ノート:大谷光勝

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大谷家への叙爵[編集]

東本願寺大谷家が伯爵に叙されたのは、大谷光瑩の時代の明治29年6月です[1]。つまり、光勝は華族に列されはしましたが、伯爵ではありません。--Alexander Poskrebyshev会話2016年2月21日 (日) 19:32 (UTC)[返信]

コメント
こんにちは、Alexander Poskrebyshevさん。私も調べてみました。
まず、初版から伯爵となっていますね。私は、華族などの事柄について詳しくありませんが、調べた結果を報告いたします。
出典は、コトバンク『朝日日本歴史人物事典』「大谷光勝」あたりと推定できるのではないでしょうか?その出典とされている奥野研寿『厳如上人御一代記』について、明治5年3月に華族に列せられたことと従五位であったこと[1]、最終位階は正二位であったこと[2]が国立国会図書館デジタルコレクションにて確認できました。『明治維新の東本願寺』については、ネット上で参照することはできませんでした。『明治維新の東本願寺』は、国立国会図書館以外にも比較的大規模な図書館であれば蔵書しているようです[3]
五等爵(近代)は、元となる華族令の制定が1884年(明治17年)であることから、『朝日日本歴史人物事典』「大谷光勝」の「同5年には伯爵に列し」という記述には疑問を持ちます。--Resto1578会話2016年2月22日 (月) 09:22 (UTC)[返信]

  1. ^ 浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治中公文庫 [あ-54-1] ISBN 4122035422、78p/講談社学術文庫 2275 ISBN 978-4062922753、75p