ノート:公孫無知

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無知と襄公の関係[編集]

『十八史略』では「襄公為弟無知所弑」(襄公、弟・無知の弑する所となり) とあり、無知が襄公の弟 (釐公の子) であるかのように記されているのですが、これは無知が「従兄の太子諸児と同じ待遇を受けた」からなのでしょうか。あるいはここでの「弟」は何か別の意味を持つ字なのでしょうか。ご存知の方がいましたらご教示いただければ幸いです。--Nao Costas会話2021年10月5日 (火) 13:53 (UTC)[返信]