ノート:小松清廉

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通称?[編集]

「日本の名家・名門人物総覧」と「皇族・華族古写真帖」ではこの人物の事を「小松清廉」とし、清廉の孫の帯刀が伯爵を授爵しています。もちろん清廉も帯刀と称したのでしょうが、桂小五郎や大久保一蔵みたいな名前なのかなぁと思う次第です。この記事名のままで大丈夫?もっともgoogleの検索では小松帯刀と言えば圧倒的に祖父帯刀の事で、孫帯刀の記述を探すのは難しいですね。--代言人(!) 2006年3月14日 (火) 10:09 (UTC)[返信]

死と家督の文[編集]

「36歳の若さで病死した。家督は~」の部分で、病死と家督の話が前後していないか。版籍奉還、家督、病死の時系列を整理されたい。-218.110.120.129 2008年9月14日 (日) 11:36 (UTC)[返信]


禁門の変(蛤御門の変)[編集]

禁門の変の後始末として、長州が退却時に残していった兵糧米等を、小松の指揮のもと焼け出された京都の人々へ振舞われ、京都の人々は非常に有り難がった、という記述は不要でしょうか?--櫻井 2008年12月7日 (日) 19:35 (UTC)[返信]