ノート:古曽部焼

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新古曽部の作家について[編集]

七里寿弥氏について[編集]

七里寿弥氏について、「古曽部」銘を用いた作品が現に流通しているので記事中でとりあげましたが、この方の経歴、窯の所在地など、「信頼できる典拠」をご存知の方がありましたら、ぜひ記事中でご紹介いただき、記事の文面なども増補していただきたく、よろしくお願いします。--Dalaibaatur会話2015年10月14日 (水) 00:49 (UTC)[返信]

寒川義崇氏について[編集]

寒川義崇氏について、刊行物(設立趣意書・作陶展図録)、Web上の「作陶展」案内など、公表された経歴についての典拠をいくつか拝見していますが、私が見た何件かでは、いずれでも「出身地」が不明。この件についての典拠をご存知の方ありましたら、ぜひ記事中でご紹介いただき、記事の文面なども増補していただきたく、よろしくお願いします。--Dalaibaatur会話2015年11月12日 (木) 11:38 (UTC)[返信]

古曽部写(古曽部手)の作家について[編集]

伊藤隆雲氏について[編集]

伊藤隆雲氏について、ヤフオクにて古曽部銘の三島手茶碗を見かけました(2015年11月17日閲覧)ので取り上げましたが、この方の経歴、窯の所在地、古曽部銘入りの作陶歴など、「信頼できる典拠」をご存知の方がありましたら、ぜひ記事中でご紹介いただき、記事の文面なども増補していただきたく、よろしくお願いします。--Dalaibaatur会話2015年11月16日 (月) 16:41 (UTC)[返信]

閉窯期間を「明治時代から大正時代にかけて」と変更した典拠について[編集]

この修正の典拠について】
古曽部焼に関する随一の総合研究である杉本捷雄『古曽部窯研究』(東京,学芸書院,1936年)は、古曽部焼の「廃窯」の時期について「明治四十年頃」(1907年)(pp.18-19)と推測する一方、その後の窯元第五代信平・五十嵐栄次郎による大正期における作陶活動についても記述しています(pp.59-60)。この記事「古曽部焼」の現在の定義は「(前略)古曾部村(中略)の五十嵐家によって生産された陶器」であるので、「明治四十年頃」の「廃窯」の後につくられた、「大正年間になつて、窯元も加はり、村有志によって焼かれた」(杉本,1936,pp.59-60)「古曽部+磊」銘の作品も含めるものとし、定義部における開窯期間を「江戸時代後期から明治時代にかけて」から「江戸時代後期から大正時代にかけて」と修正しました。--Dalaibaatur会話2015年11月13日 (金) 04:51 (UTC)[返信]

磊三古曽部(復興古曽部)について[編集]

高槻市立しろあと歴史館が刊行した古曽部焼展覧会の図録(2)で、「廃窯」後の大正年間に生産された古曽部焼の陶器についての興味深い分類が提示されていたので、さっそく記事の定義部に反映しました。『高槻市史』や旧図録(1)をはじめ、従来の通説とはことなる記述。(3)は、その記述の土台となっている可能性あり。著者は、(2)のいう「川崎コレクション」の寄贈者。

  1. 高槻市立しろあと歴史館『平成15年度秋季特別展図録 高槻の古窯古曽部焼の世界』(高槻市教育委員会 高槻市立しろあと歴史館,2003)
  2. 千田康治(高槻市立しろあと歴史館)『平成25年しろあと歴史館第23回企画展 高槻のアンティーク 古曽部焼・藤井竹外・くらわんか茶碗--川崎コレクション名品選--』(高槻市立しろあと歴史館,2013)
  3. 川崎嘉夫『古曽部焼・賞賛』出版樹々,2011

--Dalaibaatur会話2015年11月24日 (火) 18:08 (UTC)[返信]

川崎嘉夫,2011を見ましたが、川崎氏所蔵(のち高槻市に寄贈)の名品の、美しい写真をこれでもか!と見せる書物で、個別の古曽部焼作品や古曽部窯の詳しい情報を提供するものではありませんでした。--Dalaibaatur会話)=

新古曽部について[編集]

  • 川崎嘉夫『古曽部焼・賞賛』出版樹々,2011
  • 土本宗丘「古曽部焼」(『茶道誌 淡交 1997年2月号』No.618 第51巻2号,淡交社,1997年2月1日. p.292)

川崎嘉夫, 2011では、「古曽部」銘の入った焼き物のうち、五十嵐家の古曽部窯で焼かれたもの以外はすべて「古くから多数でまわっている写しもの」扱いで、川崎氏は「京古曽部」と総称しています(「あとがき」, p.115)。裏千家の機関紙に掲載された土本宗丘,1997のいう「新古曽部」が具体的にどの作家を指しているかは不明ですが、おそらくは裏千家をふくむ茶道宗匠3名から作品に書付を受けている寒川義崇氏が含まれているのは確実と思われます。記事の本文では、私の独自基準ですが、

  1. 共箱共布や作品そのものに作家名を署名している
  2. 高槻市内で窯を開いている

という2点を満たす七里寿弥氏、寒川義崇氏を新古曽部の作家として分類しました。伊藤隆雲氏は、1は満たしていますが、清水焼作家を標榜している方なので、彼の作品は古曽部写と分類しました。--Dalaibaatur会話2015年12月5日 (土) 23:37 (UTC)[返信]