ノート:労働運動

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失業との関係について[編集]

Wikipedia失業から

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中世キリスト教世界では、貧しいことは神の心にかなうこととされ、そういう人に手を差し伸べることは善行であった。宗教改革は、こういった見方を一変させ、「怠惰と貪欲は許されざる罪」で、怠惰の原因として物乞いを排斥し、労働を神聖な義務であるとした。
プロテスタンティズムの流行は貧しいものへの視線を変容させ、神に見放されたことを表わすという見方が広がり、都市を締め出された貧民は荒野や森林に住みつくか、浮浪者となって暴動を起こすようになった。
イギリスでは1531年に王令により貧民を、病気等で働けない者と、怠惰ゆえに働かないものに分類し、前者には物乞いの許可をくだし、後者には鞭打ちの刑を加えることとした。1536年には成文化され救貧法となり、労働不能貧民には衣食の提供をおこなういっぽう、健常者には強制労働を課した。産業革命が加速する18世紀まで、健常者の「怠惰」は神との関係において罪として扱われ、救貧院の実態は刑務所そのものであった。18世紀以降、キリスト教の価値観を離れた救貧活動が広がり、ギルバート法の成立やスピーナムランド制度がイギリスで成立し、救貧や失業に対する価値観はようやく変転を見せた。(救貧法参照)

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労働運動の歴史を考えるうえで、近世プロテスタント・キリスト教世界が「失業」に与えていた価値観に視点を向けるのも面白いだろう。「罪びと」が開放されるには、さぞや思想的な戦いとキリスト教からの過激な離脱が必要だったことだろう。以上、エッセイ風( ´_ゝ`) --125.205.8.21 2007年5月17日 (木) 09:21 (UTC)[返信]