ノート:小山岩治郎

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小山岩治郎について[編集]

『原色浮世絵大百科事典』第二巻110頁には「岩次郎」として名が出ていますが、「岩次郎」とは佐久間象山による表記で、「岩治郎」が本来のようです。また絵についても「為斎に師事」とのみあるが、「北斎最晩年 ―小布施北斎の周辺―(三)」によればお栄(応為)からも絵手本を貰っている。没年も『原色浮世絵大百科事典』では不明。『原色浮世絵大百科事典』の記述は正確とは言い難いところがあり、よって参考文献として用いるべきはないと考えます。「北斎最晩年 ―小布施北斎の周辺―(三)」と「長野県小布施町小山洋史家文書」を見るに、小山岩治郎とは「信州小布施にいた絵を趣味とする文化人」というほどの人物で、「絵師」とはいえないようです。なお小山岩治郎(岩次郎)については「葛飾派門人録(未定稿)」にも名がありますが[1]、『原色浮世絵大百科事典』の記述と同内容、執筆者はいずれも永田生慈です。--ものぐさたろう会話2020年12月14日 (月) 00:38 (UTC)[返信]