ノート:占守島

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今の説明に疑問点があります。「ソ連軍(中略)突如侵攻し、これを占領した。」とあるにもかかわらず、後段に「日本軍の勝因」との項目があるので、何かおかしな印象を受けます。「戦闘では上陸を許さなかったが、戦闘行為停止に伴い、ソ連が島を占拠した」といったところだと思うのですが、今の記述だと決着が書かれていないので矛盾しているように感じてしまいます。どうにかうまい具合に表現できないでしょうか。ハイゼン 2005年10月4日 (火) 02:33 (UTC)[返信]

しかしソ連軍の上陸部隊を殲滅寸前にまで追い込んだとは凄いですね。61.213.252.94 2007年3月22日 (木) 07:43 (UTC)[返信]

占守島攻防戦の項を占守島の戦いに一部転記することについて[編集]

リンクがなかったので気づかなかったのですが、占守島の攻防戦については別記事が既に作成され、重複していました。

  • 大規模な戦闘であり、太平洋戦争の戦闘の一つとして明確に位置づけることが適切であること
  • 別記事の内容も充実しており、本記事の内容を転記加筆することでより良い記事となること
  • 本記事の中で、占守島攻防戦の項が突出して分量が多く、バランスを逸していること

以上のことから本記事から「占守島攻防戦」の項を削り、「占守島の戦い」に転記することを提案します。

特に異議がなければ今日から5日以降の時間のあるときに行います。 --ヤトゥヒン 2007年9月23日 (日) 15:37 (UTC)[返信]

異議がありませんでしたので該当記事を一部転記しました。--ヤトゥヒン 2007年9月28日 (金) 15:32 (UTC)[返信]


記述の訂正についての説明[編集]

  • 「ソ連軍の占守島への奇襲攻撃」を単に「上陸」と修正。奇襲上陸とする説と強襲上陸とする説があるため。また、攻撃は、日本が先に行ったとの説が、旧日本軍人の間にあるため。
  • 「日本軍の勇戦により一時は日本側に極めて優勢な状況であったが」を削除。日本軍の戦いは、他の戦いに比べ、特別に勇戦というほどでもないため。また、「日本側に極めて優勢な状況」との説は、当時の日本軍人の供述に有るが、これは、主観的判断に過ぎないため、中立性を鑑みて、削除します。
  • 「8月19日、第五方面軍の命令により停戦、降伏した」は誤解を与える記述であるので削除しました。第五方面軍の命令は18日16時の時点で停戦です。ただし、この命令は徹底されず、戦闘は継続していました。
  • 「その後、ソ連軍の要求に激昂した日本軍司令官により」は信憑性が疑問なので削除します。日本軍司令官が停戦合意を破棄したのは、激昂したためなのか、冷静沈着な判断なのか不明です。また、司令官は、ソ連の要求に対して判断したのではなくて、停戦合意内容に対する判断です。
  • 「日本軍の攻撃再開により破られたが」を「日本軍の奇襲攻撃により破られた」に訂正。日本軍が攻撃を再開したのか、偶発的攻撃なのか、両説があるので、「再開」を削除します。また、停戦合意下で通告無しに攻撃した事実をはっきりさせるため、奇襲攻撃としました。
  • 「この闘いにおけるソ連側の損害は満州朝鮮戦線をあっさりと上回り、日本側資料では日本側死傷者500名以上600名から700名、ソ連側約3,000名。ソ連側資料では日本側死傷者約1,018名、ソ連側約1,567名となっている。武装解除された日本兵は、その後シベリアへ送られ、長期にわたり抑留された。」を削除。こちらの記述はMainでないので、煩雑すぎます。なお、「日本側資料」とありますが、これは正確ではありません。日本は損害を算定することは出来なかったので、一部将兵の、概算値です。「ソ連側の損害は満州・朝鮮戦線をあっさりと上回り」は誤りですね。
  • 「占守島・幌筵島の占領後、新知島までの北部千島の…」の「占領」を「武装解除」に訂正。この時点では、占守島の民間人には、濃霧に乗じて脱出しているものが多いので、占領がこの時点でなされていたかどうかは、疑問が有るので、客観的事実である武装解除にしました。また、「日本軍の抵抗はなく、占領は順調に進んだため」は誤りです。武装解除したソ連軍は、充分な兵員を置くことなく、南下しています。 --Lib 1964 2008年1月10日 (木) 08:54 (UTC)[返信]


誤りの部分についてのご指摘、訂正、ありがとうございます。

1.上陸が、奇襲か強襲の件ですが、また日本側への事前通告なしに実施されたものなので奇襲が適当と思うのですがいかがでしょう。  ”攻撃は、日本が先に行ったとの説が、旧日本軍人の間にあるため。”については詳細を記述いただけないでしょうか。

  • 戦争自体は宣戦布告後なので奇襲とはいえません。上陸は、ロパトカ岬の砲撃の後なので、強襲上陸とする場合もあるので、奇襲と書くと正確を書きます。また、”攻撃は、日本が先に行ったとの説”については、占守島の戦いの脚注4をご覧ください。ソ連側の説明では、「ソ連の奇襲・先制攻撃」と誇らしげに書かれることが多く、旧日本軍人の説明では、「上陸を察知して日本が先制攻撃した」と戦果を強調する記述が多いと思います。「奇襲」と書くと、旧日本軍人がボンヤリしていたところに、ソ連の作戦が図にあたったような気がします。「奇襲攻撃」って、今の若い人は悪いというニュアンスを感じるのですか? 戦争では、当然行われる、作戦の一つですが。--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
    • ソ連の宣戦布告は8月8日、日本は8月14日時点でポツダム宣言受諾を連合国に通告しており、攻撃はその後の8月18日の未明に行われています。つまりソ連側の宣戦後に降伏を通告済みです。また、占守島では同宣言の受諾に伴う武装解除を実施中であり、その意味では正にボンヤリしていたところに、ソ連の作戦が実施されていると思います。ソ連軍は明確に攻撃の意思を持ち上陸、あるいは砲撃を開始しました。この攻撃意思の実行が上記にあるように日本側コンセンサス外で実施されているので、奇襲として問題ないのではないですか?ソ連側の説明通り、また日本でも一般に膾炙されている奇襲で問題なく、敢えて「奇襲」を外すに足る強い根拠が見当たらないのです。
    • 厳密に言うと、14日時点でポツダム宣言受諾を連合国に通告ではなくて、受諾の用意あることを通告しています。「正にボンヤリ」と言うと、現地司令官に申し訳ないような気もします。ソ連側は「奇襲上陸、拠点確保、攻撃」を目的としていたのに、日本軍人の機転を利かせた先制攻撃により、混乱したのではないかと思います。両論有るにもかかわらず、ソ連側の説に従って「奇襲攻撃」とあえて、概要に書く理由はないと思います。本文に具体的状況を詳しく書いてあるので、十分だと思います。また、不足があるなら、出典明示の上、本文に具体的状況を書いてください。Lib 1964 2008年1月17日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
    • 「日本軍人の機転を利かせた先制攻撃により」これは不確かなことだと思います。そもそもどちらが先に組織的に戦端を開いたのかというとソ連軍であり、それは武装解除中の占守島守備隊の予測外のことだった訳ですから「「正にボンヤリ」と言うと、現地司令官に申し訳ない」ということでもないと思います。組織的に実行される攻撃行動の前では単なる一部隊の反撃は瑣末なものであり、それがあったかもしれないからといって奇襲でないとするのはいかがでしょうか。組織的な行動では、日本軍は武装解除中、ソ連軍は攻撃作戦を実施、とこれを見れば奇襲であることは明らかだと思います。--220.99.142.37 2008年1月19日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
    • そのように、異論があるから、概要やイントロで断定的に書くのではなくて、本文で、詳細な記述をすべきであると再三にわたって言っております。学界の定説として固まってもいない事項を、断定的にイントロに部分で書くのは良くないと思います。--Lib 1964 2008年1月21日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

2.”「日本側に極めて優勢な状況」との説は、当時の日本軍人の供述に有るが、これは、主観的判断に過ぎないため、”についてですが、どなたが『主観的判断に過ぎない』と判断されているのでしょうか。また、その根拠をお聞かせください。

  • ソ連側研究(ボリススラビンスキー「千島占領」)だと、かなり異なった記述になっています。『主観的』と書いたのは、当時の日本軍はソ連側戦力の状態を検証していなかったという意味です。--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
    • 客観的事実として、一時は竹田浜まで追い落としているのですから優勢とはいえるでしょう。「日本側に優勢な状況」との記述ではどうでしょうか。
    • 竹田浜まで追い落としているのだから、優勢かどうかというと、この点は、私には分りません。客観的に検証された事実として優勢とはいえないので、概要に書くべきではないと思います。本文に具体的状況を詳しく書けば良いのではないでしょうか。Lib 1964 2008年1月17日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
    • 上記に加えるに、両軍の戦死者の数は日ソ両方でソ連側が大であるとの証言、資料があるのですから優勢であるのは事実と認めてもいいのではないでしょうか?--220.99.142.37 2008年1月19日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
    • 軍事研究専門家でないので知りません。学界の定説として固まってもいない事項を、断定的にイントロに部分で書くのは良くないと思います。なお、貴殿が軍事研究専門家であるならば、学術論文に記載ください。ウィキペディアでは、それを引用すれば良いと思います。--Lib 1964 2008年1月21日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

3.”ただし、この命令は徹底されず、戦闘は継続していました。”とありますが、では停戦、降伏の根拠は何でしょう?  一守備隊が、独自の判断で停戦、降伏したのでしょうか?

    • 停戦命令は然るべき準備の後に実施される類のものですので、即時攻撃中止されなかったことが理由にはなりません。重要なのは、停戦、降伏の根拠が第5方面軍の命令に求められるかどうかです。いかがでしょうか?
    • 停戦・降伏の根拠は現地での停戦協定でした。実際には双方合意で停戦したのであって、第5方面軍の命令は直接の根拠にならないでしょう。いずれにしても、本文に具体的に詳しく書くべきことであって、概要に簡潔に書くと誤解を招くと思います。Lib 1964 2008年1月17日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
    • ということは、現地司令が方面軍命令を無視した上、独断で停戦、降伏したとのご認識なのでしょうか?--220.99.142.37 2008年1月19日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
    • 軍事研究専門家でないので知りません。私個人の意見は、ウィキペディアの記述とは関係有りません。学界の定説として固まってもいない事項を、断定的にイントロに書くのは良くないと思います。なお、貴殿が軍事研究専門家であるならば、学術論文に記載ください。ウィキペディアでは、それを引用すれば良いと思います。--Lib 1964 2008年1月21日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

4.”停戦合意下で通告無しに攻撃した事実をはっきりさせるため、奇襲攻撃としました。” 偶発的攻撃である可能性があるならば、奇襲とするのは誤りではないでしょうか。日本軍の奇襲攻撃とするのであれば、通常それは、日本軍の統一意思のもとでの攻撃と読み手は受け取ると思います。

  • ご指摘の通りです。日本側の奇襲攻撃に記述を変更しました。なお、奇襲攻撃ではないとのご意見であるならば、その根拠をご説明ください。--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
    • 日本側の統一意思による攻撃と受け止められる可能性があるかと思いますがいかがでしょう?また、このように委細が不明な事象を、誤解を恐れずに概要説明、あるいは項目タイトルとして用いる必要性は感じないのですが・・・詳細説明に厳密に記述されるのであれば異論ありません。
    • 「奇襲攻撃」であることは明瞭だと思いますが、奇襲攻撃の事実自体が不明なのですか?攻撃に至った理由、攻撃した主体が委細不明なだけです。ソ連の上陸を奇襲攻撃とイントロに書くべきではないと思うのは、異論が有るからです。日本の攻撃を奇襲攻撃と書いても良いと思うのは異論が無いと思うからです。なお、「詳細説明に厳密に記述される」ことが必要とお感じならば、ご自身執筆すればよろしいのではないでしょうか。素性のはっきりした出典明記の記述ならば、余り問題とされることも無いと思います。Lib 1964 2008年1月17日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
    • 攻撃主体が不明であれば奇襲か否かの判断はできません。--220.99.142.37 2008年1月19日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
    • 日本軍が攻撃したことは、どの文献でも、異論が無いと思います。師団の命令であるのか、それとも、大隊レベルの命令であるのか、そういうことが不明なだけです。日本軍の奇襲攻撃であったこと自体は異論ないでしょう。異論があるなら、出典を教えてください。なお、私個人としては、奇襲と書く必要性もそれほど高くはないと思います。しかし、奇襲とかいても正しい記述なので、削除する理由も無いと思います。--Lib 1964 2008年1月21日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

5.”武装解除された日本兵は、その後シベリアへ送られ、長期にわたり抑留された。」を削除。こちらの記述はMainでないので、煩雑すぎます。” 猥雑ですか?簡単明瞭な事実であって、かつ、無視できない事実と思えるのですが?

  • シベリア抑留の事実の記載だけならば、まったく問題ないと思います。元の記述が煩雑だったので、もう少し簡単に書いてください。なお、シベリア抑留は長期だったものと、それほど長期でなかったものが有ったはずです。特に、占守が長期であったことはないはずです。また、通常、シベリア抑留というけれど、一部将校はもっと条件のきびしい北極圏(ナリンスクなど)に抑留されたかも知れない(あやふやです)ので、このあたりは、どう書けばよいのでしょう。--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
    • では、概要説明においては「シベリアに抑留された」と記述するのが適当かと思いますが、どうでしょうか。
    • 「シベリアに抑留された」が事実であるならば、まったく問題ないと思いますが、本当ですか?抑留地はシベリアが多かったのは確かですが、サハリン・北極圏・ウズベキスタン・モスクワ圏などあったので、占守の軍人が実際にシベリアだけだったのか、私は知りません。Lib 1964 2008年1月17日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
    • (追記です)「シベリアに抑留」ではなくて、シベリア抑留が良いと思います。こうすれば、抑留地の問題はなくなると思います。--Lib 1964 2008年1月17日 (木) 07:06 (UTC)[返信]
    • 了解です。--220.99.142.37 2008年1月19日 (土) 06:19 (UTC)[返信]

6.”客観的事実である武装解除にしました。” ソ連軍の侵攻がなくとも日本軍は自主的に武装解除を実施中であったと思います。この記述ではソ連側の進駐があって初めて日本軍が武装解除されたとの誤解を招くのではないでしょうか? また、武装した兵員が駐留し、爾後ソ連側領とされたのであれば武装解除よりも占領が適当だと思います。それともこの時点ではソ連側としては領有する意思を持っていなかったのでしょうか?

  • 作戦自体は占領を目的としていたことは明白でしょう。でも、占領と書くと、ソ連の戦果を過大評価するような気がします。このあたり、文章を再考して、正確で簡潔な記述が出来ると良いのですが--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
    • 私としては「占領」が戦果の多寡を示す文言とは思いません。簡潔な記述としては占領が適当だと考えます。厳密に記述いただけるのであれば、詳細説明で記述いただければと思います。
    • 水津満が乗せられた艦は、実際に北千島占領が可能なほどの兵員はいません。南下にしたがって、武装解除したあと、僅かな兵員を残しただけで南下しています。占領とは文字通り領土を占めることなので、それなりの兵員が必要です。なお、北方領土は、それなりの兵員があったので、上陸・武装解除・占領は一体です。Lib 1964 2008年1月17日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
    • 武装解除よりも占領が近しいと思ったのですが、おっしゃるとおり、占領には不十分な兵員しかなかったのであれば占領も不適当ですね。では侵攻ではどうでしょうか?--220.99.142.37 2008年1月19日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
    • 侵攻はおかしいと思います。上陸して武装解除命令をした場合と、無人島に偵察上陸した場合が有ります。侵攻というと、攻撃があったように感じます。いずれにしても、イントロや概要の部分に不確かなことを書く必要はないでしょう。必要ならば、本文に詳細を書けばよいと思います。--Lib 1964 2008年1月21日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

全体的にソ連側の立場からのみ書かれている印象で客観性に問題があるのではと思いますが、いかがでしょうか?--222.150.231.193 2008年1月14日 (月) 17:30 (UTC)[返信]

  • 「奇襲」「占領」は悪いことですか。奇襲は作戦の一つだし、占領は戦争の目的なので、どちらも優れた戦果だと思います。冷静な事実の記載ではなくて、言葉の使い方で、ソ連の戦果を強調するかのごとき記述になってしまっては、中立的とはいえないと思います。--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 00:47 (UTC)[返信]
    • 賛成です。事実は好悪で記述すべきでなく、客観性、中立性を重視しなるだけ正確に記述できればと思います。
  • どなたの記載なのか分らなくなるので、なるべく、署名(波線4個)を入れてください。いろいろな意見が有ってしかるべきで、実際いろいろな見解があるのだから、そういうことは、占守島の戦いの本体の本文に、出典を明記した上で書けばよいでしょう。こちらや、占守島の戦いのイントロの部分は、争いのない概要を書けばよいのではないでしょうか。Lib 1964 2008年1月17日 (木) 00:34 (UTC)[返信]
  • 既に、休日をはさんでいますが、占守島の戦いに記載された参考文献はお読みですか。別所の論文以外は容易に入手できると思います。(もし、入手できないならば、国立国会図書館で聞いてみてください。ここには、間違いなくあります。)ウィキペディアの記述は検証可能な出典に基づいて記載するものなので、参考文献に従って記述してください。このほかに参考文献や出典があるならば、記載してください。自分の意見や独自研究はウィキペディアの記述に関係ないことです。--Lib 1964 2008年1月21日 (月) 05:35 (UTC)[返信]
  • 最終記述から既に2週間経過しましたが、この間、新たな議論はいので、「観点」のテンプレートを削除します。なお、俘虜がシベリア抑留になったとの記述は、占守島の戦いの本文に記述があるので、概要や要約に記載してもしなくてもどちらでも良いと思います。占守島の戦いの「観点」のテンプレートもあわせて削除します。Lib 1964 2008年2月4日 (月) 02:12 (UTC)[返信]

面積は[編集]

本文で、占守島の面積は 230 平方キロメートルとなっていますが、他国語版では多くが 388 平方キロとなっています。何らかの出典があると思いますので皆様のご協力をお願いいたします。--Panpulha 2009年7月10日 (金) 06:22 (UTC)[返信]

「388 平方キロ」のほうには出典がありましたので、そちらに修正しました。--Panpulha 2009年7月27日 (月) 05:40 (UTC)[返信]