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ノート:国鉄における労務管理の問題/削除

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旧国鉄の労務管理が適正にできていなかった件は、いろいろなところで紹介されています。「もう一つの『未完の国鉄改革』」が有名ですね。あと「新幹線がなかったら」や「なぜおこる鉄道事故」(←タイトルうろ覚えですが)といった本にも、吊し上げの話とか、労働側の方が力が強いために管理職が労働側を指導できなくなっている話がでてきますね。余談ですが人間社会において人数とは力であり、少人数の管理職で職場の秩序を維持させようという考えに無理があったのではないでしょうか。やはり指導しようとするのなら、指導する側、される側の人数は均衡させなければならないでしょうね。管理職の目の届かない職場が多いという特性もあったと思います。旧国鉄だけでなく、一般社会においても当てはまることが少なくない話であると思います。--60.45.65.226 2005年11月19日 (土) 10:41 (UTC)[返信]

失礼に感じるかもしれませんが、削除依頼に出させていただきました。多くの媒体で紹介され、議論されたことは事実ですから、ウィキペディアで言及するなというつもりはありませんが、他の記事で触れれば十分だと思います。本文もこのノートでの説明も、ご自身の考えが多分に含まれている様子。ウィキペディアは人々の役に立つ文章ならなんでも受け入れるという所ではないのです。Kinori 2005年11月19日 (土) 11:04 (UTC)[返信]
上記の「ご自身の考えが~」という受け取り方も、Kinoriさんご自身の「考え」ではないでしょうか。事実と異なっているから訂正せよというのであれば分かりますが、主義主張の記述とは考えておりません。他の皆さんの考えもお伺いしたいと思います。--60.45.65.226 2005年11月19日 (土) 12:27 (UTC)[返信]
Wikipediaの目的は人類の共通財産となっている知識をコミュニティの力で百科事典にまとめるというものです。どの記事についてもプロジェクトの参加者が加筆、訂正できなくてはなりません。現状では国鉄内部に在籍していた方しか加筆、訂正できません。記事として残すためには、国鉄における労務管理の問題に関する参考文献や論文、統計資料、国や自治体、研究機関のWebサイトのURLが必要です。---Redattore 2005年11月19日 (土) 13:18 (UTC)[返信]
そこまでハードルを高くする必要はないと思います。文献や論文になっている知識のほかに、自分が直接見て知っている知識のうちで事典に載せる価値のあるものも、自分の意見を加えたりせずに中立的・客観的に書く限りにおいては、歓迎されるべきだと思います(投稿者の方が旧国鉄に勤務されていた方なのかどうかは分かりませんが)。私のような外部の者が見ても、とくにおかしいと思う記述もなく、事実であろうことが十分に類推できます。いわゆる「独自の研究」にはあたらず、見たまま体験したままを普通にまとめられた文章だと思うのですが、どうでしょうか。削除依頼のほうでも存続票を入れるつもりです。 --くしなだ 2005年11月25日 (金) 10:00 (UTC)[返信]
中立的な観点とは、内容が中立であったり客観的であったりすることではありません。詳しくはWikipedia:中立的な観点をお読みください。最も簡略化すると「両論併記」です。また、「独自の研究」は一次資料を検証できないことを表す “original research” の(いくぶん)誤った訳語です。「自分の体験」はその人が一次資料となってしまうため、他者の検証ができません。そのため体験談は「独自の研究」に相当します。Tietew 2005年11月25日 (金) 10:10 (UTC)[返信]
ありがとうございました。体験談的な記事が歓迎されない理由が分かりました。ただ、今回の場合は国鉄という大きな組織の内部の問題なので、国鉄の勤務経験のある方や、国鉄の労使関係を研究している方であれば検証可能だと思うのですが、今回のような場合でも「検証不能な独自研究」となってしまうのでしょうか。 --くしなだ 2005年11月25日 (金) 11:16 (UTC)[返信]
第三者が検証できないと難しいと思います。何らかの形で報告書が出ていたり、まとまった新聞記事になっていて縮刷版で閲覧できたりするならば良いのですが。(別にWWWで閲覧できなくてはならないとか近所の図書館に無くてはならないいうことはないので) Tietew 2005年11月25日 (金) 11:32 (UTC)[返信]

この記事の主題は、「管理者の数の不足が国鉄の労務管理をおかしくした原因であった」ということです。これは体験的事実ではありません。論証を必要とする「説」です。「管理者の数と労務管理の状態との間にはかくかくの因果関係があり、この比がある範囲を超えるとこのようになる」という理論が正しいことを前提にして、その上で、「国鉄でおこったことはまさにこの現象であった」と主張します。

そのような理論と、国鉄におけるその適用の正しさは、いまさら言及の必要もないほど普及しており、研究者のほぼすべてに認められていると言えるでしょうか。私はそうではないと思います。Redattoreさんが言うように、資料を明示してその紹介という形をとっていただきたく思います。一定程度有力な説であれば、その正しさが確定していなくとも、一個の説だという形で書いていいと思います。

国鉄職員だったという人が私の経験から断言できるのだという調子で解説するのは論外です。職員の手記や新聞記事の中に同じ意見を一つ二つ見つけただけでも、こういうレベルの主張はウィキペディアに載せるに足りないと思います。ウィキペディアにふさわしいのはまず事実であり、次いで学説についての事実です。Kinori 2005年11月25日 (金) 11:52 (UTC)[返信]

分かりました。いったん主張を取り下げます。 --くしなだ 2005年11月25日 (金) 12:37 (UTC)[返信]

「少人数で大人数を管理することは難しい」という趣旨であるという解釈でよろしいでしょうか?すなわち、力関係で劣勢であるのに管理するすることは事実上不可能であるということですね。昔の国鉄のみならず最近の学級崩壊問題にも通じるテーマですね。リンク先の運輸白書も読んで議論する必要がありますね。それさえ信用できないというのであれば議論になりませんが。異論があれば「~と云われているが、~という見方もある」と両論書いておけばよい。「中立か否か」は、中立という概念自体がその時々の政治情勢によって左右されるのであるから、「中立性」自体があやふやな概念でありましょう。中足 2006年2月12日 (日) 08:13 (UTC)[返信]


国鉄における労務管理の問題 - ノート[編集]