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ノート:平氏政権/ログ

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平氏政権は武家政権?[編集]

「日本初の武家政権は鎌倉幕府ではなく、この平氏政権である。」

とありますが、武家政権の定義は武家が最初に権力を握ったときという説と武家が朝廷勢力から自立した政府(幕府)を確立したときと論説が分かれているので、

「貴族に代わって、武士の身分で権力を握ったのは平氏政権が初めてである。」

としました。(2005年12月6日 (火) 10:23(JST)) 210.141.252.2さん

平氏政権を武家政権としてとらえる見解は広く見られます。ネットで探しただけでも、中世史の泰斗五味文彦先生の一文[1]や武士研究をリードする高橋昌明先生の講義案内[2]など、平氏政権を武家政権とする見解が学問の主流であることがうかがえます。ですので、最低でも「日本史上最初の武家政権とする見解が有力である」くらいは書いた方がよさそうですね。すぐ修正すると編集合戦になるかもしれませんので、12月13日ごろまで待つことに致します。あと、日付とIP番号を付けさしていただきました。では。--shimoxx 2005年12月6日 (火) 16:35 (UTC)[返信]

>Shimoxx様

私のニュアンスは、武家政権をどこからとするのかは武家政権のブログで論議したほうがいいのではというものです。武家政権を見ると鎌倉幕府の成立からとし、平氏政権についてはそういう見方もあるというニュアンスです。

また、yahooの大辞泉[3]、大辞林[4]では、鎌倉幕府を武家政権の成立としており、辞書レベルで鎌倉幕府、つまり源氏が朝廷から自立した政府を成立させたときを武家政権としています。辞書だと通説を記しているケースが多いこと、Wikiの武家政権項目を考えると、Wikiの武家政権の表現にならい、

「平氏政権からを始まりとする場合もする説もある。」

とするかあるいは、別の項目を作り、==平氏政権を武家政権と見るか否か=みたいなもので、肯定説、否定説を併記する形が望ましいのではと思います。

横からすみません。武家政権を主に書いたのは私ですので、その意図を書いておきます。
学研学習事典データベース[5]を見た所、鎌倉幕府が日本初の武家政権とされていました。ということは、日本の義務教育ではそう教えているのであろうと思われ、また各辞書の事もあり、世の主流は「鎌倉幕府が日本初の武家政権」なのであろうと考えました。
実際どちらが正しいかは武家政権の定義により、「武家の政権」ならば日本初は新皇を名乗った平将門かもしれず、「幕府」ならば鎌倉幕府で、「ほぼ全国を支配した武家の政権」ならば平氏政権です。ここでの議論により、もしかしたら武家政権の定義も変える必要が有るかも知れません。-- 2005年12月8日 (木) 14:02 (UTC)[返信]
どうもご返事ありがとうございます。申し上げ辛いことではありますが、こと日本史分野について言えば、一般辞書類はあまり信頼がおけない情報源だと思われます。必ずしも近年の研究成果が反映されているとは限らず、試しに他の歴史用語(公地公民とか)を検索してみると、概して古い学説が多く、40年前の学説が掲載されてる例もありました。また学研サイトも拝見しましたけれど、同様の感想を抱きました。幕府創始を1192年に置いていることからも古い歴史像であることは明らかです。
一般的に広まっている歴史像であっても、学術レベルでは大幅に歴史像が転換されている例は非常に多数ありまして、平氏政権に対する評価もその一つのように思われます。ずっと以前は、武士階級を貴族階級に支配される在地領主と位置づけ、その武士階級が支配者に対する階級闘争を行った結果、武家政権(鎌倉幕府)が樹立されたとする歴史観が主流を占めていました。往時は階級闘争史観全盛期でしたので、鎌倉幕府の革新性が高く評価され、平氏政権は貴族政権に類する旧勢力として低い評価しか与えられなかったのです。しかし、1970年代~1980年代くらいから史料に基づく実証的な歴史研究が急速に進み、平氏政権も地頭・国守護人や畿内惣官職を設置するなど、後の鎌倉幕府につながる先駆的武家政権としての性格を有していたことが次第に明らかになってきました。そうした流れの中で五味先生とか高橋先生が仰っているように、平氏政権を初の武士政権とする考えが主流となってきた訳です。
また、武家政権の定義についてですが、我々が考察したり議論したりするものではないだろうと思います。それは歴史学者の仕事ではないでしょうか。ウィキペディアンである我々は、歴史学者による定義・考察・議論をなるべく広く調べて、その結果をウィキペディアに残すことしかできないと思うのです。管見では、平将門勢力を武家政権とする説は見られず(そもそも当時武家は存在してなかった)、やはり平氏勢力を最初の武家政権とする意見が主流であり、鎌倉幕府は、最初の「本格的な」武家政権とする評価が一般的のようです。また、いろいろ文献を見ましても、武家政権という用語に確固とした定義が与えられてる訳ではないようです。ただ、自分も文献を幅広く渉猟している訳ではありませんので、上記を否定する史学者の見解があるかも知れません。悪しからず、という訳で失礼いたします。。++shimoxx 2005年12月8日 (木) 16:08 (UTC)[返信]
(追記)いろいろ書きましたけど、つまるところ、武家政権の定義について話をするまでもなく、五味先生や高橋先生それから下向井龍彦先生などの著書を読みますと、平氏政権は武家政権として記述されており、中世史研究の中心におられるこれらの先生方が仰っていると云うことは、平氏政権=武家政権が現在の通説になっていると考えて良いと思います。どうでしょうか?++shimoxx 2005年12月8日 (木) 18:05 (UTC)[返信]

>武家政権の定義を明確にするためには、我々執筆者が研究者の論文・書籍を精力的に読み込むしかないと思います。これは本項目に限った事じゃなくて、ウィキペディアの執筆全般に言えることですけど(だからもう大変(^_^;))。ぜひご一緒に頑張っていきましょう。

 「最大公約数的な定義・認識は共有化」、「朝廷からある程度独立した権限を有し、その権限を行使するために、配下の武士を通じて(全国でないにしても)各地に一定以上の支配権を発揮するような権力主体」とかそういう文言を載せるのも難しいという意味ですか。となると武家政権をどう記述すべきとお考えなのですか。

>この時期の関係史料が少ないので、詳しいことが判っておらず、研究者も必死になって研究しているところです。

 そのことも触れたほうがいいですね。本文で。

>百科事典自体、世の人々が学界の研究成果を知るため・学ぶために存在してるのですから、本来的には、わざわざ「学界では・・・」なんて断る必要はない

いわゆる百科事典や一般人と学者や研究者との間にギャップがあるわけでしょう。一般人は学者や研究者と違い、広辞苑などの字書にあるのが通説と考えると思われるので、百科事典と近年の研究との間に差があるということを強調したいのならば、当然「研究者の間では」とか「歴史の学界においては」などの言葉を入れるのが妥当なのではと思います。

  >一般の人々が抱きがちな「平氏は武士でありながら貴族化してしまい、武士たちの離反を招き、平氏政権は崩壊した・・・」というような歴史像は、数十年前の学界で主流だった見解です。その後研究が進み、上記のような理由で平氏政権が崩壊したと考える学者はおそらくいません。

 ならば、どういう理由で平氏政権が崩壊したのをお示しいただきたいのですが。見解が分かれていても構わないので、たとえば、そのことを「~と考える説(○×△□)」、「~と考える説□△×○)」という感じでどうですか?とりあえず今日はこのあたりで。

--Tamachan21 2005年12月11日 (日) 03:22 (UTC)[返信]

私の言いたいことは極めて単純で

1.武家政権の定義なり共通認識を明確にすること 2.1を踏まえ、平氏政権が武家政権の条件についてどういう意味で満たすもしくは欠けているのか 3.百科事典や字書とのタイムラグの解消ということについても触れるのはどうなのか 4.できれば歴史学会の見解などにも触れたほうがいいのではないか

の要件をなぜ書くことができないのかということ。 あと、「Tamachan21さんの論でいけば、ウィキペディアの歴史・経済・哲学・化学など学術系の項目ほとんど全てで「学界では~」と断らなければなりません。」の意味合いがよくわからないのですが、字書と近年の学者の見解が違うのなら断り書きをしたほうが自然ではないかと思います。

>武家政権をどう記述すべきとお考えなのですか。 とのことですが、頑張って研究書をたくさん読んで、学術研究の成果を記述したいと考えています。

 是非お願いします。 --Tamachan21 2005年12月12日 (月) 00:28 (UTC)[返信]

平氏政権は武士政権?(2)[編集]

Shimoxx様

>いろいろ文献を見ましても、武家政権という用語に確固とした定義が与えられてる訳ではないようです。ただ、自分も文献を幅広く渉猟している訳ではありませんので、上記を否定する史学者の見解があるかも知れません。

だとしたら武家政権の是非は保留にしたほうがいいと思われます。

どうやら平氏政権=武家政権説にこだわりをお持ちのようですが、確固たる定義がない場合編集合戦になったりしますし、もうしばらく議論をノートでやるなり、あるいは昨日書いたように項目を作成して賛否両論を併記されてみてはいかがですか。

まず弁解から。「武家政権の定義がない」という件についてですが、現在は武家政権の登場に関する研究が急速に進んでいる時期ですので、例えば日本史事典を見ても、まだ項目として立っていない、学者によっては軍事政権とか武士政権とかの用語を使う人もいる、と云う程度の意味合いです。確固とした定義がなくても、百科事典の項目として存在することはおかしいことではないだろうと思います。他にも「荘園」とか「律令制」とか「王朝国家」とか、研究者間で定義が一致していない例は多いですし。それから、「文献を広く渉猟していない」についてですが、私も素人歴史ファンに過ぎず、主要な中世史研究書とかに目を通していても、すべての研究論文・紀要まで読んでいる訳ではないので、ひょっとしたら平氏政権=武家政権に異を唱える論者がいないとも限らないと考えただけのことです。言葉足らずで誤解を招いてしまい申し訳ありませんでした。
さて、私個人に「平氏政権=武家政権」のこだわりがあるのではありません(個人的にはどっちでも良いとすら考えてます)。主立った中世史学者の所論が軒並み「平氏政権=武家政権」となっているのです。私が目にする限り、平氏政権に言及した近年の書籍・論文は全て「武家政権のはじまり」的に位置づけているのです。なので、百科事典としてのウィキペディアにはその事実を書くべきなのだろうなあ、と思う訳です。ここ10年くらいの間に発行された中世史学の関連研究書(吉川弘文館とか山川とか岩波とか)を数冊読んでみてください。平氏政権を初源的な武家政権とする所論はあっても、武家政権ではないとする所論は多分見られないだろうと思います。
確固たる定義がないとしても、研究者間では最大公約数的な定義・認識は共有化されてるようですし、そうした基盤の上で平氏政権=武家政権という立論が広く受容されているのですから、そうしたことを考え併せますと、編集合戦が起こる余地はないのではないでしょうか。つまり、両論併記する必要は特になく、「以前は平氏政権を武家政権とすることは否定視される傾向が強かったが、実証的な研究が進んだ結果、1980年代頃から、初源的な武家政権とする見解が有力となっている。」くらいに記述するのが最も穏当だろうと考えます。どうでしょう?++shimoxx 2005年12月9日 (金) 13:34 (UTC)[返信]
ところで、後学のためにも平氏政権≠武家政権とする論拠があれば、お示しいただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。++shimoxx 2005年12月9日 (金) 19:11 (UTC)[返信]


>ここ10年くらいの間に発行された中世史学の関連研究書(吉川弘文館とか山川とか岩波とか)を数冊読んでみてください。平氏政権を初源的な武家政権とする所論はあっても、武家政権ではないとする所論は多分見られないだろうと思います。

>確固たる定義がないとしても、研究者間では最大公約数的な定義・認識は共有化されてるようですし

「初源的な武家政権」と「(本格的な)武家政権」との違いというか言葉の使い分けがいまいちわかりにくいんですが、要するに私としては、「武家政権」とは何かがこの説明だけだとわからないのです。「(武家政権の)最大公約数的な定義・認識」というのもわかりにくいですし。そこら辺をもっと具体的に教えてもらえませんか?それがはっきりしないと両論併記かそれには触れないしかないんじゃないかなというのです。「貴族に代わって、武士の身分で権力を握ったのは平氏政権が初めて」という表記にしたのはあくまでも客観的な事実ですからそう書いたわけです。

>平氏政権≠武家政権とする論拠

鎌倉幕府説は平氏政権を貴族政権とみなしているという説でしょうけれど、それを否定されているのだから提示にならないでしょうね。

ちなみに私はどちらが正しいかわからないので、字書を根拠にしたほうがいいのではと申しあげているわけです。字書の記述が不正確という主張も素人にはなぜ?字書はインチキなのか?という疑問を抱くでしょうからそこら辺もお教え下さい。

--Tamachan21 2005年12月10日 (土) 01:24 (UTC)[返信]

どもども、議論に付き合っていただいてありがとうございます。ええと、判りにくい箇所についてなんですけど、武家政権って今の学界の理解では、ただ単に武家が政権を握るってだけじゃないんですよ。朝廷からある程度独立した権限を有し、その権限を行使するために、配下の武士を通じて(全国でないにしても)各地に一定以上の支配権を発揮するような権力主体が、現時点では最大公約数として武家政権ととらえられています。だから、以前は1192年の頼朝将軍任官をもって幕府成立と考えられてましたが、今では、1183年の寿永二年十月宣旨と1185年の地頭・守護設置の公認を通じて武家政権としての鎌倉幕府が成立したと考えられてます。そうした理解の中で、平氏政権も当初は貴族社会内部の政権でしたが、次第に平氏知行国や平氏所領荘園などに地頭・国守護人を設置して、自らの支配権を各地の武士を通じて発揮するシステムを構築していき、1181年の高倉上皇死去後は、畿内惣官職や諸道鎮撫使などを設置して朝廷から独立した軍政を敷き始めていることをもって、平氏政権は、鎌倉幕府ほど本格的ではなく未熟な体制ではあるけれども、武家政権と呼ぶのが相応しいと学界では考えられるようになっているんです。これは1980年代ごろから急速に判ってきたことです。
で、字書もそうした学界の流れを把握しきれずにいるので、大昔の学説がそのまま載っているという訳です。よく「広辞苑の記述は専門家から見ると嘘だらけ」と言われますけど、他の字書にも多かれ少なかれそういう面があるのです。字書は全面的に信頼が置けない訳ではないけれども、近年の研究成果が反映されてるとは限らないので、字書の記載を信用するよりも、地道に研究書をあさった方がより正確な歴史像に近づけるというのは、そうゆうことなのです。(字書も結局は専門の研究書を元に書かれてますので、近年の研究成果と字書の記述内容にタイムラグが生じてしまうのです。)
もしも、最近10年くらいの研究書・論文の中で「平氏政権は武家政権とはみなせない」という論考があり、学界にある程度受け入れられていれば、平氏政権の記述に反映させるべきとは思います。ただ、その場合でも「平氏政権=武家政権のはじまり」という所論が学界の主流を占めていますから、主観を廃して客観的に考えると、基調としては、平氏政権が最初の武家政権とするのが有力説と記述した方が、読者へより正確な歴史を提示できることになるだろうとは思います。
毎回長々とすいません。また、編集しやすいように見出しをつけました。++shimoxx
武家政権という言葉の定義が変わりつつあるのですね。「学界では」などと但し書きを付ければ誤解や混乱がなかろうと思います。-- 2005年12月10日 (土) 13:12 (UTC)[返信]

武家政権という言葉は、「朝廷からある程度独立した権限を有し、その権限を行使するために、配下の武士を通じて(全国でないにしても)各地に一定以上の支配権を発揮するような権力主体」というのが現在の共通認識であると捉えてよろしいのですね?そしてそれに基いて武家政権の記述を記すべきというお考えでよろしいのですか?

あとは、武家政権を作成された俊さんがいう「学会では平氏政権をもって武家政権の始まりとする考えが主流となりつつある」という文章ではどうですか?

いずれにせよ、ポイントは
1.武家政権の定義なり共通認識を明確にすること
2.1を踏まえ、平氏政権が武家政権の条件についてどういう意味で満たすもしくは欠けているのか
3.百科事典や字書とのタイムラグの解消ということについても触れるのはどうなのか
4.できれば歴史学会の見解などにも触れたほうがいいのではないか
以上の点を踏まえて記述されたほうがいいのかと思われます。 --Tamachan21 2005年12月11日 (日) 01:00 (UTC)[返信]
(Tamachan21さんの記述の体裁を直させて頂きました。shimoxx 2005年12月11日 (日) 02:56 (UTC)[返信]

俊さんの仰るように「学界では、平氏政権を日本最初の武家政権とする考えが主流となっている」(学ではないですよ~)という書き方で良いと思います。
武家政権の定義を明確にするためには、我々執筆者が研究者の論文・書籍を精力的に読み込むしかないと思います。これは本項目に限った事じゃなくて、ウィキペディアの執筆全般に言えることですけど(だからもう大変(^_^;))。ぜひご一緒に頑張っていきましょう。平氏政権が武家政権として未熟という点についてですが、平氏政権の本文中にある程度書いてあります。この時期の関係史料が少ないので、詳しいことが判っておらず、研究者も必死になって研究しているところです。学者の研究成果と百科事典と字書の間のタイムラグについては、平氏政権だけに限らず、いわば全ての事項について言えることですので、平氏政権の本文中で言及する必要はないと思います。歴史学界の見解に触れることについてですが、そもそも百科事典自体、世の人々が学界の研究成果を知るため・学ぶために存在してるのですから、本来的には、わざわざ「学界では・・・」なんて断る必要はない訳なんですけど、まあ、「学界では・・・」という書き方でご納得されるのであれば、自分に異論はありません。
というわけで、俊さんご提案の「学界では・・・」という記述とすることで合意できないかと考えますが、どうでしょう。
ついでに言っちゃいますと、例えば、一般の人々が抱きがちな「平氏は武士でありながら貴族化してしまい、武士たちの離反を招き、平氏政権は崩壊した・・・」というような歴史像は、数十年前の学界で主流だった見解です。その後研究が進み、上記のような理由で平氏政権が崩壊したと考える学者はおそらくいません。だから、一般の人々の歴史像をそのまま百科事典に記載することは、ウソを広めることになりかねないので、かなりの危険を伴うことだと言える訳です(ウィキペディアにはそういう日本史項目が沢山あるんですがね・・・)。せめて、近年の研究書を広く読んでいかないと、とても百科事典の執筆なんてできないなあ、と自分は考えております。(自分もここ10年~20年の日本史研究の急速な進展具合には驚いてばかり。)++shimoxx 2005年12月11日 (日) 02:56 (UTC)[返信]

平氏政権は武士政権?(3)[編集]

>武家政権の定義を明確にするためには、我々執筆者が研究者の論文・書籍を精力的に読み込むしかないと思います。これは本項目に限った事じゃなくて、ウィキペディアの執筆全般に言えることですけど(だからもう大変(^_^;))。ぜひご一緒に頑張っていきましょう。

 「最大公約数的な定義・認識は共有化」、「朝廷からある程度独立した権限を有し、その権限を行使するために、配下の武士を通じて(全国でないにしても)各地に一定以上の支配権を発揮するような権力主体」とかそういう文言を載せるのも難しいという意味ですか。となると武家政権をどう記述すべきとお考えなのですか。

>この時期の関係史料が少ないので、詳しいことが判っておらず、研究者も必死になって研究しているところです。

 そのことも触れたほうがいいですね。本文で。

>百科事典自体、世の人々が学界の研究成果を知るため・学ぶために存在してるのですから、本来的には、わざわざ「学界では・・・」なんて断る必要はない

いわゆる百科事典や一般人と学者や研究者との間にギャップがあるわけでしょう。一般人は学者や研究者と違い、広辞苑などの字書にあるのが通説と考えると思われるので、百科事典と近年の研究との間に差があるということを強調したいのならば、当然「研究者の間では」とか「歴史の学界においては」などの言葉を入れるのが妥当なのではと思います。

  >一般の人々が抱きがちな「平氏は武士でありながら貴族化してしまい、武士たちの離反を招き、平氏政権は崩壊した・・・」というような歴史像は、数十年前の学界で主流だった見解です。その後研究が進み、上記のような理由で平氏政権が崩壊したと考える学者はおそらくいません。

 ならば、どういう理由で平氏政権が崩壊したのをお示しいただきたいのですが。見解が分かれていても構わないので、たとえば、そのことを「~と考える説(○×△□)」、「~と考える説□△×○)」という感じでどうですか?とりあえず今日はこのあたりで。

--Tamachan21 2005年12月11日 (日) 03:23 (UTC)[返信]

Tamachan21さん、誠に申し訳ないのですが、近年出された関係研究書を数冊でも結構ですので、お読み頂けないでしょうか。ここで私なんかの愚見をご披露するよりも、研究書を読んで頂いた方が現在の学術レベルがどの程度まで来ているかお判りになると思いますし、私がいろいろ申し上げていることもご理解頂けると思います。また、Tamachan21さんの論でいけば、ウィキペディアの歴史・経済・哲学・化学など学術系の項目ほとんど全てで「学界では~」と断らなければなりません。私も肝に銘じていることですけど、知らないことは知らないという無知の知を再認識して、謙虚な気持ちで学術研究の成果に敬意を表しませんか。++shimoxx 2005年12月11日 (日) 04:44 (UTC)[返信]
あと、 > となると武家政権をどう記述すべきとお考えなのですか。 とのことですが、頑張って研究書をたくさん読んで、学術研究の成果を記述したいと考えています。Tamachan21さんはいかがお考えですか。ぜひご一緒に研究書を読み込んでいって、武家政権なり平氏政権なり充実加筆していきませんか。++shimoxx 2005年12月11日 (日) 05:06 (UTC)[返信]
武家政権の定義は、おそらく「○○から始まる武家の政権」であり、武家政権を満たす明確な条件など今は存在しない様に感じます。鎌倉幕府もそうですが、何をもって始まりとするかが「相応しい」かは、一概に正解を決められるものでは無かろうと思います。ですので今回の場合は「学界では」と但し書きを付ける必要があると考えます。
えらそうに書いて申し訳ないです。shimoxxさんの書かれる専門的な記事にはいつも頭が下がっております。-- 2005年12月11日 (日) 06:55 (UTC)[返信]
>武家政権の定義は、おそらく「○○から始まる武家の政権」であり、武家政権を満たす明確な条件など今は存在しない様に感じます。鎌倉幕府もそうですが、何をもって始まりとするかが「相応しい」かは、一概に正解を決められるものでは無かろうと思います。ですので今回の場合は「学界では」と但し書きを付ける必要があると考えます。
明確な定義付けができず、かつShimoxxさんの主張を入れるとしたらそこら辺りで落ち着くしかないと思います。Shimoxxさんの主張だって学者や研究者では平氏政権からが主流だからそう書くべきというものですし。先に書いたように字書を普通は信じるのだから断り書きを入れて字書との違いを出さないといけないとも思います。--Tamachan21 2005年12月12日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

私の言いたいことは極めて単純で

1.武家政権の定義なり共通認識を明確にすること 2.1を踏まえ、平氏政権が武家政権の条件についてどういう意味で満たすもしくは欠けているのか 3.百科事典や字書とのタイムラグの解消ということについても触れるのはどうなのか 4.できれば歴史学会の見解などにも触れたほうがいいのではないか

の要件をなぜ書くことができないのかということ。 あと、「Tamachan21さんの論でいけば、ウィキペディアの歴史・経済・哲学・化学など学術系の項目ほとんど全てで「学界では~」と断らなければなりません。」の意味合いがよくわからないのですが、字書と近年の学者の見解が違うのなら断り書きをしたほうが自然ではないかと思います。

>武家政権をどう記述すべきとお考えなのですか。 とのことですが、頑張って研究書をたくさん読んで、学術研究の成果を記述したいと考えています。

 是非お願いします。

(編集場所を間違えたので移しました。)

改訂案[編集]

みなさんのご意見を受けまして、少しでも議論を前へ進められないかと考え、誠に勝手ながら利用者:Shimoxx/試し書きに自分なりの改訂案を書いてみました。推敲が十分でないので、日本語としてこなれてない箇所もありますが、ご意見いただけると幸せます。それから、Tamachan21さんのご指摘に以下のとおりお答えしてみます。
  1. 武家政権の定義の明確化 - これは、ここではなくノート:武家政権で話し合った方が良いと思いますので、少し提案を書いてみますね。どうぞご照覧ください。
  2. 平氏政権が武家政権として未熟な点 - これは改訂案で触れています。どうぞご覧ください。
  3. 百科事典と字書のタイムラグ - 字書との乖離について書くよりも、学説の変遷という形で書くのはどうでしょうか。実は平氏政権像だけにとどまらず、日本史全般において70年代から特に80年代~90年代にかけて、パラダイムシフトと呼ぶべき現象が起こっています。60年代以前は、唯物史観の強い影響を受けた歴史像が学界によって構築されていました。これは階級闘争や段階発展をメインに置く歴史像であり、必ずしも厳密な史料批判に基づかない立論も中にはあり、マルクス主義の影響を受けた歴史学者の願望が入り交じった部分も少なからずあったのです。しかし、70年代頃から、日本史学界は次第に唯物史観のくびきから解かれていき、厳正な史料批判を通じて実証的な研究を進め、80年代以降はそれが益々加速していってるところなのです。しかし、そうした動きはなかなか世間には伝わらず、90年代くらいまで(場合によっては今でも)古い学界の歴史像が教科書、字書、歴史小説、テレビ番組、その他に大きな影響を及ぼし続けました。なので、世間に流布している歴史像のルーツは、昔の学界にあるといえる訳です。おそらく、ja.wpの執筆者のみなさんの多くは、学校教育で古い歴史像を学んできた世代ではないでしょうか。自分もそうです。でも、そうした歴史像はとうの昔に実証的な研究によって超克されたか、否定されたものが多いんです。信じていた歴史像が、大幅に書き換えられていたことを知って、自分も強い衝撃を受けました。。。さて、近年は客観的な根拠に基づく歴史像が、徐々に一般にも広まりつつあるようです。こうした歴史像の大転換は、平氏政権に限らず、荘園とか百姓とか公地公民とか受領とか院政とか一揆とか戦国大名とか慶安の御触書とかをはじめとして、日本史のほぼ全分野(特に古代・中世史)にわたっています。ですので、日本史項目の大部分が、字書に載っている「常識的」な歴史像と乖離していることになります。で、残念ながらその常識的な歴史像というのは過去のものなのです。字書に載っている常識的な歴史像(=大昔の学界の学説)と客観的な根拠に基づく近年の歴史像の違いとは、結局のところ、学説の変遷の裏返しに他ならない訳ですから、学説の変遷について記述すれば、字書との乖離について触れたのと同じ事になるだろうと考えてます。まあ、学説の変遷を書くのってもの凄く大変な作業なんですけどもね。。。とりあえず、改訂案には学説の変遷らしきことを書いてみました。これなら、「最初の武家政権=鎌倉幕府」と思ってる人でも、そういう歴史像が過去の学説に由来しており、しかもその学説が既に超克されていることが理解できるのではないかと思います。
  4. 学界の見解に触れること - 基本的に百科事典に書いてあることって、つまるところ学界の見解なわけです。紙の百科事典を見てみると、各項目ごとに執筆者が併記されており、それらの執筆者は当該学界の第一人者だったりしています。みなさんもウィキペディアに執筆する際は、可能な限り信頼性の高い複数の文献を見比べられてると思いますが、そのとき依拠する文献って、学問の方法に則った学術研究書、つまり学界からのアウトプットな訳ですよね。なので、Tamachan21さんのご主旨がちょっと判りかねてます(T_T)。。。とりあえず、今回の改訂案には、まめに「学界では・・・」というような記述を加えております。
それでは、改訂案へのご意見お待ちいたしております。++shimoxx 2005年12月13日 (火) 16:14 (UTC)[返信]
試し書きを読ませて頂きました。武家政権ウンヌンはこれで良いと思います。お疲れ様です。-- 2005年12月14日 (水) 13:58 (UTC)[返信]
武家政権の是非はまだ読んでいないのでとりあえず、私の問いについて(3,4について)

>学界の見解に触れること - 基本的に百科事典に書いてあることって、つまるところ学界の見解なわけです。紙の百科事典を見てみると、各項目ごとに執筆者が併記されており、それらの執筆者は当該学界の第一人者だったりしています。

 でもそれが現実では現在の学界の間に遅れがあるわけでしょう。ならば、そのことを明確に書くべきではないのかということなのです。広辞苑や○○ではこうだが、これはかつての学説で現在はこうだとか。 --Tamachan21 2005年12月15日 (木) 00:26 (UTC)(ログインし直しで修正)[返信]

まあまあ、とりあえず先に改訂案を読んでみてくだしゃんせ。学説がどのように変わってきたのか、下手な日本語ではありますが自分なりに書いてみております。ぜひご高覧を。それから、わざわざ「辞書では」と断るのはどうなのかなあ。「なんでイキナリ辞書の話が出てくるのかしら?」と、読者はビックリするのではないかと思います。辞書のことはあえて書かなくとも、普通に「かつての学説はほげほげだったが、今の学説はかくかくの理由により、しかじかとなっている」と書けば十分じゃないでしょうか。
ところで、日本史専門の辞典(山川の日本史広辞典など)は、少なくとも日本史に関しては、一般の辞書よりも信頼性が高いだろうと思われますが、試しに山川と角川の日本史辞典で「平氏政権」を引いてみると、いずれも「武家政権である」と明確に書いてありました。ですので、一般の辞書でさえも、分野によってはあまり信頼できない情報源になりうるといえるわけです。歴史学では、史実を探っていくのに史料批判という方法を使っています。古文書に書いてあることは本当なのか?古文書が書かれた意味は何なのか?様々な角度から検証して、その古文書の信頼性をはじきだし、そうした積み重ねを基にして「何が史実だったのか?」「その史実の重要性は?」といった課題に取り組み、新しい歴史像を提示していってるのです。そうやって見ますと、仮に辞書を議論の根拠とするのであれば、辞書を無批判に信用するのではなく、「その辞書に書いてあることは本当か」「その辞書は何を元にしてそういう記載をしているのか」という検証を経ることが必要なのだろうと思います。おそらく大辞林や大辞泉の「最初の武家政権は鎌倉幕府」という記載は、古い学説を根拠としていると考えられますので、古い学説が新しい学説に置き換わったことを述べれば、辞書について触れなくても、読者に十分有用な情報を提供できるだろうと考えています。++shimoxx 2005年12月15日 (木) 17:50 (UTC)[返信]

>辞書を無批判に信用するのではなく、「その辞書に書いてあることは本当か」「その辞書は何を元にしてそういう記載をしているのか」という検証を経ることが必要なのだろうと思います。

 でもそれは、研究者の理屈だと思います。普通の人はそんなにいちいち見ないと思うんですよね。それが望ましくないのはわかりますが、果たしてそれで納得いくのか、だから事典と現実に差がある場合には、事典の中にはこう書いてあるが、現在こういう状況にあるという書き方が必要なのではないかと思われます。はっきりさせたほうが誤解を招かないのだから誤解は避けたほうがいいでしょう。--Tamachan21 2005年12月16日 (金) 00:25 (UTC)[返信]

今の改訂案でも、昔は「平氏政権≠武家政権」と考えられていたが、今では「平氏政権=武家政権」とされるようになったと云うことを理由付きで説明してますので、学術研究の成果と辞書の記載との間のギャップについて誤解を招く余地はないはずです(普通の人なら「なんだ、辞書に書いてあるのは古い学説か~。」と納得するはず)。
ところで、改訂案に対するご意見をまだお伺いしてなかったですね。特にご意見がなければ改訂案にご賛同頂いたものと考えますけれども、如何でしょうか?--shimoxx 2005年12月17日 (土) 17:01 (UTC)[返信]
改訂案のご意見は試し書きに書きました。

>今の改訂案でも、昔は「平氏政権≠武家政権」と考えられていたが、今では「平氏政権=武家政権」とされるようになったと云うことを理由付きで説明してますので、学術研究の成果と辞書の記載との間のギャップについて誤解を招く余地はないはずです(普通の人なら「なんだ、辞書に書いてあるのは古い学説か~。」と納得するはず)。

 Wikiがネットでしょっちゅう変えられるという可能性があるということ、またネットにおける信頼性が確立されていないことを考えるのであれば、一部の辞書の鎌倉政権説の見解が古いということの明示は必要。念には念を入れるべきで、それほど負担にはならないはずです。  またできれば山川・角川の日本史事典が平氏政権説なのであれば、その部分を引用するか参考文献として掲載するほうが読み手として信頼感が増すのでそれを付け加えることが望ましいものと思われます。--Tamachan21 2005年12月18日 (日) 01:13 (UTC)[返信]

じゃあ、百科事典として適切な表現で書いときましたから、改訂案2をご参照ください。これでご納得でしょう?そろそろこの不毛な議論は終えませんか?辞書に誤りがあることは世間の常識です。私は消防に関わりがあったことがありますので、試しに大辞林で「消防」で始まる15語を引いてみたら、5語に誤りが含まれていました。辞書の信頼性なんてそんなものです。これって一般常識ですよ。
近年、日本史や地質学・地球物理学・生物学などの分野で著しく研究が進展しており、辞書と学説の乖離が大幅に大きくなっています。つまり、辞書と学説が異なる項目は数千・数万にのぼると考えられるということです。これらをいちいちウィキペディアで言及する必要があるとすれば、多大な負担が生じることになります。また、云うまでもないことですが、二次資料・三次資料に過ぎない日本史事典を参考文献にあげることは、ウィキペディアの見識が激しく問われることになります。
Tamachan21さんは、百科事典の執筆がなさりたいのですか?それとも延々と続く論争がなさりたいのですか?このウィキペディアは多くの人々が参加する百科事典ですので、Tamachan21さんのご意向を全て反映する訳にはいきません。ある程度のところで妥協することも必要なのです。私もTamachan21さんのご意向をなるべく反映させようと努力してきましたが、次々に出てくるご要求に徒労感で一杯です。議論は尽くしたと思います。もうこれ以上、この辞書関連の議論を続けることに必要性を感じません。どうぞご理解願います。--shimoxx 2005年12月18日 (日) 11:59 (UTC)[返信]

>こうした歴史像に基づく記述が、21世紀初頭まで一部の辞書などに残存していた。

のことですか。まあいいんじゃないですか。

>辞書の信頼性なんてそんなものです。

わかっている人はそれでいいがわからない人は少なくないでしょう。

>Tamachan21さんは、百科事典の執筆がなさりたいのですか?それとも延々と続く論争がなさりたいのですか?

わからないことを訊ねているだけです。

>もうこれ以上、この辞書関連の議論を続けることに必要性を感じません。

辞書については改訂案2で結構です。--Tamachan21 2005年12月19日 (月) 02:42 (UTC)[返信]

了解しました。ちょっと(だいぶ?)キツイことを申したかも知れませんが、結果としてTamachan21さんのご提案が平氏政権の内容充実につながったことに謝意を申し上げます。改訂案に対するご意見を別の場所にいただいてますので、以下、転載することにして、続きの議論は以下で行いたいと思います。どうぞご了解ください。

改訂案へのご意見[編集]

目次の

>学界では、以前、平氏政権を貴族政権的な性格が強いとする見解が主流であったが、1970年代・1980年代頃からは地頭や国守護人を設置するなど、最初期の武家政権とする見解が有力となっている。

これは「6.意義と評価」で重複しているので文章として必要かどうかは疑問。それを文章として残すのであれば、「6.意義と評価」の最初の段落で独立させた形で存続させ、その後理由付けとして以下・・・としたほうがわかりやすいものと思われます。

その「6.意義と評価」について1段落目

>平氏政権は階級闘争において打倒されるべき貴族社会の代表とされていたのであり、一方、鎌倉幕府は不労所得階級である貴族社会を打倒する在地領主階級であり、そのような史上画期をなす鎌倉幕府は、平氏政権と全く異質な初めての武家政権と考えられたのである。

の部分や「階級闘争史観」の用語だが、鎌倉政権説を取る説はマルキストであるということでよろしいか。ただしそうではない場合にはそうではないことを明確にした文章に改めるのはどうかと思われます。

>1970年代・1980年代頃から、史料に基づく実証的な研究が進んでいくと

それ以前は史料の曲解が行われていたということか、そのあたりについてもお教え下さい。

とりあえず今日はこの辺で。

--Tamachan21 2005年12月18日 (日) 01:08 (UTC)[返信]

ええと、少しはご自分で関係文献など調べてみられましたか?Tamachan21さんのご質問は、私に訊くべき事ではなく、ご自身で調べられるべき内容です。まずは自分で何十冊も関係書籍を読んでみて、私の書いたことに疑問があれば、その根拠(誰の学説か、どの本に書いてあるのか)を明示された上で、議論を致しましょう。ご参考までに好意によるサービスとして教えて差し上げますと、昔の学界は右・左に関わらずイデオロギーの影響を強く受けており、実証的な研究は今ほど重視されておらず、自分たちの思想的立場を補強することの方が重視される傾向にありました。どちらかというと、日本史学界の主流はマルクス主義でしたので、「鎌倉幕府は貴族階級による支配を大きく変革した革命的な存在だから、非常に高い歴史的な意義があるはずだ。最初の武家政権という画期的な地位は、革命的な存在である鎌倉幕府に与えられるべきだ」という考えが幅をきかせていた訳です。一方、民族主義的な歴史学派にも、日本の民族性を武士に求める考え方が根強くあり、武士が大きく羽ばたく契機となった鎌倉幕府に高い価値を認めたため、その点で左右両派の見解は図らずも一致したのです。左右両派とも、自分たちに都合の良い史料をピックアップして、歴史像を描いていたというわけです。これは近年の自由主義史観およびその対立史観(自虐史観?)に通じるものがありますね。韓国や中国の歴史教育も同様です。自分たちの願望が入り交じった歴史像は、本当の歴史像とは言えません。幸運なことに、現在の史学界の主流は自由主義史観でもその対立史観でもなく、両者とは一線を画した立場(粛々と史料に基づいて実証的に研究を進める立場)ですから、平氏政権=武家政権というフェアな結論を出すことが出来たのです。お判り頂けましたか?--shimoxx 2005年12月18日 (日) 11:10 (UTC)[返信]
それと、冒頭部と「意義と評価」の重複についてですが、冒頭部で平氏政権が最初の武家政権であることに言及する必要があると思います。読者がみんな、文章を最後まで読むとは限りませんし、冒頭部に本文全体のサマリーを書くことはウィキペディアではむしろ推奨されていますので、問題はないはずです。(ご参考→Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部)--shimoxx 2005年12月18日 (日) 11:57 (UTC)[返信]
>Tamachan21さんのご質問は、私に訊くべき事ではなく、ご自身で調べられるべき内容です。まずは自分で何十冊も関係書籍を読んでみて、私の書いたことに疑問があれば、その根拠(誰の学説か、どの本に書いてあるのか)を明示された上で、議論を致しましょう。

おっしゃることは正論ですけれど、普通は素朴な疑問で聞いてきますよ。

>幸運なことに、現在の史学界の主流は自由主義史観でもその対立史観でもなく、両者とは一線を画した立場(粛々と史料に基づいて実証的に研究を進める立場)ですから

「粛々と史料に基づいて実証的に研究を進める立場」というけれど、それだって主観は入るわけだからなあ。と素人ながらに思いますね。まあいずれにせよ

>>平氏政権は階級闘争において打倒されるべき貴族社会の代表とされていたのであり、一方、鎌倉幕府は不労所得階級である貴族社会を打倒する在地領主階級であり、そのような史上画期をなす鎌倉幕府は、平氏政権と全く異質な初めての武家政権と考えられたのである。

だけだと伝わってきませんので

>日本史学界の主流はマルクス主義でしたので、「鎌倉幕府は貴族階級による支配を大きく変革した革命的な存在だから、非常に高い歴史的な意義があるはずだ。最初の武家政権という画期的な地位は、革命的な存在である鎌倉幕府に与えられるべきだ」という考えが幅をきかせていた訳です。一方、民族主義的な歴史学派にも、日本の民族性を武士に求める考え方が根強くあり、武士が大きく羽ばたく契機となった鎌倉幕府に高い価値を認めたため、その点で左右両派の見解は図らずも一致したのです。

ここら辺をうまくまとめてもらえたらありがたいですね。

>冒頭部で平氏政権が最初の武家政権であることに言及する必要があると思います。

じゃあそこの部分を改行しておくことはできませんかね。独立させた形のほうが分かりやすいですからね。--Tamachan21 2005年12月19日 (月) 02:59 (UTC)[返信]

「ここら辺をうまくまとめてもらえたら」とのことですが、この辺りの学説史の流れを取りまとめるだけでも大変な作業になります。できればTamachan21さんにまとめて頂ければよいのですが。現行の記述でもウソは言ってないので、とりあえずこのまま行きましょう。(もしTamachan21さんが必要と思われれば、ご調査をなされて、適宜ご加筆ください。)
「そこの部分を改行しておくことはできませんかね。」につきましては、ご要望にお応えしてみました。改訂案3をご覧ください。
という訳で、既に議論は尽くしましたので、この改訂案3で当面行きたいと思います。どうもTamachan21さん、俊さん、いろいろとありがとうございました。有効なご反論がない限りは、12月22日03:00(UTC)頃に改訂案3へ改稿させて頂きます。その時、このノートも履歴化することにいたします。また検討・議論が必要になれば後世の賢を俟つことにしましょう。それでは。--shimoxx 2005年12月20日 (火) 14:48 (UTC)[返信]
以下無用のことながら、折角Tamachan21さんが言及なさっていますので、自分なりにお答えしてみます。「それだって主観は入るわけだからなあ。」とは、まさにそのとおりでして、完全に主観を排除した歴史学というのはあり得ない訳です。このことについてご関心がありましたら、『歴史とは何か』(岩波新書)をご一読されることをお勧めします。(もしお読みでしたらすみません。)--shimoxx 2005年12月20日 (火) 17:35 (UTC)[返信]

Shimonexxさんの。改訂案3について一部改訂したものを試し書きに記しました。
=意義と評価=についての部分に関して書き直したものを改訂案3に記しました。それについてご意見を賜りたいと思います。特に異存がなければこれで修正させたいと思います。Shimonexxさんのご意見が上手く反映されていないように感じたので修正前を修正後次のようにしました。(斜線部分が修正後の文言)

修正前

平氏政権は、日本史上初の武家政権と考えられている。学界では、以前、平氏政権が貴族社会の中で形成されたことに着目して、武家政権というよりも貴族政権として認識されていた。例えば、貴族社会の官職に依存していること、院政と連携して政策推進を行っていたこと、などがその理由である。そのため、平氏政権は、武士に出自しながら旧来の支配勢力と同質化してしまったと評価されたのに対し、在地領主層である武士階級から構成される鎌倉幕府の画期性が、階級闘争史観の中で高く評価されていた。すなわち、平氏政権は階級闘争において打倒されるべき貴族社会の代表とされていたのであり、一方、鎌倉幕府は不労所得階級である貴族社会を打倒する在地領主階級の代表であり、そうした階級闘争の中で勃興した鎌倉幕府は、平氏政権と全く異質な初めての武家政権と考えられたのである。また、こうした歴史像に基づく記述が、21世紀初頭まで一部の辞書などに残存していた。

修正後

平氏政権は、日本史上初の武家政権と考えられている。学界では、以前、平氏政権が貴族社会の中で形成されたことに着目して、武家政権というよりも貴族政権として認識されていた。例えば、貴族社会の官職に依存していること、院政と連携して政策推進を行っていたこと、などがその理由である。そのため、平氏政権は、武士に出自しながら旧来の支配勢力と同質化してしまったと評価されたのに対し、在地領主層である武士階級から構成される鎌倉幕府の画期性が、階級闘争史観の影響を受け、高く評価されていた。すなわち、平氏政権は階級闘争において打倒されるべき貴族社会の代表とされていたのであり、一方、鎌倉幕府は不労所得階級である貴族社会を打倒する在地領主階級の代表であり、そうした階級闘争の中で勃興した鎌倉幕府は、平氏政権と全く異質な初めての武家政権と考えられていたのである。また階級闘争史観に反する右派の歴史学派においてもまた日本の民族性を武士に求める考え方が根強くあり、武士が大きく羽ばたく契機となった鎌倉幕府に高い価値を認めたために鎌倉幕府の成立をもって武家政権とする見方で対立がなく、こうした歴史像に基づく記述が、21世紀初頭まで一部の辞書などに残存していた。--Tamachan21 2005年12月22日 (木) 13:50 (UTC)[返信]