ノート:副島種臣

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条約改正[編集]

[1]の編集についてですが、手短には、外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』(山川出版社、1992年)の「条約改正」と「副島種臣」の項を参照してください。「在日外国公使たちに、条約改正交渉の開始を申し入れ」たのは、副島の前々代の澤宣嘉でした。『副島種臣全集』は書庫に戻していますが必要ならば取り出して確認します。--rshiba 2010年3月29日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

副島種臣」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 02:27 (UTC)[返信]

冒頭定義の「武士」を加える編集[編集]

直近の利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録 / 記録氏の冒頭定義に武士を加える編集に付き差し戻しを提案します。冒頭定義で武士と定義することの問題点の議論についてはプロジェクト‐ノート:日本史の方をご参照いただけると幸いですが、そもそも当該編集を行ったIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録 / 記録氏は合意形成を放棄して一方的に冒頭部に武士を加える編集を行うことで投稿ブロックが繰り返されている人物であるため、合意形成があるまで彼の編集はひとまず削除されるべきと考えます。--Tronbone77会話2021年9月15日 (水) 05:03 (UTC)[返信]

鍋島直正(閑叟)は文久元年(1861年)に隠居して家督を鍋島直大に譲っている。[編集]

『佐賀藩に蘭学寮を設けていた藩主・鍋島直正が、新しく英学塾・蕃学稽古所(後の致遠館)を開校するに当たり、督学の任に当たるように勧められ、これを受諾。』『一方の佐賀藩では、同年に藩政改革が進められ、久米邦武の起草で藩治改革が成り、藩主・鍋島直正の下に副島は参政、江藤新平が参政格に任命された。』『明治4年(1871年)1月18日に藩主・大納言鍋島直正が没する。』とありますが、これらは「旧藩主」あるいは「前藩主」とするのが正確です。--高堂升平会話2024年4月19日 (金) 21:57 (UTC)[返信]