ノート:懐帝 (西晋)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

過剰な内容を整理[編集]

「生涯」項目の記述が、『晋書』孝懐帝紀の内容をほぼそのまま踏襲したものになっており、Wikipedia:過剰な内容に抵触していると思います。直接懐帝に関係ない治世中に起きた出来事、例えば

  • 「日蝕」のような天文・気象現象。
  • ある人物の事跡・行動が懐帝本人と直接関係しない場合(歴史的に重大な事件は除く)。

などは、ここに書く必要はないと考えます。--Joffed 2011年4月12日 (火) 00:34 (UTC)[返信]

天文や気象現象は、場合によっては関連性が出てこないわけではないので省きたくないのですが、それぞれの元号記事に記述を移してもいいかもしれません。「ある人物の事跡・行動が懐帝本人と直接関係しない場合」については、「直接」の意味が不明確ですので、賛成も反対もできません。戦乱の経過については八王の乱永嘉の乱に転記してもいいと思いますが。--Kangoshiyouichi 2011年4月13日 (水) 16:13 (UTC)[返信]
とりあえず献帝 (漢)の記事にあるガムさんのものを参考にタグを変更しました。現状の記事は大量の事件がそのまま羅列されていて、懐帝本人の事跡の全体像がかえって分かりにくくなっていると思います。天文現象については、ご返事の通り元号の記事内に転載してもいいとおもいます。「直接」にというのは、劉淵や石勒などの事跡で、彼らが懐帝に直接なにかしたわけではない個々の記述は(例えば、「秋7月、劉淵は平陽に侵攻し、太守の宋抽は都に逃げ帰り、河東太守の路述は力をふるって戦った末に戦死した。8月、東海王の司馬越は自ら鄄城を引き払って濮陽に駐屯した。9月、石勒が趙郡に侵攻し、征北将軍の和郁は自ら鄴を放棄し衛国に逃亡した。」等々)、彼らの記事に回すべきで、この記事では要約できるものは要約して、簡潔で読みやすい記述にすべきだということです。それと見出しもつけずに未整理の文章を大量に出されるのも、読む方は困ります。投稿するにしてもある程度ご自分で整理してから投稿するべきではないでしょうか。--Joffed 2011年4月14日 (木) 02:16 (UTC)[返信]
「大量の事件の羅列」やら「未整理の文章を大量に出される事」については、同時代の他の重要人物の記事が立項されるにつれて解消されるだろうと私も考えた上での編集ですので(省いたはずの記述が後から少しづつ付け足されて、結局はかえって整理がしにくくなる場合もあります)、それらについては将来的に他の記事に回すべきものもあるでしょう。ただ、具体的に指摘があった部分は、劉淵や石勒の事跡であると同時に、懐帝治世下の西晋の支配領域の縮小を示している記述ですので、その部分をこの記事から削る、という発想はそもそも認識が一面的すぎるのではないでしょうか。要約した上で、太守の名前などの細かい情報は脚注に移すのもいいかもしれませんが。なお、見出しについては時間を置いてからそのうち作成する予定もありましたし、それだけならJoffedさん自身が作業することも可能でしょう。簡潔で読みやすい記述が必要なら、直前の版の記述を一部復帰させた上で、概要を作成すれば済みますし、多くの記事でその形式が採用されているようにも思えます。--Kangoshiyouichi 2011年4月14日 (木) 15:08 (UTC)[返信]
>簡潔で読みやすい記述が必要なら、直前の版の記述を一部復帰させた上で、概要を作成すれば済みます
そう、それです。それをなさらずに、記事の内容を多量な事実の羅列に差し替えられたので、「その編集の仕方はどうか」と思ったのです。
ノートにこのような意見をしたのは、あまりに細かすぎる事実の羅列になっていて、この記事が何を言わんとしているのか、主旨や要点が分かりにくくなっていると思ったからです。「懐帝治世下の西晋の支配領域の縮小を示している」などということすら、こうした多量の事実を羅列した状態ではかえって理解しにくいと思います(それこそとりあえずは、先に概要にでも「懐帝治世下では西晋の支配領域はいっそう縮小した」ぐらいは書いてほしいところです)。各人の個々の具体的な記述も、おっしゃるような「同時代の他の重要人物の記事が立項される」時にお書きになればよろしいわけで、今ここで何が何でもそうした事柄を書き込む必要があるのか、正直疑問だというのが現時点の私の意見です。--Joffed 2011年4月14日 (木) 22:59 (UTC)[返信]