ノート:尾高朝雄

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『法の究極にあるもの』(「究極」はたぶん「窮極」の誤り)で尾高が八月革命説を批判してノモス主権論を提唱したというような記述がありますが、同書にはそのような記述はないので、おそらく『法の窮極にあるものについての再論』のことではないかと思います。

その点はともかくとして、そもそも尾高は八月革命説に対する批判はしていません。初めてノモス主権論が出てくるのは『国民主権と天皇制』(1947年)に掲載された論文ですが、これを読む限り、八月革命説に対してはむしろ好意的であり批判していません。その後の論争についても一通り論文を読んでみましたが、尾高が八月革命説を批判した文献は見当たりません。

もっとも、長谷部恭男の著書を読むと、八月革命説とノモス主権論とは対立する見解であるかのような記述があります。しかし、他の本を読む限り、そのような捉え方をしているものは見当たらず、別の地平に属する議論として考えるのが一般的と思われます。Woodport 2005年12月1日 (木) 14:41 (UTC)[返信]

生まれた場所は何処かなあ[編集]

最初に「...日本統治下にあった朝鮮の釜山府生まれ」とありましたが、 人物の項は「..三男として東京市根岸に生まれる」となっています。 うーーん そこで『朝日人物事典』を見ますと 「ソウル生まれ」 ありゃりゃ。 もう一度本棚をゴソゴソして『コンサイス日本人名事典』を引いてみますと 出生地は「埼玉県」ですと.... これによりますと、兄の豊作は「埼玉県」で弟の尚忠は「東京」となっていますが、 もう一度『朝日人物事典』を見ますと、兄の豊作は「秋田県」で弟の 尚忠、邦雄は「東京」と載っています。  .... 著者略歴があった『法哲学』(けいそう書房)には「 1899年 朝鮮釜山に生る」とありました。--中居町民 2009年6月14日 (日) 13:29 (UTC)[返信]