ノート:加藤与五郎

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加藤与五郎氏が京都大学で学士号を取得した理由は、当時、私立(大学)出身者は国立の大学に採用されない規則(不文律?)があったからである。加藤氏は同志社ハリス理化学校を卒業し、東北学院の教師をしていたが、評判が立って仙台の第二高等学校から移籍の誘いがあった。しかし彼の出身が私学であったので、移籍が成立しなかった。加藤氏はその不条理に一大決心をして、京都に戻り、京大の選科生として、一年で必要な単位を取得し学士号を得た。その間、米国MITのノイス教授に面会し、MITへの留学を持ちかけられた。彼は、京大での学士号を得てからの留学を申し出て、それが受け入れられた。