ノート:名鉄西尾線

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特急停車駅の昇格時期について[編集]

(一部無出典として一旦除去しましたが)西尾線・蒲郡線の特急停車駅各駅の歴史節では1974年9月17日(南安城駅)、1982年頃(碧海桜井駅、米津駅、上横須賀駅、西幡豆駅)にそれぞれ特急停車駅に昇格したとの記述があります(ました)。

1967年8月22日改正 - 『日本鉄道旅行歴史地図帳』7号 p.57
今村 北安城 南安城 碧海古井 碧海堀内 碧海桜井 米津 桜町前 西尾口 西尾 福地 鎌谷 上横須賀 三河荻原 吉良吉田 三河鳥羽 西幡豆 東幡豆 洲崎 西浦 形原 三河鹿島 拾石 塩津 蒲郡 備考
特急
準急 今村から特急
1969年7月6日改正 - 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』前見返し
今村 北安城 南安城 碧海古井 碧海堀内 碧海桜井 米津 桜町前 西尾口 西尾 福地 鎌谷 上横須賀 三河荻原 吉良吉田 三河鳥羽 西幡豆 東幡豆 洲崎 西浦 形原 三河鹿島 蒲郡競艇場前 蒲郡 備考
特急
準急
1971年12月27日改正 - 『名鉄 昭和のスーパーロマンスカー』pp.86, 88, 90
新安城 北安城 南安城 碧海古井 碧海堀内 碧海桜井 米津 桜町前 西尾口 西尾 福地 鎌谷 上横須賀 三河荻原 吉良吉田 三河鳥羽 西幡豆 東幡豆 洲崎 西浦 形原 三河鹿島 蒲郡競艇場前 蒲郡 備考
特急 毎時2本中1本が△駅に特別停車
準急
1979年7月29日改正 - 「質問に答える」/『鉄道ピクトリアル』 Vol.370, p.157
新安城 北安城 南安城 碧海古井 碧海堀内 碧海桜井 米津 桜町前 西尾口 西尾 福地 鎌谷 上横須賀 三河荻原 吉良吉田 三河鳥羽 西幡豆 東幡豆 こどもの国 西浦 形原 三河鹿島 蒲郡競艇場前 蒲郡 備考
特急
急行
準急 典拠の記載は「西尾から各駅停車」

※○:原典の掲載基準により該当頁の表では始終着駅が省かれている(始発は新名古屋駅)。また、掲載ミスか西尾駅が省かれている(典拠「質問に答える」は急行が「急速」だったり3880系が「9880系」だったりと誤植が多い)。

1984年3月20日改正 - 『名鉄電車・バス時刻表』No.1
新安城 北安城 南安城 碧海古井 碧海堀内 碧海桜井 米津 桜町前 西尾口 西尾 福地 鎌谷 上横須賀 三河荻原 吉良吉田 三河鳥羽 西幡豆 東幡豆 こどもの国 西浦 形原 三河鹿島 蒲郡競艇場前 蒲郡 備考
特急 朝1本は○駅特別通過。休日△駅特別停車。
急行

しかし、私が確認できた限りの出典(百年史など)では本線等の停車駅について記述はあっても西尾線各駅については見当たりませんでした。今把握できているのは上に掲げた断片的なダイヤ情報だけです(注:特別停車・特別通過の掲載、77年以前なら座席指定特急と一般特急との区別の有無など、典拠によって掲載基準が異なるため一概に比較できない)。

(出典も時期も示されずおよそ回答にはなっていませんが)上横須賀駅は停車駅の位置づけがコロコロ変わっているという投稿もあるため、一部の駅は○○年から特急停車駅、という単純な話ではないのかもしれません。いずれにしろ、駅の歴史として停車駅変遷の情報は絶対必要というわけではありませんので、これで情報を募集して出典の目途が立つなら記載してもよし、そうでないならあえて明記しないでおくというのも手だと思います。しばらく様子を見ます。--ButuCC+Mtp 2015年8月30日 (日) 13:06 (UTC)[返信]

議論停止状態ですし、出典が得られないまなタグが剥がされたので、これを機に一旦文中から除去しました。--ButuCC+Mtp 2016年9月17日 (土) 17:10 (UTC)[返信]

路線名について諸々[編集]

岡崎新 - 西尾間 西尾 - 港前間 西尾 - 吉良吉田間 今村 - 西尾間 安城 - 南安城間
西尾鉄道時代
-1926/11/30
(岡崎線)? 平坂線 吉田線
愛電・碧電時代
1926/12/1-1935/7/31
正式 西尾線 碧海電気鉄道
通称 (岡崎線) (平坂線) (碧海線)
名鉄成立直後
1935/8/1時点
西尾線 平坂線 西尾線 碧海電気鉄道
碧電合併後の変更
1944/3/1-
定説 西尾線 平坂線 碧西線
新説 西尾線 碧西線
1948年改定 総称 西尾線
細分 平坂支線 西尾線 安城支線
岡崎線(愛電時代なのでこれは明らかに通称)

ここで取り上げるのは主に“澤田幸雄、長谷寛『西尾鉄道開業百年よもやま話 「けいべん」から「パノラマスーパー」まで』、西尾鉄道開業100年記念誌刊行会、2014年”に記載されていた内容から生じた疑問点です。したがって従来説と比べたら資料量からして検証不足ですし、直ちに記事内容の変更を提案するものではありません。しかし、従来の文献では主要区間の説明に埋もれ気味だった平坂方面や岡崎方面について(正式・通称問わずですが)色々書かれていましたので、ここに一旦情報を整理し検討課題をまとめた次第です。

  • 岡崎線
ちょうど愛知電気鉄道が有松線を開業した頃から従来路線を「常滑線」と呼ぶようになったのと同じように、平坂線、吉田線(または吉良吉田線)開業後は従来区間を岡崎線と呼ぶようになった、とありました。「平坂線」「吉田線」については西尾市史等の他文献にもみられる線名ですが、従来区間を岡崎線と呼ぶ例はまだ他に見かけていません。同著では岡崎新 - 西尾間休止まで当該区間を岡崎線と通称して解説しており、岡崎線と書かれた時刻表や当時の利用者の証言も掲載されているので、通称として岡崎線と呼ばれていたことに間違いはないとは思いますが、正式に岡崎線だった時代があったかはまだ断言できないです。
  • 碧西線の範囲
同著では「今村 - 吉良吉田間」および「西尾 - 平坂間」を碧西線と改めたとありました。それに続いて「平坂線の名はそのまま使われていた」とあり、また晩年に平坂支線となった後は「現実は平坂線と呼び続けていた」ともあるため、同著は「平坂線」が通称であり、正式名の変遷は「碧西線」→「西尾線(平坂支線)」であるという見解のようです。この見解については同著だけでなく、藤井建氏の研究紀要41号にも同旨の記述がありましたので、何らかの根拠となる一次資料が存在するかもしれません。--ButuCC+Mtp 2020年4月20日 (月) 15:45 (UTC)[返信]
安城支線も碧西線に含まれるようなので表を変更しました(記事には改稿時に反映済)。また『まるごと名古屋の電車 昭和ロマン』(2008年)にも平坂支線について「碧西線時代を経て」と書かれており、上記説を採用しているようです。--ButuCC+Mtp 2020年5月5日 (火) 19:35 (UTC)[返信]