ノート:新可児駅

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駅名変更日について[編集]

wind 2020年4月号では広見→新広見の改称が1930年5月となっています。複数の記事に影響するので意見を募集します。国鉄からの分離と改名が同時とは限らないので、出典は2つの事象についてそれぞれ示していただけるとありがたいです。--210.48.133.123 2020年4月9日 (木) 06:51 (UTC)[返信]

コメント - 資料を色々確認しましたが、少なくとも1930年5月に何かあったことを示す資料は一つもありませんでした。少なくとも1930年に起きたイベントは2月16日で間違いないかと思います。一方、今回調べ直して気が付いたのですが、広見→新広見の改名は東美鉄道が1928年に先行していた可能性があります。
新可児駅に関する『日本鉄道旅行地図帳 東海』の記述は鉄道フォーラムに訂補版があり、名鉄は広見駅として1929年に開業し1930年に移設、東美は新広見駅として1928年に旧ルートから移転したことになっています。典拠の『鉄道統計資料』では確かに名鉄の開業線は今渡、廣見、東美の開業線は新廣見、御嵩とあります(百年史は後日確認してきます)。前年度版は廣見、御嵩、粁程6.60、軌間0.762となっているのに対し粁程や軌間も移転後の値となっていることから、新廣見という名称が出てきたのは移転した年度からのようです。
また、(集めたまま放置していたメモなので本文ママではなく、これも後日社史を見直す必要がありますか)以前広見線改稿用に記録していた社史p.754の年表によると、1930年2月16日の欄には「新広見駅として国鉄から独立を新設」「東美鉄道と共同使用」と書かれていたようで、従前は「広見駅が名鉄と国鉄(省線)の共同使用&東美は新広見駅単独」だったのが「広見駅が国鉄単独&新広見駅が名鉄と東美の共同使用」に変わったという意味にも見えてきます。
広見→新広見関連は改称の記述は比較的よく見かけるのですが、共同使用駅の変化についてまで触れたものはあまり発見できていません(清水武『名古屋鉄道各駅停車』では広見駅時代は3事業者の共同使用駅だったとあり、既存の見解から言えば社史年表の記述も「広見駅から2社が独立し、その2社の共同利用駅とした」という意味になるでしょう)。検証の余地は大いにあるかなと思います。--ButuCC+Mtp 2020年4月9日 (木) 11:00 (UTC)[返信]
コメント 開業日について - これも上の問題と密接にかかわってくると思いますが、現状では以下の3つの日付を確認しております。
  • 1920年(大正9年)8月21日 - 旧広見・御嵩間の開業日(=国有化されなかった区間の最初の開業日)…『全国駅名事典』(2016年、p.242)
  • 1928年(昭和3年)10月1日 - 現在地への移転日…『停車場一覧 昭和41年』『名古屋鉄道各駅停車』(p.214、「諸説あるが、この日を新可児駅の開業日としている資料が多い」とのこと)
  • 1929年(昭和4年)1月22日 - 今渡線広見駅開業日…『新・鉄道廃線跡を歩く 3 北陸・信州・東海編』巻末資料の停車場一覧(p.219)
1918年(大正7年)12月28日は国有化された太多線広見駅の開業日という扱い(『停車場一覧 昭和41年』)…と思ったら『全国駅名事典』(p.103)では1928年(昭和3年)10月1日(改軌移転日)になってますね。同著では小泉駅・姫駅・広見駅がすべて1928年開業ですが、『停車場一覧 昭和41年』では姫駅のみ1928年のようです。--ButuCC+Mtp 2020年4月9日 (木) 12:00 (UTC)[返信]

windは単純に誤記ということでよさそうですね。無駄に詳しく書いてあるので社内資料を丸写ししているものと考えていました。--210.48.133.123 2020年4月9日 (木) 23:49 (UTC)[返信]

開業日については(直接の根拠がない1920年説以外)どの説をとってもよいと思いますが、1928年説をとる場合は「移転」ではなく「廃止・開業」としなければ記事内の辻褄が合わない=読者がなぜその開業日になっているか理解できないと思います。同様に、1929年説であればその後どこかの時点で「東美駅を名鉄駅に統合」した旨の記述が必要です(これが1930年のイベントでしょうか)。1918年説であれば何の説明も不要です。--210.48.133.123 2020年4月9日 (木) 23:49 (UTC)[返信]

社史および百年史を確認してきました(それに合わせ社史年表の記述を訂正します)。百年史p.950も年表で、駅関係の記述は概ね一致しており、
  • 1928年 - 東美鉄道は太多線広見駅移設のため広見付近の線路を変更、同時に電化軌間拡大工事を完成、広見・御嵩間に電車運転を開始(社史p753、百年史p.949)
  • 1929年 - 今渡・広見間開通(中略)広見で太多線・東美鉄道と連絡(社史p752、百年史p.948)
  • 1930年 - 広見線新広見を新設、東美鉄道と共同使用開始(社史p753、百年史p.950)+省線広見駅の共同使用廃止(百年史p.950)
となっています。この時期の年表は「名古屋鉄道(→名岐)」「愛知電気鉄道」「その他の被合併会社」に分けられており、1928年は東美鉄道としての記述、1929年と1930年は名古屋鉄道としての記述です(したがって、1930年の「新設」は名古屋鉄道広見線としてであり、東美鉄道線から見ても新設なのかは断定しがたい)。また百年史駅名便覧(p.876)では新可児駅は1928年(昭和3年)10月1日開業であり、移転前の駅については記載自体がありません。
広見駅の歴史を分解すると
  • A. 東濃鉄道の広見駅(1918年開業)
  • B. 鉄道省の広見駅(1926年移管、1928年移転)
  • C. 東美鉄道の広見駅(1926年移管、1928年移転(新広見駅?)
  • D. 名古屋鉄道の広見駅(1929年乗入れ)
  • E. 名古屋鉄道の新広見駅(1930年新設)
の五つがあり、それぞれの継承関係がどうなっているかという問題になります。
  • 現状の1918年説は【A→B+C】で移転後も共同使用駅であることからB・CはともにAを前身とする形をとっていますが、1928年説の場合は【A→B/C】であり、「A→B→可児駅」と「C→E→新可児駅」という2つの歴史に分けられるという見解になります(したがって本記事におけるAは前史であり、当駅の直接の歴史ではないという事になる)。1928年に東美鉄道が新広見駅となっていたのだとしたら、私は1918年説よりもこちらを推したいです。
  • 1920年説は『鉄道統計資料』や『地方鉄道及軌道一覧』のように路線単位で開業日を示す場合には見かける基準日(東美鉄道に譲渡された区間のみの歴史)ですが、駅単位でみると1920年の広見駅は既設駅であり、駅開業日の基準として使うのはちょっと違うのではないかと私も思います。
  • 東美駅と名鉄駅の統合は1943年ではないでしょうか。もともと「1918年or1928年開業の東美の駅(A or C)」と「1929年開業の名鉄の駅(D)」の2つの駅がそれぞれあり、このうち名鉄広見駅(D)が国鉄広見駅(B)との共同使用をやめ、新広見駅(E)として東美鉄道の駅(C)との共同使用に切り替えたというのが1930年の出来事です。事業者別に駅の歴史(開業日)があった状況が変わったのが1943年の企業統合で、この時に2社の駅も統合され、歴史も合流したことになります。--ButuCC+Mtp 2020年4月10日 (金) 16:38 (UTC)[返信]

ButuCCさんのお考えであれば、1918年開業の駅(A)は現存(1918年説)、1928年廃止(1928年説)、1943年統合(1929年説)のいずれかになると思いますが、後2者を取る場合に「Aがいつ消滅したか」が根拠付きで明記されていればどれでも構いません。ただ、いずれを採るにせよ1926年に歴史の分断があるという見解には同意しかねます。愛環において岡崎駅のみ、養老線において桑名駅のみが分離時に新駅として生じたというような見解は現状存在しないと思われ、明智・御嵩口を1920年開業としている以上、1918年開業の東濃鉄道広見駅についても同様に歴史ごと東美鉄道に引き継がれた=少なくとも1928年以前のCはAと同一駅と考えるべきです。--210.48.133.123 2020年4月12日 (日) 23:47 (UTC)[返信]

申し訳ありません、私としては1926年は論点にするつもりはなかったのですが、改めてみると上記A-Eの書き方ではB・Cを1926年開業と主張しているように見えますね…。紛らわしいので1926年の記述は取り消させていただきます。お騒がせしました。
私が考えていたのは1928年10月1日の移転を境に【A→B+C】(国鉄・東美ともA駅の移転扱い)なのか、【A→B/C】(国鉄が旧広見駅を引き継ぎ、東美は分離された)か、というものです。前者が現状の記述で、後者がいわゆる「諸説あるが、この日を新可児駅の開業日としている資料が多い」とされる各種資料でこの日付を開業日とする根拠と本文記述を修正する場合の書き方となります。ここで東美鉄道が1928年から新広見駅と名乗っていたとしたらそれが補強材料になると思ったのですが、今のところ既出の資料以外に発見できていません。--ButuCC+Mtp 2020年4月13日 (月) 14:14 (UTC)[返信]

他に資料がどこかにあるとすれば、可児市史とか、今枝氏の乗車券シリーズとかですかね。どうしても旧駅の廃止については状況証拠になってしまうので、もう少し補強したいというお考えはごもっともだと思います。今調査するのは難しいですが、現在の記事の状況を固定するつもりはないので、資料が入り次第随時ということでよいかと思います。--210.48.133.123 2020年4月13日 (月) 23:49 (UTC)[返信]

可児市史(2008年)と可児町史(1980年)の各本文編の複写は手元にあったのですが、そこには特に関係する記述はありませんでした。市史については資料編6巻からの引用がかなりあったのでそちらに何かヒントがあるかもしれません。昨今の情勢で図書館の利用が困難なのがつらい所ですが、目途が立ち次第、調べてみようと思います。--ButuCC+Mtp 2020年4月14日 (火) 12:12 (UTC)[返信]

タイトルの確認止まりですが、公文書では新広見、御嵩間電気運転開始の件など東美鉄道関連は移転時から新広見とされています。一方名鉄側は不徹底で新広見となっているものと広見としているものがありました。--ButuCC+Mtp 2020年5月13日 (水) 16:10 (UTC)[返信]

ありがとうございます。東美鉄道としては広見駅廃止・新広見駅開業という形で状況証拠が徐々に揃いつつありますね。私としては状況証拠であっても本文に旧広見駅の廃止が記載されていればよい(状況証拠である旨を注釈)ので、ButuCCさんが納得行くまで調べていただいた上で編集いただければと思います。--210.48.133.123 2020年5月18日 (月) 02:23 (UTC)[返信]