ノート:日本映画

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日本初の劇映画[編集]

1899年『ピストル強盗清水定吉』(日本初の劇映画)、1908年『本能寺合戦』(日本最初の劇映画)。これはどう解釈すればいいのでしょうか?--以上の署名の無いコメントは、61.211.18.77ノート)さんが 2007年1月5日 (金) 15:15 UTC に投稿したものです。

細部の編集をする人ばかりで、全体を見ないから誰も気がつかなかったんでしょうね。履歴をたどってみるとこの加筆[1]でそのようになってますね。--いぬ 2007年1月5日 (金) 19:29 (UTC)
日本初の劇映画は『ピストル強盗清水定吉』、日本初の時代劇映画が『本能寺合戦』です。--Kmrt 2009年11月21日 (土) 19:46 (UTC)

typo?[編集]

伊藤大輔監督『新人斬馬剣』とありますが、『斬人斬馬剣』 (1929) ではないでしょうか?--Tatsujin28 2007年9月26日 (水) 16:18 (UTC)

斬人斬馬剣』です。現状、本文からは消滅していますが。--Kmrt 2009年11月21日 (土) 19:46 (UTC)

戦前作品の散逸について[編集]

1945年の記述に「GHQによる映画管理が始まり、空襲で焼け残った戦前の映画作品の大部分が処分され」とありますが、「大部分が処分」という記述の根拠は何でしょうか?敗戦直後に日本側の映画会社が、軍部に協力して作った戦争映画のフィルムを焼却したとの話は確かにあります(例えば「間諜・海の薔薇」:出典「日本映画の時代/廣澤榮」)。しかし、これは一部の戦争映画のことで、戦争責任の追及を恐れてのことですから、戦争に無関係な作品のフィルムを処分する理由などありません。戦前作品の現存率が低いのは、戦中や戦後の火災や、そもそもフィルム保存の意識が低かったことが主因ではないでしょうか。ちなみに、戦前に松竹が京都で製作した作品の多くは戦後1950年のの下加茂撮影所の火災で失われましたし、松竹が戦前に蒲田や大船で製作した作品は多くが現存しています。日活の戦前作品にも戦後のフィルム保存施設の火災で焼失するまではフィルムが現存していた作品があります(「土」など)。現在の記述では、あたかも「GHQがフィルムを処分した」かのようです。書き方が悪いのか書き手の誤解なのか、とにかく速やかに訂正すべきだと思います。 --以上の署名の無いコメントは、210.132.229.245ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2008年2月19日 (火) 14:44 (UTC) に投稿したものです。

要出典[編集]

出典が少なすぎです。脚注に回された「豆知識」のようなものは、ほとんど出典が必要なものばかりでした。書籍の出典を付す際には、ページ数を明記してください。Wikipedia:出典を明記するをご参照ください。--Kmrt 2009年11月21日 (土) 19:46 (UTC)