ノート:北大路魯山人

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逝去の理由について[編集]

(節名を付記しました-- 2010年2月26日 (金) 16:46 (UTC)[返信]
死因に関して生煮えのタニシを食ったからという説が人口に膾炙しているようですが、医学的にはそういう感染ルートで肝吸虫に感染する可能性は、まずありえません。具体的な文献で、何が生煮えタニシ説を唱えているのか、また医学的にもっとも普通の感染ルートであるフナやコイの刺身からの感染であるという説を唱えている文献はあるのか、どなたかご存知ありませんでしょうか。「通説」があまりにも医学的な常識からかけ離れている非科学的なものなのですが、このままでは通説を否定しても「独自の研究」として扱われる危険性がつきまといますので、執筆参加者のご助力をお願いいたします。--ウミユスリカ 2007年1月24日 (水) 10:04 (UTC)[返信]

IP:222.147.189.42会話 / 投稿記録、IP:61.26.102.166会話 / 投稿記録が無断削除を行っている2007年1月24日 (水) 06:21の版→2007年2月10日 (土) 14:28の版 の間で除去された部分をノートに転記しておきます。おそらく「独自の研究」ということで削除したのか?。
「1959年12月21日、肝吸虫、つまりいわゆる肝臓ジストマとも呼ばれた寄生虫による肝硬変のため死去。肝吸虫は魯山人の好んだタニシから寄生したとする論説もあるが、肝吸虫の第一中間宿主となるのは人間の食用にならず真のタニシ類とは縁の遠いマメタニシであり、なおかつヒトへの感染はマメタニシからセルカリア幼生が移動した第二中間宿主のフナやコイ、モロコのようなコイ科魚類の生食から起こる。食用となるタニシの体内の幼生には肝吸虫の幼生は存在せず、魯山人への推定感染経路は別に求めなければならない。」
-IP:203.138.145.10会話 / 投稿記録 2007年5月12日 (土) 06:50

最近気がついたのですが、『美味しんぼ』がストーリー展開の中で、繰り返し魯山人タニシ生煮え食説に触れているようですね。あちらの出典は、いったい何なのでしょうか?どこまでが「独自の研究」かというボーダーに触れることでもあり非常に気にかかっているのですが、ある分野で専門家が「常識」としている説が、その箇所にかかわる専門家の目から見てあまりにも常識からかけ離れているというケースは間々あるように思えます。たとえば、仮に魯山人にかかわる研究書が100%魯山人の死因となった寄生虫の感染源を生煮えのタニシとしていた場合、それは医学的、寄生虫学的常識から極端に乖離します。疑似科学が常識化しているといってもいい。しかし、魯山人をめぐる専門研究の上での常識なら、それが疑似科学的常識であることを指摘することはウィキペディア上では独自の研究に触れる危険性が出てくる。同様のボーダーにはほかにも抵触した記述をしたことがいくつかあるので告白しておくと、たとえば私は西郷隆盛像皮病の原因となったフィラリアに感染時期に関する加筆をいくつかしています。彼が感染したのは当時のバンクロフト糸状虫の蔓延状況のデータから徳之島での感染と特定するのは不可能です。しかし、本土におけるフィラリアの制圧が進んだ時代の感覚で、感染時期を徳之島と断定してしまうのがむしろ西郷隆盛の研究文献では常識のように見受けられます。どなたか寄生虫の専門家が一言著作の中でかような特定は正確ではないと述べていてくださればいいのですが、それがもしひとつもないのなら、私の加筆は「独自の研究」としてウィキペディアでは排除が妥当となるかもしれません。--ウミユスリカ 2007年5月12日 (土) 07:46 (UTC)[返信]

関連文献について[編集]

ここのところ一部書籍名を繰り返し削除する編集が続いているようです。削除される方が何も言わないので単なる憶測ですが、自身の見解と違うことが書いてあるからという理由で書籍名を関連文献から削除しようとしているのであれば、それはあまりにも狭量な態度ではないでしょうか。ウィキペディアはそもそも自説を反映させるところではなく、一定の基準(例:定評ある出版社から出版されているなど)を満たした様々な説を批判を加えない形でそのまま紹介する場であると思いますが。自説の主張を思う存分行いたいのであればほかに場所があるはずです。--Ryota7906 2010年1月13日 (水) 15:34 (UTC)[返信]

関連文献があまりに乱雑なので一部を削除しておきました。 ウィキペディアは書籍のデータベースではありません。 内容の重複している書籍などは取捨選択すべきです。--マンダリン 2010年2月3日 (水) 04:07 (UTC)[返信]

取捨選択をするにしても、ノートで提案し、合意が取れてからにするべき案件です。大幅に除去するのであれば、各々についてこういう理由でふさわしくないという具体的な理由も必要とされます。しかし、マンダリンさんはその点も不足しています。きちんと提示する必要があります。
あくまで私の感想ですが、半保護の原因となったIP:219.113.116.220会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisやプロキシユーザー、利用者:Vivisect stormと同一の方じゃないでしょうか。--Lapislazuli-star 2010年2月3日 (水) 05:47 (UTC)[返信]

管理者か何か知らないが、言いがかりをつけるのはお止めなさい。私は上記ユーザーとは関係ありません。 他の項目と比較しても明らかですが、本文に対して明らかに関連文献が多すぎます。 こういった無秩序なデータの羅列は百科事典にはふさわしくありません。--マンダリン 2010年2月3日 (水) 06:02 (UTC)[返信]

それでは、特定のものを削る具体的かつ他の編集者も納得できるような理由を提示してください。この案件の問題を認識しているのは私だけではなく、他の利用者もおられます。大幅に削るのであれば説明する責任を果たしてからにしてください。果たさぬまま削除することはお止めください。--Lapislazuli-star 2010年2月3日 (水) 06:19 (UTC)[返信]
(追記)なお、参考文献の節などを整理すること自体に反対している訳ではありません。整理するにしてもきちんと段取りをするべきであり、また取捨選択するにしてもそれなりの理由が必須であると考えます。ですから、独断かつ理由を明確にしないままの進め方は反対しているものです。Lapislazuli-star 2010年2月3日 (水) 06:37 (UTC)追記)[返信]

Lapislazuli-Starさんは管理者の方でしょうか? すこし対応が偏っていることにお気づきではないでしょうか。 現在、理由は定かでありませんが本項目の関連文献があまりに多すぎるのは客観的に見て不自然です。 それを見かね、私自身がリストされている魯山人の書籍はほとんど所有していたので、つい先立って編集してしまいました。 不必要な文献を削除するのに合意が必要なのであれば、これだけ無秩序に片っ端から関連書籍を追加していくことに 対しても同じように合意が必要なのではないのですが? 魯山人の関連書籍につては私が知るだけでも百点を越えており WIKIPEDIAの記事の品質向上のためにも取捨選択が必要になります。

  1. まず最初に、魯山人についての書籍は無数に出版されており、それらを全てWIKIPEDIAには記載できません。WIKIPEDIAが出版会社の広告塔になりかねないという事実を深く念頭に置いてください。
  2. 他の人物の記事と比較しても、あきらかに関連書籍が多すぎるので、本当に読者の為になるものに限定すべきです。
  3. そのため、まず何を残すかということが重要であると言えましょう。
  4. まず魯山人の研究家であり美術研究家でもある白崎秀雄の関連書籍は掲載するのが妥当です。(伝記の情報量・特に芸術作品についての研究本として)
  5. また、魯山人の弟子であり、料理の専門家であった平野雅章の書籍についても掲載は適切です。
  6. すこし重要度は下がりますが、実際に魯山人の秘書をしていた阿井景子や星岡茶寮で働いていた松浦沖太など直接的に魯山人とある程度、深い面識のあった人物による書籍は掲載可能だと思います。
  7. 他の書籍ですが、ほとんどが魯山人と面識のない自分物が過去の書籍を元に書いたものなので重要度、信頼度の両面からWIKIPEDIAに掲載する必要は認められないと思います。特に長浜功や山田和の書籍は魯山人とは関係のない記述が多く客観性が薄く、最も問題なのはそれぞれがまったく魯山人の主だった陶芸や篆刻、割烹とは分野外の人物によるものです。
  8. 最後に写真集の類ですが、こちらも殆どは白崎秀雄編の図録等からの転用であったり、陶器を扱う企業の宣伝的要素が濃いものが殆どですので、掲載しない方が無難であると思われます。

--マンダリン 2010年2月3日 (水) 07:59 (UTC)(段落など調整 Lapislazuli-star 2010年2月3日 (水) 08:25 (UTC)[返信]

  • ます1つ。私は管理者ではありません。そもそも、管理者であるか・ないかはこの議論ではまったく関係のないことです。なぜそのようなことを持ちだされるのか理解に苦しみます。
  • 2つ目。対応が偏っているとのことですが、補足いたしましたように関連文献を整理すること自体に反対するわけではありませんが、唐突にしかも理由なく大幅削除を行っていること、そのことについては既に同様のことを行った利用者がいて(具体的に言えばIP:219.113.116.220会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)、それが他の利用者から問題ではないかと提起されていることから、もし整理するにしても削除に至る理由をきちんと提示して何らかの合意が得られてから進めなければ、問題になるケースです。上記の主張をなぜはじめからできないのでしょう。されていれば、他の利用者から理解されやすいですし、賛同しやすいのです。
  • 1~8についてですが、マンダリンさんの主張は把握しました。「妥当である」「適切である」「思われます」など、あくまで主観です。1つの意見として提示されました。他の利用者の意見を募り、そのあたりをどうすり合わせていくかを考える必要があります。
  • コメント依頼を私のほうで出しますので、もっと広い意見を取り入れて判断して行きましょう。--Lapislazuli-star 2010年2月3日 (水) 08:30 (UTC)[返信]


  • 魯山人の著作は無数にあるわけではなく、(新刊・古書含め)現在入手できるものは本文に挙がっているものでだいたい網羅されていると思いますが、関連文献を整理する必要があるというのであればそれも一つの見識であり尊重されるべきでしょう。しかしそれならば白崎氏、平野氏の著作についても整理の対象となるはずです。また山田氏の著作については、少なくとも賞を受賞しているものを無視することはできないでしょう。長浜氏の著作についても個人の主観で性急に判断することは避けるべきです。その他「企業の宣伝的要素が濃いもの」がもしあるのだとすれば、それらについても個別に議論していく必要があると思います。
  • ところでマンダリンさんはIP:219.113.116.220さんとは無関係とのことですが、まだ関連書籍の数が今ほど多くなかったときにIP:219.113.116.220さんが山田氏、長浜氏の著作のみ削除する編集を繰り返されています。この編集についてはいかがお考えでしょうか。「関連文献が多すぎる」では説明がつかないと思うのですが。一般論として、客観的理由を盾に主観を織り交ぜる編集を行うことは問題になる行為といえるでしょう。--Ryota7906 2010年2月3日 (水) 19:07 (UTC)[返信]
  1. 魯山人関連書籍ですが現在に至るまで200点以上、様々な形式のものが無数に出版されておりますが、それらをWIKIPEDIAに網羅する理由はいかなるものでしょうか?何度も言いますがWIKIPEDIAは書籍のデータベースではありません。魯山人を知る上で重要な書籍にスッキリと整理するのは当然のことです。現在挙げられている関連書籍を全て読まれたことがあるのであれば、研究の対象となりえる重要書籍と二番煎的な書籍、内容が明らかに重複している本の区別は付くと思います。失礼ですが、Ryota7906さんは何らかの理由から魯山人書籍を片っ端から羅列した張本人ではないのですか?
  2. よって魯山人の関連書籍を少なくとも全て読んだことがある人間が精査をして、他の読者の為に魯山人を知る上で重要な基本的な文献を整理して残していくことは良質記事を成立させる上で最も重要な作業の一環です。
  3. 私にはRyota7906さんが自ら投稿された魯山人関連書籍の全てを実際に読んだことがないことは明白だと思われますが、もちろん白崎氏、平野氏の書籍を整理の対象に入れること自体は当然ですが、なぜ両者の本を残すべきかと言う客観的な論証は済ませました。他の書籍と比較して両者の書籍は情報量、情報の信頼度などが山田和や長浜功の書籍とは桁違いです。
  4. 知らない方のために具体的に言えば、白崎氏は古美術研究家で魯山人の存命中に魯山人関係者から取材を行い魯山人の戸籍調査なども実施して、魯山人の芸術的分析を最初期に世に論じた人物です。また平野氏は言うまでもなく魯山人最晩年の弟子であり、実際に魯山人本人から見聞きしたことを書籍にまとめているのでこれ以上の信頼性はないでしょう。平野氏本人も料理研究家であるため的確な論評も交えられています。
  5. 一方、山田和ですが焼き物にも料理にもまったくの素人で古美術の知識もない人物です。フィクション賞受賞とかで私も期待して読んだのですが、内容はほとんど全てが過去に出版された雑誌や平野氏、白崎氏からの情報を並べ替えただけで新たな情報は自分の父親が魯山人と知り合いだったという思い出話くらいです。また、単純な情報の誤りも多く(関係者名の読み間違えなど)とてもじゃないが平野本や白崎本と並べておけるものではありません。
  6. 長浜功の書籍についてですが、こちらも白崎本や平野本とは雲泥の差です。長浜氏は教員であり魯山人の芸術についてはまったくの素人であることを自認しており芸術的な掘り下げはなく白崎本や平野本からの転用が多すぎます。(例えば、魯山人は書から始まり書に終わったなど)そして最も問題なのは魯山人のセリフを捏造したり、他の著者の批判に終始したり、社会批判などのくだりが多く、得てして感情的で魯山人自身とは無関係な部分が多いということです。
  7. 以上から、客観的(検証可能)な理由として長浜氏や山田氏の著作が白崎氏や平野氏の著作から重要度が相当下がることを述べさせていただきました。
  8. 以前に山田和、長浜功の著作について削除が多かったとのことですが、単純にその方もそれら書籍の掲載は必要ないと判断されたのでしょう。いたって腑に落ちることです。 なぜRyouta7906さんがここまで山田和の掲載にこだわるのかは理解できません。まさか出版社関係の方ではないでしょうね?魯山人本人が情実審査による受賞者を罵倒していたことを考えると、山田和もまた然りということではないでしょうか。(山田和の書籍の内容を客観的に鑑みて)
  9. とにかく、過去にも山田和や長浜功の書籍を問題視した方が存在したと言うことは重要な事実です。客観的な証拠とまではいかないかもしれませんが、オンラインストアの山田和や長浜功のレビューなども低いものがかなり目立ちます。このノートに参加している方で魯山人関連書籍に詳しい方がいるとも思えませんので、とりあえず両者の著作だけは安全面から非掲載としておきます。万一合意となれば再掲載すれば済むことです。

--以上の署名のないコメントは、115.118.33.118会話/Whois)さんが 2010年2月4日(木)04:02(UTC) に投稿したものです(Lapislazuli-starによる付記)。


ひとまず、署名は忘れずにお願いします。それと、文章の書き方、組み立て方からマンダリンさんですよね。わざわざプロキシを経由してコメントしないでください。全体的に、あなたの仰っていることは、精査した上での発言というより、自身の感想を並べただけという印象を受けます。具体的というにはお粗末でして、賛成するにはかなり躊躇します。--Lapislazuli-star 2010年2月4日 (木) 09:14 (UTC)[返信]

上に書かれた方は私ではありません。勝手な憶測でものごとを決め付けるのはお止めなさい。 本日はじめてログインしましたが、いつのまにか保護のレベルが上がっていてたいへん驚きました。 ここまでする必要はあるのでしょうか?不純な意図で掲載された書籍をやっきになって守るのはどうかと思いますが。 どうも、Lapislazuli-starさんを含めて判断基準の奇抜な方々が集まっておられるようで少々、気疲れします。 一応言っておきますが、Rockeyeyesさんと私もまったくの別人です。 そもそも、なぜLapislazuli-starさんのように魯山人について何の知識も史実検証する才覚もない方が ここにしゃしゃり出てこられるのかも疑問です。 お粗末とのことですが、上の方や私の提言の、 どの部分がお粗末なのですか? 責任を持って、説明して御覧なさい。 --マンダリン 2010年2月4日 (木) 10:35 (UTC)[返信]

ご自分では分からないかもしれませんが、書き方の癖というものがありまして、そこから判断してます。これもあなたが書き並べている私見と同レベルのものですがね。
確かに小生は大して知識を持ちあわせておりませんが、羅列されているもののうち、幾つかは実際に手にして読んでみたことがあります。マンダリンさんの評を見ますと、消したいものについては強く否定的な印象を与える表現だなと受け取りました。つまり、残したいもの・消したいものというのが強すぎて、客観的な評とは言えないのではないかという危惧があるのです。そういう一方的な感覚を以って取捨選択するということは非常に危険なことです。
小生はたまたま機会があってそれらを読んだので、先入観を持たずニュートラルなところから読み入りましたため、マンダリンさんの評には違和感があるのだと思います。内容をこの人のは信頼できる、この人のは信頼できない、というマンダリンさんの中での取捨選択が出来上がりすぎているのではないでしょうか。
と、ここまでが私の感想、意見です。確かにずらずら並べることは好ましい状態とは思いません。整理をするべきというマンダリンさんの意見は賛同できるものではあります。しかしながら、その取捨選択に強すぎる個人の意見が反映されることもまた好ましい状態ではないのです。ですから、なるべく多くの意見を頂き、それらを集約して取捨選択することがいいのではないかという判断から、マンダリンさんやほぼ同様のことを主張、実行する人たちをけん制すると共に、コメント依頼にてコメントを募ることにしたのです。その点をご了解いただければと思います。--Lapislazuli-star 2010年2月4日 (木) 12:29 (UTC)[返信]

~Lapislazuli-starさんへ~ それなりに誠意のあるご返答ありがとうございます。

  1. まず私の書き癖についてですが、文体はその人間の性格や心理状態によって左右されるので、同じような意見を持った人間の文体が似通うのは自然でよくあることです。また、他の方が意図的に私に似た文体を使用したのかもしれません。くれぐれも、先入観による一方的な決め付けを行うのは慎んでください。
  2. 取捨選択についてのご意見を受けましたが、Lapislazuli-starさんは具体的にどの書籍を読んだのでしょうか?できれば書籍の具体的な内容について議論を交わせれば、より精細な精査ができると思います。
  3. あなたの意見は納得できる点が多々あるのですが、以前から魯山人関連の書籍をほぼ全て読破、所持してる私と、たまたま数冊を読んだLapislazuli-starさんとでは同じ書籍に対して感想や評価が変わるのは当たり前だということも念頭において下さい。これは書籍に限らず音楽やゲーム等でも同じなのですが、ある作品を最初は良いと感じても、その他作品やジャンル全体を知ることで、当初とはまったく異なる評価になることは多々あり、後者の評価の方が信頼性は高いと言えます。
  4. 関連書籍についてより高度な取捨選択を行うため、それぞれの書籍の正確性、情報源、作者の経歴、制作意図、独自性、作者と魯山人の関わりなどを総合的に考察しなければなりません。それらを客観的に考慮した結果として私の取捨選択は完成しているのです。言うまでもなくより良い記事にするための取捨選択結果としてです。ですので、私の取捨選択が明確であるということを理由に「個人的な意見が反映され過ぎている」と判断されるのは理不尽であり、非常に心外です。
  5. 他の方も書かれていますが白崎秀雄氏と平野雅章氏の著作はその情報量や信頼性、著者の経歴背景から明らかに群を抜いており、基本的な文献と言えます。同時に、ここで問題になっている書籍の全ては何らかの情報を白崎氏や平野氏の書籍から流用しており、具体的にあげればキリが無いほど問題点があります。
  6. 一方的な感覚をもって取捨選択をしているという行がありましたが、Wikipediaのルールを悪用して良質記事の編集を妨害している方こそが、それに当てはまるのではないのでしょうか?おそらく宣伝目的で書籍を残したい人物にとってこの状況は願ってもいないのではなでしょうか。過去の履歴を拝見しましたが、Ryota7906という方は無秩序な関連書籍の羅列が繰り返され、それらの著作が削除される中、不自然に山田和の著作だけを残そうとしていた形跡が見られるので何らかな不純な意図が見え隠れするのは明白です。
  7. mixi内にも魯山人のトピックスが存在していますが、そこでも何者かが匿名で山田和の著作を宣伝するという迷惑行為を行っています。http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=25234&type=bbs

このような状況がWikipediaを蔓延するのを防ぐためにも、今すぐ保護解除を依頼して不必要な著作は整理していきましょう。Lapislazuli-starさんからもぜひ公正な視点から、保護解除のご依頼をお願いします。私もはじめて履歴を確認しましたが保護するほど問題のある編集や荒らしは見当たりませんでした。 --マンダリン 2010年2月4日 (木) 14:06 (UTC)[返信]

とりあえず、この編集はどういうことでしょうか。--Lapislazuli-star 2010年2月4日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
報告 IP:219.113.116.220会話 / 投稿記録を他者発言の改竄により1か月のブロックとしました。ログインしても投稿できない設定にしてありますが、このIPを利用していないログインユーザーは通常通り投稿できます。--Sergei 1207 2010年2月4日 (木) 16:10 (UTC)[返信]

「おそらく宣伝目的で書籍を残したい人物」
「無秩序な関連書籍の羅列が繰り返され、それらの著作が削除される中、不自然に山田和の著作だけを残そうとしていた形跡が見られる何らかな不純な意図が見え隠れするのは明白です」

私が関連書籍の編集を行ったのは宣伝目的でも何でもなく、山田和氏、長浜功氏の著作のみを幾度となく理由を示さず削除編集される方がいたので差し戻したまでのことです。著作を追加したのは、魯山人に関する著作がほかにも多数出ているためもっと挙げた方がよいだろうと判断したからですが、それに加えて、同じ削除編集を繰り返される方にまったく対話に応じる様子がないため、山田氏、長浜氏以外の著者に対する編集姿勢はどうなのか疑問に思ったというのもあります。「無秩序な関連書籍」とおっしゃいますが、比較的最近出版されている入手しやすいものという観点で選ばせていただきました。確かに内容の吟味はしておりませんが、自身の主観的判断のみによって内容を吟味することはウィキペディアのガイドラインに反することですので。
あとこんなことを書くのは気が引けるのですが、ご自身の意に沿わない編集は宣伝目的だと即断される方に客観的判断能力が備わっておられると自負される点はいかがなものなのでしょう。

「以前から魯山人関連の書籍をほぼ全て読破、所持してる私」

その発言にまあ嘘はないだろうとは思いますが、ただ自称するだけでは他の方には検証不能でして、それを事実として前提にすることはできないわけです。

「関連書籍についてより高度な取捨選択を行うため、それぞれの書籍の正確性、情報源、作者の経歴、制作意図、独自性、作者と魯山人の関わりなどを総合的に考察しなければなりません。それらを客観的に考慮した結果として私の取捨選択は完成しているのです」

これも単に自称なさっているだけですので。

「白崎秀雄氏と平野雅章氏の著作はその情報量や信頼性、著者の経歴背景から明らかに群を抜いており、基本的な文献と言えます」

そのことを記した文献あるいはそれに類するものをお示しいただけませんか。山田氏、長浜氏の著作がウィキペディア掲載にふさわしくない理由を記した文献の摘示も併せてお願いしたいところです。そのようなものがあって初めて検証が可能です。ただしご自身で著したものをご自身で提示することはガイドライン上許されませんのでご注意ください。--Ryota7906 2010年2月4日 (木) 15:40 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼から参りました。編集に対して異議が挙がっている以上、関連書籍の整理はノートにて合意を取った上で行うべきです。また、保護解除はノートで合意を取ってからでも遅くないと思います。
    さて、整理について、何らかの基準を設けるべきと思いますが、「魯山人の弟子だから」「魯山人と深い面識のある人物だから」という基準は独自性が強いと思います。Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性を評価するWikipedia:信頼できる情報源#科学では一般向けの出版物からの引用を避けるで挙げられているような、「査読された公表物である」「一般向けの出版物は避ける」等の基準に沿う方がいいと思います。芸術はともかく、美食の分野で査読済みに該当する文献があるのかどうか分かりませんが・・・。
    可能な限り編集者の主観が入り込まず、また、他の編集者が検証可能な方法で選択される事を望みます。-- 2010年2月4日 (木) 15:47 (UTC)[返信]

文献記載について[編集]

数回文献項目に編集しましたが、その度に削除されるのは強い違和感を感じます。ただこの文献の多さも問題です。やはり伝記、大型本・限定本、小冊子、ヴィジュアル本、刊行の古い文献などに分けて欲しいです。ただ(削除をした)特定の投稿者の主張観点に振りまわされるのは勘弁願いたいです。色々と読み比べるのは個々の自由なのですから--61.46.190.168 2010年2月8日 (月) 20:22 (UTC)[返信]

私も同感です。特定の人物による主観を以って、特定の著作者の文献を排除するというのは公平性という観点から見ても望ましい状態とは思えません。ただ、ずらずら並べるのも好ましくないので、やはりある程度掲載する数は減らしてもいいかと思っています。--Lapislazuli-star 2010年2月9日 (火) 01:36 (UTC)[返信]

整理提案[編集]

前述の通り、単にずらずらと並べられている現状を改めるべく、著作と関連文献の節を整理することを提案します。もちろん、特定の人物の著作を排除するのではないということが前提とします。ただし、ノートで議論されて合意が得られるならばその限りではないと思います。

私案ですが、複数の著作が並べてある状況から、各著作者について1~2タイトルのみを挙げ、「~など」といったように複数の著作がある旨を分かるような表現で注記しておくような感じはいかがでしょうか。--Lapislazuli-star 2010年2月9日 (火) 01:36 (UTC)[返信]

著作と関連文献を増やした本人として混乱を招いたことをまずお詫びします。確かに文献の量は多すぎると思いますので、自分なりに整理方針の叩き台のようなものを考えてみました。
  • 関連文献を
  1. 伝記、研究、解説書
  2. エッセイ、回顧録
  3. 図版やヴィジュアル中心のもの

の3つに分け、各著者について伝記、研究、解説書の類は2冊、あとは1冊までとし、他にも著作のある場合は「~など」を付する。ただし直弟子の平野雅章氏の著作は他より多いということもありもう少し増やしてもよい(その場合も3冊ぐらいまで)。

  • 90年代以降に初版、または改版の出ていない古い文献は外す。
  • 魯山人自身の著作については、オリジナル、編集版ともそのままでもよいし、何らかの基準に基づいてもう少し減らしてもよい。

いかがでしょうか。ご意見のある方よろしくお願いいたします。--Ryota7906 2010年2月9日 (火) 13:12 (UTC)[返信]

上記の分け方がオーソドックスですね、故平野雅章氏の著作は、手に取り易い版や近年刊行のみにして、後の著作は、本人の項目に「魯山人関連の著作・編著」を設けた方が無難です。また絶版書籍は、記載するのは、代表的な文献のみにすべきでしょう。ただかくも多くの文献があろうとは驚きました

ここで問題なのは、しきりと特定の(山田和と長石功の著作ほか)を削除する方の存在です。その方は、度々説明を求められましたが、まったく対応をせず、このノート項目で、恐らく名を変え、ひどく主観的な説明を(敢えて言うなら偏見の強い意見を述べてます)。

山田氏の大宅賞受賞作への意見も、(ノンフィクション作家である)大宅壮一賞の審査員の視点が節穴と言っているみたいです。筆者自身、白崎と山田の著作を読み比べましたが、さほど山田の著作が見劣りする著作ではありませんでした。ただ魯山人の実像は自分の中では余計確定しがたくなりました。没後50年経てかくも多くの人を惹きつけているのは、やはり多様性ゆえだと思います。

私事を述べますが、十数年前出雲の足立美術館に行った時、偶々『魯山人と河井寛次郎展』をやってました。でもギャラリーは、皆魯山人に魅せられてました。生前も没後も、人徳も含め河井の方を評価する人々が多いです。しかし今日需要は魯山人の方が多いでしょう。これも芸術家の謎と魅力であります。だからこそ、こういった偏りのある方に振り回されるのは勘弁願いたいです。文献整理に際し介入を止めて欲しいです。以上長々と脈絡の低い駄弁を述べましたが、ご寛容願います--61.46.190.168 2010年2月10日 (水) 12:55 (UTC)[返信]

ジャンルというか、系統ごとに整理していくのは分かりやすいかもしれませんね。--Lapislazuli-star 2010年2月10日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

しばらく様子見、と思っている間にまた荒らされてしまいましたね。早めに方針を決めてしまったほうがよかったかもしれません。ぼんやりしすぎていたことを反省しています。しかし方針が決まったとしても荒らしが止むことはないのかもしれませんが…。

上の方針に追加して

  • 同著者の新しい著作が出版された場合は順次置き換えていく。
  • ただし賞を受賞しているものはなるべく残す(賞といっても、山田和『知られざる魯山人』のほかにあるのか当座のところちょっと分かりかねますが、なるべく調べてみることにします)。

こんな感じでどうでしょうか。1週間ほど待った上で、異論がないようであればこの方針で整理していこうかと思うのですが。--Ryota7906 2010年2月25日 (木) 19:13 (UTC)[返信]

とりあえず、それで進めても大丈夫だと思います。その後でまた、方向性も見出せるのではないかと思います。--Lapislazuli-star 2010年2月26日 (金) 01:28 (UTC)[返信]

ひとまず整理してみました。ご意見等ありましたらご遠慮なく。ただし強引かつ独断的な編集はお控えください(いずれにせよ差し戻しを受けることになるとは思いますが)。--Ryota7906 2010年3月4日 (木) 21:17 (UTC)[返信]

拝見しました。Ryota7906さんのを叩き台にしていければと思います。--Lapislazuli-star 2010年3月11日 (木) 01:17 (UTC)[返信]

一方的な削除を行うユーザー[編集]

参考のため、まとめておきます。--Lapislazuli-star 2010年2月25日 (木) 16:15 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

北大路魯山人」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 10:31 (UTC)[返信]