ノート:喜連川騒動

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

喜連川騒動騒動[編集]

喜連川騒動騒動[1]という記事を先に知った経緯でウォッチリスト化していた者ですが、どうも「騒動騒動」が再燃しているようで、まずIPアドレスさんの「独自の調査による文献調査にもとづく研究」の投稿を一旦中止頂いた上で、その「一次文献の調査」に基づく研究がどこで公開されたものであるか情報開示頂いた方が宜しいのではないでしょうか。--大和屋敷 2011年1月31日 (月) 18:12 (UTC)[返信]

それ以前に、無期限ブロックされたユーザ(およびそのソックパペット)による編集は内容の如何を問わず禁止されておりますので、即時revertされても文句は言えませんし、内容の妥当性について議論する以前の問題になります。まあ、どうせ別人だと言い張るんでしょうけど。--Horlicks 2011年2月1日 (火) 08:04 (UTC)[返信]
あ、それと、この記事については、無期限ブロックされたユーザが別人を装ってIPで編集を行おうとする危険性が非常に高いので、いちいちそのたびに本人かどうかを確認するコストをかける無駄を考えるなら、無期限半保護が妥当かと思います。もう半保護は解除しないほうがいいでしょう。何年後になっても無期限ブロックされたユーザは同じことを繰り返そうとされると思います。それだけの情熱を持った方ですから。--Horlicks 2011年2月1日 (火) 08:08 (UTC)[返信]

Doripokeとかいうのが、一色某さん&IPアドレスちゃんの書き込みに対してソックパペットという形式的な理由を挙げて編集阻止するのは理解出来ますが、内容的には問題の存在しない編集に対して登録者の編集をも繰り返しリバートする行為は、明らかに問題です。一色某さんの方はまだ動機が解るとしても、Doripokeさんは何故そこまで負の情熱を抱くに至ってるのでしょ?

  • 情報源が信頼できる場所から公表されたものではなく、唯一ここ[2]だけによるだからです。ましてや個人のウェブサイトの考察では百科事典が参照とすべき対象として良くないです。--大和屋敷 2011年2月17日 (木) 09:46 (UTC)[返信]

一度記事の内容を見直しませんか[編集]

何度もリバートされているIP氏の編集は確かに問題があると思いますが、リバート後の版の内容も、かなり問題をはらんでいると思います。もともと今の記事の内容は、議論を尽くしてコンセンサスを得たものではなく、数年前、騒動騒動が一色氏の退場で収束した時、「しばらく意図的に冷却期間をおいて(後で)検討するのがいい」ということになって、そのまま放置されているものです。そろそろ、もう一度内容を見直しても良いころではないでしょうか。ということで、とりあえず、以下のとおり問題提起・提案します。

  1. 「近代以降にまとめられた文献」の節は「喜連川騒動の顛末」を出典とするものですが、「喜連川騒動の顛末」は信頼できる情報源とは言えないので、除去すべきだと思います。過去ログにある以前の議論もご参照ください。
  2. 「当時の史料に見る事件の概要」の節では、「史料」の引用・紹介がかなりの部分を占めています。これらの部分は、「史料=一次資料」を(信頼できる研究者による評価・解釈を経ずに)直接引用しているように見えますので、Wikipedia:独自研究は載せないの点で問題があるように思います。
  3. もし独自研究の点で問題がないとしても、現状の「史料」をそのまま引用・紹介しているだけの書き方は「結局何があったかは読者が勝手に判断しろ」と言っているようにも見え、百科事典の記述としてはかなり違和感があります。本文はもっと簡潔にして、「喜連川尊信は、乱心のため主君押込を受けていたが、家臣二階堂主膳助と高四郎左衛門との間に党派争いが起こり、結果として高四郎左衛門は大嶋に流罪、尊信は隠居させられた」のような記述だけにし、「史料」は出典として(内容の詳細な引用はせずに)列挙するに留めるべきだと思います。
  4. 以上のような修正を加えると、結局この記事は1~2行の本文+出典の表示だけになってしまいますので、最終的には喜連川尊信の記事と統合すべきだというのが、私の意見です。

皆さんのご意見をお待ちします。--Dwy 2011年2月17日 (木) 13:27 (UTC) Horlicks さんのご指摘を受け一部取消し--Dwy 2011年2月19日 (土) 08:35 (UTC)[返信]

「史料」の引用・紹介は独自研究には当たらない、というか当たり様が無いかな。「史料」の引用・紹介でかなりの部分を構成出来るのなら、それは百科事典の記事としては良質、何があったか読者が判断するのが事典ですから。読み物としては微妙でしょうが--219.161.42.189 2011年2月17日 (木) 14:21 (UTC)[返信]
上でshimoxxさんがおっしゃっているように[3]、史料は信頼できる研究者による史料批判を経ないと使えません。そのあたりをすっ飛ばして、Wikipedian自身の評価・判断にもとづいて、百科事典の記事の中で(あたかも信頼に値する情報であるかのように)引用・紹介しているとすれば、もろに「独自研究」に当たります。--Dwy 2011年2月17日 (木) 16:07 (UTC)[返信]
  • これくらいマイナーな記事ですと、それこそ永久追放された「喜連川一色家」さんが信頼できる出版元から出版いただく以外には、「一次情報の集積」以外は不可能なんじゃないかとおもいます。IPアドレスさんや赤雲斗さんが熱心に投稿されている部分の「一次情報の部分」は検証可能ですけれども、その部分のみを集積する目的としてWikipediaは用意されているわけではありませんし、一般の読者に「よくわからない事情についての、古書から引用された一次情報」のみを記述することがはたして「喜連川騒動」を説明する百科事典的記述かどうか疑問があります。喜連川一色家さん(ココ[4]のサイトの管理人さん?)が信頼できる版元なり学会なりで公表されるのを待つので宜しいのではないでしょうか。いずれにせよIPアドレス氏が投稿し、リバートし赤雲斗さんが参戦している版の記述は、たんなる一次情報の紹介を超え独自の解釈と結論を含んでおりWikipedia編集ルール上たいへん危うい問題を含んでおります。--大和屋敷 2011年2月17日 (木) 21:41 (UTC)[返信]
  • 喜連川藩で騒動があり結果、処分された人がいたと言う結果は事実として信用できるかと思われます。ですが、原因や途中の成り行きが未だ検証されてないのが現状かと思われます。ので個人的には喜連川藩のページの一項目として「藩を揺るがす騒動があり幕臣の何某を巻き込んで喜連川藩の何某が処分された、詳しいいきさつは現在不明である」位におき、今後の有用な出典を待ってもよろしいのかと考えます。--三角箱 2011年2月18日 (金) 00:43 (UTC)[返信]

いくつか誤解を招きかねない部分があるので指摘だけさせてください。『もともと今の記事の内容は、議論を尽くしてコンセンサスを得たものではなく、数年前、騒動騒動が一色氏の退場で収束した時、「しばらく意図的に冷却期間をおいて(後で)検討するのがいい」ということになって、そのまま放置されているものです。』というのは正確ではありません。このノートの上のほうを見ていただければわかりますが、いちおう何人かで話し合って合意を取って今の形に落ち着いたものです。もちろん、これが完成形だとか最善だとかは思っておりませんが、まるでまったく何の話し合いも合意もなかったかのように言われると誤解を招くと思います。

それから、一次史料の紹介が独自研究にあたる、という見解ですが、これもやや違うように思います。一次史料を出典として、そこに書かれていることが事実であるという前提の記事を書くと独自研究となりますが、「ある史料にこのように書かれている」という事実を記事として書く場合は、その「書かれている」という事実は検証可能なものなので、独自研究にはあたりません。一次史料の紹介に留まっている現状を批判するのに適当な言葉があるとするなら「あまり百科事典的ではない」ということは言えるかもしれませんが、少なくとも独自研究のようにWikipedia上で存在を許容されないような状態にあるとは考えていません。以上、ご指摘のみ --Horlicks 2011年2月18日 (金) 16:32 (UTC)[返信]

  • 「もともと今の記事の内容は…そのまま放置されているものです」というのは、確かに不正確な表現でした。ただ、現行版の議論をしていた当時は(ちゃんとした研究が発表されるだろうと期待されていた)「喜連川町史第三巻 資料編3」の出版を待っていたという要素もありますし、私の認識としては、現行版はある意味暫定的なものとして合意されたものだと思っています。
  • 「ある史料にこのように書かれている」という事実について(ウィキペディアでいうところの)検証をしようとするなら、
(1)信頼できる情報源(=それなりの研究者)が「ある史料にこのように書かれている」と言っているか、
(2)その史料そのものが信頼できる情報源であること
が必要になります。
(1)に該当する出典が見つからないなら、(2)に該当するかどうかを検討するしかないわけですが、ちゃんとした学者による分析・評価がされていない「史料」は「信頼性できる」とはいえないだろうと思います。
  • もうひとつ別の角度からの論点を挙げます。百科事典の記事のなかに「ある史料にこのように書かれている」とあれば、読者は当然「(百科事典に載せるだけの信頼性・重要性がある)史料にこのように書かれている」と解釈するでしょう。「百科事典に載せるだけの信頼性・重要性がある史料だ」という判断がちゃんとした研究者によるものではなく、執筆者自身のものであるなら、独自研究になるのではないかと思います。
  • なお、一次史料の記述をそのまま引用紹介することが独自研究に当たらないという見解を取るのであれば、赤雲斗さんが記事に付け加えようとされている「喜連川義氏家譜」 や「及聞秘録」の記述についてどのように考えるのか、議論が必要になると思います。--Dwy 2011年2月19日 (土) 08:35 (UTC)[返信]

ある公開されている史料に何と記述されているか、はだれもが客観的に確認できる事実であって、そもそも検証を必要としません(ただし現代訳をしたり解釈を加えたりすれば別)。記述されているという事実をWikipediaに記述するうえで、史料の信頼性の評価は含んでいませんし、その必要もありません。「研究者A氏のBという本には『源義経はジンギスカンになった』と書かれている」という記述は、Bという本の史料的信頼性とは関係がありません。もちろん、源義経=ジンギスカン説の真偽の評価もしていません。この記述が指摘している事実はあくまで「Bという本に『~』という記述がある」という事実のみですから、その点が独自研究(未検証・または検証不能)でない限りはWikipedia的な意味でのルール違反にはなりません。--Horlicks 2011年2月19日 (土) 16:53 (UTC)[返信]

例えば、「『週刊○○』に『AとBは犬猿の仲』と書いてある」であれば、情報源である『週刊○○』の信頼性を評価した上で記述の可否を判断しますよね。それが「江戸時代の瓦版に『AとBは犬猿の仲』と書いてある」になると、『瓦版』の信頼性は問題ではなくなるということでしょうか?そのあたりの理屈がちょっとわかりません。
いずれにしろ、一次史料の引用紹介が独自研究でないというご意見であれば、「喜連川義氏家譜」 や「及聞秘録」の記述についてどのようにお考えなのか、お聞かせください。--Dwy 2011年2月20日 (日) 00:26 (UTC)[返信]

そんな難しいことを言ってるつもりはないのですが。「書いてある」という事実を記述するのに、その書いてある媒体の信頼性を評価する必要はありません。古いか新しいかは関係ないので、そのご質問じたい、前提としているご理解に違いがあります。「書いてあることが事実である」という記述(またはその前提での記述)をするなら、信頼性の評価は必要かも知れませんが。「Aという本にBと書いてある」という記述と、「Aという本に書かれているとおり、Bである」(または「Bである(出典A)」)という記述の違いがわからないということであればこの話は平行線になるかもしれません。

いちおうついでに後半のご質問にも答えるなら、私は記述の内容の妥当性を理由としたリバートはしていませんし、するべきだと言ったこともありません。無期限ブロックユーザによる編集を許すべきではない、という観点でのリバートは支持したことがあります。もう少しいろんな問題をきちんと整理して考えるべきではないかと思います。--Horlicks 2011年2月20日 (日) 12:20 (UTC)[返信]

こちらもそんなに難しいことを言っているつもりはないのですが、Wikipedia:検証可能性の点からは「Aという本にBと書いてある」という記述にも出典が必要なわけです。「Aという本」が出典だと言うのであれば、当然その信頼性を評価する必要がありますし、「出典はないけれど読めば誰でも分かるだろう」というのなら「独自研究」になってしまいますよね。
それから、「記述されているという事実をWikipediaに記述するうえで、史料の信頼性の評価は含んでいません」についてですが、信頼性の評価もなく生の史料だけを引用紹介されても、読者にとってはあまり役に立ちません(というか、ミスリーディングという意味でかえって有害かもしれません)。わざわざそういう役に立たない記述を加えるのは、百科事典として非常に不自然です。Wikipediaに記述するからには、少なくとも「百科事典に記述するに足る信頼性(あるいは重要性)がある」という評価が暗黙の前提としてあるはずで、読者は当然そのように解釈します。その意味で、史料の評価を含まない記述というのは、(執筆者はそのつもりであっても、読者にそう理解させるのは)事実上不可能だと思います。
とはいえ、Horlicksさんも「あまり百科事典的ではない」というところは認めてくださっているので、「史料自体の引用紹介はやめて、もっと簡潔な記述に要約し、史料は出典としての列挙に留める」という提案の趣旨にご賛同いただけるのなら、上のような原則論の議論はあまり必要ないのかもしれません。--Dwy 2011年2月20日 (日) 15:02 (UTC)[返信]

現代の週刊誌や小説から引用するのとはちがい、歴史的資料は史料批判(その文献は誰の保蔵によるものか、他の版との差異があるか、後世に改変されていないか、そもそも真贋はどうか等)が必要なので、安直に「ある文献に記述されていれば紹介可能」の論理は使いにくいのじゃないでしょうか。こういう古典文献の場合、一次史料は「信頼できる史料批判・史料検証」込みで「信頼できる情報源」になると考えます。及聞秘録はそういった史料批判を受けた信頼できるものなのでしょうか。近現代の出版物と同じような感覚で扱うわけには行かないのでは。「墓石があるから◎◎」「墓石がないから××」なとというのも同様で、墓石などはあとからいくらでも建てることはできるわけで、そういったものの紹介そのものの状態は危ういです。それを検証するのは他の信頼できそうな文献との整合性の突合せですが、「まさにそのことは独創性のある独自の研究」であってWikipediaで実施することが禁止されている行為です。--大和屋敷 2011年2月20日 (日) 15:18 (UTC)[返信]

そもそも史料の「信頼性」をWikipedia記述者が判断することのほうが「独自研究」なんですけどね。「出典」とは、「○○である」という事実をWikipediaで記述する場合に、「○○であること」という事実がすでに広く知られた事実であり、多くの研究者などの評価・批判を経て定着していることを担保するために必要とされるものです。しかし、何度も繰り返しになりますが、「Aという書物にBと書かれている」という事実(Bである、という事実、ではない)は、そのAという書物が出版ないし公開されていれば「書かれている」事実はだれにでも容易に検証が可能なわけですから、出典を必要としませんし、記述したところで独自研究にはなりません。そもそもなぜ「独自研究」はWikipediaから排除されているのか、という原則論に立ち返って考えていただければわかりますが、要するに「検証可能性の担保」が主眼のルールなのですから、そこの基準を見誤らないように注意する必要があります。「読者は当然このように思うはずだ」とか、そういう個々人の推測とか気遣いとかはWikipediaのルールではありませんので、そのへんもへんに混同しないほうがいいと思います。

で、現状の記述はベストではないにしても、現状これ以上のものを望むことが難しい状態にあります。何らかの研究書や文献が新たに出版されているのであれば、またそれを所持されている記者がおられれば、それに基づいての改変に反対はしませんが、現状ではそれが望めないので、現状から改善できるほどの材料がないと考えています。

どれだけ丁寧に説明されてもついにルールを理解できなかった情熱的な在野研究者にあまり振り回されすぎて、「そこまでされるのなら」というような安易な発想で迎合するようなことにならないように気をつけなければいけないと思います。 --Horlicks 2011年2月21日 (月) 16:40 (UTC)[返信]

「Aという書物にBと書かれている」という事実について出典(信頼できる情報源)が必要かどうかは、Wikipedia全体にかかわるルールの問題ですから、Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないで一般論として皆さんの意見を聞いてみようと思います。
「情熱的な在野研究者にあまり振り回されすぎて…迎合するようなことにならないように」というご指摘ですが、私から見れば、現在の版が既に、その在野研究者の情熱に引きずられた結果となっているように思います。そもそも「喜連川騒動」なる事件があったということからして、Wikipedia以外のメディアでは検証が難しいわけです。すごく厳しい見方をすれば、史料を並べて引用紹介し、そういう名称の事件が本当にあったかのように記述していること自体が「独自研究」だと言うべきなのかもしれません。騒動騒動当時は、「喜連川町史」で新しい研究が発表されれば立派な記事できるはずという予想でしたが、結局それも期待はずれだったようですし、現在出ている出典の情報でどこまで書いてよいのかをもう一度問い直し、百科事典の記述としてふさわしくない部分は整理していきましょうというのが、ここでの私の提案の趣旨です。--Dwy 2011年2月22日 (火) 14:37 (UTC)[返信]