ノート:寛朝

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改名提案[編集]

本ページ「寛朝僧正」を「寛朝」に改名することを提案します。理由は以下のとおりです。

  • 既存の人名辞典、仏教辞典等ではいずれも「寛朝」を見出し語としています。日本史研究の基本資料である『国史大辞典』(吉川弘文館)のほか、『総合佛教大辞典』(法蔵館)、『日本仏教史辞典』(今泉淑夫編、吉川弘文館)、講談社『日本人名大辞典』、『新潮日本人名辞典』でも「寛朝」を見出し語としており、「寛朝僧正」を見出し語としている辞典・事典は未見です。「信頼できる情報源から検証可能な情報を記載する」というウィキペディアの基本方針からいって、既存の事典・辞典類がいずれも見出し語としていない「寛朝僧正」を項目名とすることは適切でないように思いますがいかがでしょうか。
  • Category:日本の僧を見ると、1,000以上の項目がありますが、項目名に「僧正」「僧都」「律師」などを含めているのは「寛朝僧正」のみです(2008年4月24日現在)。歌仙として著名な僧正遍昭の項目名も「遍昭」となっています。「寛朝僧正」のみを例外として「僧正」を付す積極的理由があるとは思えません。--Urania 2008年4月24日 (木) 15:17 (UTC)[返信]
  • 寛朝僧正は祖父である宇多法皇の直弟子だそうですから、源経基などという連中とは生まれつき資質が違うということは明らかで、系譜からして朱雀天皇にすれば頼り甲斐のある従兄なはずですから、少なくとも首の伝説と同列ではないでしょう。
  • そういうお方が坂東に行ったという史実があり、ただおがみに行ったわけではないでしょうから、例えば「藤原氏の専横に不満を持っていた在地勢力も、寛朝僧正の説得に応じ、急進的過ぎる将門は孤立した」というような説を唱える研究者はいないのでしょうか?
  • 確かに、勇ましくもなければおぞましくもないのですが。--59.85.133.10 2009年6月6日 (土) 03:53 (UTC)[返信]