ノート:富田メモ

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メモの文章そのものは載せていません。引用として載せてしまってもいいと思うのですが、念のため。--mochi 2006年9月11日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

丸々書く場合はウィキソースで書いたほうがいいと思います。--経済準学士 2006年9月11日 (月) 13:37 (UTC)[返信]

2006年10月21日 (土) 20:09 61.200.119.68 の編集は主観的な表現になっていますのでコメントアウトしました。
前段については飛躍しすぎです。現在の昭和天皇像は平和主義者としての一面も含めて、膨大な史料の裏付けによって形成されています。問題の御発言が事実でなかったとしても、昭和天皇像がかわるほどの影響力はありません。捏造説を採用すると平和主義者としての一面が否定されると、考える人が存在する可能性はありますが、誰の主張なのかがもう少し具体的に分かるように記述する必要があります。少なくとも、後段において、参拝賛成派(の大多数が)が難しい評価を与えているように読めるのは問題です。
また、賛成派でメモが本物だと判断する理由の大半は、別のところにあるのではないでしょうか。Yhiroyuki 2006年10月27日 (金) 15:08 (UTC)[返信]
「富田メモ報道の信憑性」について。
この信憑性を疑う声はネットや一部のマスコミでは出ましたが、近代史を扱う研究者の間で特に論争が起こったわけではないようです。また、「天皇が自身の参拝を「参拝」と言っているのはおかしい(正しくは「参拝」とは言わず「親拝」という)」という部分ですが、天皇自身が「親拝」と表現することが「正しい」という主張が専門家によってなされたことはないようですし、『昭和天皇独白録』では天皇自身が靖国神社について「参拝」という単語を使っています。現時点では「正しい」とする意見に客観性がないと判断し、「信憑性を疑う声」の私見だということを明確にする内容に改めました。--大貫99 2007年4月26日 (木) 03:12 (UTC)[返信]

2007年4月29日 (日) 4:30 の編集[編集]

荒らしでもないのにいきなりの除去はやめて。お願いいたします。編集合戦になるようなことはやめましょうよ。ガイドラインではまずは出典要請して、しばらくしてから除去やコメントアウトすることになってます。そうしてください。除去やコメントアウトはむやみに使うべきではないのですよ。--Phew 2007年4月28日 (土) 20:19 (UTC)[返信]

中立性・正確性について[編集]

熱くなりやすい問題だけに、中立的かつ正確な記述を求めたい。 偏向した編集がされがちである。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 19:13 (UTC)[返信]

文芸春秋等での半藤や秦の意見までバッサリと削除される貴方の手法こそ中立性の放棄に他ならないと思いますけどね。出典を明示のうえで戻させていただきます。逆にメモ内容の別解釈や捏造否定派の出典を求めます。--Miwa.SS 2007年4月29日 (日) 23:14 (UTC)[返信]
作為的であると判断したので削除しましたが、いささか乱暴なやり方であったようです。別解釈を発見したら、記述を追加しこちらでも報告しましょう。ご指摘ありがとうございます。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 16:36 (UTC)[返信]
個人の感想を記述するのはおやめください。日経の検証発表は2007年5月1日なのにもう「しかし」以降の具体的な評価がそれに対して行われたとは思われない。--Miwa.SS 2007年5月1日 (火) 00:01 (UTC)[返信]
遠野能史 さん、あなたのフィーリングを根拠に編集するのはやめてください。自分は客観的だと思ってもそうはならないのが普通です。主観になってしまうのです。みんなそうなんです。だから方針文書に従って行動するようにいわれてるのです。それが客観性を維持する方法なんです。記事富田朝彦のほうもそうですがちゃんとやってください。出典テンプレートはむやみにはがさないでください。客観的事実だと思ってもノートで合意をとってから除去してください。--Phew 2007年5月1日 (火) 13:27 (UTC)[返信]

中立性のテンプレートはがしてよいですね?--Phew 2007年6月2日 (土) 06:28 (UTC)[返信]

完全な偏向編集では?[編集]

遠野能史 さんは

側近の氏名を挙げられたし。コメントアウト

という理由で私が書いた

昭和天皇元側近らが「陛下は、合祀を聞いた時点で参拝をやめるご意向を示めされていた」と証言した。

を2回もコメントアウトし、今でもぐちゅぐちゅ利用者‐会話:霧木諒二で述べてるのですが、遠野能史 さんは

また政府筋の「手帳のあのページ(いわゆる富田メモ該当部分)だけ紙が貼り付けてあるという。メモ(の実物)を宮内庁で見た人はいない。本当に昭和天皇が言ったかどうか分からない」との指摘を報じた。

という記事を2007-05-01T05:05:05の版で書いてるではないですか?政府筋の氏名を挙げてないではないですか?いったいどうゆうことですか?--Phew 2007年5月1日 (火) 12:45 (UTC)[返信]

最初は可能と考えたが、2度目のコメントアウトに際して私はそれは困難だと判断したので、少なくとも重臣か近臣か、というところまで最低ラインを下げている。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2&oldid=12244416

を参照されたし。その二度目のコメントを踏まえて、政府筋、を書き込んだ。それ以上のことはない。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 17:55 (UTC)[返信]
2007-05-01T05:05:05の版でもそれなら名前を調べるべきだろう。とコメントしてるじゃない。それに「政府筋」と「側近」で詳細さがそんなに変わるとは思えないが。いずれにしろ、今後はこのような勝手にまたは自称「客観的」に基準を決めての除去はやめていただけないでしょうか?「除去によって記述が発展する」というような考えはウィキペディアではとられていない。持論をもとに除去をおこなうのはやめて欲しい。記述を発展させたいなら、「加筆依頼」を出すべきです。--Phew 2007年5月2日 (水) 16:04 (UTC)[返信]

出典の明記テンプレート[編集]

テンプレートがはられましたが、どの記載への出典要請でしょうか?--Phew 2007年4月30日 (月) 15:10 (UTC)[返信]

秦氏の発言関連[編集]

1988年4月28日はまさに富田メモの記述された日であり

は報道にもあった言葉でしょうか?あったのなら、復活させるべきかと思います。--Phew 2007年4月30日 (月) 15:10 (UTC)[返信]

論議の余地なく

は報道にもあった言葉でしょうか?あったのなら、復活させるべきかと思います。--Phew 2007年4月30日 (月) 17:27 (UTC)[返信]

富田メモの信憑性を疑う議論は[編集]

また、近代史を扱う研究者の間で、富田メモの信憑性を疑う議論は現在のところ確認されていない。

この記述は載せるべきかと思いますがみなさんどうでしょう?--Phew 2007年4月30日 (月) 18:27 (UTC)[返信]

遠野さん=222.2.211.17、多重アカウントによる多数派偽装工作疑惑?[編集]

IP:222.2.211.17会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois遠野能史 さんの多重アカウントですね。どこかで公開してるようですが、私もどこで公開してるのか知らないし、知らない人には多数派偽装工作に見えるので同じ記事での投稿はやめていただけないでしょうか?やるにしても要約蘭に常に「遠野」とでも書いていただけないでしょうか?非常に不愉快なんですが皆さん知ってました?--Phew 2007年5月1日 (火) 12:30 (UTC)[返信]

多重アカウントではなく、アカウントを名乗る前のIPがそれなのだが。私の利用者ページに公開したので、参照されたし。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 16:56 (UTC)[返信]

産経新聞の報道に関して[編集]

最後の参拝から合祀まで三年あることなどを因果関係の曖昧、と書いていますが もともと参拝ごとに2-6年の間隔があいているようなのでこれはおかしい議論なわけです。それを追記したのですが、天皇の全ての参拝の日時がどうか、ということがネット上からでは厳密に確認できなかったので(神社の公式ページになくてwikipediaには載っているものがある)表現をwikiによると...と抑えておきます.どなたか追記をお願いします --210.139.122.66 2007年7月4日 (水) 18:28 (UTC)[返信]

  • なぜ特定の事件と事件の間隔なのに「2-6年の間隔」と幅があるのか謎
  • 「三年」は「2-6年」に含まれるのに何がおかしいのか謎
  • 言いたいことが不明
  • 靖国神社問題は保護中なので現在の記述内容が正しいとは限らない
  • 靖国神社問題のどこにそのことが書いてあるのか不明
  • 出典がない
と何重にも問題があるので除去します。--Phew 2007年7月5日 (木) 15:50 (UTC)[返信]

産経の引用部分だとなぜ最後の参拝から合祀まで三年開いたのか、という疑問 があったと読めるのでそのくらいの間隔はもともとあるとしたら必要な情報だと いえます。正式な出典を明記できるならば必要な情報であることにはみなさん同意していただけますか?--KyoKawasumi 2007年7月6日 (金) 13:10 (UTC) 今度調べてきますので(すぐわかることでしょうし--KyoKawasumi 2007年7月6日 (金) 13:35 (UTC)[返信]

そうゆう疑問は産経新聞にも一般にも無いと思われます。必要な情報ではないでしょう。誤解がないよう、変えてみました。--Phew 2007年7月6日 (金) 13:58 (UTC)[返信]

僕ははじめ誤解していたようなのですが産経の記事の意図としては 最後の参拝から三年のブランクがある→合祀原因説に不利(下のブログのように)かつ最後の参拝に時期的に近い公人私人が原因説に有利→曖昧になっていた、ということでしょうか?

であれば、少々わかりにくく、それ以前の両説の対立を知っていないと意図をつかみかねます.やはりそう(三年たってからいきなり中断したかのように)読めてしまう恐れがあると思います.なので何らかの追記はあったほうが良いと思われます.

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2005/06/post_348.html 櫻井よし子氏のブログ.

“A級戦犯”が靖国神社に合祀されたのは、それから3年後の1978年秋の例大祭のときである。そのことが新聞やテレビで報じられたのはさらに半年後の翌79年春の例大祭の直前である。3年の時間差と前後関係から、陛下の靖国参拝中止と“A級戦犯”合祀を因果関係で結ぶのは無理だ。陛下が参拝出来る状況を作るために“A級戦犯”を分祀するという主張は俄に説得力を失う。

懐疑論について[編集]

懐疑論の存在を否定したい人がいるみたいですが、限定された検討者の結論に従う理由は全くありません。現在でも懐疑論は存在してます。検証できない以上、懐疑は当然残りますし、検証されても、結論がもちろん変わることはあります。独裁国家みたいな論理で、懐疑論を否定するのはご自身の独裁主義との親和性を露呈することになります。お気をつけください。黒潮 2007年7月13日 (金) 15:00 (UTC)[返信]

懐疑論の節もあるぐらいだからそんなことはないでしょう。--Phew 2007年7月13日 (金) 15:08 (UTC)[返信]
懐疑論が現在存在しないという断定をしてることを指してるのです。私的な検証委員会の検討をなんで、絶対的なものと見るのか説明してもらえますか?黒潮 2007年7月13日 (金) 15:23 (UTC)[返信]
絶対的なものと見てることもないし、断定も元々されていませんが、誤解の無い様、書き直しました。また、「根拠が示されていない」と書かれた報道などが引用できます。その報道などをしめすことができないなら「根拠が示されていない」とはかかないで。--Phew 2007年7月13日 (金) 15:39 (UTC)[返信]
いずれにしろ、いきなりの除去は方針文書で推奨されていないので、テンプレートでもはられたらどうでしょう?--Phew 2007年7月13日 (金) 16:47 (UTC)[返信]

自らが改めて検証することを求めた研究者なりジャーナリストがいるのでしょうか?それがないならたんにプライバシーなどで非公開であり、検証がおこなえるかどうかはやってみたひとがいなくてわからない、という状況でしょう。 --KyoKawasumi 2007年7月19日 (木) 17:42 (UTC)[返信]

懐疑論は撤回されていません。他者がその再検証を出来ないような検証は意味を持ちません。

だれかが「他者がその再検証を出来ないような検証は意味を持ちません。」といったなら、それを引用すればよいのではないでしょうか?それに懐疑論が撤回されたなどという記載は無かったですよ。また、卜部日記が出てそれでもまた懐疑があるならそれが表明されるのが自然でしょう。--Phew 2007年7月28日 (土) 05:47 (UTC)[返信]
もう一人はIPユーザーとはいえ、こちらのほうが若干多数派なのにこれほど譲歩してるのですから、その辺もお考えください。--Phew 2007年7月28日 (土) 05:58 (UTC)[返信]
懐疑論は撤回されていない以上、存在しています。時間的に先行しているだけで、撤回していると断定するのは明らかに独断です。いいかげんにしてください。黒潮
誤読されているようです。どこにも撤回されたとか存在していないなどと書いていません。--Phew 2007年7月28日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
よくみるとGoldenpineapple さんも黒潮さんの編集には反対のようなのでこちらのほうが多数派のようです。合意が得られるまでそちらの意に沿うような編集はやめていただけないでしょうか?これだけ譲歩もしてるのですから。--Phew 2007年7月28日 (土) 14:49 (UTC)[返信]
懐疑論を論駁したのが研究委員会の主目的であり最終報告です。最終報告にたいする再反論は提示されていませんので、最終報告が結論となります。--Goldenpineapple 2007年7月31日 (火) 15:50 (UTC)[返信]
言ってることが意味わからないですね。私的な委員会の最終報告をなんで、支持しなければならないんでしょうか?他の検証も不可能ですし、裁判所でもなければ、政府機関でもないですよ。裁判所にはある種の肯定力はありますが。いい加減にしてほしいですね。馬鹿なことを書くのは。反論は撤回されていない以上存在してますし、検証はこれからも続きます。黒潮 2007年7月31日 (火) 12:26 (UTC)[返信]
櫻井らは懐疑論をひっこめていないとかwikipediaのほかの場所でみたのでそういうのを確認の上書けばいいでしょう.他の検証が不可能といいますが、ネットや書籍で調べられないというだけであって、しかるべき地位の研究者が調べさせろといえば追試は行なわれるかもしれないのです.それはやってみてダメだったと書く人間がしかるべきソースで確認できるまでここに書いてはいけないことです。たとえば櫻井らは自分で確認してみようとしたのですか?学問において資料を誰にでも公開しなければいけないなんてことはないでしょう.専門家間で検証可能性が満たされていれば立派な科学です.
もう一つ、現代史の専門家の間に異議がみられないことは書くべきことだと思うのですが今は記述が消えているようです.学会の動向を自分で調べるのは独自調査にあたる疑いがあるような気がするのでここにはその記載はない旨かいておきます.--KyoKawasumi 2007年8月1日 (水) 15:10 (UTC)[返信]
ノートから来たので気づかなかったのですが保護依頼があったので編集は見出しを変えるに留めます。--KyoKawasumi 2007年8月1日 (水) 15:18 (UTC)[返信]
意味がわからない場合は編集はやめてください。意味が判ってから編集してください。多くの人が支持してないのに勝手な編集はやめてください。具体的にどの記載が問題なのか提示して議論しませんか?それと伝聞だからって書いてはいけないことはありません。報道されてるのですから。伝聞は載せるべきでないと思うなら、まずはWikipedia‐ノート:検証可能性で提案して合意をとってください。--Phew 2007年8月4日 (土) 10:10 (UTC)[返信]


「メモ紙の裏面が「4:29に吐瀉したが」などと天皇の近況を伝えるような内容になっており、」などの下りについてですが,そもそもこれは出典不明であり論理的でない「主張」であり,ウィキペディアに記載すべき内容とは思いませんです。別の項目にもありますがアエラ記事からの論拠薄い「推論」もそうですが,これらを懐疑論の項目に記載するのが適当とは思いません。--Zyugem 2009年5月11日 (月) 05:33 (UTC)[返信]

要出典タグを貼った国家公務員法違反にかかる「批判」の記述についてですが,出典を求めているのは根拠とされる法典ではなく「誰がどこで批判を行ったのか」ですので,そちらの出典情報を求める要出典タグはまだ外さないでください。また法律の条文はインデックスである条文の番号が書かれていれば本文ば不要かと思いますが,どうしても載せるのであれば可読性も考慮して脚注としたらどうかと思います。--Zyugem 2009年5月11日 (月) 06:58 (UTC)[返信]

保護依頼提出[編集]

久しぶりにログインしたら荒れてるし。 参加者各位とも落ち着いてくださいということで、保護依頼出しときました。--英雄戦隊セイギマン 2007年7月29日 (日) 17:06 (UTC)[返信]

編集が止まってから24時間以上たってますんで黒潮さんも現状で納得されてるのではないでしょうか?保護されると怒りがわく人もいるようですので依頼は取り下げたほうが賢明かと思います。編集は徐々に変わってますんで編集合戦とも少し違います。--Phew 2007年7月29日 (日) 18:10 (UTC)[返信]

再度、保護依頼を提出しました。繰り返し編集をされているIPユーザーの方は、以下の点について明確な回答を願います。

  1. メモ全体が、戦後昭和史を語る上で第一級の資料と宣伝され、日本経済新聞社による富田メモ研究委員の間で、富田メモの信憑性を疑う議論は現在のところ確認されていない。との記述の根拠と出典について
    • 近代史を扱う研究者の間で、富田メモの信憑性を疑う議論は現在のところ確認されていない。という記述の削除にこだわっているのであれば、信憑性を疑っている近代史研究者を出典をあげて提示していただいても構いません
  2. 富田メモを「政治利用」であるとする根拠と出典について
    • 現記事中には百地氏の「政治利用を危惧する」という趣旨の主張しかありません
  3. 懐疑的な意見を「捏造説」とする根拠と、富田メモを「捏造」だと主張している学者とは誰なのか(当然、出典も)について
    • 百地氏、上坂氏、養老氏はメモをどう受け止めるかという問題、櫻井氏、若狭氏はメモの解釈(本当に天皇の真意か)についての発言であり、「メモそのものが捏造である」という主張ではありません。よって「捏造説」とすると章のタイトルが内容と合っていないことになります
  4. 日経新聞社は全文を公開はしてはいなが、検証した結果、日経新聞は間違いはないと検証性の不透明さは隠せない。という記述の根拠と出典について
    • そもそも日本語の文章として意味が通ってないと個人的には感じますが
  5. 富田メモ研究委員が心証と主観により事実であると結論付けたという記述の根拠と出典について

--彩華1226 2008年6月13日 (金) 14:31 (UTC)、2008年6月13日 (金) 14:46 (UTC)追記[返信]


現在の記述内容が正しいものであるとは限りません。
このページの編集を中断して、ノートでの議論に参加してください。

現在の記述内容が正しいものであるとは限りません。


メモが全文公開されていないし、実物も見れないのです。信憑性を疑う人間がいて当然の話です。この報道は、明らかに小泉総理の終戦記念日靖国参拝を阻止する意図がありました。そういった時期にマスコミは一斉にキャンペーンを展開しました。天皇の政治利用でもあります。現物を全て公開しない以上、永遠に捏造説、信憑性を疑う意見は消えません。--122.17.189.121 2008年6月13日 (金) 15:22 (UTC)[返信]


彩華1226は多分日経の関係者だろうな

このページは現在、不公正な理由で半保護とされています[編集]

半保護の方針

  1. 深刻な荒らし被害に遭っているページのみ半保護にする。
    • ページを半保護するためには荒らしの明確な証拠が必要です。深刻な荒らし被害を現に受けていない場合は、ページを半保護してはいけません。
  2. 論争を伴う事態が起こっているページを半保護しない。
    • 半保護は一部のユーザーの編集のみを禁止するため、編集合戦、差し戻し合戦などの、論争を伴う事態への対処として適当ではありません。これらは、それがログインユーザとIPユーザ間、IPユーザ同士のものであっても、保護の方針に基づく全保護で対処されます。

現在の半保護は上記に反した不公正な措置です。 部外者に対して荒らしだとレッテルを貼り、一部の仲間内で編集権を独占する行為になりかねません。--123.225.85.55 2008年6月15日 (日) 10:28 (UTC)[返信]

リード部分と記事の方向性について[編集]

今の記事は、「特に昭和天皇の靖国神社参拝に関する発言を記述したと報道された部分を指す。」との書き出しにもあるように、報道で取り上げられた昭和天皇の靖国神社参拝に関する姿勢について書かれた部分について述べることを中心とした記事となっています。しかし富田メモは問題となった箇所だけでなく,全体を通して昭和時代における昭和天皇の言動や歴史を綴るに必要な重要な史料であります。富田メモは既に歴史研究者によっていくつも公表されている侍従日記とすりあわされ,これまで明らかになっていた事情の再確認,再評価にも使われ,歴史資料としては真贋云々という研究段階はとっくに終わり(最初からそうだったと思いますが),昭和史研究の重要な史料として扱われているのではないでしょうか。特に今すぐ改稿しようというわけではありませんが,今後「富田メモ」と「富田メモ問題」は切り分けられるべきで,将来的には可能なら記事名の改名や分割なども考慮に入れたいと考えます。--Zyugem 2009年3月4日 (水) 10:53 (UTC)[返信]

アエラの記事と真贋問題について[編集]

2009年5月5日 (火) 05:56のIPユーザーによる加筆ですが,アエラの記事を誤解して解釈していると思いましたので差し戻しました。 問題の記事は2006年07月31日のアエラp19からの記事を指しているものだと思いますが,該当記事には「輪ゴムのメモ」とあるだけで,記事を通して読むとメモ用紙がバラバラの紙片状態にあったと書かれてはいません。また,記事自体もメモの真贋を懐疑的に捉えたものではありません。従いまして「懐疑論」の項目にこちらのアエラ記事を参照した記述は不適当なものであります。--Zyugem 2009年5月7日 (木) 09:57 (UTC)[返信]

2009年5月8日 (金) 11:57(UTC)に,削除した個所を差し戻す編集がなされましたが,不適当と思いますので戻します。こちらの記述については上で述べた内容を参照し,異論などございましたらノートでコメントをお寄せ頂き議論をお願いしたいと思います。--Zyugem 2009年5月8日 (金) 12:22 (UTC)[返信]

天皇陛下の靖国参拝と所謂A級戦犯の合祀について[編集]

天皇陛下の靖国参拝について[編集]

提案 以下の記述を記事に入れる事を提案します。

富田メモ云々があるかと思いますが、時系列に並べると以下の通りになります。

*1975年11月20日 内閣委員会で天皇陛下の靖国神社参拝を、社会党の秦豊氏、野田哲氏、矢田部理氏が問題視する。
  • 1975年11月21日 昭和天皇、最後の靖国神社参拝
  • 1978年10月17日 所謂A級戦犯の合祀が行われる
  • 1979年4月19日 朝日新聞が所謂A級戦犯を靖国神社に合祀したことを記事にする。
  • 1982年    社会党の田邊誠氏が、中国共産党中央委員会南京大虐殺紀念館を建設する様に再三要請
  • 1985年    この年以降、中国が靖国神社参拝を問題視する様になる。

国会での問題提起の主な内容は、以下の答弁から始まりました。

社会党の野田哲氏「いま植木長官はそういうふうに言われますけれども、八月十五日に三木総理が靖国神社へ参拝した。これはいま吉國長官も私的行為だということで強弁されておりますけれども、いかに私的行為だと言っても、あの当時のやはり国民の受けとめ方というか、靖国神社の国家護持を推進しようとする団体は、あの三木総理がいかに私人だと言ったって、総理が靖国神社へ参拝してくれたということをもって靖国神社国家護持の運動は一歩前進をするというふうに団体の機関紙などで評価をしておるんですよ、評価を。恐らく明日の天皇の靖国神社参拝についても、そういう形で取り扱う団体が絶対にないとは保証できないでしょう。これは保証できない。だとするならば、あなた方がどういうふうに理解をされようとも、明らかにこれは政治的に利用されたということになるではないですか。そういう懸念は一切持っていないんですか、政府の方では。どうですか長官。」(第076回国会 内閣委員会 第4号 昭和50年(1975年)11月20日“参議院” の145番目の答弁より引用) 

それに対し、富田メモで有名な宮内庁の富田長官が、

宮内庁の富田朝彦氏「先ほど来私も申し上げておりますように、多くの戦没された方々への陛下の気持ちをあらわされたいというその御意思に基づく私的な行為でございます。そういうことに関連しての諸問題につきましては、ただいま総務長官がお述べになられましたように、そういう政治の渦中に巻き込まれるということは絶対ないという配慮のもとにまいりたいと、かように考えております。」(第076回国会 内閣委員会 第4号 昭和50年(1975年)11月20日“参議院” の170番目の答弁より引用) 

 

と締めくくり、それ以降、天皇陛下が靖国神社に参拝されることは無くなりました。--鈴木直紀会話2014年2月3日 (月) 06:15 (UTC)[返信]

この様な経緯を記事に入れるべきでしょうか?--鈴木直紀会話2014年2月3日 (月) 12:31 (UTC)[返信]