ノート:和泉守兼定

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出典の明記について[編集]

ウィキペディアは学術論文ではありません。利用者はあくまでも表題に関するアウトライン、表題に関連する一般的な話題が得られればその目的を満足できます。特に昔の刀工に関する逸話は並べて口承、伝説、想像によるものが多く、出典を特定するのは不可能です。また出典を特定できたとしてもそれもまた口承、伝説、想像を伝えているだけでしかない場合が多々あり、それらの検証は学者による多方面からの専門的な分析を俟たねばならないでしょう。一介の職人に過ぎない昔の刀工に関して正確な出典を求めていてはウィキペディア本来の目的が果たせません。従って「出典を求めます」のテンプレートは削除しました。2012.2.2編集者Hikaru1,113

編集及び書きかけ項目のテンプレートについて[編集]

新たな記事を求めるのは良いのですが、古い刀工について次から次へと新たな情報が出て来る事は期待できません。となると必然的に現在の記事を手直ししたものとなりますが、善意であっても作文力のない人が編集すると記事が非常に読み辛くなります。新たな編集に際しては理路の正しい文章を心掛けて下さい。また新たな情報があれば書きかけ項目のテンプレートなどなくても記事を書く人は出て来ます。従って書きかけ項目のテンプレートは外しました。2012.2.2 Hikaru1,113

「独自研究が入っています」のテンプレートと「本項全体の検証可能性に関する注意」について[編集]

中世の刀鍛冶という性格上、ノサダに関する情報は伝説・口承が大半であり、科学的な検証に耐えるものはありません。出典が不確かで、その出典自体、検証可能なものは少ないでしょう。従って誰が編集しても「独自研究が入っている」のではなく、「記事の一言一句が独自研究である」という事になります。ゆえにテンプレートの代わりに冒頭に以下の以下の注意を掲げました。

「  本項全体の検証可能性に関する注意


 和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)は日本刀の鍛冶であると考えられており、その名跡は室町時代から江戸時代まで11代続いている(会津兼定を参照)。本項で扱う和泉守兼定は室町時代後期に美濃国で活動したと推理されている二代目の和泉守兼定、通称「ノサダ」である。但し一般的に中世の職人に関する情報は少なく、特に刀鍛冶という職業の性質上、和泉守兼定に関する確実な情報は、遺された作品以外、殆ど無い。また職人・芸術家は一般にその人物の履歴よりも先ずは作品によって社会的に評価される。そして作品に対する評価とは識者の主観が概ね一致した段階で社会的に流通する「文化現象」であり、時代や場所によって変動する可能性を持っている。本項全体の記事内容はそのようなノサダに関する伝説・口承、ノサダの作品に対する可変的な評価を基にした、「ノサダ現象」の社会・文化的な相対的イメージの域を出ないものである。その意味では絶対的事実として検証可能な記事ではなく、ヘーゲル的な推論となっている。従ってその検証可能性は人文社会学的な方法においてのみ妥当し、科学的な分析による検証可能性とは本質的に異っている。 」2012,2,2 Hikaru1.012

会津兼定の項目[編集]

会津兼定についてはウィキペディアに独立したページがあるので削除しました。 2012.1.31 Hikaru1,113

歌仙拵について[編集]

今日「歌仙拵」と呼ばれている物は細川忠興が家臣36人を殺害するのに使用した刀が納められていた拵の事です。その刀がノサダであったという確実な証拠は存在せず、あくまでも口承、推理によるものです。またその刀に「和泉守兼定」の銘があったとしても、それ自体偽名であった可能性もあり、本当の所は誰にも判りません。偽名なら忠興自身、間違っていた事になります。

とまれ「歌仙拵」の方は現存するのですから、そう呼ばれた何らかのエピソードはあったのでしょう。36人の家臣=「三十六家臣」の語呂が「三十六歌仙」に似ているのは疑いようのない所であり、かかる記述は正当です。それ以外、「三十六歌仙」に結び付ける合理的な理由がないからです。

2012.2.2 Hikaru1,113

「後世における評価」と「文化的評価」の違い[編集]

ノサダから見て後世とは江戸・明治・大正・昭和・平成と様々な時代を含みます。また評価という概念には時代や社会の変化に伴う文化的な価値判断が必ず混入します。そうした価値判断の混入は本項において避ける事は不可能です。従って漠然とした「後世における評価」ではなく「文化的評価」と銘記し、その記事がカバーする領域と限界を示した方が良いでしょう。2021.2.2 Hikaru 1,113

また現代では日本刀は美術品や文化財として研究されています。そうした研究においては、今日では作品を独立した対象・物としての価値だけで捉える事はせず、作者や時代背景、歴史的・社会的文脈において理解しようとします。かかる見地から以下の記述は極めて現代的な価値を有しており、「後世における文化的な評価 」の一例として適切だと思います。

「ノサダの作品は文化財・美術品としては古来必ずしも最上の評価を受けてるとは言えないが、いつの時代にも熱烈な支持者がいる。様々な作風を遺しながらそれら全てにノサダその人の個性が表れていること、しかしその個性は決して過ぎたものではなく極めて抑制されていること、等から、「武士の魂」という日本独特の文化的表現に当て嵌まる床しさがあるというのである。日本刀は武器か美術品かという定義以前に、日本の文化・歴史において刀が人々にどのように受け容れられて来たかを考える上で、人として、作品として、今日ノサダの評価は文化論の領域に入っている。」

2012.2.2 Hikaru1,113

ノサダと「武士の魂」を結び付けることは妥当か?[編集]

= 後世の評価 =の項目における以下の「武士の魂」云々の記事について。

「ノサダの作品は文化財・美術品としては古来必ずしも最上の評価を受けているとは言えないが、いつの時代にも熱烈な愛好者がいる。様々な作風を遺しながらそれら全てにノサダその人の個性が表れていること、しかしその個性は決して過ぎたものではなく極めて抑制されていること、等から、「武士の魂」という日本独特の文化的表現に当て嵌まる床しさがあるというのである。日本刀は武器か美術品かという定義以前に、日本の文化・歴史において刀が人々にどのように受け容れられて来たかを考える上で、人として、作品として、今日ノサダの評価は文化論の領域に入っている。」

ノサダという人物については検証可能な情報が乏しいですが、ノサダの作品は数多く残っています。それらを見る事は不可能ではないので、上掲の記事内容は実際にノサダの作品を見る事で一つの印象として検証可能であり、ウィキペディアの記事として適当でしょう。 2012.2.2 Hikaru 1,112

項目統合について[編集]

=概要=という項目は独立させる必然性がないので、記事を読み易くするために=2代目和泉守兼定=の項目に統合しました。2012.2.2 Hkaru1,113

「濃州関住」「造」は明らかに人名の一部ではないので項目名としては不適切です。 したがってこの項目に統合するか、あるいは「二代兼定」もしくは「兼定 (二代)」とすべきかと思います。 --踏蹟 2006年9月29日 (金) 16:12 (UTC)[返信]

「和泉守」は弟子達による代打ちと後代による日本刀の偽銘が多分に含まれておりますので 兼定(二代目)がよろしいのではないでしょうか 以上の無署名のコメントは 2006年9月30日 (土) 02:55に利用者:200.42.210.208さんが投稿したものです 
兼定(二代)に統合願います 以上の無署名のコメントは 2006年10月1日 (日) 02:28に利用者:202.179.108.58さんが投稿したものです
ノートで議論する際には話の流れが分かるようにインデントを付けるようにしてください。また最後に署名をしてください。(~~~~と入れると自動的に署名が入ります)勝手ながら整形させていただきました。
また、統合の話をしている間に新たに兼定 (2代)が作られてしまったようですが、このようなことをされると作業がややこしくなります。本来ならこの記事を新しい記事名に移動するだけで良かったのに。
新しい記事名をどうするのかを話し合う段階で事態を複雑化させないでください。
(正直、この分野に詳しいわけでもないのに首を突っ込んでしまったことを後悔しております。愚痴ですが)--踏蹟 2006年10月1日 (日) 17:14 (UTC)[返信]

すぐり様のご意見に同意します 「濃州関住兼定」「濃州関住兼定造」「兼定2代」これらは重複しますので最初の「和泉守兼定」に統合了承します 混乱させてすみませんでした)--以上の署名のないコメントは、88.198.16.80会話/Whois)さんが 2007年1月4日 (木) 12:18 (UTC) に投稿したものです。[返信]

こんにちは、お邪魔します。トークページに書き込みして、濃州関住兼定造をなんどか消していらっしゃった方に声かけてきました。現在の統合対象は、濃州関住兼定濃州関住兼定造兼定 (2代)で、OKでしょうか?
まずは提案なのですが、話がこじれる前に、まずは履歴が一番古い濃州関住兼定に統合してしまいませんか? 落ち着き先の記事名は後から決めても良いかなと思うのですがどうでしょうか? --すぐり 2007年1月4日 (木) 12:53 (UTC)[返信]

すぐり様 OKです 統合お願いします--88.198.16.80 2007年1月4日 (木) 13:31 (UTC)[返信]

えーと、勘違い、申し訳ない。和泉守兼定が一番古いようなので、「和泉守兼定」に統合します。--すぐり 2007年1月8日 (月) 05:57 (UTC)[返信]

百科事典に相応しい記事に編集しました[編集]

ウィキぺディアは百科事典です。利用者が表題事項についての端的な情報が得られなければ意味がありません。端的な情報とは、表題に関するディテールに及ぶ事ではなく、あくまでも表題のアウトラインを捉えた概括的な記述であります。この原則に則り記事を編集しました。ウィキペディアは単なる知識ベースではありません

以前の記事の問題点。

「兼定と銘を切るものと「之定」と「定」のウ冠を省略「之」の字に切るものとがある、前期作の作風は低い刃紋を焼き山城 特に来物を彷彿させる細身の上品な作風、後の之定銘は多種多様な作風があるが豪壮な造り込みの物は一貫して造っておらず、身幅があって長寸の無名の物を兼定と極めているのをまま見受けられるが今日では否定されており、単なる末関と鑑るのが妥当である、2代目兼定は無骨な作風は皆無である。

刃中の働きは元から切っ先までむらなく”匂い口が締まってサーッと消え入りそうに刃先に向かう”のが最大の特徴であり、匂い口を締て刃中を働かせていいることなど古刀期ならではの技量であり、地鉄の良さが平安・鎌倉(”二流工”の意味)をも凌ぐと武家目利の興趣は絶賛しており、兼定に始まって兼定に終わるとさえ云われている、孫六兼元のような”変化の激しさ”とは対照的に”静寂”な作風である、之定銘の作は素人受けする派手な刃紋が多い、銘は自身銘であり、銘切師には一切切らせておらず”奥義”のある銘振りである。

古来より入札鑑定などで村正と比較されるが村正の地刃は黒づみ地方色がある、兼定は一切黒ずまず冴えており白気映りの立たない上手な作が現存している、兎に角 地鉄(じがね)が素晴らしいことで定評がある。

明応二年から大永六年までの年期のある作と比較した場合、文亀二年以降のものは刃紋も書体も一貫しておらず、利隆をはじめとする複数の弟子達による代打ちであるため、古来より2代目兼定は、大永年間以前・以後で区分して、前者が特に珍重された。」

文章として晦渋だったので読み易く改訂しました。また記述がディテールに偏向しており、ウィキぺディア利用者が百科事典的情報を得る事を妨げていると思われるので、表題記事のアウトライン的情報を付加しました。ウィキぺディアの記事は刀剣書でも鑑定書でもないので、ウィキぺディアの趣旨に照し合わせて不適切と思われる箇所を削除しました。

編集者

千両兼定について[編集]

以前の記事は直接的な典拠に欠け、充分な信頼性が担保されていなかったので改訂しました。

編集者

出典の明記、検証可能性について[編集]

wikipediaでは検証可能性は「実物を見ればわかる!」といったことではないのです。「実物を見ればわかる!」ことならば刀剣研究家や刀剣評論家が論文や専門雑誌記事、書籍に書いてることでしょう。それを提示するのが検証可能性です。つまり『刀剣研究家Aは和泉守兼定について○○だと言ってる(出典 文献XYZ、何ページ)刀剣評論家Bは和泉守兼定について××だと言っている(出典 文献ZYG 何ページ)』←こういうのを検証可能性を満たすというのです。wikipediaは執筆者が「知っていること、感じたこと、見たこと」を書くところではありません。Hikaru1114さんのご高説が刀剣界の定説であるならば、だれか刀剣研究家が同じ趣旨のことを何かの書籍・雑誌に書いてることでしょう。その雑誌を提示して下さるのが「出典の明記」「検証可能性」です。どこの雑誌・書籍にも書いてないこと、つまり刀剣界の定説ではなくHikaru1114さん独自の研究ならば書くべきではありません。--ぱたごん 2012年2月2日 (木) 04:45 (UTC)[返信]

RE:だから貴殿の言うように、ウィキペディアにおいて古い刀工の記事を書くのは事実上何人にも不可能です。しかし日本刀には古いものでも現存する作品が多数あります。そしてかかる作品の主観的鑑賞の総体が、個別的刀工やその作品の評価を形成しているのです。他者の評価に対し、自分自身もその作品を見て「検証」することが可能であり、そのような共同主観、相互主観性の下に成り立つのが鑑賞という行為です。「検証」以前に「鑑賞」が日本刀に関する文化の基盤となっています。そして鑑賞の歴史は日本刀制作当初からあり、日本刀と鑑賞は不離不即だったのですから、日本刀に関しては主観的な鑑賞を抜きにした客観的検証は不可能なのです。従って貴殿が鼻の穴を膨らませて>wikipediaでは検証可能性は「実物を見ればわかる!」といったことではないのです と力説しても、そもそも日本刀そのものが共同主観、相互主観性に基づく評価でしか情報交換できない文化なので、貴殿の主張はこと日本刀に関する限り、意味がないのです。そんな不毛な「検証」に拘るより、現実の日本刀文化の検証不可能な面は、それ自体が日本刀文化の特徴であると認め、推理であっても日本刀に関わる伝説・口承が基になった記事の方が、何も書かれていないより読者にとって有利な情報になる、と捉えた方が現実的ではないでしょうか。また小生は「実物を見ればわかる!」などとは一言も言っていません。言ってもいない事に責任は取れません。貴殿の決めつけは真っ赤な嘘である事を銘記しておきます。また本項記事の大半は他の方が書いたものです。小生にできるのはそれらの出典を探求する事でしかありませんが、上述の通り、出典に拘るのも本末転倒です。記事の検証可能性において最もしてはいけないのは、貴殿のように嘘を吐く事でしょう。Hikaru1.112

◆Hikaru1114さんの投稿内容については、私もどこかで読んだ気がするものがありますので、おそらくぱたごんさんのおっしゃるように誰か刀剣研究家が同じ趣旨のことを何かの書籍・雑誌に書いてることと思います。それを加筆してください。--ろう(Law soma) D C 2012年2月2日 (木) 07:13 (UTC)[返信]

RE:加筆と言われてもすぐに削除されては詮無いし、全ての人に編集する権利があるのですから、貴殿が小生の投稿内容についてどこかで読んだ気がするのでしたら、私が他の方が書いた「作風」の項目の出典を探し出しより詳しく引用したように、貴殿こそ是非その部分の出典を加筆して下さい。出典・引用を銘記した記述の例は、以下の「作風」の項目の出典について、及び当該記事を参考にして下さい。Hikaru1.112

Wikipedia:出典を明記するなどの編集方針をよくお読み頂いてから編集してください。--ろう(Law soma) D C 2012年2月2日 (木) 11:25 (UTC)[返信]
>全ての人に編集する権利・・・それはあくまでwikipediaの方針に従うことを前提にした話です。方針に従わないのなら編集はしてもらっては困ります。
例えば『寸法の長いものも寸詰まりに見えるのが特徴。』←この記述。この記述は貴方の独創ではありませんね?刀剣愛好者団体や鑑定家団体などで言われていることですね?それがどの書籍・雑誌に書いてあるのか?それを明らかにしてください。それがwikipediaにおける「検証可能性」です。>作品の主観的鑑賞の総体が、個別的刀工やその作品の評価を形成しているのです。・・・ならばその評価が書かれた文献を提示して下さい。主観を第三者の言とすることができたときに初めて書けるのです。--ぱたごん 2012年2月2日 (木) 11:29 (UTC)[返信]

RE:また嘘を吐いていますね。

>『寸法の長いものも寸詰まりに見えるのが特徴。』←この記述。この記述は貴方の独創ではありませんね?刀剣愛好者団体や鑑定家団体などで言われていることですね?それがどの書籍・雑誌に書いてあるのか?それを明らかにしてください。

削除されていなければ、書いてあると思います。

>それはあくまでwikipediaの方針に従うことを前提にした話です。方針に従わないのなら編集はしてもらっては困ります。

嘘の決め付けに基づくバカな話ですね。小生がウィキペディアの方針に従っていない事実はどこにもありませんよ。嘘を吐くのはいい加減にして下さい。貴殿は、「嘘を吐いてはいけない」「他人が言ってもいない事を決め付けてはいけない」「他人がしてもいない事をしたと言ってはいけない」「虚偽の告発で事実を捻じ曲げてはいけない」「虚偽の告発で他人を貶めてはいけない」という人間社会のルールを守って下さい。 Hikaru1,112

拙著で恐縮ですが、一つの手本としてパタゴンをお読み下さい。主観的な評価については歴史上の人物に語らせています。私自身の主観的評価を書いてはいません。

RE:ならば貴殿も編集に加わってみてはいかがですか? 小生の主観的な評価も何も、そもそも本項の記事内容自体、小生の手になるものではありませんよ。主観的記事が多く、それでも積極的に利用したい、その思いと理由を小生は「ノート」に記しただけですよ。貴殿は何か勘違いしているのではないでしょうか? 「作風」に関しては以前のものは出典が明記されていませんでしたが、光孫の個人研究が典拠になっているようです。研究機関においても光孫の個人研究は当然参照しているでしょう。日本刀における「客観的検証」はこのような個人の主観的な鑑賞による「個人研究」無しにはあり得ないでしょう。「ノート」でこそ、それが指摘できるのではないでしょうか。Hikaru1,112

「作風」の項目の出典について[編集]

これまでの「作風」の項目における記述は私が書いたものではありませんが、本阿弥光孫著『日本刀の掟と特徴』からの引用と思われますので、出典を明記し、より詳しく引用しました。2012.2.2 Hikaru 1.112

大変申し訳ありませんが、引用と転載の別をご理解頂けていないようです。Wikipedia:著作権Wikipedia:出典を明記するもご覧ください。--ろう(Law soma) D C 2012年2月2日 (木) 11:23 (UTC)[返信]

RE:大変申し訳ありませんが、転載にならないよう、「引用」してあります。著者を明記し、著作権には抵触していないと理解しております。 これは「独自研究」の例を本阿弥光孫に求めたものでもあります。 小生の言う「独自研究」とは正にこれであり、光孫の「独自研究」が日本刀に関するウィキペディアの記事として、見事に機能している証明になっています。誰かの個人研究無しに日本刀の記事は絶対に書けないのです。 では光孫の個人研究は何を根拠としたものでしょう? それは光孫自身の主観的鑑賞と、先人や他の研究者のやはり主観的な鑑賞の総体です。 これが日本刀文化の基盤となる相互主観性なのです。それは「実物を見ればわかる!」などといった主観性では断じてありません。自分の主観がそうだからと言って他者の主観もそうだと決め付けるのは愚かです。Hikaru1,112

日本の法律でいう「引用」の意味がお分かりですか?上記リンク先をご覧になっての応答にしては早すぎますが、お読みになったのでしょうか?これまでもぱたごんさんによる方針類への案内に、方針に従わない旨の発言で応答するなどの姿勢が見られますが、そのような姿勢で参加される方は、方針類をお読み頂く期間として投稿を制限されることがありますので、よくお考えになってから応答された方がよろしかろうと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年2月2日 (木) 11:35 (UTC)[返信]

RE:あなたが言う>日本の法律でいう「引用」の意味 とは法律の条文のどこを指していますか? 明確にお答え下さい。 小生が了解している限りでは、「引用」に関する法的制限は日本の法律では定めていないと思っておりました。刑法ですか。民法ですか。小生は日本の法律にそんなバカな条文があるとは存じませんが、もしも小生の不覚であったら大変なので、是非教えて下さい。 また、

>方針に従わない旨の発言で応答するなどの姿勢が見られます

との事ですが、「ノート」で議論するのは記事をより有益なものとする上で極めて良い事だと思います。 貴殿は何か勘違いされているのではないでしょうか。本項の記事は「作風」以外全て他の人が書いたものであり、小生の加筆は、出典やその内容が個人研究であるとういう旨や、細部の表現のみでしかありませんが。 Hikaru1.112

著作権法第32条を指しています。この条文中「公正な慣行に合致するもの」とは判例(最高裁判所昭和55年3月28日判決)により「主従関係の明確化」「引用部分の明確化」などが必要とされています。
他の人が書いたものは、「引用」するなら上記判例に即した利用をする必要がありますし、そうでないなら筆者自身の言葉で置き換えて執筆しなければ著作権侵害となる虞があります。
また、貴方の発言では「思われます」などとなっています。素直に読みますと、これは孫引きのため判断を保留しているように読めます。そのような場合は直接の出典をお書きください。もちろんその出典はWikipedia:検証可能性という方針に則ったものでなくてはなりません。
Wikipedia用語と思って頂いてもよろしいですが、信頼できる出典を示さずに執筆を続けることは方針に反しますし、独自研究と思われます。また、独自研究とは直接の執筆者の独自研究を指し、貴方がおっしゃるような出典の著者の研究を指すものではありません。これらは方針をお読みいただければ誰でも理解できることです。
いずれ、貴方が上でぱたごんさんに言っていることは、Wikipedia日本語版の方針類を全く読んでいないか、又は守る気がない人の発言です。方針を守る気がないのでしたら、方針をお読み頂く間、投稿を見合わせて頂くことになります。--ろう(Law soma) D C 2012年2月2日 (木) 12:50 (UTC)[返信]

RE:「作風」の記事を指しているのだと思われますが、当該引用は「公正な慣行に合致するもの」であり、「主従関係の明確化」「引用部分の明確化」を十分万足させています。どこが問題なのでしょうか。明確にお答え下さい。当該記事に対する小生の見解は上述の通り、

「これは「独自研究」の例を本阿弥光孫に求めたものでもあります。 小生の言う「独自研究」とは正にこれであり、光孫の「独自研究」が日本刀に関するウィキペディアの記事として、見事に機能している証明になっています。誰かの個人研究無しに日本刀の記事は絶対に書けないのです。 では光孫の個人研究は何を根拠としたものでしょう? それは光孫自身の主観的鑑賞と、先人や他の研究者のやはり主観的な鑑賞の総体です。 これが日本刀文化の基盤となる相互主観性なのです。それは「実物を見ればわかる!」などといった主観性では断じてありません。」

というものです。勿論、光孫の「独自研究」とその引用の背景は「公正な慣行に合致」しています。主従関係は明確であるし、引用部分も明確です。著作権法上問題なら削除すれば良いだけでしょう。 どうやら小生が編集した「作風」の記事は削除されていないようですから、著作権法上問題はないのでしょう。という事は貴殿の発言は事の理非を弁えず、小生に非があるように頭から決め付けているだけでしかありません。非常に迷惑です。

>独自研究とは直接の執筆者の独自研究を指し、貴方がおっしゃるような出典の著者の研究を指すものではありません。

それは違います。独自研究とは直接の執筆者の独自研究を指します。当該記事は元々、直接かあるいは孫引きか判りませんが、その「直接の執筆者の独自研究」からの引用であったものを、出典が明記されていなかったので、小生が出典を探し出してより全面的に「引用」し、出典である本阿弥光孫著『日本刀の掟と特徴』を明記しております。光孫の「独自研究」が日本刀に関するウィキペディアの記事として機能しているという事です。貴殿の非難は不当です。

>また、貴方の発言では「思われます」などとなっています。素直に読みますと、これは孫引きのため判断を保留しているように読めます。そのような場合は直接の出典をお書きください。もちろんその出典はWikipedia:検証可能性という方針に則ったものでなくてはなりません。

どの発言ですか。貴殿が何を指して「これは孫引きのため判断を保留している」と言っているのか判りません。ノートにおける発言が孫引きと言われるのも解せません。また「そのような場合は直接の出典をお書きください」とはどういう事ですか? 「判断の保留」はともかく、ノートにおける発言は小生の主観から発したものですから、「直接の出典」も何も、小生の主観それ自体が出所ですが? 貴殿はその「出典」を求めているのですか(笑)。 ほんと、変な人ですね。まさか主観を「直接の出典」として出せというのですか? どうやったらそんな事ができるですか? ほんと、変な人ですね。そこまで行くとビョーキですよ(笑)。  また「思われます」という言語表現は、自己を話題に内在化させず客観的な意識を維持した状態においてしばしば用いられると言語学では考えられています。そのような言語表現には様々な定義があるようですが、基本的にはメタ言語機能ではないでしょうか。勿論、「自己を話題に内在化させない」「客観的視点を維持した状態」とは判断の保留の場合もあればそうでない場合もあるでしょう。いずれにせよそれがなぜ「直接の出典」と結び付くのか、理解できません。

>信頼できる出典を示さずに執筆を続けることは方針に反します

というのも意味が判りません。本項の「作風」以外の記事は他の人が書いたものであり、小生はその独自研究に当たる部分の保存、細部の表現の修正をしただけですよ。 小生が自分の意見を述べているのはノートにおいてです。 あなた、言い返せないから逆恨みしてるんじゃないですか? 小生はウィキペディアの方針を貫徹していますよ。勝手な決め付け、言いがかりは止めて下さい。。

>貴方が上でぱたごんさんに言っていることは、Wikipedia日本語版の方針類を全く読んでいないか、又は守る気がない人の発言です。方針を守る気がないのでしたら、方針をお読み頂く間、投稿を見合わせて頂くことになります。

これも言いがかりです。小生自身は「作風」の項目以外、編集と言えるほどの事はしていません。ただ「本項全体の検証可能性に関する注意」として、本項全体にどうしても独自研究の混入が避けられない旨、その理由と共に明記し、利用者に注意を促しました。これは日本刀に関する記事の特殊性、取り分け古い刀工に関する記事の特殊性に鑑み、利用者に注意を促したものであり、ウィキペディアの方針に合致しております。日本語版の方針の解釈の仕方が貴殿とは異なるだけです。自分と意見が違うからと言って否定する貴殿の態度こそ、ウィキペディアの方針を守っていないと言えます。 Hikaru1,111

「大変申し訳ありませんが、引用と転載の別をご理解頂けていないようです」という言葉への注意[編集]

>大変申し訳ありませんが、引用と転載の別をご理解頂けていないようです。Wikipedia:著作権、Wikipedia:出典を明記するもご覧ください。

こういう「ノートで誰かが何かを言ってるから、言ったった」みたいな書き込みは時間の無駄です。心底そう感じ、自分の考えが正しいと信じているなら、つべこべ言わず自分でその信念通りに行動し、編集すべきです。そらがウィキペディアにおける編集です。何でもかんでもツイートしただけで他人がやってくれるなどとは思わない事です。気になった事は自分でやりなさい。Hikaru1,111

事実の捻じ曲げに関して[編集]

虚偽の告発をした者がおり、小生(Hikaru 光量子Hikaru)の発言ができなくなりました。従ってその間の小生に対する御意見は全て削除致します。小生の発言が不当に封殺されていた間の、小生に対する発言を掲載する事は、小生が発言ができなくなった原因である虚偽の告発を認める事になる、との判断からです。どうかご理解下さい。と言うより、それは発言を不当に封殺された小生の権利です。

小生の提案は、

「一般的に中世の職人に関する情報は少なく、特に刀鍛冶という職業の性質上、和泉守兼定に関する確実な情報は、遺された作品以外、殆ど無い。また職人・芸術家は一般にその人物の履歴よりも先ずは作品によって社会的に評価される。そして作品に対する評価とは識者の主観が概ね一致した段階で社会的に流通する「文化現象」であり、時代や場所によって変動する可能性を持っている。本項全体の記事内容はそのようなノサダに関する伝説・口承、ノサダの作品に対する可変的な評価を基にした、「ノサダ現象」の社会・文化的な相対的イメージの域を出ないものである。」

という理由を明示した上で、記事冒頭に「本項の記事全体に関する注意」を置く事でした。これは本項においては記事としてそれなりに参考になるのに、その大半が上記の理由からどうしても客観的な信憑性が担保できない内容である事を、読者に告知するものです。実際、本項においては、客観的信頼性という点から削除の憂き目に会う記事が過去に多々あったようです。ある程度客観的信頼性に欠ける記事であっても、読者が自己責任において判断できれば公共的な有益性があるものもあります。そのためには冒頭に注意を掲示すればよいのでは、と考えた訳です。

また小生が擁護している独自研究の概念はこのノートに記してある通りですが、小生自身は独自研究にあたる記事も客観的信頼性に欠ける記事もかいていません。上記「本項の記事全体に関する注意」「作風」、項目の整理統合だけです。それをさも小生が信頼性の乏しい記事を編集したかのように言われるのは、事実を捻じ曲げております。

「人が言ってもいない事を言ったと決め付ける」「人がやってもいない事をやったと言って貶める」。人間として最低です。しかもその卑怯な輩は小生の発言を虚偽の告発で封殺し、議論から逃げました。最低の卑怯者です。2012.2.2 Hikaru 1,112

作風の項目[編集]

以下のようなご指摘がありました。

  • 日本の法律でいう「引用」の意味がお分かりですか?上記リンク先をご覧になっての応答にしては早すぎますが、お読みになったのでしょうか?これまでもぱたごんさんによる方針類への案内に、方針に従わない旨の発言で応答するなどの姿勢が見られますが、そのような姿勢で参加される方は、方針類をお読み頂く期間として投稿を制限されることがありますので、よくお考えになってから応答された方がよろしかろうと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年2月2日 (木) 11:35 (UTC)[返信]
  • 著作権法第32条を指しています。この条文中「公正な慣行に合致するもの」とは判例(最高裁判所昭和55年3月28日判決)により「主従関係の明確化」「引用部分の明確化」などが必要とされています。
  • 他の人が書いたものは、「引用」するなら上記判例に即した利用をする必要がありますし、そうでないなら筆者自身の言葉で置き換えて執筆しなければ著作権侵害となる虞があります。
  • また、貴方の発言では「思われます」などとなっています。素直に読みますと、これは孫引きのため判断を保留しているように読めます。そのような場合は直接の出典をお書きください。もちろんその出典はWikipedia:検証可能性という方針に則ったものでなくてはなりません。
  • Wikipedia用語と思って頂いてもよろしいですが、信頼できる出典を示さずに執筆を続けることは方針に反しますし、独自研究と思われます。また、独自研究とは直接の執筆者の独自研究を指し、貴方がおっしゃるような出典の著者の研究を指すものではありません。これらは方針をお読みいただければ誰でも理解できることです。
  • いずれ、貴方が上でぱたごんさんに言っていることは、Wikipedia日本語版の方針類を全く読んでいないか、又は守る気がない人の発言です。方針を守る気がないのでしたら、方針をお読み頂く間、投稿を見合わせて頂くことになります。--ろう(Law soma) D C 2012年2月2日 (木) 12:50 (UTC)[返信]


  • 問題があれは「作風」の記事を全面的に編集ないし削除すべきですが、そうはされていない。即ち上記の指摘はいずれも当て嵌まっていない。事実を捻じ曲げる嘘。
  • 著作権法第32条は当事者間の紛争解決のための判断基準となる法律条文です。「引用」とは法律概念ではありません。従ってこの人物の発言は間違っています。
  • >信頼できる出典を示さずに執筆を続けることは方針に反しますし、独自研究と思われます。また、独自研究とは直接の執筆者の独自研究を指し、貴方がおっしゃるような出典の著者の研究を指すものではありません。これらは方針をお読みいただければ誰でも理解できることです。

小生は本阿弥光孫『日本刀の掟と特徴』を典拠として明示しているので、この指摘は嘘。しかも内容は小生の独自研究ではないので、これまた事実を捻じ曲げた嘘。

  • >大変申し訳ありませんが、引用と転載の別をご理解頂けていないようです。

転載ではなく編集されているからこれも嘘。

2012.2.4 光量子

Hikaru1114様[編集]

一部に出典を付けときました。まだ、出所の分からない記述が残っています。出典付与の書式は慣れないと難しいので、ここに書名を書いてくだされば私が調べて出典付与します。急ぎませんのでブロック明けでいいです。決してブロック破りはされませんように。ブロック破りは無期限ブロックになりかねません--ぱたごん 2012年2月4日 (土) 10:57 (UTC)[返信]

利用者:Hikaru1114会話 / 投稿記録 / 記録及び利用者:Gurdjeff2000会話 / 投稿記録 / 記録はブロック破り及び不正なアカウント使用として共に無期限ブロックとなっています。--Web comic 2012年2月4日 (土) 11:03 (UTC)[返信]
あら!? がっくし(泣き)--ぱたごん 2012年2月4日 (土) 11:32 (UTC)[返信]

之定、疋定について[編集]

刀剣自体にはあまり詳しくないのですが、本文中に気になった表現があったので、横から一言。「「定」の字をウ冠の下に「之」を書く独特の字体で切ることが多いことから、」とありますが、そもそも明治以前においては、うかんむりの下に「之」のような形(実際には一画目の「ヽ」は無く、一を書いた下に「✓」「ノ」を書いて最後に下を払う)を書く「定」という方が楷書における標準的な字体でした(江守賢治『解説 字体辞典』1989年三省堂ISBN 4385150346 582ページ参照)。この記事に言う所の「疋定」(正しくは疋ではなく、一画目がはねませんが)すなわち今日の標準字体は、康煕字典体と呼ばれ、金属活字印刷が発達して以降に標準となったものです(字形の似た「之」「走」「是」なども同様)。また添えられている字体の画像も「之」そのものになっていますが、上記のように若干字形が異なります(なお厳密に言えば「兼」の方も、下が「灬」の形になるのが当時の標準字体となります。前掲書413-414ページ参照)。Google画像検索で「兼定」を入れた結果出てくる銘の画像も上記の字形となっておりました(個人ページが多いのでここでの掲出は控えますが)。という事情があるので、之定を「独特の字体」とする表現は、ちょっと気になりました。--トホホ川 2012年2月4日 (土) 12:51 (UTC)[返信]

トホホ川さん、こんにちは。私は刀剣にも漢字にも詳しくはないですが、今、出典の写真を見ています。室町時代や江戸時代初期の刀の銘に(2代目兼定以外)今の「定」とまったく同じ「定」が刻まれています。金工ですから変化することもないでしょう。うかんむりの下に「之」を書く「定」が当時の標準文字だったかどうかは知りませんが、現在の「定」とまったく同じ「定」も当時の刀剣の銘に使われていたことも確かです。私の言葉では信憑性ないので 得能 一男 著『刀工大鑑 決定版』光芸出版、2004年 p.84-85の刀の銘の写真をご覧ください。
刀工の兼定にも室町から江戸初期に同名の刀工がたくさんいるのですが、別人でも現在の「定」と同じ字を使っています。もしかしたら、刀の銘は鋼にノミで刻印した文字なので直線的な文字しか刻めなかったのかもしれませんし、したがって刀工の世界だけかも知れませんが、少なくとも昔の刀工は現在と同じ「定」を使っています。--ぱたごん 2012年2月4日 (土) 14:18 (UTC)[返信]
ああ、すみません。ちょっと誤解を与えてしまったかもしれませんが、「之定」の字形の方がより「標準的」であったというだけで、「疋定」の方も当然用いる人はいました(というより、活字が普及するまでは一つの字に複数の字形が存在し、人によって違いました。たとえば王羲之は「之定」、顔真卿は「疋定」が多い気がします)。なので、字形の違いによって刀工の区別を行うこと自体には特に問題視しておりません(ぱたごんさんの推測のように金属に文字を刻むのに直線的な方が都合が良かったのだとも思います)。気になったのは広く普及していた字形に対して「独特」という表現が用いられていた点だけです。字形の歴史を知らない人が見ると、あたかも「之定」が兼定銘の刀剣だけに用いられていたように読めてしまう気がしたので。「独特」を省いて「「定」の字をウ冠の下に「之」のような字形で切ることが多いことから」くらいの表現の方がよろしいかと思った次第でして。--トホホ川 2012年2月4日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
刀剣界ではどの書でも「之定」を2代目の特徴としています。トホホ川さんが正しくて、江戸時代から現代までの刀剣界が間違っているのだろうとは思いますが、出典に基づいて書いたのでこれ以上問い詰められても私は何故だかわかりません。他に詳しい方に議論はお譲りします。--ぱたごん 2012年2月4日 (土) 15:44 (UTC)[返信]

ちなみに「之定」に「独特の」という形容詞をつけたのは私ではないので「独特の」という形容詞には私はまったくこだわりません。2代目=「之定」でさえあればいいのです。・・・めんどくさくなってきたので削ります。--ぱたごん 2012年2月4日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

記事の分割提案[編集]

少し手を加えましたが、内容的にもう少し「和泉守兼定」自体の記述を充実させたら、関兼定(二代)之定といった別の記事に一部の記述を移動することを考えております。緊急度は低めでいずれにせよ加筆が先なのですが、ご興味のある方のご意見を伺えますと幸いです。よろしくおねがいいたします。--遡雨祈胡会話2019年7月8日 (月) 15:26 (UTC)[返信]