ノート:千代大海龍二

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

大関として[編集]

怪我や不調で角番を繰り返して、角番の史上ワースト記録を持つ事で好角家からは「(引き際の意味で)大関の格式を汚した」と、非難される事がある。しかし、2007年に大関在位の最長記録を更新して、2009年に史上初の大関在位10年・60場所を達成したため、横綱でも難しい「在位10年」を記録しており一定の評価はある。朝青龍が横綱に昇進する以前(1998~2002年)は「ポスト若貴」として期待された。また魁皇に対しても同様の批判があるが、大関在位が50場所になる前後(2008年後半)から批判が少なくなった。魁皇の場合は幕内800勝を超え、幕内在位も大相撲史上初の100場所を記録。力士の現役限度と言われる35歳を過ぎても勝ち越しを続け、かつ現役期間が20年を超える事から、日ごろから行う準備体操での体調管理を評価する声が高い。

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

千代大海龍二」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 17:01 (UTC)[返信]