ノート:山野井昇

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「本文」の編集についての対話[編集]

本文の編集を議論するためのセクションを作りました。自分や他人が編集した内容に関するコメント、意見のある方は、遠慮無くどうぞ。ただし、当然ながら、他人の編集や意見に対しては、如何なる場合でもWikipedia:礼儀を忘れないという姿勢でお願いします。 --Qub 2007年9月2日 (日) 08:20 (UTC)[返信]

Petzさんが2007年9月1日 (土) に追加した内容、「また超科学にも強い関心を持ちサトルエネルギー学会の運営者でもある。」を書き換えました。まず、山野井氏が「超科学に強い関心を持つ」を削除しました。もしこれを書くのであれば、山野井氏が超科学の定義に合致する「もの」に対して「強い関心」を持っていることを示す出典が必要です。これらの提示がない場合、検証可能性がない記述となり、Wikipedia:検証可能性が損なわれます。次に、「サトルエネルギー学会の運営者」という記述です。まず同学会の「副会長」であることは私が出典を示しましたが、「運営者」であることを示す根拠はありません。そこで「副会長」という正しい表記に書き換えました。また、サトルエネルギー学会が「精神性、霊性」を対象の一つにしていることを示す出典を提示した上で、この事実を書き加えました。--Qub 2007年9月2日 (日) 12:14 (UTC)[返信]

Petzさんの編集に対する「要出典」付与について[編集]

Petzさんは 2007年9月3日 (月) 10:40の編集において、『山野井は科学を超えた領域(精神性や霊性)に強い関心を寄せ』と記述されましたが、これに対して要出典を付与しました。理由は以下の通りです。まず、山野井が、「科学を超えた領域(精神性や霊性)を研究テーマの一つとするサトルエネルギー学会」の副会長をしているのは事実です。しかし、「科学を超えた領域(精神性や霊性)」に対して山野井が強い関心を寄せていることを示す事実は、これまでのところ、提示されていません。サトルエネルギー学会はマイナスイオンを研究テーマの一つとしており、マイナスイオンに山野井が強い関心を寄せていることは、山野井自身の著書や活動から明らかですが、山野井が「精神性や霊性」に関する内容を著書で記している、あるいは、講演やテレビ出演等のメディアで山野井が「精神性や霊性」に関してコメントしている、というような事実が出典として提示されなければ、『山野井は科学を超えた領域(精神性や霊性)に強い関心を寄せ』ているという記述には、検証可能性がないものと言わざるを得ません。--Qub 2007年9月9日 (日) 10:33 (UTC)[返信]

山野井昇の履歴が異様なことになっている[編集]

最近の編集で「履歴」の部分、および「履歴の脚注」の部分が異様な状態となっています。

このような異様な例は他の記事ではみたことがありません。

実際のところ、現時点の所属先がわからないというのが本当のところで、間接的な情報をいくらならべたところで真実に到達するわけでもありません。

いったん元に戻して、間接的な情報は、編集者への参考情報ぐらいの意味で、このノートにでも転記しておけばいかがですか?

この記事の状態は酷い。。。マキシー 2007年9月23日 (日) 01:37 (UTC)[返信]

問題箇所を一旦コメントアウトいたしました。マキシー 2007年9月23日 (日) 01:41 (UTC)[返信]

ウィキペディア執筆の基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。この場合、信頼できる情報源を示さなければなりませんが、私が提示した情報源は、学会、社団法人、独立行政法人が公式に公開している最新の名簿情報であり、信頼性に乏しい情報源あるいは自主公表された情報源には当たらないと思います。信頼できる情報源を欠く編集は除去されるのもやむを得ませんが、情報源の提示された編集は検証可能性を満たす、意味のあるものであり、意味のある記述の削除は推奨されません。私が提示した情報源が「信頼性に乏しい」とするのであれば、その理由を教えてください。あるいはWikipediaのガイドライン等に「間接的な情報源は信頼性に乏しい」等の記述があるのであれば、教えて下しい。なお、定年退職等に関した「〜の可能性がある」等の記述は、もともとは2007年9月17日 (月) 17:37のマキシーさんの「すでに退職している可能性がある」という編集から続いていますが、一連の「可能性がある」という(出典を伴わない)編集は独自研究に類するものであり、「可能性」の記述部分を削除することには合意ですので、この部分については削除しました。--Qub 2007年9月23日 (日) 03:19 (UTC)[返信]

ウィキペディア執筆の基準は「真実である必要は無い」とはどこにも書かれていません。 そのあたりを勘違いしているようです。

山野井昇氏が現在引退していない限りは、どこかに所属しているはずであって、「真実」は存在する、ただそれが公開情報でみつけにくい、ただそれだけでしょう。

マキシー 2007年9月23日 (日) 09:37 (UTC)[返信]

私は、「真実である必要は無い」とは言っていません。「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」というWikipediaの基準を改めてここで言っているのです。ここに、真実である必要は無いという主張は一切含まれません。ですから、出典さえあれば良いと言っているのではありません。Wikipediaでは、例え出典があっても、その信頼性が乏しい場合には、削除されてもやむを得ない、としています。「19年現在、山野井の所属は東大である」を示す4件の出典は、Wikipediaが提示している信頼性に乏しい情報源あるいは自主公表された情報源には当たりません。すなわち、信頼性に乏しいとは言えない出典を提示した上での記述であり、検証可能性は満たされています。しかし、確かに、「19年現在、山野井の所属は東大である」という内容が事実であるとは(間接的な出典だけでは)言えません。こういう表現は不適切だと思いますので、こういう編集は控えましょう。しかし、「〜には、19年現在の山野井の所属が東大だとの記述がある」は紛れもない事実ですから、これは残されるべきであり、一つの情報として意味のある記述です。意味のある記述の削除は推奨されません。--Qub 2007年9月29日 (土) 15:35 (UTC)[返信]

検証してみました。東京大学が運営するweb内のサービスです。

東京大学研究者紹介(氏名による検索)

山野井は検索ヒットしません。 したがって、公式サイトにて検証した結果は「山野井は現在は東大には在職していない」です。

屁理屈を述べるのはご自由ですが、公式サイトの結果を否定するのでしょうか? マキシー 2007年9月29日 (土) 20:03 (UTC)[返信]

その公式サイトは、「研究者紹介」です。つまり、教授、助教授(准教授)、講師、助手(助教)だけが対象であり、技官、教務職員等の研究者ではない職員は含まれません。山野井が東大に所属しているとしても、山野井が助手以上の研究者でない限り、そのサイトに名前が出ることはないのです。山野井の名前がヒットしなかったということは、山野井が助手以上の研究者の職としては東大に在籍していないことを示しているに過ぎません。実際、2006年12月14日現在で東大医科学研究所コアラボラトリに所属する教務職員もこのサイトには名前がありませんし、そもそも、「所属名による検索」をクリックしても、助手以上の研究者名しかないことが分かります。さらに言えば、そのサイト内の情報は最新のものではありません。なぜならば職名に「助教授」の人が入っているからです。もし最新のデータであれば、助教授という職名の研究者は存在しません(准教授でなければなりません)。加えて、そのサイトの情報は完全なものではありません。なぜなら、「注)現在登録準備中の教官もいます。」という注意が書かれているからです。言い換えると、東大の教官であっても名前が載っていない人がいるということです。なお、「屁理屈」とは、「道理に合わない理屈」という意味です。私の主張は、Wikipediaの明文化されたガイドラインや方針に基づいたものであり、それを道理に合わないと主張されるのであれば、私の主張のどの部分がどういう道理に合っていないのかを具体的に指摘して下さい。--Qub 2007年9月30日 (日) 01:11 (UTC)[返信]
その「研究者紹介」サイトで全文検索した結果です。教授→1182件、助教授→826件、准教授→0件、講師→209件、助手→1081件、技官→0件、教務職員→0件、技術職員→0件、事務系職員→0件、技術系職員→0件、医療系職員→0件、その他職員→0件となりました。助手以上の研究者のみの紹介サイトであることは明らかです。一方、2006年5月1日現在の東大の職員数を見ると、教授1250名、助教授915名、講師264名、助手1525名、教務職員1名、事務系職員1445名、技術系職員692名、医療系職員1160名、その他職員24名であり、助手以上の研究者であっても、このサイトに登録されていない教授、助教授、助手等が多く存在することも明らかです。--Qub 2007年9月30日 (日) 03:21 (UTC)[返信]
もう一点。私は「山野井が東大に所属していない」という事を否定していません。「山野井が東大に所属するという情報が存在する」という事実を、出典を明示して示しているのです。「意見」は事実の記述ではありませんが、「誰かの意見として提示すること」が事実の記述であることは、Wikipediaのガイドラインに書かれています(Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな)。--Qub 2007年9月30日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

つまり、Qubさんの主張は、山野井昇は、過去も現在も東大の「研究者」であったことはないと言いたいわけですね。

すなわち、なにか事務員的な職種には就いていたのかもしれないが、「研究者」ではないと。 その主張が正しいのならば、記事の本文の記述も再考しなければならないようです。マキシー 2007年9月30日 (日) 08:58 (UTC)[返信]

私は、山野井氏が東大に所属する(一般的意味での)研究者ではないとは主張してません。大学に所属し、研究する者であれば、「一般的な意味での研究者」と言えますから、山野井氏のこれまでの活動を見れば、東大に所属するorかつて所属した(一般的意味での)研究者と言えるでしょう(博士課程の学生であっても学会では研究者として扱われます)。私は、「東大の研究者紹介サイトに山野井昇の名前がない事が、山野井昇が東大に在職していない証拠にはならない」と主張したのです。これが「私の主張」です。--Qub 2007年10月8日 (月) 10:57 (UTC)[返信]
なお、東大の研究者紹介サイトで紹介される研究者の職種の話の中で、「技官、教務職員等の研究者ではない職員」と書きましたが、ここで用いた「研究者」とは、大学内の職種としての(狭義の)「研究者」の意味です。「一般的な意味での(広義の)研究者=研究をする者」とは違います。大学の職種として研究者と見なされるのは、助教(旧助手)以上です。助教以上の教員には研究費が支給され、大抵の大学では研究業績報告等の義務がありますが、技官には研究費の支給はなく、業績報告等の義務もありません。これは、大学においては技官が研究者として扱われていないからです。教務職員は、教官ではなく技官であると規定されています(出典)。山野井氏についても、教務職員という公式情報だけでなく、技官である(2001年7月17日現在)との公式情報があります。--Qub 2007年10月8日 (月) 10:57 (UTC)[返信]
教務職員という職種は、教官の都合による技術者や秘書の採用(広義の研究者でもない)にも使われる一方で、博士課程修了者のポスドクとしての採用にも使われることがあり(教務職員制度の歴史)、特に後者の場合は広義の研究者であるにもかかわらず、大学内ではあくまでも「技官」扱いということになります。教務職員から助手、助教授と昇格する例は見られます(1995-99教務職員、99-助手という例、1970-73教務職員、73-92助手という例など)。なお、電通大の研究者紹介には、数名の教務職員が含まれています。東北大の研究者紹介には、教務職員は含まれません。名大の教員情報検索には、教務職員が含まれます。九大の研究者情報検索には、教務職員の選択がありません(准助教という職以上を選択可能)。京都大学の研究者総覧には、教務職員は含まれません。東大の研究者紹介には、前述のように教務職員は含まれません。私はこのノートページで、教務職員を(狭義の)研究者ではないと書きましたが、研究者紹介の対象にしている大学もあり、教務職員を「研究者」の範疇に含めるかどうかは、大学によって対応が異なることがわかります。研究者紹介に教務職員のデータが無い大学の場合、教務職員が一人も在籍していない可能性も考えられるので、そういう大学で必ずしも教務職員を研究者の範疇から除外しているとは断定できませんね。教務職員という職種でも、広義の研究者に当てはまる方であれば、研究者として扱う大学もあると思いますので、全ての教務職員が大学内において研究者として扱われないわけではない、に訂正しておきます。--Qub 2007年10月8日 (月) 10:57 (UTC)[返信]

わかりました、山野井氏は事務員ではなく、「技官である(2001年7月17日現在)との公式情報があります」ということですね。

技官には研究費の支給はなく、業績報告等の義務もありません。これは、大学においては技官が研究者として扱われていないからです」 - 分かりやすい解説です。

マキシー 2007年10月8日 (月) 19:07 (UTC)[返信]