ノート:日本二十六聖人

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石田三成について[編集]

豊臣家における京都奉行は浅野長政前田玄以がつとめましたが、石田三成も歴任していたのでしょうか?少しだけ調べてみたのですが、そのような事実が確認されませんでしたので。--Sea of Japan 2005年6月4日 (土) 04:12 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。当該部分の執筆者です。参照した資料は『日本キリシタン殉教史』(片岡弥吉著、時事通信社)ですが、手元になく、石田三成の役職の件についても確認できる資料が他にありませんので、とりあえず「京都奉行」という箇所は保留にして書き換えておきますね。Gakuinryou 2005年6月4日 (土) 12:13 (UTC)[返信]
ご丁寧に返信して頂きありがとうございます。私の方でも図書館等で調べてみます。--Sea of Japan 2005年6月4日 (土) 13:23 (UTC)[返信]
上記の参考資料を手にすることが出来ましたので、「京都奉行石田三成」という記述について確認しました。『日本キリシタン殉教史』(片岡弥吉著、時事通信社)の93ページの中ほどに書いてあります。どこかで手にはいれば調べてみてください。著者は長崎純心女子短期大学教授をつとめた人で、切支丹研究の大家です。そういい加減なことを書く人ではないような気がします。参考まですが。Gakuinryou 2005年7月28日 (木) 09:29 (UTC)[返信]
ご丁寧に有難うございます。当方でも石田三成について各方面から調べましたが、まだまだ調べが甘く、残念ながら発見できませんでした。しかしながら片岡弥吉氏については信用に足る人物であるとの確認ができましたので、側近から京都奉行に復元しておきますね。--Sea of Japan 2005年7月28日 (木) 12:17 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

1年余り考えてきましたが、この記事の名前としてふさわしいのは「二十六聖人の殉教」ではなく「日本二十六聖人」ではないでしょうか。現在リダイレクトになっていますが、みなさんのご意見をお聞きしたいと思います。Gakuinryou 2005年8月3日 (水) 09:43 (UTC)[返信]

とりあえず、移動してみました。Gakuinryou 2005年8月8日 (月) 02:59 (UTC)[返信]