ノート:展覧会の絵

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[1]で追加された作品の内容と補足の部分が、[2]と文章の語尾の部分を除いてほとんど同じです。Goki 2004年8月21日 (土) 14:18 (UTC)[返信]

要出典[編集]

「原典版(自筆譜)」の節のガルトマンとの絡みの辺りで「はずである」、「違いない」、「思われる」などと客観性に欠ける記述が並んでいます。できれば出典が欲しいところです。少なくとも一般的に言われていることなのでしょうか。--Daddy t3 2006年10月6日 (金) 23:27 (UTC)[返信]

ムソルグスキーとハルトマンの交友関係はあまりくわしく記録されていません。アビゾワの評伝などでも1頁に満たない程度です。また、手紙なども特に残っていないようです。しかし、遺作展に出品された400点もの中から、どうしてこの10枚(厳密には11枚)が選ばれたのか、というと、それは在りし日のハルトマンとの会話で話題になったことがあったからだと思われます。二人が出会った1870年は、ハルトマンが4年間のヨーロッパ留学から帰国して2年足らずの時期。ムソルグスキーの「展覧会の絵」にリモージュやテュイルリーなどがあり、そのにぎやかな喧噪が見事に音楽で表現されているのは、ハルトマンからその様子を克明に聴いていたからだと思います。ムソルグスキー自身は国外に出たことが一切ないのですから、絵の標題だけからイメージするには無理があると思われるのです。
「はずである」、「違いない」、「思われる」といった表現をできれば避けるのは順当でしょう。しかし、それなりの根拠があって、書いておりました。できれば、性急に削除するのではなく、表現を変えるとか、文章を加えるようなポジティブな方向性で修正がなされることを求めます。また、出典が欲しいといわれていますが、出典さえあればOKという問題でもないと思います。さまざまな状況から考えての推論でした。しかし、wikiに不向きな文章であったのでしょう。今更の復元は求めません。ただ、即座に消去するに足るはっきりとした否定的な根拠があったのでしたら、是非、ご呈示ください。--休八 2006年11月19日 (日) 13:34 (UTC)[返信]
基本的にはそれなりの出典さえあれば、Wikipediaにその旨の記述を行うことは可能です。休八さんの「推論」は尤もだとは思いますが、やはり「推論」ですので書くべきではないと判断しました。表現を変えようとも思ったのですが、結局は削除を選びました。性急でしたか? 3日お待ちしたのでしたが、性急とお感じになられたのでしたら、ごめんなさい。なお否定的な根拠は持っておりません。--Daddy t3 2006年11月19日 (日) 21:59 (UTC)[返信]

ハルトマンかガルトマンか[編集]

ヴィクトル・ハルトマン」の項目でもとりあげられている論議ですが、とりあえず、現時点では、ヴィクトル・ハルトマンが項目名となっており、ガルトマンはエイリアス(別名)扱いですので、本項目「展覧会の絵」においても、当初の記載通り、ハルトマンとすることを求めます。いかがでしょうか?? --休八 2006年11月19日 (日) 13:39 (UTC)[返信]

楽器編成[編集]

編曲が多すぎて一つ一つの編成を書いていられないのは分かります。でも、参考までにラヴェル版の楽器編成位は載せてあっても良いと思います。生意気なことを言うようですかどうかご検討くださいませ。--クラリネット吹き 2008年1月11日 (金) 07:16 (UTC)[返信]

ラヴェル版編曲を載せておきました。--クラリネット吹き 2008年2月22日 (金) 02:57 (UTC)[返信]

疑問点[編集]

ラヴェル版の構成の位置づけについて[編集]

展覧会の絵#組曲の構成に、ラヴェル版は…(中略)…15曲で、これにならった版も多いとの記述がありますが、この表記について2つの疑問があります。

  1. 15曲版はラヴェル版が起源なのでしょうか。他に15曲版があり、ラヴェルがそれを元に編曲した結果15曲になったという可能性はないのですか。
    もしラヴェル版が起源だという根拠がないのであれば、これにならった版も多いというのは不適当ではないでしょうか。「ラヴェル版⇒15曲」というのは紛れもない事実ですし、以降に編曲された15曲版がラヴェルの影響を受けている可能性は高いと思いますが、「15曲版⇒ラヴェルにならった」とは定義できない可能性があります。
  2. 15曲版が「多い」とする根拠はありますか。
    もし根拠が薄いのであれば、「これにならった版もある」という程度の表記にとどめるべきではないでしょうか。

何れも反証があるわけではありません(私自身もどちらが真実かは分かりません)が、百科事典の記事という位置づけをかんがみ、正確を期すために問題提起させていただきました。--M.F 2008年9月16日 (火) 03:11 (UTC)[返信]

ラヴェル版はリムスキー=コルサコフ版をベースに編曲されましたが、リムスキー=コルサコフ版では第5プロムナードがちゃんとありまして、第5プロムナードを削る(16曲→15曲)のはラヴェルが初めて行ったものです。また、15曲版が多いのは事実です。原典版としながら、第5プロムナードを削るピアノ演奏が一時期はやりましたし、吹奏楽版や器楽曲版などでも、事例はたくさんあります(くわしくは、私のサイト「展覧会の絵の展覧会」をご参照ください)。したがって、この記載に間違いはないように思われます。--休八 2009年3月20日 (金) 21:51 (UTC)[返信]
休八さんのサイト、拝見しました。特に、「校訂・改訂・編曲の流れ」はよく整理されていて勉強になります。
しかしながら、Wikipediaでは「Wikipedia:検証可能性」にあるように、記述が合っているかどうかという主観による判断ではなく、その情報の出典が明確であることが重要です。
上記の点について、休八さんがサイトを作成する時に参考にされた資料などはありますでしょうか。出典が確認できれば、この問題は解決すると思います。--M.F 2009年3月23日 (月) 17:10 (UTC)[返信]
私の記述は、楽曲そのものを聴いて、比較したものです。たとえば、どの楽曲、楽節を省略しているか、ドレシシかドレドシか(サミュエルとゴールドベルクの終わり方)、強奏か弱奏か(ビドロの冒頭など)などは、主観を交えずに判断できるものであり、管弦楽曲や吹奏楽ならば、楽器編成などから、各編曲のつながりを知ることができます。従って、出典をのべよといわれたら、それぞれの楽曲や演奏が出典ということになります。どうしても出典をということになりますと拙著の「クラシックCD異稿・編曲のよろこび」(青弓社 2007)としてもよいのですが、1次出典としては、楽曲や演奏というべきかと思い、出典記載を控えておりました。--休八会話2012年8月19日 (日) 05:15 (UTC)[返信]
ところで、出典という場合、文献のみを指すのでしょうか。また、どこまで出典を求められるものなのでしょうか。たとえばスポーツの試合の経過や結果についての記載があったとしても、出典は求められないように思います。よほど昔の試合であれば別ですが、多くの場合、試合そのものが記載の元情報だからです。そして、このことは、音楽や絵画などにもあてはまると思います。実際にその試合を見た者、その演奏を聴いた者、絵を見た者が客観的なことを書いているかぎり、出典は不要だと思いますし、そこに出典を求められるとかえって奇妙な気がします。演奏そのものよりもそれを紹介する記事などを優先するかのような状況になりかねないからです。返答遅くなりましたのは、この奇妙な感じをうまく伝えられなくて、だったのですが。M.F. さん、いかがでしょうか。--休八会話2012年8月19日 (日) 05:15 (UTC)[返信]
この「展覧会の絵」の項目は、私のHP「"展覧会の絵"の展覧会」のさまざまな記述を移植しながら、私が補筆しました(2006年7月から。変更履歴の最古のページをご覧ください。)。その後、多くの方々に手を加えられましたが、いまだに多くの部分で共通性があります。しかし、このような経緯ですので、双方に著作権の侵害はないものと考えています。これもご了解ください。--休八会話2012年8月19日 (日) 05:15 (UTC)[返信]
まず、自分が楽曲を聴いたり、楽譜を読んだりして感じたこと、気が付いたこと、判断したことについては、「独自研究」に当たりますので、Wikipediaには掲載できません。詳しくはWikipedia:独自研究は載せないをお読みください。
楽譜(一次資料)が出典として利用できるのは、楽譜から解釈なしで読み取れる事実を記述する場合のみです。たとえば、「4小節目は全パートが休符になっている」や「×小節目から説明が書かれている」や「ラヴェル編曲版は15曲である」などというものです。「×小節目の×番目の音が、××社のピアノスコアではシであるのに対し、ラヴェル編曲版ではドになっている」というのも問題ないでしょう。
しかし、たとえばリムスキー=コルサコフ編曲版のスコアや原曲のピアノスコアと、ラヴェル編曲版のスコアを比較した上で、「×小節目の×番目の音をドに変更したのはラヴェルが最初である」というのは、独自の解釈です。この2つのスコアを比較しただけでは、ラヴェルがリムスキー=コルサコフ編曲版を基に編曲したのかどうか、あるいはそれ以外の版のスコアを一切参考にしていないのかどうかがわからないからです。これを記述することができるのは、専門家が具体的に「この変更はラヴェルが初めて行ったものである」と査読済み論文などで発表しており、その記事を出典とした場合に限られます(どのような資料が出典と認められるかは、Wikipedia:検証可能性をお読みください。重要なのは、その記述が「査読」を受けていることです)。「これに倣った版も多い」というのも、多いかどうかというのは独自の解釈になりますので、専門家の発表済みの出典がない限りは記述できません。つまり、Wikipediaの編集者が独自の判断や解釈を掲載してはいけないということです。
なお、例として挙げられたスポーツの試合の経過や結果については、それを記述した新聞記事などが出典として挙げられていない限りはWikipedia:検証可能性を満たしていませんので、その記述が除去されても文句は言えません(これは私の意見ではなく、Wikipediaの方針です)。
あと、Wikipedia:独自研究は載せないにもありますが、これは決して休八さんの見解の価値を否定するものではありません。ただ、査読を受けていない見解を掲載するのは、Wikipediaの方針に反することだというだけです。--M.F会話2012年8月19日 (日) 18:49 (UTC)[返信]

明確な結論は出ていないようなので、「ならった」という記述から因果関係をボカした記述に変更しました。 --Kto2038会話2021年12月12日 (日) 10:31 (UTC)[返信]

終曲のタイトル[編集]

記事中に「キーウの大門(大きな門)」という表記が複数ありますが、この変更に関する合意等は得られているのでしょうか? ノート:キーウによれば、「キエフ」から「キーウ」への機械的変更をするべきではないものとして「文学や芸術の創作物で言及された地名は、原作者、出版社、創作者などによる変更が確認されない限り、差し替えをしない。」があげられていおます。--PuzzleBachelor会話2022年7月24日 (日) 06:40 (UTC)[返信]

特に合意などはない書き換えだと思われます。ムソルグスキーはロシア人でありロシア語でタイトルを書いたのでウクライナ語由来の「キーウ」への変更には違和感を覚えなくもありません。--Gruppetto会話2022年7月24日 (日) 07:32 (UTC)[返信]
こちらについてですが、私は「キーウの大門」に置き換えるか、スメタナ作曲「我が祖国」のヴァルダヴァの表記「第2曲『ヴルタヴァ』(モルダウ、バルタバ)」などのようにどちらも併記するのが適当ではないかと考えています。
私の観察で恐縮なのですが、2022年3月以来の演奏会や放送などでは「キーウの大門」や「キーウの大門(キエフ)」(NHKなど)といった表記を見る機会の方が多いように思います。
ロシア芸術であることについてですが、「キーウの大門」を「大門」まで含めて丸ごとロシア語読みしている、などではなく、単に物理的にキーウにある大門を指しているだけの曲題であることを考えると、ムソルグスキーがロシア語で書いたからといってわざわざ地名だけロシア語を経由する必要はないのではないかと個人的には思っています。
みなさんはどのようにお考えでしょうか。--Nobimarot1会話2022年11月15日 (火) 04:43 (UTC)[返信]
ヴルタヴァ」はスメタナがチェコ人なのですからチェコ語「ヴルタヴァ」で妥当でしょう。しかし「ヴェニスの商人」は現地のイタリア語では「ヴェネツィア」ですがイングランド人のシェイクスピア作なので英語読みの「ヴェニス」になっていますね。ムソルグスキーはロシア人でありロシア語でタイトルを書いたことを考えるとせいぜい「キエフ(キーウ)の大門」あたりが妥当ではないでしょうか。--Gruppetto会話2022年11月16日 (水) 19:19 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。たしかに「ヴェニスの商人」のことをなど考えると、地名だけロシア語読みはおかしいという論は的を得ていないのかもしれません。
これは直接は関係がない話かもしれませんが、ムソルグスキーはもともと「ボガティーリ門」と書いていたようです。ハルトマンの絵にはロシア語で「キエフ」と書かれています。フランス語のタイトルはリムスキー=コルサコフが付けたもののようです。
毎回「キエフ(キーウ)の大門」と書くのも重い気がしますので、これからの楽譜の出版などにもよるかと思いますがひとまずは「組曲の構成」の表の部分だけ「キエフ(キーウ)の大門」として、残りはそのまま「キエフの大門」としておく、というのでどうでしょうか。--Nobimarot1会話2022年11月17日 (木) 09:47 (UTC)[返信]
そうですね、とりあえず今のところはそれが良いと思います。--Gruppetto会話2022年11月18日 (金) 07:53 (UTC)[返信]