ノート:改竄

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ウェブサイト改竄以外への言及[編集]

加筆依頼をした者です。加筆依頼のテンプレートを削除しました。加筆ありがとうございます。>各位--iwaim 2007年2月8日 (木) 22:00 (UTC)[返信]

Wikipediaにおける改竄について[編集]

具体例をコメントアウトしました。理由は

  • 選び方が恣意的で必然性が無いこと。
  • 「改竄」という強い言葉に見合うだけのものといえるのか疑問であること。
  • 事実に反する「中傷」を除去することは「改竄」とはいえないこと。
  • 事実に反していなくても、「必要性に議論のありうる記述の除去」だけの編集を「改竄」と呼ぶのは適切とは言い切れないこと。
  • WikiScannerに豊富な具体例が挙げられており、あえてこちらの項目でその一部分だけを提示する必然性が無いこと。

再掲をご希望の場合は、その具体例をこの項目であえて取り上げるべき理由をお願いします。--miya 2007年9月15日 (土) 06:12 (UTC)[返信]


改竄の意味に偏りが見られる点について[編集]

悪意ある、攻撃的な改竄のみに偏っています。しかし、改竄とは、そのようなものに限りません。改竄は「文書管理」システム上の問題でもあります。--はるひ 2007年9月15日 (土) 06:26 (UTC)[返信]

辞書的な意味では悪意がある含意があることから、それは当然のことと思われます。むしろ悪意が無い意味で用いるのは特定分野のみであり、百科事典として該特定分野に触れることは大いに賛成ではありますが、それを主眼とした書き方は中立的ではないと考えます。
常識的使用法として、改竄と言えばそれだけで悪意を含んでいることを意味します。事故は含みません。Wikipediaは辞書ではないので辞書のように書く必要はないと考えますが、だからと言って辞書を無視していいものではないのではないでしょうか。
逆にはるひ氏の編集の方が、「悪意が無い意味で用いる特定分野」に偏っていると思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2008年4月6日 (日) 01:47 (UTC)[返信]

いえ、辞書をよく読んでいただければわかると思いますが、原義には悪意は含んでいません。中立的観点で言うなら、悪意の有無を問わない用法をきちんと載せることが必要でしょう。一般にニュースなどでは悪意がある意味で用いられる用法がニよく使われますからそちらに馴れているというだけのことではないでしょうか。それは「常識」とはいいませんし、常識とはなんぞや、という議論になりかねません。悪意がない例が「特定分野」に限るわけではないことは、原義を見ればわかりますし、「特定分野」を特定することも困難でしょうね。個人的な常識に拠って立つことは難しいことでしょう。--はるひ 2008年4月6日 (日) 02:20 (UTC)[返信]

Wikipediaは辞書ではなくて百科事典なので、原義を紹介することは重要だと思います。またその意味で、悪意の有無を問わない用法をきちんと載せることも重要でしょう。そして当方は「電子署名における改竄」(元は「公開鍵暗号における改竄」)を書いた者であり、そういった用法を載せることに配慮したつもりです。
ですがだからと言って「一般にニュースなどでは悪意がある意味で用いられる用法がニよく使われますからそちらに馴れている」大多数を無視して原義のみを載せるのはどうか、ということです。
そう主張するのであれば、前文の書き方にも「一般にニュースなどで使われている用法に慣れている人達」に対する配慮があってしかるべきだと思います。その人達は分野を問わず存在し、またそれを他者も同じように認識している(=常識だ)と考えているわけですから。
それが中立的というものでしょう。つまり「一般にニュースなどで使われている用法に慣れている人達」を無視せずに充分な配慮を行い、その上でそれに反する内容(正しい内容)を載せる、ということです。
常識であることと正しいこととは別です。特定分野に限るものではないのが正しいのであれば、その意図が正しく伝わるように書くべきです。でなければ当然のごとく読者には伝わりません。意味が伝わらない百科事典に意味は無いですよね?
ちなみに当方の「辞書的には悪意がある含意がある」という主張は、三省堂の大辞林第二版に基づいています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2008年4月6日 (日) 16:24 (UTC)[返信]
現在は両方のっているので特に問題はないと思いますし。また、大多数を無視している状況でもないでしょう。ニュース等で一般に「使われやすい」用法だけを「常識」と呼ぶとは私は思いませんし、実際国のe-文書法、全世界的な国際規格であるISO等においても、記録の保護などの場面で改竄という言葉使用されています。「常識」という言葉は人によって違いますから私はあまり好きではありませんが、もし使うとすれば、こちらの意味も常識でしょう。自分が知らない世界を常識でないというのは簡単ですが、それはあまり建設的ではないと思いますよ。ところで、大辞林などを読んでも、もともと悪意があるもののみを改竄と呼び、悪意のないものを含まないとはしていません。一般に悪意を含むことが多いとか、特にそういう場合に使用されるとしているのであって、悪意のない場合を排除していません。
「中立的」という言葉をもしそうとらえているのなら、もう一度中立的な観点についてご確認いただけないでしょうか。「改竄」について悪意の有無を問わない用法がごく一般に(ISOその他記録の改竄はニュースネタになるようなものではないだけで、改竄の場面に普段から触れていない人には気付きにくいかもしれませんが)、ごく普通に使用されています。改竄以外の呼び方もありません。両方を併記することが偏った観点になるとは考えられません。
あなたが、改竄について、ニュースネタになるような意味にしか触れておらず、それをもって「常識」と断ずるような立場からお話になっているのであれば、ご自身のよく知らない、専門ではない世界について、あまり区部を突っ込みすぎないことも賢明な立場の取り方だと思いますよ。ウィキペディアは百科事典であり、専門的な立場から解説することも往々にして必要とされているのであって、「常識かどうか」を指標として書くものでもなければ、自分の知らない世界を常識外だと判断するのも、掲載できる内容や深みを損なうだけだと思います。
結論です。特に今の記事で問題はないでしょう。ですから、記事の構成として、悪意のあるものを中心とした記述に変更するようなことには反対します。もしそれでもご自身の常識に基づいて疑問があるならば、これ以上私たちで非建設的な議論をしてもあまり意味がないと思いますので、コメント依頼に出し、そして、結局この記事をどうしたいのかを具体的にご提案なさっていただけませんでしょうか。私からは以上です。--はるひ 2008年4月6日 (日) 22:54 (UTC) コメント依頼には私から出しておきました。--はるひ 2008年4月6日 (日) 23:18 (UTC)[返信]

コメント依頼から参りました。そもそも悪意の有無によって分ける必要性があるのかどうかが疑問です。三省堂の発行する辞書は、大辞林、類語新辞典、故事ことわざ辞典など「悪用の場合にいうことが多い」とありますし、広辞苑は「多く不当に改める場合に」とあります。なぜ悪意云々が出てきて、なぜ現在の記事が悪意の有無によって分けられているのかが疑問です。現在の記事内容には脚注の節がありますが、使用されてはいないようですし、独自の研究ではないかという別の問題もはらんでいるように思えますし、例が必要か?とも感じます。いずれにせよ、大幅な改稿が必要かと。--Baldanders 2008年4月7日 (月) 00:14 (UTC)[返信]

ありがとうございます。もともと、悪意あるもののみが前提として挙げられていたので、e-文書法や電子署名などの例に照らして疑問を持ったのがきっかけです。悪意の有無に関わらず(節をわけずに)記述することは可能だと思います。
文書や記録の改ざんには、故意・過失によるものを含みます。逆に改ざんを悪意(虚偽入力、破壊の意図)に限ってしまいますと、悪意のない、過失による改変・消去などが別途記載されていない限り、文脈上の改竄用語の解釈ができなくなります。現に悪意の有無に関わらない用語として文書記録管理や監査関連の用語として定着していますから(それらになじみのない方には違和感があるかもしれませんが)、悪意に限ってしまうのは問題があると思いますし、挙げていただいた辞書も、読めば「悪意ある場合のみの意」と限定しているわけではないことがわかります。e-文書法やERES指針などを検索していただけると、お分かりいただけるのではないかと思います。
改稿の余地はあると思いますので、お知恵をお貸しいただければ幸いです。--はるひ 2008年4月7日 (月) 02:17 (UTC) 少し直しました。--はるひ 2008年4月7日 (月) 02:23 (UTC)[返信]

論点をずらされても困るのですが、当方は「悪意ある変更」のみを改竄と呼ぶべきであると主張しているわけではありません。むしろ当方の専門分野では改竄は「悪意の有無に関わらない」のが常識であり、その方面の周知もあってこの項目には少々注目しています。その上で、はるひ氏の編集の仕方が「悪意の有無に関わらない」側に傾きすぎて居るのではありませんか、「悪意の有無に関わらない」ことを示したいあまりに内容の検討がおろそかになっていませんか、という話です。

履歴を見ればわかりますが、そもそもはるひ氏が書き換える前から悪意に限って書いてあったわけではありませんし、「悪意のない、過失による改変・消去などが別途記載」されていたわけです。

各地各分野毎にさまざまな常識があります。そしてそれとは別に一般常識というものがあります。一般常識を無視せずに各分野の常識を書いてこそ、どの分野の人間にも役に立つ百科事典になるのではないでしょうか。当方を「狭い常識にとらわれた視野が狭い人間だ」と人格攻撃したところで(そしてそれが正しかったとしても)当方の主張自体が否定されるものではないと考えます。

とりあえず、はるひ氏が内容も見ずに節変更してしまった部分に関しては編集合戦が起こりそうもありませんので、当方にて編集しておきます。

世界最狂の魔法使いCray-G 2008年4月7日 (月) 09:22 (UTC)[返信]

人格攻撃ですか、議論が白熱しても冷静にお願いします。議論としてはいまいち論点が明瞭になっていないようですが。もともとの文章は悪意のあるものに偏りがあるようでしたので、この節で問題を提起し、その上で加筆をしたのですが、どうもその点についての認識にずれがあったようですね。「一般常識」が何かという点を議論してもかなり主観的なもので、またその「一般常識」と及びになっているものが本文で無視されているわけでもありません。結果的に、「反論」なるところから始まった議論で何を論点とされてきたのか、かなり主観的なものに拠っていたようにおもわれます。いずれにしても、加筆修正があってこそのウィキペディアですので、どうぞご編集いただき、質を高めていただければ幸いです。--はるひ 2008年4月8日 (火) 01:26 (UTC)[返信]

編集合戦にならないなら、遠慮無く編集するつもりです。ただ過去のはるひ氏の編集を見ましたところ、改竄が悪意ある変更である含意がある旨の記述を複数回に渉り変更しているようであり、またそれが回を追うごとに顕著になっているようでしたので、編集の前に合意が得る必要があると判断したものです。
認識にずれがあるのは仕方の無いことです。複数の異なる認識を持つ者が編集し合い、衝突があれば合意を形成していくことで質が高まっていくものだと思います。
ここで必要な合意とは、「改竄が悪意ある変更である含意を持つ」ことを主旨として「悪意が無い場合でも改竄と言うことがある」と記述するか、あるいは「改竄は悪意の有無とは無関係である」ことを主旨として「悪意ある場合を指して改竄と言うことがある」と記述するかの、いずれがより百科事典として適切であるかです。
当方は前者の方がより適切であると判断して居ます。その根拠として、改竄には悪意ある変更である含意があることが常識であると認識していて且つ、百科事典は(辞書ではないので)常識に配慮するべきだと考えているからです。また、改竄には悪意ある変更である含意があることが常識であると認識している根拠として、既に辞書を挙げています。そしてはるひ氏本人から、それが一般にニュースなどでよく使われている用法である旨の指摘を頂いていることからも、改竄には悪意ある変更である含意があることが常識であるとの認識は非常識ではないものと考えています。
合意を求める目的は二つ。編集合戦を防ぐことと、編集合戦を避けるべく互いが気を使った結果不自然(≒意味不明)な文章となることを避けることです。
単に書いてあればいい、というだけでは、雑多な情報量が増えるばかりで質は高まっていきません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2008年4月8日 (火) 04:21 (UTC)[返信]

コメント依頼からきました。まず、主張されている内容としては、お二人とも同じことをおっしゃっているのではないでしょうか。ただはるひさんは、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが「常識」だと思うものが記述範囲の指標となるわけではなく、この言葉は原義では悪意を含まないのだからそのことを中心に記述すべき、とされている。世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、悪意を含むことが辞書にも載っている一般的な用法なのだから、まずそのことを記述したうえで、悪意を含まない分野、原義を述べてバランスを取るべき、とおっしゃっている。しかしお二人とも、「悪意を含まない用法を記述する」という認識ではなんら差異はないのではないでしょうか。私にはそのように思えます(読み違えていたらすみません)。その方法論ですよね。

それを踏まえた上で、現在の記述は世界最狂の魔法使いCray-Gさんがおっしゃるように、悪意のない用法に傾きすぎているように私も思います。辞書に記載されている、ニュースで用いられる、という事実からすれば、改竄に悪い意味があるのが一般的、というのは、利用者の常識ではなく一般常識ですよね。特定分野の常識に依拠して悪意のない改竄を記述するのであれば、それより広く理解を共有している分野の常識をより中心的に扱うことは、むしろ当然かと思います。(WP:NPOVにも「重要な制限事項がひとつあります。複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。」とあります。)

というわけで、定義部分の代案(叩き台)を提示してみます。以下、改竄(この版[1])の定義部分を基に修正して見ました。

「改竄(かいざん)は、文書、記録等の全部又は一部が、故意もしくは過失により、本来なされるべきでない時期に、本来なされるべきでない形式、内容に変更されることをいう。現在の一般的な用法としては特に行為者が悪用する場合を指すが、原義では必ずしも悪意は含まず、また悪意の有無を問わない用法で用いられる分野もある。」

ではいかがでしょうか。「その変更が~」は後述の「悪意の有無にかかわらない改竄の例」の節における冒頭の記述と被るため削除、「悪意をもって不当な利益を得たり不利益を回避したり~」の部分は「悪意ある改竄の例」の節において冒頭に記述するとバランスがとれ、すっきりとするのではないでしょうか。かつ、当初の通り、悪意のある改竄の節を前に持ってきたほうが良いと思います。

最後に、「人格攻撃ですか」とはるひさんはおっしゃっていますが、残念ながら冷静さを失われているのははるひさんのほうかなと思います。人格攻撃とまでいう必要はなかったかもしれませんし、その点では世界最狂の魔法使いCray-Gさんも言葉がきつかったかもしれません。しかし第三者からすると、はるひさんが先に世界最狂の魔法使いCray-Gさんに対して厭味ととられても仕方のない言葉を投げられているように見えてしまいます。--スーイ 2008年4月24日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

はるひ氏の名誉の為に言いますが、『人格攻撃』という言葉を使い始めたのは私こと世界最狂の魔法使いCray-Gです。
人格攻撃というのは詭弁やディベートで用いられる技術の一つで、論争相手の個人に由来する問題点を指摘することで当該人物は議論の参加者に値しない=当該人物の論には信憑性が無い=自分が正しい、という結論を導く手法です。今回の場合は、はるひ氏の「自分が知らない世界を常識でないというのは簡単ですが、それはあまり建設的ではないと思いますよ。」@2008年4月6日 (日) 22:54 (UTC) をもって私が「当方を「狭い常識にとらわれた視野が狭い人間だ」と人格攻撃」@2008年4月7日 (月) 09:22 (UTC) と書いています。これは、私(=世界最狂の魔法使いCray-G)は「自分が知らない世界は常識ではない」と考えている人間である=私は「俺が常識」という暴論を振りかざしている=私は自分勝手で滅茶苦茶なことを言っている=私の言うことは間違っている、という結論を導く手法を用いようとしていると考えたからです。(→個人攻撃
私自身も常識を振りかざす人間は好みません。ですがそれは、常識の外にある存在を否定するから好まないのです。
それはともかく、スーイ氏の改変案には基本的に賛成です。実際に変えたときの全体のバランスまでは見ていませんが、主旨としては私の希望する方向にまとまっていると思います。
ただ具体的には思い付かないのですが、節名に「悪意ある/悪意の有無に関わらない改竄の例」となっているのと、「悪用する場合を」の「悪用」の部分とを合うようにした方が良いと思います。用語をそろえないと、パッと見てわかり難くなる場合があるからです。そして正直、「悪用」されるのは「変更能力/権限」であって「改竄」ではない(変更能力/権限を悪用して改竄する)わけですから、これも前提条件無しに読んだ人が混乱する可能性があるのではないかと思うのです。つまり何を悪用するのかに関して、です。
この点に関して現在の私の案では、まさにはるひ氏が書き換えたその内容に酷似してしまう為、はるひ氏との合意が形成出来ないと代案が出せない状態です。編集合戦を誘発することになりかねませんから。
世界最狂の魔法使いCray-G 2008年4月24日 (木) 18:37 (UTC)[返信]
言葉足らずで申し訳ありません。先に世界最狂の魔法使いCray-Gさんが「人格攻撃」という言葉を用いられた点は理解しております。それに対するはるひさんのお返事に対して、私もはるひさんのお言葉を世界最狂の魔法使いCray-Gさんが理解された意味で感じた、ということを書きたかったのです。もう少し正確にお二人の言葉を引用するべきでした。はるひさんにもお詫びを致します。
世界最狂の魔法使いCray-Gさんのご意見了解しました。でははるひさんのお返事をお待ちすることとしましょう。--スーイ 2008年4月24日 (木) 23:44 (UTC)[返信]

悪意を含むか含まないかの違いは「特定の分野」という切り分け方が適当か、若干の疑問が残りますね。制定された文書や生成された記録類の意図せぬ改変は、ある特定の分野に限ったものではなく、これら文書管理システムはISO9001等に限らずどのような場所でもおきうるものです。ただ、それを改竄と呼ぶのか呼ばないのかは、事業所の慣例などもありますね。スーイさんが提案された定義文は現時点ではおおむね妥当な内容を示していると思いますので、「悪意の有無を問わない用法で用いられる分野こともある」とすれば問題はないと思います。要は記事の内容が、「改竄=悪意によるもの」という、いわば生活感覚のみに基づいた記述から脱却して、バランスが取れればよいと思っています。/◆「人格攻撃」という言葉が独り歩きしているようですが、「私に対する人格攻撃ですか」の意味で用いたわけではないのでご心配はご無用です。魔法使いさんが上でお書きになっていらっしゃるように、「人格攻撃だ」とおっしゃったので、「(私がしたことは)人格攻撃ですか」というつもりだったのですが、言葉が短すぎて誤解を生んだようですね。こちらは傍論で、最初に使用されたときも言葉のあやみたいなものかと思いますし、十分時間を置いていますから、もはや問題なしと思います。--はるひ 2008年4月25日 (金) 00:50 (UTC) [返信]

「特定の分野」という切り分けが不適切である可能性はあるとは思います。再考する必要はあるでしょう。しかし、特段の前提が無い場合には一般的な用法(つまりはるひ氏の言う「生活感覚のみに基づいた」用法)が前提であると仮定して会話や読文を行うわけですから、読者がそれを暗に前提にしていることを想定して書くべきなのではないかと考えます。
改竄の定義に関しては飽くまで「本来なされるべきでない時期に、本来なされるべきでない形式、内容に変更する行為」であり、故意過失悪意の有無には関わらないものです。それに加えて『一般には(=その「生活感覚のみに基づいた」用法としては)悪意ある行為を指す。が、そうとは限ったものではない』という書き方をすることによって、その「生活感覚のみに基づいた」用法しか知らない人に対しても「悪意に関わらない用法」があることを自然に(不自然でなく)理解してもらえると思っているわけです。
そうでないと、この記事を見た誰か(その「生活感覚のみに基づいた」用法しか知らない誰か)が『この記事を書いた人は「改竄」という言葉が悪意による行為だという含意があることを知らないのではなかろうか』と考えて記事を編集→無限ループ≒編集合戦、という状況になるのではないかと危惧します。つまり私は、その「生活感覚のみに基づいた」用法が十二分に普及していて、その「生活感覚のみに基づいた」用法以外の用法を知っている誰かであっても「改竄に悪い意味がある? そんな馬鹿な! そんな使い方は見たことも聞いたことも無い!」と言って強硬に書き直しを主張する人(や執拗に書き直す人)は余程の例外だろう、と考えているのです。
そしてそういう例外的な人に対しては(今此処でこうしているように)対話によって合意を形成することで編集合戦が如き無限ループを回避出来るだろう、と考えています。これまでWikipediaがそうやって少数派を排除することなく中立的であることを守ってきたのと同じように。
なお私は、はるひ氏が@2008年4月3日 (木) 08:17 に書き換える以前から既に「生活感覚のみに基づいた記述から脱却」していて、単に「生活感覚のみに基づいた」用法しか知らない人に対する配慮があっただけだ、と考えています。そしてはるひ氏の書き換えによってその「生活感覚のみに基づいた用法しか知らない人に対する配慮」が失われた、と考えています。
百科事典なので広範な読者を対象としていること、そしてその「広範な読者」には少なからぬ数の「生活感覚のみに基づいた用法しか知らない人」が含まれていることを勘案し、彼等への配慮を忘れないで頂きたいと強く願うものです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2008年4月25日 (金) 11:33 (UTC)[返信]
ほぼ合意が得られたようで良かったです。特定分野の取扱いについては、私は門外漢なので静観させてください。はるひさま。世界最狂の魔法使いCray-Gさんへ返答した通り、「(私がしたことは)人格攻撃ですか」というはるひさんの意図は了解していました。その上で、「私も世界最狂の魔法使いCray-G へのはるひさんの発言は礼を逸しているように見えるけれど、このようにおっしゃるということは、はるひさんにはあまり自覚はないのかな」と思って書いた文章でした。が、主語が不明確であり、お二人が混乱されるのも無理はありませんよね。申し訳ありません。もう少し明確な文章を書けるように修行してまいります。また終了宣言?をされているのに、しつこくほじくりかえしての弁解で申し訳ありません。一応意図はわかっていました、ということで…。--スーイ 2008年5月1日 (木) 13:30 (UTC)[返信]
前文に関する合意は粗方得られたようですが、全体的な合意は得られていないものと考えます。というのは、全体の書き直しに関してもう少し合意を得たい事項があるからです。
当方の意見としては、現在の悪意無云々の節は「悪意の有無に関わらない用法」の強調の為の存在であり不自然で且つ不要であると考えます。なので、これを廃し「改竄の例」として一つに戻したいと思っています。またこれによって既にスーイ氏から提案されている『「悪意をもって不当な利益を得たり不利益を回避したり~」の部分は「悪意ある改竄の例」の節において冒頭に記述する』という案が棄却されることになってしまうことから、これに関して新たに「概要」の節を「改竄の例」の前に配し、これまで前文をややこしくしていた各事項の詳細を其処にまとめて書くことを提案します。
これによって節構成が自然且つシンプルで偏っていない構成となり、また概要に詳細を長々と書くことも出来るようになると考えます。
それというのは、改竄の用法は私の知る限り三種類あり、一つは私が一般常識と主張している「悪事」、一つははるひ氏の主張している内容、そしてもう一つは「改訂であるか否か」に拠るもので「改訂=改竄ではない」という使い方です。最後の用法では「Wikipediaにおける改竄」は改竄とは呼ばれません。
これはそもそも文書管理システムと呼ばれる以前のバージョン管理システムと呼ばれていた時代において、システムの支配から逃れて元データーを変更する(つまり悪事を働く)ことを指すものであり、改訂を含むならそれは証拠を残している=それは事故か、結果として不適切であったにせよ(性善説に基づき)適切と考えた変更である=本人に話して元に戻せば済む=改竄ではない、という考え方です。「バージョン管理システムを使えば改訂として記録が残り元に戻せるので改竄出来ない」と考えられていました。
それがやがて時代を経て、文書管理システムと呼ばれ広い分野に渉り利用されるようになった今では、はるひ氏の言うような内容に意味が変わりました。というのも現在の文書管理システムは当時のバージョン管理システムとは利用のされかたが異なるからです。文書管理システムの重要課題とは「最新版が適切な内容であることを保証する」ことですが、バージョン管理システムにおいてのそれは「最新版に問題があった時に元に戻す」ことと「問題の原因である変更箇所を容易に洗い出す」ことだからです。
現在の本項全体の節構成では、そういった(それ以外にもまだあるかも知れない)内容を書くには適切ではありません。このままで合意が形成されたと看做されてしまっては、様子を見ていずれはそういった内容を加筆したいと考えていた当方は困ってしまいます。
故に節構成の変更を提案すると共に、特にはるひ氏からの合意を得たいものと考えます。と言うか、当方を含めた誰かが当該節構成の変更を行っても、またすぐに「悪意云々」の節構成に戻すようなことをしないという言質が欲しいわけです。
編集合戦は当方の望むところではありません。当方からの相互理解の為の弁を完全に無視されている為、当方ははるひ氏の書き換え動機を理解することが出来ません。なので当該節構成の変更によってはるひ氏が元に戻そうとするか否かがわかりません。なので(編集合戦を避ける為に)当方には言質を取るような真似しか残されていないのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2008年5月4日 (日) 11:15 (UTC)[返信]

218.132.144.104氏へ[編集]

笠原十九司でも荒らしているIP氏、何が事実と違うのかノートで説明してはどうです。ひたすら削除し対話拒否なら参加資格はありません。Premiumgold 2008年2月19日 (火) 13:09 (UTC)[返信]

ISO9001の品質マニュアルの改竄[編集]

パソコンの誤操作の例として「ISO9001の品質マニュアルの改竄」がありますが、事例や出典がない状況でISO9001を出すのは不自然です。そのため、事例か出典の追加をした方がよいです。--iwaim 2008年4月2日 (水) 20:49 (UTC)[返信]

こんにちは。ISOの現場で日常的に原義に基づいて使用されています。品質マニュアル・改竄などというキーワードで検索すればお分かりいただけることかとは思いますが、必要であれば出典は探してみます。もっとも、「改竄」の原義の具体例の一つであって、どこか不自然なのかちょっとわかり兼ねます。なぜ不自然なのか、参考のため、裏付けや根拠があればそれとともにお教えいただけますか(改竄ということばの原義は、悪意を持って書き換えるという意味ではないので、不自然というご意見を得て、少し困惑しているのが正直なところです)。ご提示いただいた「不自然さ」の根拠をもとにして、それを改善するべく、適切な表現と出典を探すことにしますので、少しお時間をください。具体例の出典が必要であるとすれば、ISOだけでなく、この記事に出されているすべての具体例も同様と思います。--はるひ 2008年4月2日 (水) 22:38 (UTC) 加筆しました。--はるひ 2008年4月2日 (水) 22:49 (UTC)[返信]
9001に限ったものではない、という意味では、9001を節の名前にまで挙げているのはなぜか、と疑問にもたれることもあるのかな、と思いました。9001でも140001でも13485でも同じことですから、単に文書・記録の改竄として修正しておきました。--はるひ 2008年4月2日 (水) 23:20 (UTC)[返信]
たとえば、1つめの文にある「品質マニュアル」は(文章上は)いろんなものが入りますよね。「ウェブサイト」でもいいし「情報セキュリティポリシー」でもいいし。もちろん、執筆者は必然性があってISO 9001の例を記載しているのでしょうし、その判断はおそらくは正しいのだと私は思っています。ただ、現状の記述であれば何故ISO 9001になっているのかが判りませんよね。ISOの現場を知っているような有識者には自明なんだろうとは思いますけれど。私としては、ISOの現場で改竄が(他の状況と比べて)問題視されることが解るような記述があればいいな、と思っています。必要なのは事例や出典ではなく加筆なのかも知れません。なお、私はこの記述が必要ないなどとは思っていませんし、むしろ必要なのだろうと考えています。早急に対処してくれ、などという思いは持っていませんので、お時間があるときにでも対応いただければ幸いです。これで回答になっていますでしょうか?
《具体例の出典が必要であるとすれば、ISOだけでなく、この記事に出されているすべての具体例も同様と思います》というご指摘に関しては全くもってその通りだと思っています。
と書いていたら競合してしまった。現状のものの方が良いと思います。対応ありがとうございます。一部、ISO 9001を前提とした記述が残っているようです。そちらも手をいれていただければ幸いです。私がやってもいいんですが、有識者にお任せする方がより良いであろうと思いますので。--iwaim 2008年4月2日 (水) 23:30 (UTC)[返信]
こんにちは。ご丁寧にお返事いただきまして、感謝しております。最初、ご指摘の内容を私は若干曲解していたようです。なるほど、おっしゃる通りで、当初の記述は9001に偏り過ぎていること、なぜ数ある品質マニュアルの中でISO 9001なのかということが説明されていなかった(9001である必然性もなかった~メジャーなものとして挙げたつもりだったのですが~)ということですね。ご指摘いただいて、知っていることを客観的に伝えることのむずかしさを実感しました。私の文章力のつたなさももちろんありますので、この点は、iwaim様はじめ読者の方に逆に困惑を与えていたわけで、お詫びしたいと思います。あとで時間ができましたらまた推敲の上加筆修正したいと思います。ありがとうございました。--はるひ 2008年4月2日 (水) 23:44 (UTC)[返信]
いえ、私の方こそ中途半端な指摘になってしまっていてすみませんでした。もうちょっと明確化してかけばよかったですね。すばやい対応ありがとうございました。--iwaim 2008年4月2日 (水) 23:59 (UTC)[返信]