ノート:文天祥

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書き下し文は一応自作。ただし陳舜臣の『中国の歴史』の単行本版の5を見ながら書いたのでかなり似ていると思われる。変えようが無い部分も有るし。らりた 2004年8月17日 (火) 17:43 (UTC)[返信]

問題が有ると思われる方はWikipedia:井戸端#漢文の書き下し文についてに意見をお願いします。らりた 2004年8月17日 (火) 17:48 (UTC)[返信]

えーと、中国の政治家は全て科挙合格者ですよ。右丞相・枢密使まで登ったんだから政治家といったほうが普通だと思いますけど。ま、戦時下の特殊な人事で、文天祥が特に政治家として何かやったわけじゃないですけどね。らりた 2006年3月15日 (水) 08:37 (UTC)[返信]

あ、そうなんですか。でも科挙の実施って隋唐以降ですよね。しかも本格採用は宋代以降らしいし。本当に「全員」科挙合格者なんですか。宋代以降でも高級職についている人に科挙を経なかった人いるんじゃないのかな。まあ全員かどうかは本題とは関係ないですが。政治家って政治に携わる人全般を指していて、確かに財務省のお役人も政治家といえるけど、政治家という意味の幅が広いことばより、正確を期すなら官僚の方がより的確でしょう。なにせ科挙は高級官僚試験なんだから。右丞相・枢密使が政治家の条件のごとくいうけど、それらには「官」位があるでしょう。--220.211.149.254 2006年3月15日 (水) 14:07 (UTC)[返信]

はあ、そりゃ例外もなくはないですけどね。少なくとも王安石や李鴻章は政治家ですよね?彼らも科挙合格者ですよね。つまり科挙合格者だから政治家ではなく官僚という論理は通らないわけですよ。それで右丞相・枢密使が政治家の条件なんて誰も言ってませんよ。右丞相といえば政治の最高職であり、国政を左右できる役職なんだからこれを政治家と呼ぶのは普通なんではないのですかと言っているのです。そもそも宋代に政治家と官僚が分離されていると考えることがが間違いでしょう。官と吏が分離されていてもね。らりた 2006年3月16日 (木) 04:01 (UTC)[返信]

どうもこちらの意図を正確に把握してないようだけど、誰も「政治家ではなく官僚という論理」なんて言ってないよ。あれば指摘して欲しい。「財務省のお役人も政治家といえるけど」と言っているように、政治家という範疇に官僚も含まれると上でも述べているよね。その上で政治家ということばは多義的である、具体的に説明すると現代的な意味での選挙で選ばれた種類の人間も含んでしまうので、「正確を期すなら」と前置きしてより的確な官僚の方がふさわしいと言ってるんだけど、異論あるかな。だから官位の最高職であれば、政治家といっていいというのは論点がずれている。最高職でなくとも、官僚を政治家と呼ぶことは上に述べたように可能だけど、正鵠を得ていると言い難い、ということ。「宋代に政治家と官僚が分離されていると考えることがが間違いでしょう」も同様。だれも分離されているなどとは言っていない。そんな常識説明してもらうまでもないよ。要点は現代日本語の「政治家」ということばをそのまま定義の部分につかうと誤解を招くのでは、と述べているだけ。中国史の素養のない人がこの「政治家」という説明をみて小泉純一郎とかの同類かと理解したとすれば、それは違うと中国を知っている人は思わないかな。普通思うと思うんだけど。隅々まで目配りして編集された百科事典なら、どこかに中国における官僚と政治家の分岐を書いてあって政治家ということばも使用可能かも知れないけれど、Wikipediaのような発展途上のような辞書もどきはリンク先にさして期待できない。つまり現状ではことばの吟味を厳しめにした方がいいという意見。よって王安石や李鴻章も官僚と表記する方が的確だと思うよ。--220.211.149.254 2006年3月16日 (木) 15:09

どう考えても官僚と書いてある方が遙かに誤解を招くと思うんですけど・・・。王安石を政治家と書いてあって「小泉の同類」という理解と官僚と書いてあって「財務省の役人の同類」と言う理解とどちらがより誤解が酷いでしょうか?政治家と書いて「ああ、この人は政治に関わった人なんだな」とそれだけの理解で良いのです。別に選挙で選ばれたと誤解する人はまずいないでしょう(いくらなんでも宋代中国で選挙が行われていると考える人はいないでしょう)。それを官僚と書いてしまえば現代日本の官僚と宋代の士大夫たちとをごっちゃにする誤解を招きませんか?中国での官僚制度のあり方を知っている人ならそのようなことは無いでしょうが。どうですか?らりた 2006年3月17日 (金) 09:22 (UTC)[返信]

ひとつ指摘したいのですが、儒教の実践主義思想によって中国では政治に携わる人は官僚実務や軍務に(ただし時代状況によって実務内容の全くない名誉職などを優遇して歴任するなどはありますが、これらも建前上は官僚です)携わっています。文天祥を官僚と表記するかどうかは別物と思いますが、近代以前の中国の政治家は基本的に皇帝の官僚であるという性格があることは否定できません。そのため、ローマの元老院議員などとは明らかに性質が異なるのであり、これはたとえば江戸時代の老中にあった人たちを官僚と呼ぶか政治家と呼ぶかというような問題と一緒のことです。というわけで、つまり近代以前の中国史においては政治家をなす階級と官僚をなす階級は基本的に同質であった(もちろんより事務的な地方役人のような下級官僚は別の階級として存在します)と考えられ、マックス・ウェーバーもそのような支配体制を意図して官僚制というようなことを言っています(ウェーバーの見方が正しいかどうかは置いておきます)。したがって文意的に正しいかどうかは置いておきますが、「中国での官僚制度のあり方を知っている人ならそのようなことは無いでしょうが。」は事実誤認と思われますが、いかがでしょうか。--Kanbun 2006年3月31日 (金) 14:15 (UTC)[返信]
つまり私が言っているのは士大夫階級のなかで政治家と呼べるような人と官僚として暮らした人がどっちが多いかと言えば、官僚で過ごした方が大部分だと思われます。宋代の士大夫階級と日本の官僚制が何か本質的に異なることを主張しておられるように思いますが、日本の官僚のことを考えても、上級官僚は各大臣の秘書的存在となって政策決定に関与しますね。中国王朝の政治家たちもかなりこのような形態に近いのではないですか?国会議員と財務省の官僚とどっちが士大夫に近いかと言えばおそらく財務省の官僚ではないでしょうか。--Kanbun 2006年3月31日 (金) 14:31 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。えーと、私自身、上のものを書いたときは頭に血が上っており、どうも論旨が混乱していたようです。
前近代中国で政治家と官僚が分離していないと言うことは承知しております。しかし現代日本では政治家と官僚は分離しており、官僚と言えば政治家(と言うか政府)の下で行政に携わる人々と言う認識です(と思います)。ですので、官僚と言う語を使うと政府の中枢までに登った人を想起しづらいのではないか、そういった意味で誤解を招くと言っています。
「宋代士大夫と現代日本の政治家とが近い」と主張しているわけではありません。ただ自分の書いた文章を読み返すとそう取れますね。すいません。
私の主張は「政策を左右できるほどの立場になった人物なら政治家として書くべき」ということです。らりた 2006年4月1日 (土) 11:59 (UTC)[返信]
なるほどなるほど。これは難しい問題ですが、政策決定の場では官僚も実務的な面から重要な参与をしますね。とくに政治家などになると自己政治責任の有無などが問題になるかと思いますが、じつは中国の官僚に自己政治責任があるかどうかということになると難しい。この場合中国ではこのような官僚主義的な政治がおこなわれていたから、中国の政治家は官僚的であったとすれば済むと思われます。よって「官僚であり政治家である」というような解決でもよかったのでしょうが、まあべつのところで何かそのようなことに言及されていれば問題ないと思います。水を差すような非常にくだらない質問をしてしまってすみませんでした。--Kanbun 2006年4月1日 (土) 12:05 (UTC)[返信]

220.211.149.254 改めログ読み人。▲まず「遙かに誤解を招くと思う」と言われても、誤解の具体的な内容を書いてもらわないと論じようが無い。こちらは国会議員を例としてあげたが、その理由は「選挙で選ばれた種類の人間も含んでしまう」と述べているように、選挙で選ばれ政治に携わる人と官僚選抜試験を合格して政治に携わる人とは出自という点で大きく異なるという意見を提示したのだから、そちらもどう誤解するのか、旧中国の官僚と現代の官僚の違いを具体的に提示すべきでは?続けて「別に選挙で選ばれたと誤解する人はまずいないでしょう」といっているがこういう方向に議論を持っていくと、双方とも統計的に提示できないので水掛け論になってしまい、避けるべき。よって先に述べた点を答えてほしい。なお個人的にはアメリカの首都をニューヨークと答える高校生があふれかえっている学力状態なので、国会議員と中国の官僚の違いが理解できない人間がいてもおかしくないと思う。あくまで主観だが。▲第二に、政治家ということばが含む範疇について二義的ではなく「多義的」と書いている点を看過しているようだけど、なにも政治家が官僚と国会議員だけしか意味しないとは当然思っていない。「小泉云々」は分かりやすい例として提示した。政治家という内部リンクをたどれば分かるように、政治家とは広範な人々を含む定義で、それこそ政治に携わった人という茫洋としていて、裏を返せば明確な定義とはいえない。実際、もし「政治に携わった人」ということだけで「政治家」とレッテルを貼るのなら、歴代皇帝や徳川将軍、藤原道長、等々全部「政治家」と書かねばおかしい。しかしWikipediaに限定して調べてみてもそれらにわざわざ定義の部分で「政治家」とはいわない。すなわち「政治に携わった人」、「政策を左右できるほどの立場になった人物」というだけで「政治家」と記載するには根拠が乏しいと言わざるを得ない。なぜ上記の人の紹介で「政治家」とするのが一般的でないか答えて欲しい。▲第三に、もし「官僚」ということばが正式学名のごとく全く一般的でないものなら、「政治家」とするのも一つの手段かもしれないが、メディアに限定しても官僚や「政官財の癒着」といったことばがあふれかえっている現状では全く問題ない。むしろより文天祥の出自を限定明確化しており、百科事典的に有効だと思う。王安石も同じ。最高位の官職だから政治家がふさわしいと述べている点から考えて職掌の広さが政治家と官僚を分つ基準と捉えているようだけれども、政治家とて様々なレヴェルの職掌領域があるのであって、これをもって官僚と分つことができるとは思えない。Kanbun氏が言われるように官僚といえど広い職掌をもっているのであって、これをもって政治家と官僚を分かつのは困難。むしろその出身(選挙や血統、試験)といったものこそ政治に携わる性格を規定していると思う。よって「政策を左右できるほどの立場になった人物なら政治家として書くべき」というよりも、「中国の官僚は政治家的要素も持っていた」という程度で考えるべき。--ログ読み人 2006年4月1日 (土) 13:17 (UTC)[返信]

非常に私との間で食い違いがあるようですが、とりあえず一つ一つ答えていくと

  1. 官僚と書くことでどういうが誤解を生むか。
    • これはKanbun氏に対する返答でもう書いてます。「官僚と言う語を使うと政府の中枢までに登った人を想起しづらいのではないか」さて「宋代中国で選挙は行われていなかった」と「宋代中国で官僚と政治家は分離していなかった」と言うこととどちらがより基本的な知識でしょうか?前者の方が明らかに基本知識であり、この項目を参照する人に対して前者の知識を前提として求めることは不当ではないでしょう。であるので、前者の知識を求める「政治家」と後者の知識を求める「官僚」とでは「政治家」の方がより(読者にとって)適切であると言っています。
  2. 政治家の定義に付いて
    • これに付いてはかなり誤解があるようですが、別にウィキペディアの記事の定義文はあくまで「読者に簡単な理解をさせるためのもの」であって、「その用語に付いての定義を為すもの」ではありません。ですので私は『「政治家」とレッテルを貼』っているわけでは全然無く、「政治家」と書いた方がより理解を得やすいと言っているのです。
  3. 用語に付いて
    • これは2と同じ答えしか出てこないようです。

以上ですが、私の問題としているのはあくまで「記事を書く上でどちらが解りやすいか」であって、同じことの繰り返しですが「宋代士大夫と現代日本の政治家とが近い」と主張しているわけではありません。ご了解いただけたでしょうか。らりた 2006年4月5日 (水) 12:17 (UTC)[返信]

▲さて、どうもこちらの問いに正面から答えていただけないようだけれども、わたしが上で述べているのは官僚とはあなたが理解するように単純に職掌の広い狭い(「官僚と言う語を使うと政府の中枢までに登った人を想起しづらいのではないか」)によってのみでは政治家/官僚の区別を判断できないという点にすぎない。よってどちらが基本的な知識かという問い自体論点がずれている。反論するならば職掌の大小によって区分される例を提出しない限り反論とはならない。こちらはそもそもあなたの定義が違うと指摘しているのだから。よって上の発言は回答とはいえないだろう。もう一度言い直すけれど政治家の定義そのものを問題としている。▲「どちらがより基本的な知識」かという部分は、「官僚と書くことでどういうが誤解を生むか」とは異なる論点の提示だと受け止めることにするが、この点は以前書いた「多義的」の部分を再度熟読して欲しい。あれで理解してもらえるかと思ったが、政治家とは選挙で選ばれるものもいれば、代々貴族で血統によって携わるものもいる、あるいは試験によって政治を行う資格を得るものもいる。だから単に政治家と書くと不明瞭な部分が残ると言っている。こちらが出した極端な例だけに固執しているようだけど、それは一例に過ぎないとも断っている。よく読んだ上で回答して欲しい。家康を政治家と書かず将軍と書いたり、藤原道長を貴族と書いたりするのは、政治家よりもより限定的確な理解をすることができるからだ。そうできるなら限定した方が望ましいに決まっている。よってそちらはどうして先の人々を政治家と書かないかについて答える必要がある。あなたが以前のこちらの意見を誤解していた件(そもそも宋代に政治家と官僚が分離されていると考えることがが間違いでしょう等)は別に敢えてコメントを必要としないが、この点についてはスルーしないでいただきたい。もし分かりやすいか否かというコメントがこれへの回答になる思っているのであればそれは以下に示すように違う。▲第三にこれも定義と関連するが、「「政治家」と書いた方がより理解を得やすい」という結論は定義が正しい場合に限定される。以前の第三点と併せていうと、別に官僚と書いたって「読者に簡単な理解をさせるためのもの」というルールからはずれてはいない。官僚という言葉がありふれているということをまさか否定されるのかな。「どちらが解りやすいか」という基準はこの際無意味。ワラジムシを学名のPorcellio scaberで呼べというのとは訳が違う。よって官僚よりも政治家と書く方が正しいと主張するならば、やはり職掌の大小がいかに両者を隔てるかという点を明らかにしなければ説得性は無い。▲最後に議論そのものについてだが、問いの繰り返しは双方にとって時間の無駄だと思う。あなたがまず「国政を左右できる役職なんだからこれを政治家と呼ぶのは普通なんではないのですか」というので、こちらがそれは違うよ、職掌の大小は政治家と官僚を分かつ基準とはなり得ないよと反論した。これに再反論するのに再度最初と同じ主張を繰り返しても意味がない。なにも政治学者並みの意見を期待しているわけではないので、もう少し具体的かつ論理的に答えていただきたい。でなければ全くリソースと時間の浪費に終わるだろう。--ログ読み人 2006年4月7日 (金) 17:05 (UTC)[返信]

まず初めに、私がログ読み人さんの意図を最初、誤解していたことに関して、確かに一言あるべきでした。それをスルーしてしまい、大変失礼いたしました。申し訳ありませんでした。


それで言い訳じみた言い方になりますが、私は宋代の人物に対して「政治家とするべきか官僚とするべきかの『基準』」をどうこう言っているわけではないと言うことです。厳密に言えば、宋代士大夫に対して「政治家と言っても官僚と言ってもどちらも正しく、どちらも間違いである」と思ってます。
ただ「現代のこのウィキペディアを読む読者」に対して文天祥のような「政府の中枢までに登った人」を説明する場合、より解り易い定義文では政治家とする方が良いのではないかと言っています。
もう一度繰り返しますが、「厳密な意味では」『政治家』と言う単語は間違いかと思います。ですが、官僚と言った場合も間違いと思います。ですので「政府の中枢に登った」人物を説明する場合(官僚と言った場合、現代日本人は政府中枢までには至らなかったと考える人が多いと思われますので)、政治家と書いた方が良いと思っています。
はっきり言って私には政治学者のような答えは到底無理なので、以上のような答えしか返せません。いかがでしょうか。ご返事をお待ちしております。らりた 2006年4月12日 (水) 13:07 (UTC)[返信]