ノート:富士松駅

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2010年以前の過去ログ


参考文献『続刈谷風土記』[編集]

参考文献として記載されていた『続刈谷風土記』は、刈谷市中央図書館と愛知県立図書館、国立国会図書館のそれぞれの公式サイトの蔵書検索、およびAmazon.co.jpでも検索してみたのですが、まったく見つかりませんでした。そのため、そもそも本自体が存在しない可能性がかなり高いと思われます。よってこの部分を削除しました。--満月 2008年10月20日 (月) 12:25 (UTC)[返信]

いや、存在します。続と刈谷風土記の間に記号が入っているため検索には引っかからなかったのでは…--125.206.3.115 2009年9月22日 (火) 10:33 (UTC)[返信]

刈谷中央図書館検索結果外観です。

開通は大正十二年四月八日六時が始発で、当時一ツ木駅から発車した。一ヵ月後知立駅が始発となった。その三ヵ月後岡崎駅が始発となり漸く乗客も増加し、通勤通学、買出しに便利となったのである。

—今川と愛電・富士松駅(『続刈谷風土記』より)

その頃になると、沿道では電鉄敷設を歓迎し、用地の買収も大半は順調に進んだそうですが、富士松の有力者達はその頃になってもまだ主要駅を嫌って引っ込み線設置さえも反対して阿野駅へ押しつけたものだと、当時を知る人は語ってくれました。

—国鉄・名鉄の開通するとき(『続刈谷風土記』より)

以前の版にあった「6時始発」「待避線」についてはこの本に掲載されているようです。開業と始発では意味が違いますが、手元にあった日本鉄道旅行地図帳 7号とかをみてみると、大正12年4月1日に新知立(仮)まで開業、6月1日に西岡崎までの延伸と新知立移転、8月8日に東岡崎まで開業となっています。その開業年月と風土記の記述を併せて見ると、4月1日に今川駅開業、4月8日から列車運行(一ツ木始発、仮駅の新知立は運行せず)、5月新知立(仮)運行開始、8月8日岡崎(東岡崎)開業&運行開始…となります。微妙な表現なので市史など他の資料で事実関係を検証してみます)。6時始発はともかくとして、開業と運用にタイムラグがあるとしたら特筆性ありとして年表記載もありだと思います。また、「待避線」ではなく「引っ込み線=引込線」ですが、阿野駅に押しつけることが可能な設備という事はそれが工場への専用線ではないことを示しているものであり、ここでの引込線とは車両基地にしろ貨物線にしろ何らかの愛電内で完結する鉄道設備であり、今川駅に設置を検討したのを地元有力者が阿野駅に変更させたという記述の出典になるのではないかと思います(上記2件の記述を復活させる場合、参考文献もしくは脚注として『続刈谷風土記』を掲載したいと思います)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年11月28日 (日) 14:39 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

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