ノート:典礼

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カトリックの典礼学を念頭において書かせていただきます。典礼は、liturgia のほかに、ritus の訳語としても使われます (後者の場合は、「典礼様式」という訳語を充てることもあります)。この2つの語は、意味が似て異なるのですが、どちらの用語も似たような文脈で使われることが多く、紛らわしいいので、注意が必要かと思います。簡単に言うと、ritus は、狭い意味では典礼 liturgia の体系、広い意味では、ある教会の特徴を構成するものと認められている(liturgia などの儀礼の問題も含めた)文化的伝統の総体、と言えばいいでしょうか。例えば「アンブロジオ典礼 ritus ambrosianus では、時課の典礼 liturgia horarum において、初めの祈りがローマ典礼 ritus romanus とは異なる場合がある」というように使います。 なお、ritus と言う言葉は、今では、学術的・中立的な用語として定着していますが、もともとは、ローマ典礼とはことなった伝統について、侮蔑的とは言わないまでも多少とも否定的なニュアンスで言及する際に用いられたのが、始まりだったようです。例えば、「ローマの聖なるミサ聖祭 Sancta missa romana」に、「ギリシャ人の ritus」を対比させる、というように (「ギリシャ人の ritus」は、今日ならば 「ビザンチン典礼」と呼ぶところでしょうか。また、このいい方は、1つの liturgiaをritusと対比させているところも不適切ですね)。--Methodios 2008年5月19日 (月) 05:58 (UTC)[返信]

全体的に整理しましたが、まだまだ課題が多いと感じています。基本的に「典礼」はカトリック用語ですからカトリック教会のものを中心に記述した方が良いと思うのですが、他教派のrite, liturgyについても言及されるところが頭の痛いところです。何よりもまず、教派ごとに節を分けて記述したほうが良いと思われる部分が、東方と西方、カトリックと聖公会とプロテスタント、これらがごちゃまぜに記述されており、可読性・理解を大分損なっています。その辺の整理を、これから少しずつしていきたいのですが、何分にも西方には暗い私の事ですから誤謬も出てくるかと思われます。西方教会に明るい方の加勢をお願いしたいところです。--Kliment A.K. 2009年5月1日 (金) 15:48 (UTC)[返信]

大幅編集報告[編集]

以下の点につき大幅に編集しました。

  • 冒頭文を大幅に整理しました。
  • ローマ・カトリック教会が7つの秘蹟を主張することへの批判がこめられている。」についてですが、確かにプロテスタントはカトリック教会による秘蹟概念に批判を加えているものの、礼典という術語・語彙そのものには「批判が込められている」とは言い難いでしょう、削除しました。
  • そもそも「礼典」は「典礼」と対応する語ではなく「秘蹟」「機密」に対応する語彙でありますので、その事について注釈を加えました。
  • 節:「様式の意味での典礼」に、大幅な修正を行いました。
  • 各教派等における形式面の相違について#様式の意味での典礼を参照。」とありましたが、他教派記事への誘導は冒頭に加筆しました上に、内容が修正前も修正後も薄いため、該当する節への誘導の必要性が感じられないために削除しました。
  • 外部リンクを加えました。

--Kliment A.K. 2009年5月1日 (金) 17:37 (UTC)[返信]

カトリック教会の典礼について[編集]

こんにちは、また、ちょっとしたことですが、気がついたので書かせていただきます。カトリック教会では、福音書朗読は、本来、助祭の役目です。つまり助祭が典礼に参加しているときには、助祭が行なうべきものです。ただし、カトリックでは、助祭なしで典礼を行なうことが非常に頻繁にあるので、実際には、司祭が福音書朗読も行なってしまことのほうが、より頻繁に起こっているとは言えるでしょう (理想論を言えば、各奉仕者が自分の、そして自分のだけの、役割を果たすのが望ましいとされているのですが)。--Methodios 2009年5月15日 (金) 13:19 (UTC)[返信]

こんにちは、気がついた点をまとめて投稿する時間が無いので、こま切れの投稿になってしまいますことお許しください。「カトリック教会においては、個人的に行う奉仕は、たとえ儀礼化されたものであっても典礼ではない。これらを私祈祷と呼ぶ。」のくだりについてはいくつか問題がありますが、とりわけ、「個人的に行なう」とはどういう意味かを明確にする必要があります。たとえば、「時課の典礼」(聖務日課) を行なう場合(場所が教会以外の場所であってもかまわない)、たとえ一人で行なっても、外面的には儀礼というには程遠い形 (極端なことを言えば寝付く前に布団にもぐって唱えるなど)でも、それは、教会を代表して祈っているのであり、その限りにおいては典礼であると見なされます。ですから「個人的に行なう」の解釈によっては、個人的に行なっても典礼であると言うことが言える可能性があります。あまり学術的でない言い方が許されるならば、儀式張っていると見なされがちなカトリック教会ですが、こういうところは非常に柔軟であったりすると言えるでしょうか。--Methodios 2009年6月12日 (金) 17:23 (UTC)[返信]

Methodiosさんの御指摘に感謝します。私は西方教会に暗い門外漢でありますので、ぜひ加筆・修正をお願いしたく存じます。--Kliment A.K. 2009年6月14日 (日) 06:47 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

典礼」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月26日 (火) 17:41 (UTC)[返信]