ノート:塩冶判官讒死の事/削除

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

このページは塩冶判官讒死の事の過去の版について削除依頼の議論内容を保存した物です。

現在の記事へのご意見はノート:塩冶判官讒死の事にて行ってください。

下記の議論により、このページは削除されました。このノートを編集/削除しないようお願いします。

削除依頼 2004年8月[編集]

8月19日[編集]

(*) 塩冶判官讒死の事 - ノート:塩冶判官讒死の事[編集]

これもですか?「太平記」はお読みになったことがないのでしょうか。「似ていると思う」だけで削除依頼するのなら、いくらでもあります。歴史物はアンチテーゼでももってこないかぎりとくにそうなるはずだと思います。Liberty 2004年8月21日 (土) 09:54 (UTC)[返信]

ノート:塩冶判官との勘違いでした。すいません。向こうのほうは完璧に削除依頼した人のほうがおかしいと思ったもので。Liberty 2004年8月21日 (土) 17:03 (UTC)[返信]

ノート[編集]

この上に書かれた意味がわかりません。 なぜか塩冶判官がREDIRECT になっていて、「塩冶判官」から「塩冶判官」に転送されています。

「エッセイ。タイトルが不適切」とはどういうことでしょうか?

ごぞんじのように塩冶判官と高師直の確執は、「仮名手本忠臣蔵」においては重要な部分です。 「太平記」の世界に仮託したとはいえ、膨大な「太平記」でどのように語られていたかを知らない人は多い。 それはどうでも、はっきりわかっている史実の部分と物語とが混同しないように、また元禄忠臣蔵しか知らない人には、物語ができた背景を示すべきでしょう。

はじめは「太平記」のページを設けて全体の要約を書こうと思いましたが、書き始めて限られたスペースではとても書ききれないことがわかり、塩冶判官と高師直の確執に関係する部分だけを抜き出して書いたのです。

利用者:百楽天ノート

場を弁えてください。此処は議論の場ではありません。なお、無意味な赤リンクとなるような署名はやめ、ウィキペディアで標準的な署名方法である「半角のチルダ ~ を三つないし四つならべる」つまり~~~~と記すことによる署名をお願いしたい。 --61.195.111.58 04:53 2004年5月3日 (UTC)
61.195.111.58さんの言ったとおり、議論は記事のノートで行ってください。お二人の発言をノートに移動させますがよろしいですか?らりた 07:09 2004年5月3日 (UTC)

らりたさん、お手数かけます。 百楽天 09:12 2004年5月3日 (UTC)

(以上は整理依頼から移動してきた物です。)


百科辞典の内容としては適当とは思えません。KZY 2004年7月10日 (土) 09:22 (UTC)[返信]

記事名については適切と思われる名前に移動しました。定義も一文のみ加えましたが史実との比較など百楽天さんが書かれたことで上記に移されていることなどは可能かどうかも判断できません。johncapistrano 2004年7月12日 (月) 05:52 (UTC)[返信]

類似サイト[編集]

過去の版にあったエッセイ風の部分を整理しましたが、この部分は外部サイトと類似しているように思いました。--Aphaea 2004年8月19日 (木) 12:07 (UTC)[返信]