ノート:化学物質

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冒頭の諸用法・諸定義[編集]

Windwaldによって2010年6~7月にされた加筆は非常に怪しげな文章が多い。独自の研究の可能性が濃厚。要出典。例えば、まともな学者や栄養学者は「米に含まれるビタミンは化学物質だ」などとは表現していない。Windwald独自の見解である可能性が高い。要注意。--220.104.149.27 2010年9月6日 (月) 15:45 (UTC)[返信]

ビタミンが化学物質ではないとするような学者はいない。

  • 米から発見されたビタミンB1はWikipedia記事内において化学物質としての取り扱いをされているし、CAS番号も記されている。
  • 有害性に関しては、本文中の「化学物質と危険性」においては「化学物質の中で有害とされてきた物質は1割ほど」と参考文献付きの記述がある。裏を返せば「化学物質のうち9割ほどは有害ではない」。

--Windwald 2010年10月3日 (日) 04:23 (UTC) --Windwald 2010年10月3日 (日) 05:42 (UTC)曖昧表現を修正[返信]

ダメだ、ダメだ。Windwald くんのやり方はダメだ。まず、ウィキペディア内の記事や文章を根拠に推論するのは禁止されている。それと一つの視点を絶対視してそれに凝り固まってしまってその視点で全部をぶった切ろうというのがウィキペディアではダメ。複数の見解を柔軟に紹介してゆく姿勢が必要。
それとウィキペディアンがそうやって出典不明な材料を集めて勝手に推論してはダメなのだ。それはウィキペディアで厳しく禁止されている独自の研究にあたる。出典を示せない形でやろうとするから全然ダメ。
そうではなくて、文献に書かれている説明文を出典をひとつひとつ明示して、原文で書かれている意味を変えずに、なおかつ、ちょっと距離を置いて醒めた形で(=ウィキペディア用語の”中立性"を確保して)紹介してゆくのがwikipediaのやり方。例えば「化学物質とは・・・である」とか「この本では、化学物質とは・・・である物質ということにする」などと明記している文献を用意して、それを中立的に示すべきなのだ。例えば、仮に『化学者のための○○○ブック』という本があったとして、そこに(その本における)化学物質の定義が書かれていたら、ウィキペディア本文に”『化学者のための○○○ブック』では化学物質をは・・・の条件を満たす物質であるとしている”と中立的に書くのはOK。
あとそれと、どこかの教授が、例えば「・・・を化学物質と呼ぶのは、いささか誤解ぎみだと思う」と書いていれば、”ただし、○○大学の化学の教授は、・・・を化学物質だと呼ぶのは誤解だとの見解を示した”と中立的にその見解を紹介するのはよい。だが、その教授の見解をまるで絶対の真理のように扱ってしまって、記事全体の構成までいじるのはダメ。それはその人の見解にすぎない。中立性を保つのがルール。--こどりぼ 2010年10月6日 (水) 15:47 (UTC)[返信]
普遍の事実だと考えておりました。そんなことにまで出典が必要だとは考えていなかったので。Wikipedia内を根拠にすることが禁止である(推論ではないが)という点については大変申し訳なく思います。
広辞苑第6版:「物質のうち、特に化学の研究対象となるような物質をいう語。化学工業で合成される物質、あるいは人工の物質という意味で使われることがあるが本来はそういう意味はない」
「化学」で何をどう教えるべきか科学教育の学習指導要領作成に関わる関係者への日本化学会からの提言:「世間に喧伝されている「化学物質」に対する誤ったイメージを払拭することもこれからの化学教育の使命である。」
環境省「わたしたちの生活と化学物質」:「身の回りのものは、すべて化学物質でできている」「人間の体は化学物質でできた実に多くの部品の集まりといえる」
安井至、石坂眞澄[1]:化学物質=物質
こんなものでよろしいか?--Windwald 2010年10月7日 (木) 18:28 (UTC)[返信]
私はよろしいと考えます。--Calvero 2010年10月9日 (土) 07:35 (UTC)[返信]

出典について[編集]

基本的に出典は、次の2点を同時に満たすものであるべき。

①執筆者の実名(=文章の責任者の実名)が明記されているもの。できれば学者・科学者・文筆家などの個人名・実名が明記されていること。最低でも文章の責任を持つ組織・法人名・グループ名の法的な責任を持ちうる実名が明記されていること。(ネット上に多数見られる、匿名のもの、ハンドルネームによって個人名を隠すことで、文章について法的な責任を持とうする姿勢が欠如しているものはダメ。)

その文章が公にされた(=発行された、出版された)日付が明示されているもの。かなりの(ほとんどの)文章には、版(バージョンversion)というものがあり、コロコロ変わるものであり、章や文章が頻繁に消される。日付が特定できて、はじめてどのバージョンであるか特定できるのであり、wikipediaの検証可能性を満たすことができるようになる。(日付が特定されていないと、「そんな文章は書かれていなぞ!」「俺が見た時は確かに書かれていたんだ」「どうせウソだろう、書かれていたと主張するなら、いつ発表されたものだ?」「いや発表日は思い出せないが確かに書かれていたと思う・・・」などと、結局書かれていたのか書かれていなかったのか検証できなくなる。つまりウィキペディアにおける<<検証可能性>>を実は確保できていない) それと、日付が特定されることで、はじめてどのタイミング・どの時代背景・どの文脈で作成されたものか、という基礎情報(文章を理解する上で基本的で重要な点)もようやく理解される、という点でも重要。社会で何か事件があると、それを契機にして語の用法・意味が追加されたり、変化することは結構多い。

最低限でも①文章の責任者の実名②発行日の明記を同時に満たすものを選ぶべき(必要条件)。(あくまで必要条件十分条件ではない)

①と②を同時に満たしているのは、学術論文や出版物(一般の書籍、辞書、辞典等々)です。あるいは政府の組織などが、組織名を明記し日付も明記して発行した公文書です。(webを検索エンジンなどで探して見つけたネット上の文書のほとんどは、①と②を同時に満たしていません。ですので、そもそも基本的に、出典をwebサイト上から探すという姿勢は止めたほうがよいです。例外は政府系の公文書のPDFファイルなど、かなり限定的)

そして、出典を示す時にウィキペディアの<ref></ref>タグ内にはっきりと日付を記述すべき。これを書くことによって、リンク先がバージョン変更をした時に、人々は気づくことができる。学術論文で出典を示す時に、論文の年や出版物の版を示しているのはそういう意味でもやっていること。これは結構重要。

web上での議論のようなものは、たとえ①と②を満たしていても、そもそも匿名参加者が多く、そして、いつでも消去してそのサイトが存在していたとの証拠を(大抵は)消せるので、文章執筆者の執筆姿勢も非常に安易で、(学者ですら)文章に責任を持とうとする姿勢が希薄です。webサイトは、たとえ学者が執筆していても、出典としては、下の下、クズ、最低ランクに属すると判断するほうが無難です。限りなく黒に近いグレー。できれば使わないほうがよい。例えば、同じ学者が執筆しているにしても、そもそもwebの文章を探すのではなく、きちんと責任を持つ姿勢で執筆した論文や、著者名が明記された(永久に証拠が残り責任を持たざるを得ない)書籍を出典に選ぶようにして下さい。図書館で探せばお金をかけずに無料で使えます。--こどりぼ 2010年10月9日 (土) 01:08 (UTC)[返信]

自然言語の語彙体系としての問題[編集]

それと、誤解や感情的な反発を生むかも知れないことを承知で説明させていただくと、 (以下、専門家にとっては非常にきつい言葉が続くが、各分野の専門家の方々はお赦しを

結局、「化学物質」という用語の語法を巡って何が起きているかというと、化学の分野の研究者には専門バカ(タコつぼ学者)が結構多くて、そういう連中は教養全般が不足していて、世の中の諸学問全体に関心が無くて視点が偏っていたり、(それ以前に)人間として初等教育段階でしっかり習得すべき自然言語の基本的な使い方、自然言語の語彙システムとの付き合い方を体得していない連中が多くて、結果として自然言語の語彙体系に組み入れるにはもともと無理な用法・語法を勝手に思いついて、しかもそれに気づかずに(自己修正することもできずに)、キチガイ染みた語法を主張してしまう人が(化学の専門家の中には)チラホラいる、ということ。(ただし化学の研究者全員がそういうキチガイ染みた状態に陥って、変な語法を主張しているわけではなくて、まともなバランス感覚を保持して、まともな語法で使っている人も多いと思う)。

「すべての物質は化学物質だ」などという発言がいかにキチガイ染みているのか、すでにそういうキチガイ染みた思考にダマされてしまった人にはすぐには分からないかも知れないので、もう少しわかりやすく、キチガイ染みた主張について例を挙げて説明する。

例えば、「経済物質」という用語があり、ある経済の専門家がいて次のようなことを言ったとする。

どんな物質でも経済の対象とすることができる。どんな物質でも売買行為が可能で、貨幣と結び付けうる。ポリプロピレンだってもちろん売買されているし、実際には行けない月の土地だってネット上で売買されていて実際に貨幣のやりとりがされているように、すべての物質について人間は売買可能だ。だから、すべての物質は経済物質なのだ。それと、経済物質でない物質などこの世に存在しない。ゆえに経済物質=物質なのだ。物質=経済物質だ。

こういう主張はイカレている。

もうひとつ分かりやすい例を示すことにする。例えば「文学物質」という用語があったとして、ある文学の専門家がいて次のようなことを言ったとする。

どんな物質でも文学の対象とすることができる。例えばメチルアルコールなら、「彼はメチルアルコールを手に入れた」と小説中に書くことができるし、「メチルアルコールの憂鬱」というタイトルの詩を書いて、アルコールを中心に言葉をつむぐことができる。「○○氏のアルコール的な作品 -透明ですぐに消えてゆく運命-」という文学評論も書くことも書くことができる。ゆえに、すべての物質は文学物質なのだ。文学物質でない物質などこの世に存在しない。物質は全て文学物質なのだ。ゆえに文学物質=物質である。物質=文学物質。すべては文学なのだ。物質の専門家は文学者なのだ。今後は、どんな物質であれ物質を見たら即座に文学のことを思い出しなさい。

こういう主張もイカレている。

いくらでも例は挙げられるが、とりあえず2つだけ挙げてみた。つまり <<分野名○○+物質>> という構造の言葉(語彙)があったとして、それについて「すべての物質は○○物質なのだ」と主張する奴がいたとしても、そういう奴はその分野の専門バカ、専門キチガイ、教養不足の奴で、まともな言語感覚を失ってしまった奴にすぎない。ある分野に集中するあまり、人類全体の知識の体系や語彙体系が見えなくなってしまっている奴だ。自分では見えているつもりで、実は盲目になってしまっている奴。こういう専門バカ、専門キチガイというのは、どの分野にもいるので警戒したほうがよい(マッドサイエンティストというのも、そういう類だ)。そういう者の見解というのは、いちおう出典がつけられるから、ウィキペディアの本文で紹介することは可ではあるが、そういう主張とははっきりと距離を置く(=wikipediaにおける中立性を確保する)ほうがよい。百科事典というのは、特定の分野の専門キチガイのための辞書ではない。

「全ての物質は化学物質だ」という主張は、上記の例のようにキチガイ染みている。

そういう意味で、 webサイト上に見られる(=これだけで、そもそも安易な文章であって、ウィキペディアの出典としては下の下なのだが)、安井至、石坂眞澄「化学物質の定義、その2 石坂さんバージョン」に見られるような「化学物質=物質」という主張を扱う時は、紹介することは一応は可だが、距離を置くこと(=wikipediaにおける中立性の確保)が絶対に必要。

『「化学」で何をどう教えるべきか科学教育の学習指導要領作成に関わる関係者への日本化学会からの提言』も特定の専門家(きつい言葉で言えば専門バカ)たちによる提言(つまり主張)なのであって、内容が事実とは言いがたい。人類の多数派や、日本人の多数派がそのように認めているわけでも、諸学問を横断的に見た時の学者全体の多数派がそう認めているわけでもない。Wikipediaに、出典を明示しつつ、そういう考え方を紹介することはもちろん可だが、そういう主張とは距離を置くこと(=wikipediaにおける中立性の確保)が必要。

--こどりぼ 2010年10月9日 (土) 01:08 (UTC)[返信]

とりあえず「キチガイ」「イカレている」なる語を連呼するのは冷静な態度とはいえないように思います。落ち着いて編集してください。ノートでは独自研究の記述が制限されているわけではありませんが、上記の論理はやはり独自研究が過ぎるように思われます。中立的な観点から言えば、出典から距離を置いて記述を行うことは推奨されるのはもちろんですが。--Calvero 2010年10月9日 (土) 07:33 (UTC)[返信]
私もこどりぼさんがこのページでキチガイとかイカレてるとかいう言葉を使っているのは不適切だと思います。不愉快です。こどりぼさんはそういう言葉遣いはくれぐれも控えて下さい。ただし本文の編集についてはこどりぼさんはおおむねまともだと思います。むしろCalveroさんがその後行った編集が変だと思います。Calveroさんの編集では要出典タグも勝手にとりのぞいているのでなおさらNGです。出典が提示されない間は要出典は要出典です。化学物質を純粋物質とする文には出典が必要です。実は化学物質を純粋物質とする定義文は、英語のページに出典付きで記載されている定義文ともひどく矛盾していてかなり怪しいですよ。1番目に表示するようなものじゃない。誰がそんな定義を言い出したのか科学者の名前も示すべきでしょう。どの定義文が正しいとかどれが誤っているとかどれが科学的とかどれが科学的でないとかは決め付けられないでしょう。複数の視点が有り得ます。専門家たちもてんでバラバラのことを言っているということのようですし。--119.107.226.15 2010年10月10日 (日) 06:42 (UTC)[返信]
要出典タグの取り外しはミスでした。後部に移動しようとして、カットしたあとペーストするのを忘れておりました。修整、どうもありがとうございます。--Calvero 2010年10月11日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

表示の順番について[編集]

「すべての物質」と単純化してしまう(ナンセンス化してしまう)のは、化学者の中でもごく一部の人であって、全体としては明らかに少数派なので表示するとしても下のほうにするべき。冒頭に表示するような一般的なものでもないし、高級なものでもない。

ウィキペディア英語版では出典つきで以下のように書かれている。 Chemical substances (also sometimes referred to as a pure substance) are often defined as "any material with a definite chemical composition" in most introductory general chemistry textbooks.(Hill, J. W.; Petrucci, R. H.; McCreary, T. W.; Perry, S. S. General Chemistry, 4th ed., p5, Pearson Prentice Hall, Upper Saddle River, New Jersey, 2005)。

ちなみに英語版の場合を下のほうまでじっくり読み込んでいただくと理解できるはずだが、出典付きで、それを主張した科学者名、そのいきさつ・歴史の概略に関する記述があり、おおむね事情やその正当性の程度が判断できる。chemicalという形容詞には様々な意味があるが、一部の化学者が便宜上、(本来の意味からすると不自然なのだが)自分たちの勝手な都合で(自分たちが操作を加えやすいものばかりに言及し)限定的な意味で使い始めたのが化学者の間で習慣的に広まったもののようだ。chemicalという形容詞の元来の意味からすると変なのだが、化学者の間で習慣として広がっているのだから、そういうもの(広く受け入れられている習慣)を中立的に紹介するウィキペディアとしてはまあ妥当。

よって、現状、1番目に表示させる日本語の候補をあえて選ぶとすると「原子、分子及び分子の集合体や高分子重合体のような、独立の、かつ純粋な物質をいう」がおおむねそれに該当し妥当。

ただし、この定義に何者かによって添えられた「純粋であることを要件としている化学物質の定義なので、純物質と同義になる。」という表現は独自の研究が高い。なおかつ間違っている可能性も高い。「同義になる」というところが一部の若いウィキペディアンによる早合点で間違いの可能性が高い。この定義文をよく読めば判るが A(独立であること) B(純粋であること)の2条件を想定している。つまりA AND B。ちなみにXがAとBを要件としている場合、一般的なベン図を描くと、XはBと同一ではない。(集合ベン図で描けば分かる。積集合のベン図を確認のこと。XはAとBの重なるところのみ。BであってXではないものが存在する。つまり一般的には同義ではない)。 --124.85.133.251 2010年10月25日 (月) 02:16 (UTC)[返信]

すくなくとも「人工的に合成された物質」の後に来るような定義ではない。英語版においても「化学組成の明らかなすべての物質」とされているではないか。化学者の間ですべての物質が化学物質たり得ると広く受け入れられているにもかかわらず、それを否定的に紹介するのはいかがなものかと考える。--Windwald 2010年10月25日 (月) 15:52 (UTC)[返信]

英語版で組成が一定した物質と書いてあるのであって、”全ての物質”とは書いてありません。そういう違いがとても大切。 それと ”~と考えることもできないわけではない” という表現があるような場合、「できないわけではない」ということであって、つまり、それは一般的ではない、ということも示している。イコールではない。そういう違いがとても大切。極論をすればそういう言葉遊びもできる、一部の人がそういう言葉遊びをしているということとと、それが諸定義の中で最も一般的かどうか、ということとは別です。一般的な定義を上のほうに掲載し、マイナーな定義は下に書くべきです。国語辞書にも書いてなく、化学者たちが使う事典にも正式採用されていないような代物を、個人的な感情で勝手に格上げしないように。Windwaldさんは全てを異常なまでに単純化、ナンセンス化することに固執している。ウィキペディアはウィキペディアンの個人的な感情で編集するものでもありませんし、小学生や幼稚園児向けの辞書でもありません(ジュニア新書だとか、広報ページに書かれているのは、小学生や幼稚園児向けの位置づけです)。日本語として一般的な定義文や、学者の間で標準的な定義文、法的に一般的な定義文などを上位に表示するのが当然のことです。--119.107.225.125 2010年10月26日 (火) 23:55 (UTC)[返信]

「物質、特に化学が研究対象とするような物質」という表現、これのどこがナンセンス化に当たるのか理解に苦しみます。確かに未定義であるという意味で、「化学物質」は困った存在の言葉。chemical substanceだって、本来用語ではない。しかし学者たちの間では「化学物質」という言葉を、未定義ながらも「物質」とほぼ同義に解釈することが一般的。IP氏は「一般的ではない」・「少数派だけだ」とおっしゃいますがその根拠は?化学者たちは(自分たちの間では使わないが)世間に対して「化学物質」は特別な物質ではない、と働きかけているわけです。日本化学会での提言にもあります。未定義であり、正式採用されていないような代物だといってその考えを突き詰めるのであれば、Wikipediaに項目として採用すべきではないと考えます。化学者の間で一般的な考え方は許せないが、世間に流布する誤解は優先して取り上げるというのはそれこそ中立性を損なうものです。最後に、IP氏ならびに一部アカウントユーザーの一連の発言は個人攻撃や不特定多数への罵声を含んでおり不適切です。--Windwald 2010年10月27日 (水) 17:25 (UTC)[返信]

英語版の翻訳による記事の強化[編集]

皆様、こんにちは。英語版Wikipediaの Chemical substanceStoichiometry を使用して、本記事 化学物質 を強化したことをご報告します。

大幅にページを更新しました。ノート:化学物質 を拝読し、化学物質の定義について多くの議論を経て整理されてきたことを理解しました。しかし、化学物質の一読者として、「曖昧さ回避」ページのようなリード部や、本文を読み進めると再び化学物質の定義に言及されていたりと、本当に知りたいことにたどり着けないもどかしさもありました。対して英語版は、主題である chemical substance をはじめ、さまざまな用語の背景やその意味を一つ一つ説明していて、読者はこうした関連性の説明から chemical substance という概念を理解できる、より優れていると思いました。そこで、日本語版でも同様にしたく、英語版を軸として記事を強化しました。

強化に際して、英語版 Stoichiometry のリード部分も翻訳して、「測定」の節で使用しました。それは、Template:Excerpt による 化学量論 の取り込みが期待どおり機能しなかったためです。

日本語版の記述はできるかぎり引き継ぎました。しかし、前の方が良かった、訳が違う、読めたものじゃない等、いろいろなご意見はあると思います。続いて更新していただければ幸いです。

■ソース

■強化方法

1. 英語版を翻訳

2. 日本語版から移行する節(太字)、削除する節(取り消し線)を決定

0. リード (本文中の「定義」と重なる)
1. 序説
1.1. 化学物質の態様 (重複)
1.2. 日本の法令における定義
2. 化学物質の利便性 (主題を説明するのに必要ない)
3. 化学物質と危険性
4. 出典
5. 参考文献
6. 関連項目
7. 外部リンク

3. 英語版に日本語版をマージ

0. リード
1. 定義
1.1. 日本の法令における定義
2. 歴史
3. 化学元素
4. 化合物
5. 物質と混合物
6. 化学品と化学物質
7. 命名と索引
8. 単離、精製、特性評価、および同定
9. 測定 (en:Stoichiometry のリード部分を翻訳した)
10. 化学物質と危険性
11. 参考項目 (関連項目)
12. 参考文献
13. 脚注 (出典)
14. 外部リンク

■その他の気づき

--YasuakiH会話) 2023年9月24日 (日) 04:25 (UTC) --YasuakiH会話2023年9月27日 (水) 20:23 (UTC)[返信]