ノート:弓術

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2005年2月20日 (日) 03:10弓道から弓術の流派関係移動させました。

今回の編集について[編集]

{今回の(流派加筆、スタイル整備、無駄リンク削除、節正確性・要出典付加)はMizunoHの編集です。ログアウト状態のまま投稿してしまいました。}

  • 「歩射・騎射・堂射」と「礼射・武射」で流派を分類するのには無理を感じたので、流派の節を書き換えました。歩・騎・堂はイントロにもありますが、歴史の節で説明するか、射法の節を作って書いた方がわかりやすくなると思います。編集は『古事類苑』の「弓術要覧」引用部などに小笠原武田は「法式」の流派である、とあるのを参考にして故実の流派、弓術の流派と分けました。しかしどうも主観を排除できていないので、(編集前の分類の方が良かったというのも含め)ご意見下さい。
  • 主観を排除できてないといっておきながら恐縮ですが、イントロの概ね正しい捉え方である。に要出典を付けさせていただきました。これは出典がないと主観的すぎるのではないでしょうか。「弓術とは弓を扱う術の意であるから、現代武道としての弓道を包含する」と言うのも十分通用しうるかと思います。
  • 「弓術家人物一覧」は必要性はあると思うのですが、人物の時代が間違ってる、列挙する根拠が書かれていない等々、現状では問題が多すぎます。また、平安鎌倉時代の武将は弓術家とは言い難いですし、弓の逸話のある武将を載せるにしても名高い武将は多くが弓の名手ですからきりがなくなってしまいます。どのような基準にすれば良いか、ご意見お聞かせ下さい。

以上です。MizunoH 2007年5月27日 (日) 22:21 (UTC)[返信]


MizunoHさん

  • 「歩射・騎射・堂射」と「礼射・武射」の説明はイントロで紹介、以降に詳細を解説する、という形態を取るのが読み手としては理解し易いのではないかと思います。
ただ、「歩射・騎射・堂射」「礼射・武射」=流派という分け方を単純に出来ないので思案しておりました。小笠原流に関しては『礼射』である事に依存はありませんが、日置流や本多流にも一見して小笠原流と見紛う「射礼」が存在します。また、「歩射・騎射」と「堂射」では前者は「戦術」、後者は「競技」且つほぼ行われてない等と、基本的な差異が見られますが、この部分の言及をどのようにするのか。
  • 「騎射」の内、小笠原流は歩射の発展系として、武田流は馬術の内の1つとして騎射を捉えているようです武田流馬上武道 。小笠原流は特に古式保存をモットーとしているようで、礼式、体配共に厳格な教え、取り決めが目立ちます。
歩射に関しては小笠原流、日置流ともに逸見流を源流としている事に触れた方が良いのでは無いでしょうか。この辺りが礼射・武射の違いを言う上で原点かと思われます。
  • 「要出典」部分に関しましては、『スポーツ弓道をはじめ、流派、伝統保存、身体育成・自己形成様々な目的・思想を持った弓を認める』と言う意味で「広い意味での弓道」としましたが、言い切るのも自信がないので「概ね…」という中途半端な表現になってしまいました。このあたりは多数の意見からコンセンサスを得る必要があるかと思います。
  • 「弓術・弓道家」=流派始祖、師範、教え広める者。「弓の名手とされた人物」=武将、その他弓の名人。という分け方でいかがでしょうか?
  • イントロにある『全弓連内の流派に所属しない射手は全て全弓連の定める「射法八節」に乗っ取った稽古を行う。』これは『“全弓連傘下にある流派”に所属しない射手』と読めてしまうため、『全弓連内に於いて、流派に所属しない射手は全て〜』とした方が意味が通りますが、では“全弓外で且つ流派に所属しない射手”はどうなるのか?細かいようですが、序論ですので全体を捉えた説明が必要に思います。
  • 概して思うに、弓術ページをまとめようとするとどうも「弓道」の戦前までの歴史をまとめるのみに終止し、果たして弓術ページの意義はあるのか?という思いが頭を過ります。

福太郎 2007年5月28日

申し訳ありませんが、見解をまとめるのにもう少し時間をください。5点目の「全弓連内の流派に~」は仰るとおりで、私の文では語弊がありますね。(「全て」ですが、多少無責任ではありますがこの類の言葉の使用には慎重であるべきかと思います。)ノート:弓道の議論からかなりの時間が経っていますが、その後進展がないようなので、速めに交通整理しなくてはなりませんね。
追伸:署名は~(ティルダ)四つを書くか、編集画面上の右から二つ目のボタンで簡単に出来ますよ。--MizunoH 2007年5月30日 (水) 20:16 (UTC)[返信]

MizunoHさん。

「全て〜」の扱いですが、例外の全てまでも網羅する事は事実上不可能な事と思います。反面誤解を招く可能性もおっしゃる通り孕んでいるのも事実です。(或は『原則として〜』という言い含めをする等すれば問題無いようにも感じます。)中立的立場の基本方針からすると、全弓連至上主義の視点では無い方が良いかとは思いますが、難しいですね。--福太郎 2007年6月2日 (土) 15:18 (UTC)[返信]
「原則として〜」は良いかもしれません。全弓連の視点から離れることは確かに大事ですね。--MizunoH 2007年6月3日 (日) 13:10 (UTC)[返信]

福太郎さま

「歩射・騎射・堂射」「礼射・武射」 この説明は仰るとおりで良いと思います。射の分類にはほかにも様々(武射・文射、歩射・騎射、「五射」、「真行草」など)ありますから歴史的経緯と絡めて解説すると分かりやすくなると思います。(本多利実の弓道保存教授及演説主意(弓矢の手引)を参考にしました。)

流派の分類に関しては前回の編集後に考えが変わり、そもそも流派を性格により分類する方法(今回は「故実の流派」と「弓術の流派」で分類)は流派の性格を単純化しかねないと考えるようになりました。例えば小笠原流といっても多様な面を持ちますし、時代によっても異なるので、流派の分類は(時代と)流派自体、つまり、古流、小笠原・武田流、日置流各派、その他、近代流派と分類するのがすっきりすると思います。(騎射を行うかどうかといった性格の分類は、少々わかりにくくなりますが、各項目に書きます)

「歩射・騎射」と「堂射」、この分類は稲垣源四郎氏の著書でよく目にしますが、仰る点のほか、歩射を「戦場での弓射から発展した」と強調する点に違和感がありました。 ただ、江戸時代を通して定着した「射法の系統」としてはこの分類が明確なのかなと思います。一般的な的前射法と、騎射の技術(具体的に言えば正面打起し)、堂射の技術や道具(堅帽子、四ガケ)の三つはやはり現在に繋がる3本柱かと思います。古事類苑でも射術編のイントロで古来「歩射・騎射」があり、後に「堂射」が隆盛した、というような書き方をしています。記事では、「日本の弓射は歩射・騎射に大別される。江戸時代は堂射が流行し大きな影響を及した。」という感じで述べるのはどうでしょうか。

逸見流 小笠原流、武田流の性格はその通りかと思います。逸見流の記述は確かに必要ですね。現在私の承知しているのは、「小笠原流、日置流ともに逸見流を源流」の出典は大和流の史料で、畠山満家太田道灌―逸見義胤―日置弾正というものと、逸見氏初代の逸見清光を始祖とする「逸見流」から武田・小笠原が出たという説です(この点勉強不足なので間違っていましたらご指摘下さい)。ただ逸見流の実態はよくわかっていないようですし、太田道灌が生まれたのは畠山満家が没する一年前であり、そもそも日置弾正自体良くわからないとなると、逸見流を源流とするという説もある、ぐらいの記述が適当なのかなと思います。武田・小笠原流も昨今の小笠原流についての研究から考えるに、単に両氏が逸見氏から出ているために言われたに過ぎないという気もします。

要出典部 (私としては、「弓術=弓(和弓に限らない)を扱う技術」、「弓道=現代武道としての弓術」と考えているので異論はあるのですが、ただ)弓道が(〈狭義の〉弓術を含む)弓射文化の総称として使われている傾向にあることは確かかと思います。

要出典付加は、斜体部の「概ね正しい」が主観的で根拠が示されていないためなので、具体的出典があればいいのですが、どうでしょうか。私としてはこうした定義付けはちょっと困難かと思うので、「定義は必ずしも明確ではないが、弓術と弓道の使い分けにはこのような傾向はある。ただこのwikipediaでは弓道の項と弓術の項でこのように整理する」、といった記述はどうでしょうか。

具体的には、イントロ最後の段落は「現在では「弓道」が日本の弓射文化の総称として一般的に使用されており、「弓術」は弓道改称前の古武術との意味で使われることが多い。ただ現在でも一部の流派や団体は弓術を名乗るなど、「弓道」「弓術」の境界は必ずしも明確ではなく、思想・技術面でも明確に分類できるものではない。このページでは弓術を現代武道の弓道の母体となった日本古来の弓射技術・文化とし、明治維新前を中心として一部弓道改称時点までの事情を記述する。」というのはどうでしょう。

「弓術・弓道家」 そうですね。本来別項を立てるべきなのかも知れませんが、項を立てられるだけの弓術家はそれほど多くないでしょうから当面はこのページに記しましょうか。ただ弓「道」家はどうするのかという問題があります。

弓術ページの意義  剣道、柔道も剣術、柔術のページがありますが、それらを比較すると割とはっきりとした区分が感じられるのですが、弓道の場合は両者より術/道の境界が入り組んでいるように思いますので難しいところです。さしあたり必要なこととしては、弓道と弓術で何をどちらに書くかをしっかりと決め、弓道関係者以外にどちらを見ればいいのかわかりやすくすることかと思います。(現状では弓道の歴史やどのような流派があるのかを知りたくてもたどり着くのが大変です。)弓道と呼ばれるものは弓道、弓術と呼ばれるものは弓術にすれば簡単ですが、様々な事情を汲まなくてはならないので分かりにくくなります。私としては時期(明治維新)で明確に区切るのがいいかなと思っています。--MizunoH 2007年6月3日 (日) 13:10 (UTC)[返信]

全体の流れとして[編集]

MizunoHさま

大体語るべき事が見えて来たようなので、まずは全体が見えず部分的に掘り下げすぎてしまう事を避けるために全体の流れとしてのテンプレートを作ってそれに合わせた議論をする方向をまず決めたいと思います。 弓術ページでの大まかな流れとして、

  1. 序論「弓術の定義とこの項で述べる内容」
  2. 概論「礼・武射、歩・騎・堂射の紹介と簡単な流派の紹介(堂射:通し矢で〜竹林派が有名。など)」
  3. 歴史
    1. 「古流の存在と江戸までの弓術の興り(宮廷、幕府での故実の礼射、戦乱で広まった武射)」
    2. 「弓返り(多賀豊後守高忠著『高忠聞書』)・斜面打起こし等技術の発達。(これも江戸以前) 」
    3. 「江戸以降の堂射とそれに伴う道具の発達、それ以降の武士にとっての弓術の位置付け。(鉄砲があるにも関わらず、砲術は下級武士が行うものとして弓術が好まれた等)」
    4. 維新後〜全弓連発足「武芸としての大義名分を失ってから現在の弓道に至るまでの経緯。新流派が出たのもこの頃」
  4. 流派「それぞれの系譜と興り」
  5. 弓術家・弓の名手
  6. 関連項目

以降の経緯は弓道ページに、細かい流派の特徴はそれぞれの流派ページにまかせ、本稿はあくまで「弓術と発展の歴史、あり方の変遷」に言及し、必要に応じて流派に触れるという事で考えてみました。これに今回のMizunoHさんの意見、内容を絡めて説明していくと全体の内容として解りやすくなると思います。とは言ってもやはり流派に触れずに語る事は出来ませんし、流派ごとの特色や厳密な区分けをしようとするとなかなか困難ですが、この論立てで結果的に流派、射法の区分けは説明出来てしまうのではないかと思います。

「射法の系統」射法系統としては正面・斜面・騎射、歴史での大まかなターニングポイントとしは、古流派の興り(流派概念発生)、小笠原・武田流の礼射の大成(日本の弓射最大の特徴)、室町中期?の弓返りの発明、戦乱での武射(斜面打ち起こしの発明)、通し矢の堂射(道具の発明)、かと思いますが、15間先の的前立射は元々は胴造りの定まらない初心の為の基本稽古と聞き及んでいます。的前立射→蹲い・要前射・騎射と進むための。また歩射、騎射の間には単純な身分差もあるでしょう。ですがここで見てもやはり堂射は別系統と解るので、「日本の弓射は歩射・騎射に大別される。江戸時代は堂射が流行し大きな影響を及した。」に賛成票を出します。和弓ページでも堂射による道具の発達に少し触れていますし、道具の発達(堅帽子)が各流派の的前稽古に及ぼした影響は大きいでしょう。道具から革命を起こした稀有な例と言えるかと思います。

「歩射・騎射・堂射」「礼射・武射」 やはり歴史を語る文脈上で外せないですが、一つ気になるのが「礼射」の興り。『鳴弦』等の儀式は平安時代(それ以前?)から朝廷で行われていたようですが、弓が神器として扱われはじめたのはもっと以前から。これらの弓が何流かは不明ですが、清和源氏を源流とする小笠原氏、武田氏が礼式を重んじた流派を興すのも頷ける話で、やはり朝廷や幕府の指南役に就くのも道理。では清和源氏の逸見氏率いる逸見流は礼射系統、元々は弓術というよりは宮廷内の射術、弓行事全般を司る指南流派か?と思うのですが、これは全くの想像ですね。

日置弾正 の出生や存在自体に諸説あるようですが、流祖を流派内で神格化しすぎた為でしょうね(記憶違いでなければ弾正に直接会ったという大和流流祖の話を見た覚えがありますが、この話は弾正の出生と年代が合わない等もあります)。ただし、弾正の出生問題と逸見流が源流説は別の問題で、「弾正が不明、故に流派源流も不明」という言い回しにならないよう注意が必要かもしれません。日置流に射礼があるのも上記の“想像”からするとやはり頷けます。不思議なのは流派として伝えられたかは不明ですが、阿波研造に鎌倉時代の古式射礼(YouTubeの阿波先生の映像、あれがそうです)が伝わっている事。が、私には多く資料を持たないのでそれ以上の事は解りません。

「概ね正しい」 その通りですね、私の主観でした。「現在では日本の伝統的な弓射文化を総称して「弓道」と呼称されており、「弓術」は弓道改称前の古武術との意味で使われることが多い。ただし古流を維持しながら「弓道」とする流派(小笠原流がこれにあたるのでしょうか)や、現在でも「弓術」を名乗る流派・団体も有り、「弓道」「弓術」の境界は必ずしも明確ではなく、思想・技術面でも明確に分類できるものではない。このページでは現代武道の弓道の母体となった日本古来の弓射技術・文化を指して「弓術」とし、明治維新までを中軸として一部弓道改称時点までの事情を記述する。」多少ですが補足校正してみました。あまり冗長すぎるとくどくなりますね。。

「弓術=弓(和弓に限らない)を扱う技術」 四半的等のいわゆる半弓術なども含めるという意味と捉えましたが、「弓術」と言えばまずは大弓を扱った武士の武芸を指すものと考えていましたが、四半的も現在では四半的弓道と名乗っていますが、弓術に半弓術を含めるなら弓道にも四半的弓道を含める・触れるなど相互で矛盾の無い定義付けが必要に思えるのですが、どうでしょうか。

明治維新 で区切るのは武芸の意義でも武術が死にはじめる時期でもあり、歴史的にも江戸から近代化を迎える時代で「日本古来の射術」という前置きから適当かと思います。明治維新〜全日連発足まではグレーゾーンという所でしょうか。--福太郎 2007年6月4日 (月) 11:10 (UTC)[返信]

「全体の流れとして」へ[編集]

福太郎さま、大変お待たせして失礼しました。推奨されているノートページの書き方は長文だと見にくいので、議論が見えやすいように構成を工夫しているのですが、今回もうまくいかないかも知れません。さて、

テンプレート[編集]

ご提案に賛成しますが、若干追加すべき項目があると思います。序論の内容についての私見は後述します。「弓術と発展の歴史、あり方の変遷」、これを中心にする方向で良いと思います。武器史や軍事史面が増えても雑然とするので、技術面を中心にして道具史は各項に譲れば良いでしょうか。ただ弓術の社会的位置づけや技術道具の発展は社会情勢と無縁ではないですから、道具史、技術史、制度史、文化史(諸儀礼)の観点に立った言及は必要かと思います。和弓と連携した編集も必要になるでしょう。以上を踏まえて歴史の節は以下のように提案します。

  • 歴史
  1. 起源:日本の弓の起こり(考古学的視点、弓矢などの道具のページをメインとし、概略のみ)
  2. 古代(奈良?~平安前期):軍事面では軍団 (古代日本)などの古代律令制下での弓の位置づけ(→武士の特徴に繋がるため重要)、儀仗面では諸弓射儀礼のおこり
  3. 中世前期(平安~鎌倉):中世前期武家社会での弓の位置づけ、戦場での使用、平時の諸弓射儀礼・種目の発展
  4. 中世後期(室町):中世後期武家社会での弓の位置づけ、戦術の転換による運用法変化、流派の興り、技術発展、諸弓射儀礼
  5. 近世(戦国~江戸時代):(略)
  6. 維新後〜全弓連発足:(略)
  • 道具・施設:弓道では使用されない物もあるので必要と思います。
    • 鞆、靫、やなぐい、箙、鏃、ゆがけ、弓、弦、矢、的、射場など

3.1~3はかなりヘビーな内容で、私も現状では一部しか手に負えませんが、概略のみでも記述してスタブにしておけば良いかと思います。騎射関係は騎射や流鏑馬等の項目をメインにしてすっきりさせたほうがいいですね。

「射法の系統」[編集]

  • 古流派の興り(流派概念発生):私も把握できていない点があるのですが、古流派明はほとんどが後世の創作だったはずですので、ターニングポイント(以下TP)たり得ないと思います。
  • 小笠原・武田流の礼射の大成(日本の弓射最大の特徴):儀礼的側面の整備と言い換えておきますが、これに繋がる射礼思想自体は大陸文化を受容した物で、流派や武士の誕生前から朝廷儀礼に取り入れられて存在したものですし、小笠原・武田流の実際の成立も、ずっと後世、しかもこの2家だけが故実を伝える特殊な存在ではないので、これもTPたりえないかと…。貴族社会での射礼思想の受容、または武家社会の儀礼整備(主に鎌倉初期)ならばTPたり得るかと思います。
  • 室町中期?の弓返りの発明:これは余談になりますが、弓返りは一般に『高忠聞書』が初見とされていますが、古い絵巻物にも弓返りを伺わせる物があるそうです(近藤好和氏の著書より)。
  • 日置流以前の射法を語る上では了俊大草子にある射法の記述は記述すべきでしょう。
  • 戦乱での武射(斜面打ち起こしの発明):斜面がそれまでの射法と全く異なるのかはわかりませんが、戦場での歩兵射法の研究と、ノウハウ整備という点は目新しいのでしょう。流派概念成立は(若干の問題はありますが)この時点に置くべきかと思います。

結局、TP設に根拠を付けるのは難しいので、私としては無理にTPを置かず、時代に沿ってその特徴を述べればいいかなと思います。

「歩射・騎射・堂射」「礼射・武射」[編集]

鎌倉時代の小笠原武田流の存在、およびこの二氏の特殊性は二木謙一氏は否定しており、斎藤直芳氏も否定的です。当然、「将軍・執権師範」「後醍醐天皇が小笠原貞宗を師範とした」等も強く疑問視されています。 そもそも鎌倉時代に源氏の故実が重視されていた形式がありません。鎌倉幕府ではむしろ藤原秀郷に由来するという故実が重視されており、秀郷子孫の下河辺行平が将軍師範を務め、諸儀礼にしばしば参加していたことが吾妻鑑に書かれています。確かに的始めや流鏑馬に小笠原武田氏から参加した者はいますが、他氏のほうが多いです。小笠原氏が武家社会の故実の規範となったのは、源氏を重視優遇する要になった足利幕府から、しかも将軍師範の地位を獲得したのは六代将軍足利義教以降のことです。二木説は30年程前の者かと思いますが、今日とくに有力な反論はないようです。逸見流の存在も、斎藤氏は日置や大和の粉飾であるとして否定しています。

日置弾正[編集]

『弾正の出生問題と逸見流が源流説は別の問題で~「弾正が不明、故に流派源流も不明」という言い回しにならないよう~』  現状では弾正の人物像を含めた日置流濫觴期に不明な点が多くて決定的な説がなく、上記のように逸見流自体の怪しさもあるので「弾正は詳細不明。流派源流も逸見流とする資料もあるが、逸見流自体が不詳であり不明」とする以外にないと思います。

「日置流の射礼」逸見流から受け継いだとの御説には正直申し上げて首をかしげざるを得ません。近世初期には流派を超えた交流があったと聞きますし、吉田雪荷は小笠原秀清から故実を習った(「雪荷翁行実録」)ということなので、そのような交流で成立したと見る方が根拠に富みます。

「概ね正しい」[編集]

小笠原流は「弓馬術礼法」であり「礼法・弓“術”・弓馬術」を教授するとあります(公式HP)。また道場とは言わず「教場」と称するそうで、「道」を慎重に避けています。本多流もどちらかというと術派でしょうか(最近『本多流弓術書』を発行しています)。

その点以外は福太郎様の文で良いと思います。ただ後半部について「~「弓術」とし、~」と独自定義を展開することは(根拠に欠けるので)さけ、定義には踏み込まず「このページでは日本古来の弓射技術・文化の事情について明治維新までを中軸として一部弓道改称時点までの事情を記述する。その後の事情および現代武道としての弓道については弓術を参照せよ。」とする方が良いかもしれません。

弓術=弓(和弓に限らない)を扱う技術[編集]

私が想定したのは、「“日本以外も含む”弓術」です。英語版には取りかけ法式(ピンチ式、地中海式、蒙古式)についてや、各国の道具の特徴の記載があり、mongolian bowなど各国の弓の記事もあります。しかし日本語版ではこのような情報が少なく、分散してしまっています。(アーチェリーは競技アーチェリー中心ですし…)将来的には、日本の弓術と弓術に分割する必要があるかも知れません。こうした視点を盛り込むのは難しいですが、とりあえずイントロ部で

弓術(きゅうじゅつ)とはを射る技術である。本項では主に日本の弓術について述べる。日本の弓術は、長弓に分類される和弓を用いて矢を射る武術であり歴史的に弓術、射術、射芸などと呼ばれた。ヨーロッパの技術体系をもとに成立した現代のアーチェリーとは全く異なる技術である。(以下同じ)

としておくのが良いと思います。

明治維新[編集]

同感です。実戦武器としては幕末以前から影響力を失っており、いち早く「武道化」していたとは思いますが、やはり武家社会で行われていたのか、近代に「趣味」として行われていたのかは大きな違いですかね。時代については弓道と断絶、無駄な重複なく、明快にしなくてはなりませんね。

追伸:議論の明確化のためストレートな言い回しが多くなってしまいました。御気分を害されましたらどうぞご容赦下さい。今回のやりとりの間、編集をお待ちしていただいたのかも知れませんが、大枠に賛成ですので、どうぞ今後はご自分のペースで御編集下さい。特に私はしばらくの間十分な執筆時間が取りにくくなりそうなので、福太郎様の今後の執筆に期待しております。MizunoH 2007年6月10日 (日) 16:18 (UTC)[返信]


>福太郎さん

>ただしこれは競技、心身鍛錬を目的としたスポーツ武道として整理された物

→射法制定委員の方々が聞いたら何と思われるのでしょうね?全弓連の定めた弓道の目的は「真・善・美」であったと思いますが?とはいえ、確かにその面も認めざるを得ませんが、教本には「底辺の広い三角形は、その高さもこれに伴わなければならぬ事は当然であって、高さのない、または深さのない広さだけであってはならないことである。」とあります。弓を知らない方がこの頁を見て、現在の弓道を誤解してしまう可能性がありましたので、修正させて頂きました。

--Shigekata 2007年11月5日 (月) 21:38 (UTC)

弓道を勘違い?「真善美」は目的ではなく「最高目標」です。制定委員に伺えるものなら伺いたいですね。弓連HPにもしっかり書かれています。こっちでは歴史上の弓術に対する弓道への変遷を説明したものなので「武士武芸→スポーツ」という変遷を文脈に加える必要があるかと思います。弓道の詳細は弓道へと誘導してあります。こちらの項は議論の上概ねの記事構造が出来てるので名指しされても困ります。--福太郎 2007年11月6日 (火) 10:47 (UTC)[返信]

明治維新~第二次世界大戦までの弓道史の部分で、歴史の誤認と順序が狂っていましたので、再修正致しました。個人の歴史観が含まれているように思います。第二次世界大戦後の弓道史は弓道の頁に誘導しました。もし、再度修正されるのであれば、ここで議論をしてからでも遅くはないでしょう--Shigekata 2007年11月6日 (火) 13:48 (UTC)

編集内容[編集]

イントロの書き換え、概論項の新設と歴史項を多少変更しました。前後で被ってる内容や足りない部分が多々あるかと思いますが、とりあえず骨組みは作ってみたので補構・追記をお願いします。--福太郎 2007年6月28日 (木) 05:13 (UTC) 『弓術の種類』が充実してきたので概論項から独立。概論項内を加筆、整理。--福太郎 2007年7月31日 (火) 10:51 (UTC)[返信]