ノート:建築家とデザイナー

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「なお、建築の設計に関する限り、建築家のことを日本において「デザイナー」と呼ぶことは、まれである。」[編集]

表現をやや穏やかにして戻しました。これでもなお、「真偽不明」とおっしゃるのであれば、「デザイナー」と呼んでいる例を「多く」お示しくださいますようお願いいたします。そういう反例が多くあるのであれば、その程度や様態に従い、この部分の表現をさらに修正することはやぶさかではありません。なお、「まれである」ことの証明は現実には不可能ですが、「デザイナー」と呼ぶ例を読んだり聞いたりした記憶がありません(しかし、存在しないとまでは言えません)のでこう書きました。もちろん私が何でも知っているはずはありませんので、反例をお教えいただければ、勉強になります。よろしくお願いいたします。20世紀(前半)美術 2005年9月17日 (土) 00:28 (UTC)[返信]

まれである。ということを、ことさらに言いつのる必要はなかろうかと思います。逆の表現として、海外ではデザイナーと呼ぶことが多いという表現なら理解できます。項目としては、その他の項目として最後のほうに記載するかどうかというレベルのお話だと感じます。反例があろうがなかろうが、「書く必要の少ない」記載だと思います。建築家を英語でどう呼ぶかというのならマダ理解できますが・・・最後段へ移っていただくべき話題と存じます。--Aska27 2005年9月17日 (土) 11:51 (UTC)[返信]
  • 外国ではデザイナー(or芸術家?)と呼ぶのが一般的だが、日本ではそうではない、という趣旨の文章なのでしょうか? そうだとすれば、それは何故か、といった点も書くべきではないでしょうか。唐突に「まれである」と宣言されても、言わんとすることがよくわからないのですが。 --忠太 2005年9月17日 (土) 14:18 (UTC)[返信]
こちらで見ても、デザイナーという表現が見られますよ。「まれである」というのは本当なんですか? [1] --忠太 2005年9月18日 (日) 01:57 (UTC)[返信]

反例ありがとうございます。この「建築家」の項目で前提となっている「ある程度以上著名な建築家」については、あくまでもまれであると考えます。例えば、丹下健三氏や安藤忠雄氏を、日本において(建築)デザイナーと呼ぶことが(単にそういう例がある、ということだけではなく)「まれではない」ことを示すような例を、ぜひお願いします。なお、挙げておられる検索結果を拝見すると、デザイナーと建築家を同じ意味で使っておらず、違う意味で単に並列しているだけのページも多いように思いますので、その辺りの確認も必要ですが、これらの検索結果から明らかに見える傾向、すなわち「近年、特に個人住宅や小規模店舗の建築を行う建築家やインテリアデザインやリフォームなどの内装を重視するケースについては、「建築デザイナー」と呼ぶ例も出てきている。」というような加筆をしてはどうかと思います。言葉の使い方の経時的な変遷や言葉の使い分けの詳細は重要だと思うからです。よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年9月18日 (日) 03:45 (UTC)[返信]

なにか勘違いなさっていませんか?「デザイナーとよぶことは、まれである。」には、異論はないと思います。ですから、建築家の項目において書く必要はない。と申し上げています。例えは良くないですが、「丹下健三氏は「建築プロデューサー」と呼ぶことはない。」と記載しているようなものでしょう。建築デザイナーと呼ぶ例もあるということでしたら、そういう加筆はよろしいかと思います。「近年、特に個人住宅や小規模店舗の建築を行う建築家やインテリアデザインやリフォームなどの内装を重視するケースについては、「建築デザイナー」と呼ぶ例も出てきている。」なら問題ないと考えます。ただし、項目は「その他」にしてください。--Aska27 2005年9月18日 (日) 10:25 (UTC)[返信]
まず、「外国(ヨーロッパ?イスラム?)では建築家をデザイナーと呼ぶ」「日本ではあまり呼ばない」ということ自体が事実なのか、よくわかりません。次に仮に正しいとして、そのことで何を言いたいのかがよくわかりません。「呼ぶことがまれ」だとしても、「余りに当然なので誰もそんなことは言わない」、という場合だってありえます(例:小泉純一郎は哺乳類である、と呼ばれることはまれである)。20世紀(前半)美術さんは、日本では建築家がデザイナーと呼ばれないことが不満である、ということなのでしょうか? --忠太 2005年9月18日 (日) 15:42 (UTC)[返信]

コメントありがたいです。論点が増えてきましたので、整理して考えたいと思います。20世紀(前半)美術 2005年9月19日 (月) 07:36 (UTC)[返信]

「まれである」の真偽不明について[編集]

  • Aska27さん、異論なし。
  • 忠太さん、異論あり。ただし、反例がない。反例をお示しください。

20世紀(前半)美術 2005年9月19日 (月) 07:36 (UTC)[返信]

必要性・内容[編集]

  • Aska27さん、「まれである」と書く必要はなし。新提案「「建築デザイナー」と呼ぶ例も出てきている」であればいい。
  • 忠太さん、「まれである」と書く必要はなし。新提案「「建築デザイナー」と呼ぶ例も出てきている」についてはコメントなし。

この点については、「それは何故か、といった点も書くべきではないでしょうか」と、忠太さんがいい線までいっておられたのですが、あまりそれから先をお考えにならなかったようで、「小泉純一郎は哺乳類である」というような例に堕してしまっており残念です。もちろん、もともと「建築家」という言葉があるから「デザイナー」という呼び方(それに、デザイナーは、日本の戦前においては、ほとんどの場合、ファッションデザイナーを意味していたという話です)が使われなかったという当たり前の理由もあるでしょうが(とすると、では、何故、最近は「デザイナー」という呼び方が使われるようになったのだろう、という疑問も生じますよね?)、それだけではなく、次のようなことが考えられます。

  • 「建築家」が「デザイナー」という言葉に対してある種のアレルギーを感じていて、そう呼ばれたくないと思っている(「デザイナー」に対する蔑視、といってもいい)。例えば、「建築家」は、いいかどうかは別として、ある程度「学歴」が重視される。もちろん、芸術家一般でも学歴は重視されるが、それは、芸術家特有の学歴であり、建築家における学歴は、通常の意味における学歴と一致しているという点で大きく異なる(例えば、国立大学や有名私立大学の建築学科がいいとか、海外留学が望ましいとか)。この点において、学問を大前提としていない芸術家(デザイナーを含む)とは一線を画すと考えている節がある。また、この学歴の点ともかかわるが、建築家においては、芸術家(美術家・画家・陶芸家など)に比べて、「技術」よりも「思想・理論」を重んじる傾向が強い(学問的色彩)。芸術家でも「技術」だけでいいわけではないが、芸術家で、「思想・理論」を重視して、仮に実作品が少なかったような場合には、「口ばっかり達者で、技術や実制作が追いついていない」というような批判が考えられる。これに対して、建築家で、優れた理論を持っていたのに、実作品が少ない場合には、「この建築家は、実作品制作に恵まれず、残念である」というような同情的な言い方をされることすらありうる(これは、映画と同様に、自分1人で実作ができるわけではなく、スポンサーやクライアントが必要だという、建築の特徴にも深くかかわる)。なお、さらにいけないのは、かつて(特に戦前期など)、「デザイナー」は「図案家」であり、「画家」になれない者がなる(画家よりさらに下)、という見方すらあったことも影響していると予想される。

さらに、この問題は、建築家と「大工」の関係、「日本建築」(大工・棟梁の世界)と「西洋建築」(建築家の世界)の関係、これら2つから予想される、一般化した議論「西洋文化の移入・受容」の問題、建築家と「インテリアデザイナー」との関係、さらには、現代的な視点までも含みうる、「設計」と「施工」の関係、建築家にとって個人住宅を設計することの意味合い、また、どこまで議論できるか疑問もありますが、「アトリエ建築家」、「大型設計事務所建築家」、「ゼネコン系建築家」の関係にまでたどり着くことができると思います。もちろん、論文を書くわけでもありませんし(それよりも前に、論点を羅列しているだけなので、論文になるような「ねた」なのかもわかりません)、素人的な視点(とはいえ、個人的には「百科事典」にはそれがある程度重要ではないかと思います)に基づくものですので、これらをこの記事に書こうなどとは思っていません(ただ、今までの議論からすると、説明の必要上、少しは書かざるを得ないかもしれません。例えば、「このことは、建築家のデザイナーという呼称に対する偏見等に基づいているという考え方もあるが、十分な考察はなされていない。」)。しかし、「まれである」とは大きな広がりを持つ、「建築家」にとってはかなり本質的な問題点(すなわち、「日本において、建築家とは何か?」につながる。逆に、「日本において、デザイナーとは何か?」にもはねかえる)で、「書く必要はない」とは思えないということを、申し上げたかったのです。単に、呼び方の問題と言うことなかれ、考えることは、大変有益です。

この程度のことであれば、何故だろう、と少し考えてみたら、すぐ思いつくことだと思いますが、お二方は、そもそも、「何故」を真剣にお考えになりましたか? なお上記の各点については、建築・美術・文化といった分野の専門の研究者の方が明確におっしゃっているわけではないかもしれませんので、その点について、お二方からすれば、ご不満かもしれません。20世紀(前半)美術 2005年9月19日 (月) 07:36 (UTC)[返信]

書くべき位置[編集]

  • Aska27さん、文頭に置くべきではない、「その他」。
  • 忠太さん、コメントなし。ただし、そもそも内容に必要性がないとお考えだいうことから推して、位置について議論の余地なし、ということかと思います。

この点については、第2点(必要性・内容)にかかわると思いますので、第2点解決後まで置いておきたいと思います。よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年9月19日 (月) 07:36 (UTC)[返信]

コメント[編集]

そのような理由を(もう少し整理願います=日本では工学的な側面が強調されている、とか)書けばよいと思います。その場合でも、前文に書くのは長すぎるので、後ろの方に「日本における建築家の位置」とでもして書いてはどうでしょう。現在の文章には相当な違和感があり、何のことやらわかりません。(実際問題、建築家がデザインを行っていることは誰も否定しないのではないでしょうか。「建築家」が「デザイナー」という言葉に対してある種のアレルギーを感じていて」というのも私には真偽不明ですけど、デザイナーより上だ!と思っているんでしょうか) --忠太 2005年9月19日 (月) 12:45 (UTC)[返信]

お付き合いありがとうございます。

1)内容(理由)について:

理由の記載が整理されていないという点については、申し訳ありません。「『まれである』という点については、とにかく、何らかの意味がある」という点のみを示したいという考えでしたので、項目羅列に徹しました。さて、ここで、とりあえずの修正案を提案いたします。

  • なお、例えば、英語では、「建築家」を意味する言葉は「architect」であるが、「designer」が「設計者」と訳されることもある。しかし、建築の設計に関する限り、建築家のことを日本において「デザイナー」と呼ぶことは、まれである。このことについては、日本の建築家のデザイナーという呼称に対する偏見等に基づいているという考え方や、日本において「デザイナー」の言葉がもともとむしろグラフィックデザイナーやファッションデザイナーを意味していたことが理由であるなどの考え方もあるが、十分な論証はなされていない。ただ、近年、特に個人住宅や小規模店舗の建築を行う建築家やインテリアデザインやリフォームなどの内装を重視するケースについては、「建築デザイナー」と呼ぶ例も出てきている。

以上の案について、コメントよろしくお願いいたします(なお、以下の第2点に記載の「位置」をご考慮のうえ、コメントをお願いします)。私の希望は、やはり、「まれである」という点への言及です。

なお、書いておられる点についてですが、個人的な考えでは、

  • 建築家>画家>(グラフィック)デザイナー

です。私の印象では、年配の方(建築家・画家)ほど、そう考えているという印象があります。建築家に限って考えてみると、おそらく、「俺たちは学問(工学)をしている」、さらに誤解を恐れずに書くと、「俺たちは国(国家)や社会のために働いている」(単に「文化」を担っているわけではない)という考えが背景にあると思います。これは、建築家が養成され始めた経緯とも深くかかわっていると思われますので、その根は古い話になるわけですが、戦後、「国家・社会のため」という(優越的な)考え方については、特に1960年代・1970年代あたりから、壊れてきたものの、いまだに残っているのでしょう。いずれにしても、外からの呼び方の問題ではなく、本質は、内からの(建築家自身による)呼び方の問題だと考えています。この点については、ゴシップ的色彩もあるため学問にはなじみにくいと考えますので、残念ながら、なかなか建築史の中では論じられないのではないでしょうか。

2)位置およびタイトルについて:

上記のとおりの記事案であれば、「日本における建築家の位置」は大げさすぎますね。そこまで、書き切れればいいのですが、十分な文献のない現時点で、私自身は書くことは考えていません(特にバイアスのかかった個人的な意見といった内容になるでしょうから。理想的には、日本における建築家養成史(建築史という広いものではなく)という形になるべきなのかもしれません)。自分では「日本における呼称」程度かとも考えたのですが、むしろ、独立させずに、すでに存在する「日本」の中に入れるのが簡単ではないでしょうか? この点についてもコメントいただければ幸いです。

なお、建築関連では、すでに記事もできていますが、「建築士」という名称(資格)もあって、これと建築家との関係もややこしいですね。「建築家と建築士」については、専門家の方が、建築雑誌か何かで文章を書いておられたような記憶がありますが、ここでは、問題そのものの言及にだけにとどめます。以上、よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年9月24日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

(私は海外の状況には疎いうえ専門でもありませんので、以下の話は聞きかじり交じりであります)
建築家>デザイナー、というのは外国でもそうじゃないか、という気もします。マッキントッシュなども「ただの店舗デザイナー」といった低い評価を受けていたようですし。
日本とヨーロッパの違い、ということでいえば、ヨーロッパでは構造計算などは建築家の仕事ではなく技術者(エンジニア)の仕事だ、と言われるようです。日本では地震で倒れない建物を造ることがまず求められます(よね?)。
建築士は資格の一種ですが、建築家は資格ではありません。独立していれば建築家なのかな?白井せいいちなどは、ちゃんとした建築教育は受けてないようですが。(「家」というからには、その分野で一家をなしている必要があるのでしょう)

Chuta様

本件問題における「書くべき位置」につきましては、上記のとおり、Aska27さんの「その他」というご主張(Chutaさんは、明確にご主張はなさっておられませんが、少なくとも、Aska27さんのお立場に近いところにおられると想像されます)に対して、私が、「日本」の中に入れるのはどうか、と提案したところで議論は止まり(この点についてどなたからもご返事をいただいておらず)、合意が形成されておりません。にもかかわらず、私の提案に対して、再反論またはご提案、コメント等をなさることなく、合意されていないご自分(またはAska27さん)のご意見に沿った修正を勝手になさることは、極めて不誠実な行為ではないかと思います。なお、ここでは、本件について謝罪をしていただきたいとか、ましてや、本文を元に戻していただきたいと申し上げるつもりはまったくありません。このままで結構です(議論の途中で勝手に削除されるよりましですから)。ただ、引き続きWikipediaでご活躍なさるであろう方としては、今後は、このようなやり方はぜひとも控えていただきたい、と申し上げたくて、あえて書いています。よろしくお願いいたします。20世紀(前半)美術 2006年1月28日 (土) 13:56 (UTC)[返信]

気を悪くされたようですが、その点についてのみお詫びします。件の文章は建築家の定義とはまったく関係のない一文であり、内容も何を言わんとしているのか不明瞭ですので、一まず後ろの方へ移動しました。今後、納得できる内容で加筆がされない場合は削除したいと考えております。読者にとって不明確な文章をそのままにしておくことも「不誠実な行為」と考えます。 --忠太 2006年1月28日 (土) 15:30 (UTC)[返信]
加筆いただいたようでどうも。
「英語と日本語とでは、その意味する内容がやや異なっている」といった現象であれば、様々な分野において頻繁に見られる現象ではないでしょうか。という訳でことさらその点を述べる必要性については疑問を感じていますが、ひとまず今後の加筆・発展に期待しております。
欧米でも時代によって「デザイン」という言葉に対する感覚は変化しているかな、と思います。例えば「チーフデザイナー」(=かなりの裁量権を持ってはいるものの、組織主宰者=建築家の下で設計をしている人)は建築家とはみなされていない、という可能性はないでしょうか?(知識がないので、今後勉強します) --忠太 2006年1月31日 (火) 16:25 (UTC)[返信]
(追記)「組織によっては、欧米式にならい、その人の経験によって「ジュニア・デザイナー, シニア・デザイナー, プロジェクト・チーフ」あるいは 「意匠設計者」「アーキテクチュラル・デザイナー」などを使い分け、これらすべてを含め総称として「建築家」としているところもある。」ということですが、私の理解するところでは、建築家はその建物の設計について決定権を持っており、つまり責任を持つ人のことだと思いますが、同じ組織の中にそう何人も「建築家」がいては困るのではないでしょうか。と、ふと思いました。まあ、世の中にはそのような組織もあるのでしょうか。 --忠太 2006年2月1日 (水) 12:58 (UTC)[返信]

戻って来ていただいてありがたいことです。

まず、履歴をご覧いただければおわかりになると思いますが(といっても、私も履歴を確認していませんが)、加筆なさったのは他の方ですので、その点はご注意ください。

さて、2005年9月の私のご提案にご回答をいただいていないので、そこから開始したいと思います。上記を見ていただく手間を省くため、私の提案を上からコピーします。

  • なお、例えば、英語では、「建築家」を意味する言葉は「architect」であるが、「designer」が「設計者」と訳されることもある。しかし、建築の設計に関する限り、建築家のことを日本において「デザイナー」と呼ぶことは、まれである。このことについては、日本の建築家のデザイナーという呼称に対する偏見等に基づいているという考え方や、日本において「デザイナー」の言葉がもともとむしろグラフィックデザイナーやファッションデザイナーを意味していたことが理由であるなどの考え方もあるが、十分な論証はなされていない。ただ、近年、特に個人住宅や小規模店舗の建築を行う建築家やインテリアデザインやリフォームなどの内装を重視するケースについては、「建築デザイナー」と呼ぶ例も出てきている。

ポイントは、以下の3点です(この説明は、今回追加しました)。

  1. 建築家はデザインをしているのに、日本で建築家が「デザイナー」と呼ばれることはまれである。
  2. そのことは、単なる偶然ではなく、それなりの理由があり、その理由は、日本における建築家の位置付けや受容にかかわると予想されるが、現時点では、きちんとした研究や論証がない。(重要なのは、この点だと思います。このことが、表面的に現れてくるわけですが、そのうちの1つが、「建築家」という呼び方に現れてきているわけです。)
  3. ただ、最近は、建築家を「デザイナー」と呼ぶ例が出てきている(そのことから翻って、なぜ今まではそうではなかったのか、という考察も可能になる)。

すでに、本文での表現が変わってはおりますが、まずは、この案に対してコメントをお願いします。具体的に、どこをどう修正すべきかというコメントをいただきたいと思います。特に上記3点のうち、第2点がもともとの文章に欠けていたために、内容がわかりにくくなっているのでしょうから、この第2点の追加が重要だと考えています。

ちなみに、脇道にそれますが、私は、将来的には「建築家」という呼び方に固執する必要はないと思っています。しかし、一方で、この呼び方をやめるべきだとも思いません。ただ、状況を見守っていけばいい(そして、状況に変化があれば、その意味を見極めればいい)と思っています。以上、よろしくお願いいたします。20世紀(前半)美術 2006年2月6日 (月) 05:45 (UTC)[返信]

ご返答
  • 「英語では、「建築家」を意味する言葉は「architect」であるが、「designer」が「設計者」と訳されることもある。」ということですが、「建築」と「設計」という別の物が比較されており、そもそも意味がわかりません。建築家とは単にデザインを行うだけの人ではありませんし(意匠も重要ではありますが…)、「設計事務所で図面を引いている人=建築家」という誤解を招きませんか?
  • 「建築家はデザインをしているのに、日本で建築家が「デザイナー」と呼ばれることはまれである」:一般論として、ごく当然のことは、改めて言わない(言う必要がない)場合もある、と思いますが? 建築家がデザインを行っていること自体は当然では?
  • 「西欧では(積極的に)建築家のことをDesignerと呼んでいる」ということであれば、そうした事例も紹介いただけるとありがたいです。(もし、そうした事例が豊富に見られるのであれば、モダニズムの建築家のうち、好んで家具のデザインなど行っていた人もいますので、「建築家(兼)デザイナー」という肩書きがよく見られるようになった、という可能性はありそうです。それまで、「家具は職人が作るもの」というのが一般的な見方であり、工芸という分野そのものを低く見る風潮はあったと思います。…これは全くの推測ですが)
 --忠太 2006年2月6日 (月) 13:28 (UTC) [返信]

ご回答いたします。

  1. 第1点:おっしゃっている点を踏まえて、『なお、例えば、英語では、「建築家」を意味する言葉は「architect」であるが、「designer」が「設計者」と訳されることもあり、設計を主としてとらえた場合の建築家の名称として使われる可能性もある。』としてはいかがでしょうか?
  2. 第2点:「ごく当然」とお考えですか? 私は、そうは思いません。仮にそう思えたとしても、カタカナの氾濫するデザイン業界で、「なぜ当然に思えるのか」を説明しようとすると、ひと言では説明できないでしょう。デザイナーと呼ばれにくい(呼びにくい)という事実に、私の書いた第2点のポイント(歴史的経緯・背景・理由がある)が見え隠れしていると思います。上記のとおり、最近は、建築関係の職業につく方々がデザイナーと呼ばれることも増えてきているということがいえそうですから、そこからも、実は「ごく当然」ではなかった、となりそうですが?
  3. 第3点:この点については、私の方に、残念ながらきちんとした知見はありません。ただ、直接のお答えになっていないので申し訳ありませんが、欧米の方が、日本よりも早くに、「デザイナー」(建築の分野に限られない)の地位が認められたのではないかと思います(それはなぜなのか、また、そのことから、欧米との差異を論じることも可能かもしれませんが、横道にそれてますね)。なお、仄聞するに、日本の「建築家」の中でも、ビジネスにおける「ランク付け」があるようで、例えば「デザイン"屋"」の方が「構造家」よりも重んじられるとか。そして、さらに「デザイン"屋"」よりも、「建築全体のコンセプトを作る者」の方が重んじられるような気もします。そうだとすれば、「単なるデザインを行う人」という印象の言葉「デザイナー」が嫌われる1つの理由となるかもしれません。

ところで、私の方の第2点(歴史的経緯・背景・理由)につきましては、どのようにお考えか、お聞かせ願えればありがたいです。20世紀(前半)美術 2006年2月13日 (月) 09:11 (UTC)[返信]

何ともノートが長大化していて見づらいですね…。殊更に問題をややこしく考えておられるようですが、「可能性もある」なんて無責任な書き方では百科事典の趣旨に反するでしょう。 「第2点(歴史的経緯・背景・理由)」について、私はデザイナーという言葉の変遷をこの項目で記述する必要はない、と考えていますので、自分の見解を述べる必要もありません。できれば「デザイナーという言葉の変遷」という項目でも立てて、そこで議論してはいかがでしょう。「建築家」の項目でこう長々とやられても見づらいだけではないでしょうか? --忠太 2006年2月13日 (月) 12:42 (UTC)  [返信]

新提案[編集]

こんにちは。ご提案は「建築家」における議論を中断なさろうということでしょうか? なぜか、どうしても「建築家」の項目からは削除なさりたいようですね。そこをあきらめていただければ、議論も長引かず集束するのですが・・・。私の方は、それなりの考えがあって書いた部分を、「誤りである」とか「不要だ」というご主張により削除されそうなのですから(「意味がわからない」というご指摘もありました)、書いた者としての説明責任のようなものもあり、簡単には引き下がれない立場にあります。
さて、別項目に値するだけの内容が、この時点で書けるとも思えませんので(なお、仮に立てるとしても、先に書きました、「建築家養成史」、または、すでになされている修正内容を勘案して、「建築家における設計(デザイン)の位置付け」くらいでしょうか)、今回の私からの提案は、
  1. 「保留」をつけたままで、「建築家」の「その他」に、私の最新提案文を入れる(現在の文章とのつながりをもたせるため(現在の内容で、私の提案文に含まれていない部分は残します)、表現の調整はいたします)。
  2. 忠太さんと私以外のどなたかが議論に参加するまでは、この点についての議論は中断する。
  3. しかし、例えば、1年経っても、誰も議論に参加してこない場合には、その時点で、削除を含めてどうするかを再度考える(例えば、その間に、日本近代建築史にかかわる記事が充実しており、そちらに移動できるかもしれません)。
というものです。ご検討ください。お願いします。20世紀(前半)美術 2006年2月17日 (金) 14:43 (UTC)[返信]
  • 既に議論の発端になった文章は原型を留めていませんので、今後は通常の編集作業を行えばよいと思います。「そこをあきらめていただければ」「簡単には引き下がれない」というのは、単なる面子ですか? そういう理由では承服しかねるのですが、暫く様子を見る、という選択肢でもよいと思います。ただし、「~可能性がある」などとあやふやなまま推測で思い込みで書くのはやめてほしいです。 --2006年2月17日 (金) 15:07 (UTC) 修正--忠太 2006年2月22日 (水) 13:57 (UTC)[返信]

こんにちは。それでは、ということで、書いてみました。「保留」もとり、「節」の名称も変えてみました。いかがでしょうか。20世紀(前半)美術 2006年2月24日 (金) 15:18 (UTC)[返信]

英語版Wikiのen:Architectural_Designerを見ると、設計事務所に雇われていて建物・都市景観のデザインを行う人を呼び、en:Architectとは区別されている(?曖昧?)ようです。貴殿の主張によれば、欧米では建築家をデザイナーと呼ぶことが多いようですから、そうした豊富な実例の一端を教えてください。 --忠太 2006年2月24日 (金) 17:21 (UTC)[返信]

違和感の理由[編集]

(耐震偽装問題とも関連がありそうですが)「建築家」という名称は日本ではどうも曖昧に使われているようですし、公的資格である「建築士」も実際には意匠系、構造系とそれぞれ独自に活動しているようです。もう少し資格制度をしっかり見直すべきではないか、という点が問題になっているのではないでしょうか。そうした中で、何ら資格が必要でなく、誰でも自由に名乗れる「デザイナー」という言葉をわざわざ持ち出して論じているのが、どうにも違和感を感じるところです。 --忠太 2006年2月27日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

日本と海外の比較

先ほど思いついた憶測ですが、ひょっとすると海外で建築デザイナーという言い方が出てきたのは、建築家の資格が厳しいため、(建築家になれない)それ以外の人達が「俺たちもデザイナーだ」と自己主張を始めたから、ではないでしょうか。日本では「建築士」の資格を持っている人が多いため、わざわざ「建築デザイナー」と名乗る必要性が余りなかったのかもしれませぬ。もしそうだとすれば「偏見」が理由だというのは偏見でしょう。 --忠太 2006年2月28日 (火) 14:42 (UTC) [返信]