ノート:得河義秀

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「日光東照宮内の系譜『東照宮御実紀』」という表記からして疑義があります。『東照宮御実紀』の定義がおかしいし、わざわざ赤リンクにしているのは同書が『徳川実紀』に包摂される事を理解していない上、そもそも同書を参照していない事の証左といえるでしょう。

また、本項目には[1]との相似性が認められます。リンク先と本項目との前後関係は不明であり、表現も完全に一致している訳ではありませんが、本項目がリンク先を参照した上で作成されたとすれば、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源に基づくものとして検証可能性を満たさない上に、リンク先の著作権者の著作権を侵害している疑いがあります。

本項目の内容を精査した訳ではありませんが、信頼性に乏しいように見受けられます。--Сорасоуё 2008年2月15日 (金) 09:00 (UTC)[返信]

『徳川実紀』の家康の巻が「東照宮御実紀」なのですが、日光東照宮には『徳川実紀』が所蔵されており、江戸にあったもの(内閣本)に対し日光本といったりします。おそらくこれではないかと思います。写本による差異があり、得川義季を義秀としているのかもしれません。また、本文中では「頼成の父」の出典なのですが、『国史大系』の「東照宮御実紀」では、頼成は世良田頼氏・頼有の兄弟として出てきます。日光本が義秀であったとしても、頼成のほか頼氏・頼有も彼の子になります。この出典としては不適でしょう。得川義季との同一人物説をまず否定する必要がありますし、原典でなく学説で無いと出典にならないと考えます。--KurmUmy 2008年11月18日 (火) 12:26 (UTC)[返信]

得川義季と同一人物ではないことを示すために、義季の記述がなされていましたが、ここは得河義秀の記事ですので、彼の事跡を示すもののみに整理しました。なお関連項目の人物は、既に本文中にあるものや、直接かかわりの無いものを除去しました(徳川氏・松平氏があれば歴代を示す必要性は薄いでしょう)。また、出典が不明な文章が多いため、検証可能性を満たす出典を求めます。--KurmUmy 2008年11月16日 (日) 16:28 (UTC)[返信]

出典の明記などを貼り付けました。根本的な問題として、得川義季と得河義秀が別人だという出典が必要です。この項目に関わったIP氏の問題により、不正確な情報で成立している可能性が高く、得川義季へのリダイレクト化を検討しなければなりません。記事の内容でも、出典とされた「譲状」や「実紀」に本文内容はありません。得河義秀が得川義季とは別人という説はどこで唱えられているのでしょうか。もしもその説を知っておられる方がいればご教示下さい。--KurmUmy 2008年11月19日 (水) 10:33 (UTC)[返信]
得川義季と得河義秀が別人だという出典は見つけましたが、松平関連などの出典不明な部分以外はむしろ得川義季の一項目としたほうが有用かもしれません。判断できないのでこのままですが。--KurmUmy 2008年11月21日 (金) 14:22 (UTC)[返信]