ノート:日本歴史学

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独自研究などの問題点[編集]

  • 独自研究を載せないことはウィキペディアの原則です。出典の明記をおねがいします。
  • 冒頭に「歴史学とその周辺学問の関係を中心に、方法を主に扱います。考古学、年輪年代学、言語学、史料批判、民俗学、民族学、地名学などです。」と記述しているように、各分野の人名などを寄せ集めて、独自研究による注釈をいれたページになっています。たとえば歴史家の一覧はすでに個別のページがあり、そちらを編集・加筆するのが適当と思います。現状のままではWikipedia内に似たページ・節が複数存在してしまいます。その状態は、記載された内容について第三者がチェックする事を困難にさせ、結果として同一テーマについて複数の場所に記載があり、それぞれ違い事が書いてあるという状態を招きかねません。当然その状態は閲覧者にとって不利益になります。故にこのページは百科事典的ではない状態と思います。
  • コンテンツとしては 日本歴史学#社会と精神の構造 日本歴史学#歴史の方法、及び、周辺分野 日本歴史学#先史・古代の流れ がメインコンテンツになろうかと思いますが、これが日本歴史学のタイトルを冠していることに疑問があります。さらに、これらの節には必ず安本美典氏の名前や主張が記載され、冒頭には「安本美典については、学会ではほとんど無視されていますが、方法論の点で、抜かすわけに行きません。差し引いてお読みください。他は、歴史学に影響を与えたかはともかく、学問的な認知は高い業績でしょう。」と記載されているところから、安本氏の主張を喧伝する目的のページと見ざるを得ません。安本氏の主張を書くなという事ではなく、それぞれの分野ごとに、たとえば邪馬台国の事であれば、邪馬台国のページに記載することが望ましく思います。また安本氏の主張をまとめたいのであれば安本美典のページに纏めるのが良いと思います。 これらを日本歴史学を冠するページに纏めることには反対いたします。
  • 以上により今一度、このページを執筆する意味から推敲されてはいかがでしょうか?--あずきごはん会話) 2020年11月14日 (土) 04:31 (UTC)


以下、列島氏のご返答[編集]

考古学、年輪年代学、言語学、史料批判、民俗学、民族学、地名学は、日本史に必須です。特に古代史、これは、学問の交流であると同時に、学際的な学問以上の問題があります。歴史学は固有の学問であると同時に、いろいろな学問が独自の方法で、歴史事象を極め、他分野の成果が、相互に参照され、緊密に結びついています。
例えば、物理学では、実験、理論、数理、論理(量子論理)、哲学などあります。また電磁気学、力学、素粒子論、場の量子論、重力論、超弦理論、固体物理などです。考古学、年輪年代学、言語学、史料批判、民俗学、民族学、地名学などは、個別の学問であると同時に、一体として日本史を構成しております。それは、物理学の各分野とは比べ物にならないくらい緊密、密接しております。
以上が、基本的な考えです。

質問 おっしゃることに従います。ただ、そうしますと、この日本歴史学は、すべて消去しなければならなくなります。 それを主張されるなら、消去いたします。

その前提での、以下の質問です。

  • では、あずきごはんさんが、言われる、最初の注釈を外せばいいのでしょうか。
  • 歴史家の一覧、これに、修正を加えるのは、私には出来ません。それは、第1に、分類を行っている点、
第二に、特に不可能な点ですが、歴史事象と共に、書いている点です。各歴史家の相互関係が解ります。もちろん、まだ話になりませんが。順次拡張してまいります。
この意味は、歴史家を羅列するのではなく、分野でどういう歴史家が何をしたかと言う事が解る様にすると言う事です。
歴史家の一覧は、索引辞書です。いわば百科事典の最後の人名索引に相当します。このページは、索引ではなく、百科事典の各項目にあたります。そう言う違いがあります。ページの性格が根本的に違います。
最後の歴史家の一覧を外せばいいのでしょうか。
各項目にも、百科事典にもよりますが、最初に、分野全体を見渡し、各分野に導く項目が存在するものがあります。
また、小項目しかない辞典でも、小項目として広い分野を扱う項目が設けられています(物理学、量子力学など)。読者の便に供するためです。
似たページが複数存在する。
確かに煩雑ですが、ここでは、あくまで全体が見えるようにする、そう言う話です。例えば、史学史、史料批判、日本歴史、など似たページが、現に複数存在しています。それらは、扱う内容がほぼ同じものもありますし、同じ分野を別の視点で書いているものもあります。
それに対し、このページは、いろいろな分野の相互関係を書いております。原典も覚えている限り書き込んであります。もちろん不十分ですが、文献が1点しかないものも多数存在します。
全体を纏めて百科事典として、読者の便に供する事は、あり得ないのでしょうか。史料批判学では、契沖に始まるテキスト批判の方法と外れます。また、考古学との関係は、近年特に問題にされていますが、それを扱うのは、現状ありません。
さらに、あちこち飛んで、10個くらいページを当らねばなりません。そして、各ページは、独自の方向で編集されていて、視点がまるで異なり、読むものは、混乱します。また、概観するには、長すぎます。

もちろん、あずきごはんさんの指摘は正しく、ウィキペヂアの方針でしょう。従って、同意できなければ、消します。消す方法が解りませんが、内容をすべて取っ払う事は可能です。

確かにそう言う、なぜ分けるのかと言う批判はあるでしょう。同意します。私も迷いました。ただ、明治、大正、昭和と分けています。明治以前の歴史家を、その部分に持って行こうかとも考えました。
ただ、明治以前の歴史家は、数人で、ある意味厳選されています。この基準で明治以降を分けますと、明治以降の歴史家は10人程度になります。このように、基準が違います。第二に、学問の様相がかなり違う、思想と学問が入り組んだ状態です。それは今も変わらないと言えば言えますが。
私の考えは、歴史学の文化としての側面を、明治以前の歴史家で、示したかった。思想、科学、小説(事実の)、この3個の側面を歴史学は持つ。これは事実でしょう。いろいろな歴史家がこう言う事を言っています。口で言うより、歴史家として具体像を示す。これは多くの歴史家が言っている事ですから、独自研究ではない。それを書くべきだったかもしれませんが、独自研究と非難されそうです。
ただ、私の言っておりますことは、無理筋です。

同意いただけなければ、あずきごはんさんの指摘に従います。

了解いたしました。
ただ、考古学の成果で、明確に安本美典の主張、九州説を否定しております。考古学からは、九州説はあり得ない。文献学と違い、考古学は否定しようがありません。
おそらく、安本氏は、このページを読めば、非常に悔しい思いをすると考えております。
具体的には、
1.邪馬台国に纏める。これは実行いたします。
2.ただ、安本氏の方法は、神話学(歴史事実としての神話)に関するものですので、神話学の項目にも書く必要があります。私の意見です。
そんなにあちこちに安本氏を書いたつもりはなかったのですが、神話学にも書く、地名学も書いております。これらを、邪馬台国に移すと、方法論に偏りが出来る。もちろん、地名学も年代学も、ごく小さな方法でしかありません。他と対抗できる話ではありません。では、邪馬台国に移すか。
邪馬台国に移すが、安本氏の名前を消して、地名学、年代学の方法を残す。そう言う手もありますが、同意いただけないでしょうね。
細かく言えば、井上、直木、石母田、などちょっと名前が出てきませんが、地名学、年代学以上の重要性を持つ方法論は多数あります。しかし、それらは、実証史学、マルクス史学の範疇に入ります。いちいち言及できません。
すべて、邪馬台国に纏めろ、そう言って頂ければありがたい。ただ、神話学の方法については、神話に入れることをお許し願いたい。従来の、文献史料批判とは全く異なる概念です。欧米の実情は知りませんが、シュリーマン、こう言う例があります。判断を仰ぎます。従います。

了解いたしました[編集]

おおむね了解いたしました。各事項については、項目の下に疑問点、質問を書かせていただきます。--列島会話) 2020年11月14日 (土) 07:42 (UTC) 一応書き終わりました。指示に従います。全文削除を含め。ご判断をお願いいたします。 §

感謝、謝罪、そして、欠けの追加[編集]

あずきごはんさん。

良く読み込んでいただいており、大変感謝しております。指摘も、大変に適切です。 色々書き込み、疑問をぶつけましたが、私の方でも、ご指摘の点、改めて再考いたします。時間をいただきたい。

謝罪

 私の書き方は、なにか、慇懃無礼でした。そんなつもりはなかったのですが、すみません。  自分でも再検討してみます。時間をください。

これが第一点です。

欠けの部分、  また慇懃無礼になりますが、お許しください。一応、私の考えもお伝えした方が良いと思います。私が正しいと言う訳ではなく、書いた時の考え方をお伝えいたします。

社会と精神の構造 歴史の方法及び周辺分野 日本歴史学#先史・古代の流れ

これが抜けておりました。失礼しました。ご意見の中心と思います。

御批判は当然で、私もこれで良いのかと思いつつ書きました。

趣旨は、

1.日本の歴史は、独特の基本性格がある。これを認識せずに、日本史を論じることは出来ない。
これが、社会と精神の構造です。例えば、梅棹の方法は、岩波講座の日本史にあります。
歴史学に入ると、この当然の前提は、たいがい言及されず、具体的な問題に入っていきます。どこでこの説明をするか。そう言う話です。歴史の方法に入れても良かった。実際、生態史観(梅棹忠雄)とか、人類学(中根千枝)とか、みな独自の方法を持っています。
分けたのは、単なる方法を超えて、日本の歴史を貫く、柱のような存在であるからです。
ではマルクス史観、ウェーバー史観、これらはどうか、書き方が良く分からない、まだどう書けばいいか解りません。黒田の権門体制とかもありますが、中世です。奈良平安の国家は、古代ではなく中世と言う主張もあります。これは、手が回らなかっただけですが。
要は、方法論の、実体面(社会と精神)、純粋な方法面(方法及び周辺)、そして現実の古代史の問題(方法の適用)です。。3本柱です。まあ、独自研究とも言えますが、すべては、一定の立場でなされる、ウェーバーの基本命題です。そして、おっしゃるように、分解できるし、するべきかもしれません。
しかし、日本史を概観できる項目がない、そう言う事になります。概観とは、方法の違いと言う、実体の差を示す、その差を解明する、方法です。方法の違いは、実体の多様さであり、史観の違いです。史観や実体の違いが表れてくるのが、論争です。

以上です。 ご批判大変感謝しております。当方でも、再考いたします。書かせていただいたのは、書いた当時の考えです。あくまで当時の考えにすぎません。再考いたします。 失礼いたします。--列島会話) 2020年11月14日 (土) 08:43 (UTC) --列島会話) 2020年11月14日 (土) 08:51 (UTC)

(挿入、慇懃無礼な書き方になっております。謝罪いたします。)

良く読み込んでいただき、批判も適切です。

感謝しております。

現在の私の意見は、再考してみる、もう少し時間をいただきたいと言う事です。

なんか、慇懃無礼で、喧嘩を売っているみたいです。

以下は、あくまで、書いた当時の私の立場を表しております。(読み返すと慇懃無礼、すみません。)

貴重なご批判を受け、当方でも再考いたします。--列島会話) 2020年11月14日 (土) 08:51 (UTC)

とりあえず、歴史家の一覧を外しました。[編集]

とりあえず、歴史家の一覧を外しました。--列島会話) 2020年11月14日 (土) 09:03 (UTC)

この場所は個人的な場所ではありません。議論は第三者が見ても確認できるよう、誰が何の発言をしたか明確に分かるように記載していただくようお願いします。 失礼ながら私と貴殿の発言を分けさせていただきましたが、内容が通じなくなっている箇所はご自身でご修正していただきますようお願いします。--あずきごはん会話) 2020年11月14日 (土) 11:24 (UTC)

 すみませんでした。私は、撤退いたします。 [編集]

あずきごはんさま

撤退いたします。--列島会話) 2020年11月14日 (土) 11:37 (UTC)

私は撤退したが、私の反論に対する、返答の義務は無いのか[編集]

私は一切、再反論はしない。

貴兄の考えはあまりに浅い、それを書いた。

--列島会話) 2020年11月17日 (火) 06:46 (UTC)

返答が無いようなので、撤退したが、要点を書きます[編集]

  • 辞典類では、いろいろな文献を並べて、読者に多角的な視点を提供します。
辞書の編集は基本この様なものです。
では、ウィキペヂアの他の歴史学の方法論(ページ)で、多くの文献が挙げられているのか、挙げられていないものもあります。この点では、辞書では無く、偏った記述でしかない。文献が客観的かは別問題です。
  • では、問題の日本歴史学は、独自研究では無いのか。
ここの日本歴史学では、いろいろな視点を挙げております、相互批判も書いております。
文献はもう忘れてしまいましたが、すべて一定レベル以上の学者の説です

独自研究とは、自分のある視点を述べるために、他のいろいろな文献を、自己の見解に従い並べる。それを独自研究と言うのでしょう。

日本歴史学の記述は、この意味では独自研究では断じてありません。
  • では、日本歴史学は、特定の方向性を持っているか。持ってはおりません。
批判された、安本美典について、述べて行きます。

・地名学、年代学、神話学については、安本の見解を書いております。

しかし、考古学、言語学から、安本の主張、邪馬台国九州説を真っ向から否定する学会の見解を示しております。
・考古学での、纏向の遺跡では、各地の土器が出土し、北九州に偏ってはいない。
・畿内の銅鐸勢力が北九州の勢力に駆逐されたと安本は主張するが、銅鐸はそれ以前のかなり前から、畿内から消えた。そして、周辺では小型化した銅鐸が残った。
・統一政権が出来る前に、北九州に、大和吉備勢力が侵入し、北九州の農業生産性は、かなり向上した。

この様に、一定の見解を築く物ではなく、多様な視点を入れていて、特定の視点に限定したものではありません。安本が読めば、気っと気分を害します。安本の説も上げていますが、学会の主流は認めない。いろいろな根拠からです。そう言う構成になっております。しかし、実証史学、マルクス、その他と全く異なる、岩波講座の日本史で、神話の仮説検証説が取り上げられております。

  • 他にも、たとえば、弥生時代の稲作について、相互に背反する説を出来るだけ簡素に、入れています。
どこかに、何等かの主張、何らかの説を強調する部分があるでしょうか。
少なくともそう言う事態を避けるよう努めたつもりです。
少数意見であっても、主流の範囲から外れる説については、取り入れました。これが独自研究と言われればそれまでですが、辞典では、主流派だけでなく、反主流派にも言及がある場合がほとんどでしょう。
  • では、史料批判や、言語学、人類学、考古学などを一つにまとめるのが、独自研究なのでしょうか。
広い意味での歴史学であり、歴史学固有の学者でも、考古学、言語学、神話学などと共同で本を出したり、引用したりしております。こう言う事が普通になされています。
歴史学の本で、これらのほとんどを参照している文献はあると考えていますが、具体的には、指摘できません。
したがって、この点では独自研究かもしれません。
  • では、次のように考えてはいかがでしょうか。ある人物の伝記が出版されていない、論文も追悼文も無い。この人物については、断片的な情報がある。
この人物について書くのは、独自研究でしょうか。独自研究ではない。そう言う事になります。
  • 問題は、歴史の広い方法を扱う項目を設けるのが、独自研究かと言う事になります。
哲学的な話になりますが、人間は要素の集まりで、人間と言う存在は無い。こう言う意見もあります。例えば、種は存在するか、個体だけか。

実際問題として、歴史学はいろいろな学問からなっていて、それが歴史学と言う総体を形作っている。歴史学者でこれに反対する学者は、皆無でしょう。その総体の項目を設けた。独自研究でしょうか。

私には判断が付きません。ですから、項目(日本歴史学のページ自体)を消せ、そうおっしゃれば、消します。最初から、そう申し上げております。

以上です。

SEEを無茶苦茶付けられた、他ではやっておられない。それに気づき気分を害しました。読めたものではなくなっていた。嫌がらせとしか見えません。

しかし、WIKIPEDIAの憲章に違反なら、個人感情は別です。問題なら、自ら消して項目(ページ)をなくします。判断は私がする者では無く、他の方々がされるものです。そう最初から述べております。

お任せいたします。

--列島会話) 2020年11月21日 (土) 14:01 (UTC)