ノート:大野治長

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また、上記の説を裏付けるものとしては、秀吉の長男(鶴松)が亡くなり、その直後に妊娠するなどといった明らかにおかしい話も残っている。秀頼は大野治長の息子という確かの証拠ではないが、そうであるとも考えられる。

これって、鶴松死亡直後に秀頼がって事ですか?何がおかしいのかよくわからないんですが。
鶴松の没年月日は1591年8月5日(旧暦)、秀頼の生年月日は1593年8月3日(旧暦)ですから、間に2年も差があり、とても「直後に妊娠」とは思えないのですが…。--松茸 2006年1月24日 (火) 15:38 (UTC)[返信]
確かに意味が分かりませんね。しかも2年も差がありますし…。一応、削除しておきました。また淀君と治長の密通が噂されたのは江戸時代以降と言われていますので、その事も追記。--Sea of Japan 2006年2月11日 (土) 21:38 (UTC)[返信]