ノート:和漢朗詠集

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統合提案[編集]

和漢朗詠集永済注は本項目の書籍の注釈本なので独立した記事にする必要はないと考えます。--DoWhile 2007年4月24日 (火) 16:30 (UTC)[返信]

ご提案ありがとうございます。ただ、永済注に限らず、日本の中世の注釈書などは、ある作品の「注釈」ではありますが、独自の説話を付与させているなど、文学作品をもとにした別の説話集・資料集としてもとらえることが可能です。事実、永済注自体の研究もおこなわれています。また、永済注が他書に影響を与えているとの指摘もあります。将来的にはそうした研究結果が記事に反映する可能性も残しておきたいので、独立した記事にしました。例えば、『源氏物語』の注釈書でも、『河海抄』などは、それ自体が一つの作品として研究の対象となっており、その場合は独立した記事である必要があると考えているからです。統合する場合は、「注釈史」として一つ一つの注釈を弁別する必要を感じます。ただ、そうなると「和漢朗詠集」という一つの文学作品の解説としては冗長すぎ、いたずらに混乱させてしまうおそれがあります。注釈の統合に関しては、和漢朗詠註抄も統合提案の対象になると思います。--湖沼亭主人 2007年4月25日 (水) 02:29 (UTC)

どうも。もちろん一定量の記述があれば注釈書も分割すべきでしょうが、この件に関しては統合してしまってもかまわない量でしょう。朗詠集本体の記述もまだかなり少なく、「注釈」の項目でまとまった情報があったほうが読者の益になると考えます。それらを弁別して記述しても特に混乱が生じるとは思えません。むしろ、注釈の歴史を書くのなら一つの項目内でやったほうがわかりやすいようにも思えます。--DoWhile 2007年4月25日 (水) 14:00 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。ちなみに、私は専門家ではないので、和漢朗詠集の注釈の歴史を書く力はありません。注釈の歴史が書きたいわけではありません。そもそも、和漢朗詠集の注釈の歴史についての研究は、端緒についたばかりで、さほど成熟していないように感じたため、あくまで注釈書のみの事実を書こうと思っただけです。くり返し主張させていただきますが、和漢朗詠集の注釈書は、例えば『源平盛衰記』に引用されていた事実もあり、和漢朗詠集という作品を離れて利用されています。また、漢故事をめぐる多数のオリジナルの説話なども掲載しています。その意味においては、注釈というレベルを越えており、別の記事にする必然性があるように感じます。中世においては、作品の「注釈」が、現代の「注釈」――字句の解説というレベル――とは位相が違うものだったのです。注釈書は注釈書として独立して発展展開し、享受されていました。それは『伊勢物語』や『古今和歌集』の注釈書でも同じです。今日のような字句の解説だけではなく、それを包含した説話集や故事とでも言うべきものが、「注釈」の名のもとで生まれていたのです。したがって、あくまで私個人の感覚ですが、和漢朗詠集の項目に、中世の注釈書が合併されることには違和感があります。これは的はずれで非常に悪い喩えですが、浦沢直樹の「PLUTO」を、原作が「鉄腕アトム」だから、「鉄腕アトム」の記事に合併させよう、という話と同じだと思います(くりかえしますが、これは極論です。あくまで私の感覚をたとえ話を用いてわかりやすく伝えようとしただけです。誤解されるかもしれませんが、その点はご容赦下さい)。「注釈」として和漢朗詠集の項目に別項を立て、それに関連付けさせればいいんじゃないでしょうか?「注釈」の項目でまとまって関連付けしてくだされば良いように思います。具体例をあげれば、『源氏物語』の項目でも、「派生作品」の「注釈書」の一つとして『湖月抄』が関連付けされ、別の記事となっていますよね?和漢朗詠集のケースも、この方針で良いんじゃないでしょうか?いかがでしょうか。長々と申し訳ありません。よろしくご検討お願いいたします。--湖沼亭主人 2007年4月26日 (木) 06:34 (UTC)[返信]
うーん、自分はもちろん「注釈書は常に統合すべき」と言ってるわけではありませんし、「古注」の意味もわかっているつもりです。しかし、本項においては、記事をみてもわかるように引用された事実や注釈の記述はあまり発展的でないというか、これも大変極端で悪い喩えですが小説とそのドラマ版が同一記事にあるように、まとめて同時に記述したほうが読者の益になると感じたので提案しました。注釈書の記事をつくるなと言ってるわけでも、注釈書は対象書と同一のものだと言ってるわけでもありません。あくまでこの記事と注釈書の発展性ということです。河海抄の記事はまだなく、湖月抄もつい最近できたばかりでもしかしたら統合の提案があるかもしれません。一言で言えば、自分はいわゆる大項目主義者なのでしょう。こんな風に:

注釈書[編集]

和漢朗詠集には以下のような著名な注釈書がある(順番は適当)。

和漢朗詠集永済注
永済によって編まれた和漢朗詠集の注釈書。作者の永済を、戦国時代の西生永済とする説があったが、近年の研究により否定されている。永済については詳しくわかっていない。牧野和夫によれば、鎌倉時代前期に、多武峰で活躍した僧で、『扶桑蒙求』『扶桑蒙求私注』『千金秘訣和哥義抄』『多武峰縁起』などの著者と同一ではないかとしている。 和漢朗詠集永済注は、源平盛衰記に引用されている……
和漢朗詠集永済注
釈無名によって編まれた和漢朗詠集の注釈書。註抄、註略抄とする写本もある。院政最末期から鎌倉時代の極初期に成立したと考えられる。先行する和漢朗詠集の諸注釈を大成することを意図して編まれたらしく、朗詠江注など先行する注釈書を引用している。特に、和漢朗詠集私注を多く引用しており……
和漢朗詠集私注
信阿(別名・信救、覚明)によって著された和漢朗詠集の注釈書である。漢文体で注を施している。全部で六巻。いくつかの写本の奥書に、応保元年(1161年)とあることから、この頃の成立と考えられる。先行する和漢朗詠集の注釈書である朗詠江注をわかりやすい形でとりこみ、和漢朗詠集全体にわたって句意や語句に注を施しているところに特徴がある。これは和漢朗詠集私注が、漢学の初心者向けの注釈書であったことを示している。
なんたらかんたら
うんたらかんたら……

こうしておけば読者も読みやすく、また注釈書の歴史についても簡単に書くことができます。どうでしょうか?しかし、ウィキペディアは合意が基本ですから湖沼亭さんがどうしても違和感があるというのであれば提案は取り下げます。--DoWhile 2007年4月27日 (金) 15:06 (UTC)[返信]
ご提案ありがとうございます。力がないため、発展的な記事を書けず、申し訳なく思っています。「和漢朗詠集」という記事に包含させる具体的な提案、ありがとうございました。ただ、「和漢朗詠集」の記事は、あくまで「和漢朗詠集」という文学作品を知りたい人のためのものであり、「和漢朗詠註抄」等の各古注釈書のことは、また別の記事にするのが穏当と感じています。発展性という点でも、各古注釈書は別記事とし、それらの研究成果等を参考文献で示す、という方式の方が、注釈書各自の研究をより詳しくすくいあげることができる点から、私は「発展性」を感じています。ご提案いただいた方式では、参考文献等はどうなるのでしょうか?このままでは参考文献等を明示することができず、できたとしても重複するものもあり、煩雑になってしまうようになると考えます。「和漢朗詠集」ではなく、古注釈書のことを詳しく知りたい読者の益にならないように感じました。したがって、合併提案には賛成できません。以下のように項目をたてるのはいかがでしょうか?

古注釈書[編集]

和漢朗詠集は、平安時代末期頃から注釈の対象となっていた。具体的な古注釈書は以下のものがある。


自分が何主義者なのかいまいちよくわからないのですが、発展性もなく役にもたたない書きかけ記事を書き散らしているわけですから、強いて言えばWikipedia:スタブ主義者なんでしょう。--湖沼亭主人 2007年4月29日 (日) 12:42 (UTC)[返信]
う~ん、参考文献は<ref>付で書けばいいですし、おっしゃっていることには必ずしも同意しませんが、時間が経ちましたし、これ以上議論は進まなそうなので統合依頼は撤回します。ありがとうございました。--DoWhile 2007年5月11日 (金) 16:47 (UTC)[返信]
こちらこそ、ありがとうございました。--湖沼亭主人 2007年5月12日 (土) 08:52 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

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