ノート:天守の一覧

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模擬天守について[編集]

  • 模擬天守は、建てられていなかった、また、その可能性が高い城に建てられているもの、あるいは、復元を前提とせずに建てられた天守をいう。

についてですが、「あるいは、復元を前提とせずに建てられた天守をいう。」について議論移行のためコメントアウトいたしました。それでは、天守閣風建築物を含むことになりますので、今一度、ご検討をよろしくお願いいたします。また、Gokiさんの編集内容の要約では「誤りがあるものが存在する」と指摘されておられますが、具体的な例や誤りがある点をご提示していただけたらと思います。--ムカイ 2009年5月13日 (水) 11:26 (UTC)[返信]

  • 具体的には洲本城が天守風建築物ですが、天守台は現存するため天守そのものが「建てられていなかった、また、その可能性が高い」とはいえません。「天守の存在が不詳」ではあるのですが。(参考[1][2])--Goki 2009年5月13日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
早速お返事頂きありがとうございます。洲本城の模擬天守については天守台はありますが、天守の建てられていた当時の様子が覗える資料が欠如していることから、模擬天守の「…また、その可能性が高い」に当たるものと、私は判断いたします。類例には唐津城があります。(参考: 西ヶ谷恭弘『名城天守』(学研)『ポケット図鑑 日本の城』(主婦の友社))--ムカイ 2009年5月13日 (水) 13:30 (UTC)[返信]
可能性が「高い」というのは貴殿の判断でしかなく、根拠にはなりえないのではないかと。「天守の存在が確認できない」という文言では同意しますが、可能性が「高い」という表現には同意しかねます。--Goki 2009年5月14日 (木) 01:53 (UTC)[返信]
洲本城模擬天守に関して、「その可能性が高い」という判断は、前コメント付記の書籍文献に基づくものです。
「天守の存在が確認できない」では、現存しない天守も現在においては存在の確認はできないということともとれますので、「模擬天守は、史実では存在が確認できないまたは、特定に至らない状態で建てられたものをいう。」ではいかがでしょうか(学習研究社編 中井均・三浦正幸監修ほか著『よみがえる日本の城 30 城を復元する』学習研究社 2006年)。--ムカイ 2009年5月14日 (木) 12:12 (UTC)[返信]
その表現なら問題ありません。--Goki 2009年5月15日 (金) 09:57 (UTC)[返信]
ありがとうございました。「模擬天守は、史実では存在が確認できないまたは、特定に至らない状態で建てられたものをいう。」に修正いたしました。--ムカイ 2009年5月17日 (日) 08:31 (UTC)[返信]

「現存する天守相当の櫓」について[編集]

浩さんの加筆分を、修整加筆させていただきました。当初「現存天守」の「参考」というレベル3セクションで追記されていましたが、「現存天守」から切り離して、レベル2セクションの「現存する天守相当の櫓」に変更させていただきました。
江戸城富士見櫓は、江戸城の寛永度天守焼失後、天守の代用としての役割を持ったことは知られていますのでまだ、なんとか存続できそうな気がしますが、熊本城と大洲城の櫓3棟3件については、「天守の一覧」に残すべきであるか正直のところ迷っております。一応、加筆と修整を加えて存続させています。よろしければ、どなたかこの「現存する天守相当の櫓」の4件が「天守の一覧」にあるべきかご意見いただけましたら幸いです。--ムカイ 2011年11月25日 (金) 14:04 (UTC)[返信]
  • 提案ですが、江戸城が天守相当櫓で無いのなら、弘前城など天守閣としても疑問が出てしまいます。(弘前城は文化庁でも、名称は「天守」、内容説明では「三層櫓」としてオブラートで包んだ表現(両説の折衷)にしているようです。)なのでこのまま存続、他の三棟は、レベル3セクションにして、「天守とする説のある櫓」(仮称)などの表現にすれば、(現存天守の記事との兼ね合いも含めて)中立的かなと思いますが、いかがでしょうか? なお、西本願寺飛雲閣(天守閣遺構)、明石城坤櫓(天守代用櫓)などもここに分類する学説があるようです。(一般的ではないようですが。)-- 2011年11月26日 (土) 03:18 (UTC)[返信]
  • 浩さん、こんにちは。ご提案ありがとうございます。
現存天守と一般に言われているものの中では弘前城と丸亀城の天守は三階櫓、つまり元々は凡例の2の例に該当するものです。したがって、実質上天守であった櫓(凡例、掲載範囲の2)については現存天守の一覧に加えてもよいと私は思います。天守の代用とされたという「事実がある(凡例、掲載範囲の3)(説ではなく)」ものについては、セクションを今回のように分けて加えればよいと思います。
ただし、飛雲閣の類は凡例の掲載範囲の2でも3でもなくまた櫓でもないため、またあくまでも説の一つとして言われているというだけであり、このように天守であったという確証の持てないものについては掲載すべきではないと思います。これを仮に加えてしまうと、彦根城天守を証拠として大津城天守を載せるという場合が出てしまうかもしれません。また名古屋城の清洲櫓を清洲城の現存天守として載せる人がいるかもしれません。
同じように熊本城宇土櫓も、宇土城の天守であったとか、熊本城初代天守であったという確たる証拠がない「天守だった説」がありますが、宇土櫓の場合は、「三の天守」とも呼ばれていたという記録が存在するため、それを考慮し存続という判断をさせていただきました。
江戸城富士見櫓については、凡例掲載範囲の3の例にあたり、関東大震災で倒壊後の修復復元とのことなので現存建築として見ないこともありますが、修復復元という言葉に間違いがなければ、丸岡城天守と同等の例と見てよいと考えられるため、掲載可能ではないかと思います。
「天守とする説のある櫓」への変更案につきまして、それは、中立的というよりむしろ言葉を濁した表現ではないかと思います。現存12天守の一覧は現存している天守の一覧(2件の三階櫓も後に天守と言い直しているため)であることは変わりなく、「そのような説がある建物」という区分にわざわざ組み込むことは不自然に思いますし、天守と櫓では建築構造では同じように建てられていますが、用途や扱いなどについて櫓とは一線を画すものであり、「櫓」として分けるべきでもないと思います。とりあえず「現存天守」の内に「現存する天守相当の櫓」を続ける形容で、ひとまずほかの方からのご意見をお待ちしたいと思います。
ノートをご覧のほかの方に向けてですが、議論の内容は「現存天守」の内「現存する天守相当の櫓」セクションに現在掲載の4件について、天守の一覧に含めてもよい物件であるかです。現存天守という区分は、あくまでも天守の現存例一覧であり、凡例の区分変更は今回議論対象ではありません。--ムカイ 2011年11月26日 (土) 15:32 (UTC)[返信]