ノート:大阪日日新聞/削除

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このページは大阪日日新聞の過去の版について削除依頼の議論内容を保存した物です。

現在の記事へのご意見はノート:大阪日日新聞にて行ってください。

下記の議論により、このページは削除されました。このノートを編集/削除しないようお願いします。

関連項目 : Wikipedia:削除の過去ログ

削除依頼での議論[編集]

外部ページからの転載のようなので削除を依頼します。Tsk 09:29 2004年1月15日 (UTC)

内容的には著作権違反にはいたらないと私は判断いたしました。他の管理者の方はいかがでしょうか。0null0 01:54 2004年1月22日 (UTC)

その後のノートで、著作権違反寄りではないかと指摘があります。私も、問題ないとは期待できないと考えています。詳細はノートで。 - Gombe 23:11 2004年1月25日 (PST)

議論を改めて読んでみましたが、削除すべきでないという意見もないようですし、特に異論などがないようなら、数日後に削除しようかと思います。Tomos 02:05 2004年3月4日 (UTC)

数時間ほど前ですが、削除しました。Tomos 05:51 2004年3月11日 (UTC)


ノート:大阪日日新聞での論議[編集]

このページの過去の版http://www.nnn.co.jp/dainichi/ からの転載です。「一切の無断転載を禁じます」とあり、削除の必要があると思います。Tsk 09:37 2004年1月15日 (UTC)

1)確認いたしました。歴史部分については全文が転載されていると考えます。2)該当サイトは著作権を重視されているようです。時間をおかずに削除すべきであると考えます。0null0 04:32 2004年1月19日 (UTC)

と書きましたが、個々の文章そのものは著作権上は問題がないような歴史的事実ではありますね。0null0 04:57 2004年1月20日 (UTC)

0null0さんが後からおっしゃってるように歴史的事実の列記だと思いますが、ある事柄を「歴史」として挙げる場合の選択と表現、今回で言えば例えば水都祭始まりのくだりが入っていることとその表現は、元のサイト作者の創作性に基づくところが大きいように思います。
一方では加筆された部分が読み手の理解を助けるのに大きく貢献しているように思えますので、単純な転載と同様に断ずることはできないと思います。(最初の版の時点から既に加筆されていますし)
問題の版でも加筆部分と転載部分を比べると転載部分の方が「主」になっているわけですが、そのうち「創作性のある部分」はある程度少ないと思えるわけです。そこが「従」になっていると見なせるなら真っ当な引用の範囲内なので問題ない、と期待することはムシが良すぎるでしょうか? そのような解釈ができるなら削除しないで済むのですが……
- Gombe 03:53 2004年1月22日 (UTC)
う~ん、そうなんですよ私も「水都祭」の一文が引っかかったのです。この一文がなければと思うのですが。0null0 03:59 2004年1月22日 (UTC)

初版を見てみました。

主従関係ですが、引用だとすると、引用部分が「量的に主」なのがちょっと問題なのと、どの部分が引用で、どの部分が改変部分かが明示されていないのが問題ではないでしょうか? 誤字訂正など必要最低限の改変は認められる、という話をどこかで目にしたことがありますが、そういうことでもないようですし。そうすると、同一性保持権にも触れる可能性があるのではないか、と。

ただ、これらは全て事実のストレートな表現であることから、誰が書いてもこのような表現にしかなりえないし、創作性もない、したがって著作権法で保護されるものではない、という可能性は考えられ、そうだとすると、引用も改変も問題ないことになるわけですが。

個人的には、大阪日日新聞に関する主要な事実を選択するとしたら、会社と紙名の変更だけではなくて、売上げとか、資本金とか、法人の種類とか、他紙との競合関係とか、販売網とか、販売地域とか、関連事業への展開などが挙がってもよいような気がします。その意味で、事実の選択には、特定の思想(新聞を語る上でその歴史や起源を重視する考え方)の表現だと考えることができることができると思います。

また、現に初版を投稿された方は外部ページでは選択されなかった事実を選択し、加筆した形になっているようですし。その結果として、この新聞の意義や位置付けについて特定の見方が表現されているとも思います。そこで、このような簡潔な事実の羅列(配列の仕方自体は、時系列なので創作性はない)であっても、花火大会の部分以外の事実の選択の部分についても、ある思想の表現になっている(=著作物である)、と考えられる可能性があるのではないか、と。

ただ、外部ページにそのような思想が表現されていたかというと、そうではなく、会社・新聞の歴史であった部分を、投稿した方が転用して、会社・新聞の紹介にあてたという形になっているかと思います。そのような転用は、元になった作品の表現の本質的な特徴が感得できる場合には独立作品ではなくて「翻案」ということになるそうなので、翻案権に触れてしまう可能性があるだろうと思いました。

また、もしも翻案ではなく、つまり、歴史の説明を転用して大阪日日新聞の説明としたのではなく、同新聞(と発行者)の歴史を述べる文章として投稿されていたのだと解釈したらどうか、ということも考えて見ました。この場合、翻案ではなく、単に同一の思想を表現するものということになるわけですが、やはり著作物ではないと言い切れない点、引用の仕方に問題がある点、の2点から、複製権や同一性保持権の侵害になっている可能性が残るように思いました。

Tomos 16:50 2004年1月22日 (UTC)

削除依頼ページのGombeさんのコメントと合わせ、どうやら削除しないべきという異論はないようなのですが、余りに間が空いているので、とりあえず数日待ってみて、何も異論などが出ないようなら削除しようかと思います。

議論を読み返してもう一度考えてみましたが、「異なる思想を表現しているので翻案」という可能性があり、「同一の思想を表現するのに無断転載によっている」という可能性もあり、いずれにせよ、微妙ではありますが、著作権侵害である可能性を否定することができない感じがしました。Tomos 02:04 2004年3月4日 (UTC)

報告を忘れていましたが、この記事は一度削除されました。MASAさんが2004年3月11日08:24(UTC)に投稿されたものは、削除後のもので、上の議論はあてはまりません。念のため。Tomos 16:50 2004年3月11日 (UTC)