ノート:太田哲三

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

太田の肩書について[編集]

一般に、大学教授が退官して名誉教授の称号を受けた後に大学の名称変更、組織変更などがあっても、名誉教授号は在職当時のものになります。例えば和歌森太郎は「東京教育大学名誉教授」であり、「筑波大学名誉教授」ではありません。

太田が奉職していた大学は東京商科大学ですので、太田が退官後に「東京商科大学名誉教授」の称号を受けるのは自然であり、太田が「東京商科大学名誉教授」と称していることを示す出典があります(太田哲三『新版 会計学』、千倉書房、1951年5月25日)。

太田の肩書を「一橋大学名誉教授」としたいのであれば、一橋大学が太田に「一橋大学名誉教授」の称号を改めて与えたという出典、もしくは太田が「一橋大学名誉教授」と称している出典が必要です。--Pooh456会話2018年2月25日 (日) 08:30 (UTC)[返信]

  • コメント 黒澤清安藤英義も古くから太田と関わりを持っていた間柄であり、それなりに信頼してよく、流すべき内容だと思います(「一橋大学名誉教授」記載のままでよいと思われ)。結論あり気で調べているから、見えるものも見えない(「一橋大学名誉教授」と書いた資料が目に入らない)という印象です。わかりやすい資料を求めるならば、例えば『私の履歴書』がよいのでは。太田の比較的晩年に書かれたものらしいので、なんらかの情報を得られると思います。私の履歴書ならば、置いてある図書館も期待できるでしょうし。--Bellis会話2018年2月25日 (日) 10:32 (UTC)[返信]

資料の用意に時間を要しておりますので、今しばらくお待ちください。--Pooh456会話2018年3月3日 (土) 15:18 (UTC)[返信]

太田氏が死去した昭和45年より前、昭和40年代に販売されていた太田氏の著書を3冊抽出し、調べてみました。(太字は参照した版)
(1) 太田哲三『簿記の研究 再訂版』旺文社、昭和39年、昭和40年 重版
(2) 太田哲三『新稿 会計学』千倉書房、昭和39年、昭和42年(補訂)6刷
(3) 太田哲三『新訂 会計学通論』中央経済社、昭和39年、昭和41年 19版
3冊とも、太田氏の肩書は「一橋大学名誉教授」「商学博士」となっておりました。肩書は本人が一番よく分かっている訳ですので、本記事における太田氏の肩書は「一橋大学名誉教授」とするのが正しい、と確認できました。
なお、太田氏の「私の履歴書」が含まれる、『私の履歴書 文化人16』(日本経済新聞社、昭和59年)も確認しましたが、こちらには肩書の記載は一切ありませんでした。ただし、本記事の出典となる記述が多くありましたので、加筆・校訂いたしました。
Bellisさんが、「私の履歴書」の利用を示唆してくださいましたので、本記事を充実させることができ、かつ肩書の問題もスッキリさせることができました。ありがとうございました。--Pooh456会話) 2018年3月8日 (木) 20:36 (UTC)・(修正)--Pooh456会話2018年3月9日 (金) 17:34 (UTC)[返信]