ノート:司馬法

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年代に関する記述で色々とおかしなところが散見されます。そもそも司馬穰苴は春秋時代に景公に仕えた将軍なのだから、司馬穣苴が書いたともされるなら遥かに後世の代に成立したというのは明らかにおかしいでしょう。また、斉の威王も景公よりも後の年代の人間なので、威王が司馬法の編纂を命じたのであれば司馬穰苴作者説は成り立ちません。それともこれは後世の別の誰かが斉の威王の故事を元に兵法書の編纂を命じ、それに司馬穰苴が定めた斉固有の軍法を加えて『司馬法』と名づけた、という意味でしょうか? 何にしても文章が少々難解で意味が読み取りづらいです。とりあえず口語表現になっていたのだけは直しておきました。Kuro-hato 2006年12月17日 (日) 12:32 (UTC)[返信]