ノート:念阿弥慈恩

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『樋口家文書』の引用部分について[編集]

この記事の「門人」の部分に『樋口家文書』の記述に疑義を呈する記述を加えたところ、みっち氏に要出典タグを付けられましたので、要出典タグを外し意図するところを編集内容の要約に書きましたが、みっち氏に「意味不明なタグ剥がし」とされました。みっち氏にこちらの意図するところが伝わらなかったようですので、ここに書かせていただきます。

  1. 陰流の開祖は愛洲久忠ですが、『樋口家文書』には「猿御前」とあります。猿御前=愛洲久忠とする他の史料は存在するのですか?また、この記述が信頼できると仮定しても、愛洲久忠が慈恩の高弟であったという記述は信頼できるのですか?
  2. 丹石流の遠祖である沼田法印の名が『樋口家文書』に記されていますが、伝書の記述等から丹石流は東軍流系とされています。念流開祖の慈恩の高弟とする『樋口家文書』の記述は全面的に信頼できるのですか?

これらの点により、『樋口家文書』の記述の信頼性について、利用者に注意喚起しておくことは必要と思われます。2009年1月31日 (土) 05:32版では「主な門人は次のとおり」と記載され『樋口家文書』が完全に信頼できるという前提で記されておりました。210.170.214.171 2009年2月15日 (日) 06:52 (UTC)[返信]

ノートへの提起、ありがとうございます。210.170.214.171さんは念阿弥慈恩に加筆された210.170.214.2さんということでよろしいでしょうか。発言者の同一性が確認できないため、こうした議論をされる場合はアカウントをお取りいただくことをご検討願います。
さて、タグを除去される前に利用者‐会話:210.170.214.2をお読みいただけたでしょうか。私個人としては当該加筆の内容については同感しているところです。しかし、ウィキペディアの方針上、記事に個人的な意見を書くことはできませんから、出典を求めさせていただきました。
私が書いた初版の内容は、参考図書として挙げている『日本剣豪100選』に拠っています。具体的には、17ページに「門人の主な者は」として挙げてあるものと(流派を含め)同じ内容です。個人的には「14哲」全員書ければよかったのですが、資料には8人しかありません。したがって、この内容に疑義があるといわれても、典拠がそのようになっているとしかお答えできません。『樋口家文書』への疑問について、信頼できる情報源ではこのように指摘されているという書き方なら可能ですから、まず出典をお示しいただけないでしょうか。--みっち 2009年2月15日 (日) 09:22 (UTC)[返信]
みっちさん、ご返答ありがとうございます。
可変IP環境なのでIPが変わっておりますが同一人物です。会話ページへ書き込みには気づきませんでした。
> 私が書いた初版の内容は、参考図書として挙げている『日本剣豪100選』に拠っています。
> この内容に疑義があるといわれても、典拠がそのようになっているとしかお答えできません。
とのことですが、では参考図書の『日本剣豪100選』の愛洲久忠について書かれている部分にはどう書かれているのでしょうか?『日本剣豪100選』は手元にありませんが、題名から愛洲久忠についても書かれていると思います。『日本剣豪100選』には愛洲久忠が陰流を開いたとは書かれていないのですか?みっちさんは慈恩について書かれた部分だけを参照して書かれたわけではないですよね?
> 『樋口家文書』への疑問について、信頼できる情報源ではこのように指摘されているという書き方なら可能ですから、まず出典をお示しいただけないでしょうか
その『樋口家文書』そのものが信頼できる情報源なのかどうか?と書いているのですが…。
みっちさんも御存知と思いますが、一般的に陰流の開祖が愛洲久忠とされています。その通説と異なることが書かれていることを指摘するのが独自研究なのでしょうか?
それとも、「陰流の開祖が愛洲久忠」、「沼田法印は丹石流の遠祖」であることの出典を求めておられるのでしょうか?
参考図書を全て写したのではないのですから、みっちさんがどの部分を引用するか選択しているはずです。通説と異なる内容が書かれていることがわかっていながら、あえて『樋口家文書』の引用したのはみっちさん御自身です。この場合、『樋口家文書』の内容が信頼できることを「信頼できる情報源」をもとに、みっちさんが立証する責任があると思いますが。210.159.251.225 2009年2月16日 (月) 14:50 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性には「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。」と記述があります。出典を明らかにすべきなのは、新しい内容の加筆に対してであって、すでに出典を明示している初版ではない、ということをご理解願います。繰り返しますが、まずあなたの加筆の出典をお示し下さい。私はあくまで出典を求めてタグを付けていますが、ご協力いただけないなら、方針上、加筆部分を除去することも最終的には考えなければなりません。
『日本剣豪100選』では著者の綿谷雪が『樋口家文書』を採用して書いている、ということであり、それ以上でも以下でもありません。記事全体は、典拠を元に再構成していますが、門人や流派の内容を私個人の判断で取捨選択したり、あるいは改変することはできません。もちろん『樋口家文書』が正しいとも誤りとも主張していません。これは事実であり、「真実」や個人の主観とは別問題です。ここで『樋口家文書』の信頼性について議論したところで、個人の意見は記述できません。
ちなみに、直心影流剣術天然理心流のノートページをご覧になったことがあるでしょうか。流祖や系譜をめぐって論争になっています。このような不毛を避けるには、まず出典を持ち寄ることです。『樋口家文書』の内容に疑問を唱えている資料があれば、その事実を書くことができます。だから出典をお願いしているのです。通説と異なる内容といわれるからには、「一般的」といわれるものや「通説」がなにに書かれているかご存じのはずではありませんか?
一応、ご要望にお応えして『日本剣豪100選』の他の記述を紹介しておきます。なお、愛洲久忠のことは基本的に当該ページや陰流のノートページで議論願います。
「愛洲移香斎」の項(29ページ)

『樋口家文書』によれば、念阿弥には14名のすぐれた門弟があり、その中の猿御前の末孫が愛洲移香であるという。この猿御前という人物については未詳であるが、この説を正しいとするなら、愛洲移香斎の刀術は、念流を基本としたのかもしれない。

「衣斐丹石軒」の項(69ページ)。

遠祖の沼田法印は、念流祖の慈恩の14人門弟の一人という。この伝説が正しいとすれば、念流の兵法を家伝としていたと思われる。

以上の通りです。--みっち 2009年2月17日 (火) 10:55 (UTC)[返信]
みっちさん、お返事が遅れ申し訳ありません。
本業が多忙のため、Net閲覧する時間がとれませんでした。
まず、私の書き方や論の進め方が悪いためか、みっちさんがこちらの意図を誤って解釈されているように思いますので、改めて問題提起の主旨を書かせていただきます。
私は「真実」の究明や愛洲久忠のことを議論しようとしているのではありません。この記事の2009年1月31日 (土) 05:32版では、「門弟」節の主な門人が『樋口家文書』の内容そのままで、通説との差異について全く言及していないため、予備知識なしでこの版を閲覧すると、陰流や丹石流が念流系とする解釈「のみ」になる可能性が高い点が問題だと思い、加筆しました。はっきりと言えば
> 『樋口家文書』の内容が正しければ、主な門人は次のとおり
という文言があれば、私は一切加筆しなかったでしょう。
愛洲久忠を陰流の開祖とすることについては、みっちさんも御存知と思いますが、新陰流やタイ捨流の伝書、愛洲久忠の子孫の平澤家所蔵の『平澤家文書』、尾張藩の『張藩武術師系録』などにあり、今更、一般的であることを疑う必要も無いかと存じます。
丹石流が東軍流系であることも、『本朝武芸小伝』に
> 丹石流は川崎鑰之助が末流也
とあります。
『樋口家文書』の内容を直接否定するものではありませんが、陰流の源流が慈恩にあるとすることについて、『本朝武芸小伝』に
> 慈音は富田流の祖にして新陰の祖にあらず、(中略)惟孝(愛洲久忠のこと)を知らざる者、慈音を陰流の祖とあやまるなん
とあり、江戸時代から既に疑問視されていたことを示しています。
また、みっちさんが提示した『日本剣豪100選』の「愛洲移香斎」の項や「衣斐丹石軒」の項にも
> この説を正しいとするなら
とあり、綿谷雪氏も正しいかどうかは留保しています。このことからも『樋口家文書』の内容の信頼性には一定の留保が必要であることを示しています。
参考までに、綿谷雪氏が編纂した『増補大改訂 武芸流派大事典』の「念流」の項(683~685ページ)では、『樋口家文書』と『剣術系図』に記された主な門人名を比較できるようになってますが、『剣術系図』には猿御前、沼田法印、樋口太郎兼重の名前は記されておらず、この3人の名は『樋口家文書』のみに記されています。
暫く多忙な時期が続きそうですので、お返事が遅れることを何卒ご了承ください。210.159.251.238 2009年2月22日 (日) 15:45 (UTC)[返信]

(インデント戻す)趣旨はわかっているつもりなのですが、どこかすれ違っているでしょうか。私がいいたいのは、「信憑性に疑問が残る」という加筆には、そのような判断をしたのが誰か、という出典が必要だということですが、おわかりいただけているでしょうか。 『日本剣豪100選』の「念阿弥慈恩」の項には、『樋口家文書』が正しければ、というような留保はおろか、門人と流派が『樋口家文書』によっているとも述べてありません。すでに挙げた項目なども合わせて見れば、『樋口家文書』の記述であろうことは推測できますが、愛洲久忠が陰流の開祖であることと慈恩の門人・猿御前が陰流につながることは必ずしも矛盾とはいえず、同様に、丹石流の遠祖・沼田法印が慈恩の門人であったという理解も可能であるため、ここであえて「正しければ」などと書く必要を感じませんでした(なお、丹石流について綿谷は、「東軍とは、川崎鑰之助の東軍とは口碑を異にしているけれど、いずれにせよ神秘的文飾にすぎないことは、いうまでもない。」と述べています)。もちろん、念流こそが多くの道統の源であったというような潤色が『樋口家文書』に施されている可能性は否定しません(したがって、加筆の趣旨には頷けるといいました)が、そのような留保は基本的にどの出典(伝書)にもいえることであり、わざわざ特筆する場合には、なんらかの別の出典との対比や裏付けが必要と考えます。私が求めるのはこの点でした。 入口であまりこだわっても仕方がないと思うので、どうするかについて、2点検討しました。

  1. 「『樋口家文書』の内容が正しければ」と書いておれば加筆されなかったとのことなので、その旨書き加え、「信憑性に疑問が残る」との加筆を除去する。
  2. 示された出典を元に項目を修正・加筆し、「信憑性に疑問が残る」との加筆は除去する。

個人的には、後者が情報量も増えて好ましいと考え、ご意見を元に項目を修正・加筆しますのでご一読下さい。--みっち 2009年2月24日 (火) 10:08 (UTC)[返信]

みっちさん、お返事が大変遅れ申し訳ありません。
修正していただき、ありがとうございます。
> 『日本剣豪100選』の「念阿弥慈恩」の項には、『樋口家文書』が正しければ、というような留保はおろか、門人と流派が『樋口家文書』によっているとも述べてありません。
とのことでしたので、『樋口家文書』ではなく『日本剣豪100選』の門人の部分に疑義を呈している信頼できる資料を出典として挙げました。
また、愛洲久忠を陰流の開祖とすることが現在では一般的ということを示すには、古文書より現代の出版物に拠る方が良いかと考え直しましたので、記述を改めました。出典は『国史大辞典』、『日本大百科全書』、『日本武道体系』ですので、Wikipediaが求める信頼性は十分満たしているはずです。
2009年2月24日 (火) 11:54版では
> 『増補大改訂 武芸流派大事典』の「念流」の項(683 - 685ページ)では、『剣術系図』に
とありましたが、『増補大改訂 武芸流派大事典』に掲載されている伝系図のことと誤認される可能性があるので、この部分にも加筆しました。間光延が著わした『剣術系図』の書名は、武道史を研究する者にとっては常識といってもいい位なので、みっちさんが書名のみを記載したのだと思いますが、一般の方にもわかりやすくしました。
これは本題とは関係ありませんが、板東8名、京6名、計14名の「十四哲」について、『増補大改訂 武芸流派大事典』には『剣術系図』にも記載されているとありますので、この点も追記しておきました。210.159.251.74 2009年3月11日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
出典の追加などいただき、より適切な文章となったと感じています。ありがとうございました。念のため申し上げますが、私は剣豪・剣客について、子供のころにちょっと興味があったという程度の知識で、「武道史の常識」はありませんf^^;。そのころ買った『日本剣豪100選』以外にはこれといって出典とできるような文献も持っていないため、詳しい方から加筆していただり、教えていただいたりすることは大歓迎で、心強く感じています。
話がそれますが、ウィキペディアでは第五回執筆コンテストが催されており、今回この機会に「寺田宗有」について書いてみようと思っています。もしよろしければ、ご協力いただけるとありがたいです。--みっち 2009年3月12日 (木) 10:43 (UTC)[返信]

読みについて[編集]

先日、読みを修正したのですが、すぐさま元に戻されてしまいました。「念阿弥慈恩」の読みですが、朝日日本歴史人物事典およびデジタル版日本人名大辞典+Plus(講談社)では「ねんあみじおん」となっているようです[1]。「ねんなみじおん」という読みの出典を教えて下さい。やはり、『日本剣豪100選』のみなのでしょうか?とりあえず「ねんあみじおん」の読みを追加させていただきます。--Qazzx 2009年6月23日 (火) 11:10 (UTC)[返信]

おっしゃるとおり、『日本剣豪100選』16ページに「ねんなみ じおん」と振り仮名が付けられています。他に出典があるとのことで、通常「阿」は「あ」と読みますから読みを追加されることは構いませんが、元の読みを「修正」の名の下に除去されるのは、記事全体の出典の信頼性が否定されるようでつらいと感じました。--みっち 2009年6月23日 (火) 14:59 (UTC)[返信]