ノート:広島藩

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赤穂藩浅野氏について[編集]

2005年7月11日 (月) 04:10(UTC)での投稿時に、「編集内容の要約」欄に播州赤穂藩は浅野の支流と聞いておりますが・・・とのコメントをされた方へ。
当広島藩の記事では赤穂藩浅野氏を分家と記載しましたが、浅野長政の嫡子幸長に正嫡がなかったため次弟の長晟が嗣いだことを思えば広島藩浅野氏を本家と呼び、長政の三男であり赤穂藩浅野氏の祖である長重分家と記載するのは間違ってはいないと思います。確かに幸長・長晟が長政の正嫡となったわけですから本流に対して、長重は支流でありますし、その呼称も正しいと思います。赤穂藩浅野氏を広島本藩に対しての支藩と位置づける文献もあります。従って、支藩の赤穂藩という呼び方でもよいと思います。いわば、表現方法の違いと捕らえて頂ければよいのではないでしょうか?--Reggaeman 2005年7月11日 (月) 13:01(UTC)