きについて[編集]

ら抜きの話は出典のない説が多すぎませんか?それに,「見解の一つとして~「ら抜き言葉」と呼ぶこと自体が疑問視される。」などは見解を述べているというより一方的な意見ですし,「「書ける」や「触れる」を可能表現たらしめている要素を~そういった言葉を非文法的として排除する観点そのものが根拠を失うこととなる。」などは,循環論法。「「ら抜き言葉」の否定論者は標準語圏における動詞の活用にまつわる誤った慣習に盲目的に従っているにすぎない~文法や合理性よりも「感覚」にもとづいてまず先に定着してしまったものであることを意味している。」も,文法はそもそも習慣であるし,古くからあった「られる」の語形よりも後に「れる」の形が生まれたわけで,その本来あった文法に照らし合わせれば,「見れる」等の形は非文と解釈されるのは当然。「合理性」「感覚」の問題ではない。(動詞の活用を全て5段活用へと「合理化」した「みらない・みろう・みります・みる・みるとき・みれば・みれ」を多くの日本人が非文と解釈するのと同じ)個人的にはら抜き擁護論者だけど,あまりにも一方的な記述(量だけでなく質についても)が多すぎだと思います。--Haruharu 2007年9月7日 (金) 18:58 (UTC)


一読して、やや客観性を欠くかなという印象を受けました。参考までに、前半部分について気づいたことを列挙いたします。斜体の部分は、本文からの引用です。

(1)土佐弁圏、名古屋弁圏、北陸地方、一部の中国地方などにおいては、かなり古くから、「れる」と「られる」を区別した動詞化が一般的となっている。

『「れる」と「られる」を区別した動詞化』とは具体的にどのような内容でしょうか。このことが「ら抜き」にどう関係するのでしょうか。説明が必要と思います。

(2)見解の一つとして、「ら抜き言葉」の語形は、従来から五段動詞に適用されてきた可能動詞化の法則を一段動詞にも批准させたもの、と解釈されうる。

「解釈」しているのは誰でしょうか。Haruharuさんもおっしゃっていますが、出展が必要と思います。また、他の解釈があるなら併記した方がよいと思います。

(3)彼らは、「動詞の可能表現をすべて「られる」で一括することは言葉の意味の多義化をもたらしかねない」と議論する。

「彼ら」とは誰でしょうか。出展が必要と思います。また、一つの見解だけでなく、他の見解も併記した方がよいと思います。

(4)従来、標準語圏においては、可能・受身・自発・尊敬といった種々の意味をすべて「られる」という語形で表すことが規定されてきたが、

「従来」とありますが、いつのことでしょうか。また、「標準語圏」とはどこのことでしょうか。説明があった方がよいと思います。

(5)この議論によると、「ら抜き言葉」は、日本語を乱すものではなく、むしろ日本語をより合理的な言語体系へと発展させるべく寄与する「機能分化」の現象として認識される。

このように結論付けるのは、論理の飛躍があるように感じます。これはひとつの見解に過ぎないと思うのですが・・・。

(6)「ら抜き言葉」の否定論者は標準語圏における動詞の活用にまつわる誤った慣習に盲目的に従っているにすぎない、という声がある

これは誰の「声」でしょうか。出展が必要と思います。また、この考え方とは異なる「声」も併記した方がよいと思います。

(7)日本人は従来から主語を明示しない文体を多用してきたが、これによって日本語における動詞の能動表現が貧窮化する一方で受動表現がより一般化してきたことは、

「主語を明示しない文体を多用してきた」ことは、必ずしも「受動表現」の一般化につながるとは思いません。論理の飛躍ではないでしょうか。 また、受動表現がより一般化してきたと断言するには、もう少し根拠なりデータなりが必要かと思います。私の周囲には、受動表現を好む人がいる一方、能動表現を好む人も少なくありません。

(8)「見れる」などの語が標準語圏において従来から正当な可能表現として台頭しえなかったのは、能動表現よりも受動表現のほうに馴れ親しんでいるという条件が既に当事者達の間で根づいていたことによって「見れる」よりも「見られる」の響きを感覚的に受容しやすくあったから、ということである。この事はつまり、「ら抜き」に先立つ「ら付き」の習慣が、文法や合理性よりも「感覚」にもとづいてまず先に定着してしまったものであることを意味している。

上記は事実でしょうか。根拠の提示が必要と思います。 --Lifeisluckmakeit 2007年9月8日 (土) 14:59 (UTC)

「歩った」は方言[編集]

「歩った」,「歩って」は,関東・東北で広く使われている方言です.茨城在住の者ですが,老若男女日常的に使います.現在の版では,許容されない音便と受け取られる表記となっていますが,方言由来であることを明示した方がいいのではないかと思います.歴史とか,出典とかを示せないので,本文への補記はせず,参考としてノートに記すにとどめます.--Ihieda 2007年9月14日 (金) 23:56 (UTC)

「さ入れ」について[編集]

「降りさしてください」が「さ入れ言葉」として掲載されていますが、これって「さ入れ」ですか? ただの使役ではないかと。 「さ入れ言葉」というのは「やらせてください」→「やら【さ】せてください」、「読ませる」→「読まさせる」など、使役の「-(s)ase」について、五段活用では不要なはずの「さ」が入ってしまった物を言うのだと思いますが……Creature 2008年6月17日 (火) 11:45 (UTC)

「降ろしてください」→「降りさしてください」なので、「さ入れ」に入るんではないでしょうか。--Kyoww 2008年6月17日 (火) 13:03 (UTC)
他動詞「降ろす」が自動詞「降りる」に変わってますよ。そのうえで使役助動詞「させる(さす)」が付いている、という構造になります。ですからこれは、この節で問題になっているような「さ入れ」の例ではありません。“つまり古くは「さ入れ言葉」が正しいとされていたが~”以下の結論も間違いです。金田一教授の指摘は真っ当な一方で、「過去にはさ入れ言葉が正しかった」などという事実はないわけです。--死郎 2008年6月17日 (火) 14:07 (UTC)
すみません、使役助動詞「さす」を過剰に使用することが「さ入れ」であると勘違いしておりました。--Kyoww 2008年6月17日 (火) 14:37 (UTC)

「さ入れ言葉」の節に記載されていた「降ろす」「降りさす」の例について[編集]

標記の部分、僭越ながら削除させていただきました。理由は以下のとおりです。

「さ入れ言葉」というのはあくまでも五段活用動詞に生じる現象であり、「降りる(ラ行上一段活用動詞)」+「さす(助動詞「させる」の変種)」であるところの「降りさす」「降りさして」を「さ入れ言葉」と呼ぶのは全くの誤りです。

上一段につく使役助動詞はもともと「させる」(あるいはこの例に倣えば「さす」)が正しいのであり、その証拠に「さ」をぬいて「降りせる」「降りせて」「降りす」「降りして」などとしてみれば、誤用にもならない、全くあり得ない形です。

また、よく見れば一目瞭然ですが、「降ろす」は「降りさす」から「さ」を抜いたものではなく、それ自体で独立の動詞(サ行五段)であり、この中に助動詞は含まれていません。

このように、この記述は「さ入れ言葉」とは何ら関係がありません。 が、にもかかわらず「一見関係ありそうに見える」ため、読者を混乱させ、正しい理解のさまたげになる虞れがあります(記入された方も混乱されていたのかと思います)。

ちなみに、金田一はおそらく「降りさす」と「降ろす」の形態ではなく意味・語用を比較しているのであり、その意図は「降ろす」などの他動詞が新たに使役的意味ももつようになったことに関する指摘ではなかったかと思われます。

以上です。どうかよろしくご検討ください。 ぎゅうひ 2008年7月8日 (火) 00:51 (UTC)

上記Creatureさん、死郎さんの指摘と重複してしまいました…。 ぎゅうひ 2008年7月8日 (火) 01:24 (UTC)

1966年のラジオドラマの語尾上げ[編集]

1966年放送のラジオドラマ『銀河鉄道の夜』に聞かれる語尾上げについて先日触れましたが、興味のある方のためにどんなものだったか書いておきます。原作は著作権が切れていますが、ラジオドラマは切れていません。著作権のあるものでも、説明のための部分的な引用ならば法的には問題ないはずですが、ウィキペディアでは念のため引用は避けるべきだとされています。そこで、どのような語尾上げだったのか、違う内容で文構成を同じにして説明したいと思います。一種パロディーのようになってしまいますので、本文ではなくこちらのノートで。

「さあみんな画面のほうを見て? このウィキペディアのサイトの中で、バグの報告だと言われたり? リンク先の更新状況だと言われたりした? このぼんやりと青いものは何だろう」
「ところで今夜はその特別ページのリンク元だから? みんな今夜はようくお知らせを読むように」

このようなものでした。

モノノハズミ 2008年8月13日 (水) 22:40 (UTC)

モノノハズミさん、お世話様です。
実物を聴いていないので断言はできませんが、「?」の位置から察するに、それはおそらく構文マーカーとしての語尾上げなのでしょうね。子ども向けの読み聞かせなどによくあるケースで、センテンス中の構文の大きな切れ目になる部分に語尾上げを付加することによって、長く複雑な文の構造を見えやすくしているのだと思います。
いっぽう本文のほうの記述は別の現象を指しているのではないでしょうか。
例示されている 「今朝ねバタートースト?食べたんだけど」 という文で言えば、「バタートースト」 という単語に語尾上げを付加することによって、「知ってるよね? あのバタートーストとかいうやつ」 とか、「もしかしたら語弊があるのかもしれないけど、まあとりあえずバタートーストと呼んでみるけど、よかったかな?」 といったような、微妙なニュアンスを与えているものだと思います。 「バタートースト」 と後続の 「食べた」 の間に構文上の大きな切れ目はありませんよね。 (ちなみに最近の若者言葉では、「食べたんだけどぉ」 とか 「リンク元だからぁ」 のような 「語尾伸ばし」 が構文マーカーを担っていることが多いです。)
これら両者はきちんと区別して解説したほうがいいのだろうと私は思うのですが、いかがでしょうか? 時間があれば私も本文の加筆をしてみたいと思いますが、とりあえずはコメントだけで書き逃げです。 ごめんなさい。 ぎゅうひ 2008年8月16日 (土) 11:44 (UTC)
なるほど、「今朝ねバタートースト?食べたんだけど」のようなものとラジオドラマのようなものとでは例と日本語の乱れとされる語尾上げとはちょっと種類が違うかもしれませんが、語尾上げを日本語の乱れだと考えている人たちがどういう認識でいらっしゃるかが問題です。前者のみを語尾上げと呼んでいるのか、後者も含めて語尾上げと呼んでいるのか。
私自身は語尾上げを日本語の乱れだとは思いませんが、語尾上げを日本語の乱れだと考える人がいることは知識として知っています。ラジオドラマの例は、語尾上げを日本語の乱れだと考えるような人ならば、きっとこのような例も語尾上げの一種と考えるに違いないと予想して書きました。
モノノハズミ 2008年8月19日 (火) 10:41 (UTC)--(訂正)モノノハズミ 2008年8月19日 (火) 10:51 (UTC)

ラジオドラマの語尾上げは、井上史雄『日本語ウォッチング』(岩波新書)の193頁で「先生口調」と呼んでいるものかもしれません。井上は、これと半疑問イントネーションを同じ流れのものと捉えています。--モノノハズミ 2009年9月23日 (水) 01:40 (UTC)

「問うた」[編集]

「問うた」「問うて」という表現がよく使われていますが、ワ行五段活用の規則どおりならば「問った」「問って」となるはずです。これは「行った」と同様に標準として定着しているのでしょうか、それとも乱れの一種でしょうか。「乞うた」についてはどうでしょうか。 --Tails 2008年9月30日 (火) 08:14 (UTC)

「問うた」「乞うた」が「行なった」「笑った」のような促音便にならなかったのは、「問った」「乞った」にしてしまうと「取った」「凝った」などと紛らわしいためではないでしょうか。いずれにせよ、これは単に古い形が残っているというだけで、“乱れ”とは言えないと思います。--死郎 2008年9月30日 (火) 18:04 (UTC)
死郎さんの推測には、「行った」は「言った」と紛らわしいのになぜ「行った」というのかという疑問が浮かびます。規則とおりなら「行いた」となるはずなのに、その規則を外してまでわざわざ紛らわしい形にしていますよね。乱れとは言えないという点では同感です。--モノノハズミ 2008年10月3日 (金) 14:43 (UTC)
いや。ワ行五段活用は「言った」のほうなので、なぜ「言うた」にならないのか――ということだと思いますが(「行った」のほうは「行いた」ではなく「行きた」)。あれから考えていたのですが、もう一つ付け加えます。そもそも「問うた」や「乞うた」といった語が現代の共通語で聞かれることがそれほどなく、別の語に言い換えられる(「訊ねた」「求めた」など)か、使ったとしても方言もしくは、わざと古めかしい言い回しとしてだったりするのではないでしょうか。その点で、新たな“乱れ”とは捉えられていないのではないかと思いました。で、「言うた」についても方言では存在しますよね。なぜ共通語では「言った」なのかというのは、おそらく多用される余り「行った」とコンフリクトを起こしても、促音便の形で使うほうが利便性に優っているからではないかと……ここは苦しい説明ですけど、規則には例外が付きものということでご容赦ください(苦笑)。--死郎 2008年10月3日 (金) 16:42 (UTC)
いや、働く→働いた、聞く→聞いた、書く→書いたですから、「行く」は「*行いた」になりそうなものでしょう? つまり、「行く」は規則を外してまでわざわざ「言う」と紛らわしい形にしており、「言う」は「言う」で「問う」などと同様にちょっとした規則違反さえすれば「行く」と紛らわしい形を回避できるのにそれをしていないということですね。
「問うた」や「乞うた」の使用頻度に関しては、それほど低くはないはずです。死郎さんも私も「問うた」というのが方言でも個人の癖でもなく共通語であると学習できるほどの回数「問うた」という形を聞いているのですから。あまり使用頻度の低い動詞だと、不規則な形を維持できずに規則的な形に合流してしまうでしょう。
では私(モノノハズミ)は「問うた」「乞うた」をどう説明するのかというのかというと、正直よく分かりません。単純にそのほうが言いやすいからではないかとも思いましたが、「取った」「凝った」は別に言いにくくありませんものね。
モノノハズミ 2008年10月4日 (土) 22:22 (UTC)
ああ、そうですね。仰るところ理解しました。
音便の項目やこんなページを見てみても、たしかに「行きて」→「行って」は例外になっています。さて。それが何故なのか……軽い気持ちで考察を始めたものの、ちょっと行き詰まってしまいました。ごめんなさい。
さて。仰るような意味では「問うた」や「乞うた」の“使用頻度”は低くないということで了解です。しかし、それが「やや古風」に聞こえる(というのは逆に、上で挙げたような『音便を使った表現』が存在しないから?)という部分の主張は変わりません。なので「共通語ではあるけれども、口語的ではない」かつ、当然「乱れではない」という辺りがこれについての解なのでは、と思う次第です。--死郎 2008年10月5日 (日) 15:58 (UTC)

動詞の形容詞化[編集]

「違う」を「違かった」「違くない?」としたり「好きではない」→「好きくない」としたりすることへの違和感は「違った」「違わない」・「好かない」など従来からある表現と異なることに起因するものではないでしょうか.

専門的なことは判りませんが,従来からある表現とどのように違うのか(若しくは違わないのか)が判ったほうが良いのではないでしょうか.

--60.32.94.213 2009年1月15日 (木) 03:09 (UTC)

半保護要請をします[編集]

「ノートにてリバート理由を」と記しておきましたが無反応のままIP者にリバートされた為、半保護を要請しておきます。IPが同一プロバイダだったため3rr違反の疑いもあります。ご意見があればこちらにてどうぞ。--Oh H 2009年5月15日 (金) 08:43 (UTC)

上記依頼より10日経過し、以降沈静化している模様なので取り下げます。尚、IP者による行為が再度発生した場合、全保護依頼とブロック要請をする方向でおります。--Oh H 2009年5月25日 (月) 23:31 (UTC)

外来語の表記で中黒が使われなくなってきているのは「日本語の乱れ」に含まれるか[編集]

以前は、単語と単語との間に中黒「・」を入れるのが主流だった気がします。小学校の国語の教科書にも中黒を入れると書かれていた記憶があります。たとえば、

(今風?)            (従来なら)
パラボラアンテナ         パラボラ・アンテナ
コンピューターネットワーク    コンピューター・ネットワーク

などということです。

外来語表記において、中黒の使用について標準的な決まりがあるのでしょうか。それとも、単に表記の揺れでどちらが正しい(または、より適切)というとは言えない問題でしょうか。

もし日本語の乱れと言えるのなら、記述に加えるのがいいと思います。--しまでん 2009年7月22日 (水) 15:03 (UTC)

大幅除去について[編集]

と、個人的な妄想を書き荒らしていた宮崎県庁IP:210.155.225.210ノート / 履歴関係の記載を除去[1]しました。 Wikipediaは第三者により発表された情報を集めるものです。個人的な思い込みはこれ以上書かないでください。ソースの裏付けがない記載は、直ちに除去しましょう。--fromm 2010年7月16日 (金) 03:25 (UTC)

い抜き形容詞[編集]

新節、い抜き形容詞は一旦、除去されましたが、独自研究ではありません。日本語の乱れ、または乱れた日本語ですから、確たる著名な文献は有りませんが、脚注でも示すように、既に若者や壮年の表現として出現・現象となっています。皆様の議論も歓迎します。語幹の表現でもあるとも書いて居ます。--Namazu-tron 2010年9月17日 (金) 15:26 (UTC)

追記:「ただし現代の形容詞の多くは・・」と現代の形容詞としてと記しています。この事も踏まえて下さい。--Namazu-tron 2010年9月17日 (金) 15:50 (UTC)「日本語の乱れ(にほんごのみだれ)とは、規範とされる日本語(標準語、国語)と現実の日本語の食い違いを否定的に捉えた語である。「変化」や「ゆらぎ」ともいう。」の記事の冒頭文に照らしても、冒頭文に謳われる範疇と思います。--Namazu-tron 2010年9月17日 (金) 15:54 (UTC)

除去した者です。形容詞の語幹用法として万葉の昔からあるものですから、これを「乱れ」と見なすのは難しいと思います。--КОЛЯ 会話 2010年9月17日 (金) 15:34 (UTC)
追記について。もちろん「万葉の昔から現代に至るまで一貫して存在し続けてきた」という意味です。口頭語表現としては現代はもちろん、戦前にも、明治にも、江戸時代にも存在する表現です。文学作品の会話文にふつうに出てきます。もしや冒頭部の「規範」というのは「文章に書くときの規範」という意味でしょうか。もし「文章に書くときの規範との食い違い」という意味で考えるのであれば話は違ってきます。--КОЛЯ 会話 2010年9月17日 (金) 16:52 (UTC)
КОЛЯさんのおっしゃるように、「乱れた日本語」とは断言できないのではないでしょうか。また「い抜き形容詞」という用語ですが、試しに「"い抜き形容詞"」でグーグル検索をかけたところ、40件しかヒットしませんでした。「い抜き形容詞」という用語を使用するのは不適当に思います。--Kyoww 2010年9月17日 (金) 15:39 (UTC)
ShikiHでございます。当該の用法は正用法と感じられます。規範からの逸脱ではないので、日本語の乱れの記事に書くのは不適当と考えます。あえて言うなら「い抜き形容詞」という用語が逸脱してます。--ShikiH 2010年9月17日 (金) 16:44 (UTC)
ひきつづきShikiHでございます。Namazu-tronさんは、なんで会話文に普通に出てくる物を乱れとするのですか? 単なる terminology の問題のような気がします。古来からあり、規範から逸脱していないような現象に新しい名前をつけるとあたかも新しい現象のように感じ、乱れととらえられるのではありませんか。「秋になると気が滅入る」と言えばたいしたことがないが、「秋季好発季節性気分循環症」なんていうと精神状態の正常からの逸脱みたいに感じるようなものです。--ShikiH 2010年9月17日 (金) 17:56 (UTC)

「尻上がりイントネーション」の節[編集]

「尻上がりイントネーション」を日本語の乱れと指摘した文献はあるのでしょうか?現在出典として挙がっている。「アクセント・イントネーション・リズムとポーズ」[2]は単なるアクセントの解説本ですよね?「日本語の乱れである」などと明記しているとは考えにくいのですが。--fromm 2011年2月19日 (土) 03:08 (UTC)

除去しました。--fromm 2011年6月29日 (水) 05:20 (UTC)

「交ぜ書き」の節[編集]

文部科学省は2005年、「数年以内に見直しを検討する」

とする出典の明記をお願いします。文科省サイト[3]を検索しましたが、対応する記載はなさそうです。--fromm会話) 2012年9月4日 (火) 04:50 (UTC)

このページは中立的ではない[編集]

 日本語の「乱れ」としてとらえるのは中立的ではないのではないでしょうか? 百科事典は中立的にあるべきですから、このような保守的な考えを百科事典に載せることは改めるべきです。 これを読んだ人は、果たして日本語は乱れている'と言う意見もある'と意味をとるでしょうか。--クラゲ会話) 2013年7月20日 (土) 03:09 (UTC)

記事のやせ細りについて[編集]

この項目やバイト敬語の項目では、ある表現について「必ずしも間違いとはいえない」といった擁護方向の記述を出典つきで充実させると、批判方向の記述もろともその表現についての記述をまるごと削除したがる編集者がいるようです。例えば、この項目では、「とんでもありません」や「全然+肯定」に関して間違いではないとする出典つきの記述をしてしまったので、そのうち「とんでもありません」や「全然+肯定」に関係した記述をまるごと削除する人がいるのではないかと危惧しています。擁護意見を削除したいのが出発点で、しかし出典つきの擁護意見を削除する一方で批判意見を残す露骨に恣意的な編集はさすがに恥ずかしくて、いっそ批判意見も擁護意見ももろとも削除してしまえとなるのでしょうか。それとも擁護意見に納得するあまりこの表現は乱れなりバイト敬語なりではないのだから掲載する必要がないとなるのでしょうか。いずれにせよ、やめてほしいですね。それでは記事がどんどんやせ細ってしまいます。批判意見も擁護意見も両方掲載された記事にしていきましょう。--モノノハズミ会話) 2017年7月30日 (日) 06:17 (UTC)

全然+肯定の具体例[編集]

古い文学作品での全然+肯定の具体例は、ちょっと探すだけでいくらでも見つかりますね。むしろ全然+否定の例を見つけることができませんでした。

すると警保局長は全然出版に反対の意を仄ほのめかした。

夏目漱石、『『煤煙』の序』1909(明治42)年

妻を迎へて一家團樂の樂を得ようとして、全然失敗した博士も、此城丈は落されまいといふので、どうしても母君と一しよに食事をする。

森鴎外、『半日』1909(明治42)年

元来作家志望でもなかつた僕のとうとう作家になつてしまつたのは全然彼等の悪影響である。

芥川龍之介、『「仮面」の人々』1924(大正13)年

これらの例を本文に組み込んで差し支えないでしょうか? 本文の出典となっている『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』でも同じように知名度の高い作家の使用例を盛んに引いた後で、文豪も使っているのだから全然+肯定が間違いだということは全然ないのだという論理を展開していたように記憶しています。上の例は私が探したものですが、『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』と例示まで同じにしなくてはならないということはありませんよね? そこまで同じにすると著作権の問題も出てくるかもしれませんし。 --モノノハズミ会話) 2018年7月22日 (日) 21:57 (UTC)

出典で「例示→主張」の展開が確認されているのであれば、著作権の問題も考慮すると、例を変えたモノノハズミ氏の方法でいいと思います。--タバコはマーダー会話) 2018年7月25日 (水) 15:08 (UTC)
図書館で出典を確認しようとしましたが、間の悪いことに貸出中でした。現状としては、用例それぞれには夏目漱石『『煤煙』の序』などの出典があり、全然+肯定が間違いでないことにも本文に示された出典がありますが、用例がある「から」間違いではないという「から」の部分のみ未確認ですね。--モノノハズミ会話) 2018年7月28日 (土) 05:18 (UTC)
『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』を確認しました。記憶と違って用例を引いているのは一件だけで、「盛んに」は引いていませんでした。盛んに用例を引いていたのは『問題な日本語』でした。両者が記憶の中でごっちゃになっていたようです。また、戦前の用例を引いた上で戦前からある「から」間違いではないと明確に接続詞でそれが根拠だと示すことはなく、文章の流れから戦前から用例があることが間違いではないとする根拠なのだとそれとなく示す書き方でした。本文もそのような書き方にしようと思います。『文化庁国語課の勘違いしやすい日本語』も一例とはいえ具体的な用例を紹介し、『問題な日本語』はいくつも紹介していることから、ウィキペディアでも戦前の用例をいくつか紹介することは問題ないと考えます。--モノノハズミ会話) 2018年8月11日 (土) 11:12 (UTC)