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ノート:元号/過去ログ1

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削除部分について[編集]

削除またはコメントアウトしたところがかなりあり、議論が必要な部分もあろうかと思いますので、異論があればこちらに書いてください。よろしくお願いします。--Novo 2006年11月5日  (日) 11:55 (UTC)

「日本」の節にある
>日本は、天皇制を権威付け、ひいては皇室を正当化するために中国の元号を模倣したとされているが、中国を中心とする東アジアの中では中国の冊封体制に組み込まれていない、中華王朝と対等の国であることを示すために、ベトナムと並んで独自の元号を存続させている。
この文、私がコメントアウトしたものが復活していますが、何が言いたいのか私には分からない文なので、とっておきたいとお考えになる方があれば、復活された方でもどなたでもいいので、解釈していただけませんか。--Novo 2006年11月20日 (月) 18:06 (UTC)

第三者ですけど、「冊封体制」を受け入れた国であれば、元号は中国のものを公式年号として使うようですよ。よって、元号を独自に立てるということは、「冊封体制」に組み込まれていないことを主張していることとなるのでしょう。それが、日本とベトナム帝国ということでしょう。文章は推敲する必要があるかもしれませんが、削除する必要はないでしょう。それではよろしく。Cool fire 2006年11月22日 (水) 15:32 (UTC)

ご教示ありがとうございます。まだ分からないところがあるのですが、
  • 一番理解しにくいのは文の前段が後段とどういう関係をもつのかです。逆説の「が」で結ばれていますが、前段と後段とは特に矛盾する関係にはないのではないか、おなじ内容の繰り返しではないか、と感じます。
  • 「冊封体制」は、非常に有名なことばになってしまったのですが、学界ではむしろこの概念(特に「体制」というスタティックなとらえ方)に対する批判論(ないしは補強論)が出てきています(ノート:冊封に大変長い議論があります)。更に言えば、この概念は昔からあったわけではない、東洋史学で作られた新しい学術用語なので、「アジアに「冊封体制」があった」と今現在考えられている、その時代の「日本が、中国の冊封体制に組み込まれていない国であることを示すために独自の元号を存続させ」ると自分で意識していたとは考えられません。
  • ご説明いただいたように、「冊封体制」と中国元号の使用とは、(少なくとも中国との外交において)確かに密接な関係がありますが、両者は必要十分の関係にはありません。日本は「冊封体制」に入っている間に独自の元号を使い始めました。ベトナムは「冊封体制」(ただし宋以後)にずっと入っていましたが、ずっと独自の元号を使っていました。「中華王朝と対等であることを示すために」はまだ分かるのですが、「冊封体制」という学術用語を不用意に使われることには違和感があります。
履歴を見てみると、かなり多くの人が手を入れた複雑な経緯でできた文のようなので、それで理解しにくくなってしまったのだと思います。ご教示いただいたので、どう推敲したらいいか、またしばらく自分なりに考えてみます。--Novo 2006年11月22日 (水) 17:02 (UTC)

いろいろと調べられたようですね。私の一文が勉強開始のきっかけという意味でお役にたてたようで何よりです。Cool fire 2006年11月23日 (木) 09:33 (UTC)

元号のリダイレクト[編集]

毎年の元号略記が西暦にリダイレクト/曖昧回避するように作成(M1 から S12 まで)されましたが、このようなリダイレクトの必要性はどんなもんでしょうか。あった方が利便性がいいというようならば H19 まで作成しておいた方がよいと思いますし、あると曖昧回避などの関係で却って邪魔という事であればリダイレクトの削除依頼等に提出する必要があるかと思います(または、存在するものはそのままでよいという事であれば現状のままで)。 By 健ちゃん 2007年8月7日 (火) 03:44 (UTC)

少なくともM43については、星雲の正式な名称ですから西暦1910年へのリダイレクトよりも優先される理由があります。他のM××についても星雲の記事のみが存在するのならば、リダイレクトは不要だと考えられます。124.102.103.44 2007年8月7日 (火) 14:16 (UTC)
というかM~は御堂筋線などの駅ナンバリング(たとえば難波駅)としても使われているのでせっかく作るのであればそれも記述してほしい今日この頃--小鳥遊 華暖 (Takanashi Canon) (Talk|History) 2007年8月7日 (火) 23:49 (UTC)
私が元号略記のリダイレクトを作成しましたのは、そのような略記法が現代の日本において頻繁に使用されているため、「M**」「T**」「S**」「H**」と入力して各年の記事にアクセスできたほうが利便性が高い、そのような需要はあるのではないかと考えた次第です。したがって、存在するものは現状のままで良い(できればS13からH20までも作ったほうがいい)と考えております。但し、124.102.103.44様が仰ったような、星雲などの正式名称である場合にはそちらを優先するのは当然であり、年の記事へはOtherusesで誘導するのが好ましいでしょう。
なお、御堂筋線など地下鉄の駅ナンバリングについては、駅名ではなく駅番号で呼ぶことがまだ一般的に浸透していないので、曖昧さ回避の必要性は低いと思いますが、もちろんあっても良いとは思います。--平成の光源氏 2007年8月8日 (水)  01:44 (UTC)


日本関連記事の中立性[編集]

平成21年10月4日における、同一人物による加筆。そのなかで特に日本関連のものは、元号に対して拒絶感を抱く方の編集と見えます。 元号の使用が「政府による強制」との見解で一貫しており、とても思想的や政治的に中立であるとは思えません。

この「元号」のページを、「中立性が疑われるページ」として議論の場に出すべきであると思われます。 --61.12.149.226 2009年10月7日 (水) 16:26 (UTC)

平成21年10月10日頃に、中立的に書き改められた日本関連の記事が、平成21年10月4日の執筆者と同一と思われる執筆によって再度改められ、「元号に対する嫌悪感」に満ちたものに戻ってしまいました。 これを再度中立的に編集しなおしても、また書き改められることは必定です。

中立的に編集した後、保護をかけるべきであると思われます。 --61.12.150.192 2009年10月14日 (水) 15:15 (UTC)

中立性テンプレを貼った者ですが、保護依頼を出したらいかがでしょうか。--120.51.190.168 2009年10月15日 (木) 09:17 (UTC)

Wikipedia:表記ガイド# 年月日・時間では「西暦を原則とします。和暦も併記することができます。」とあるように、国際的なルールに則しているだけでしかなく、元号に否定的な姿勢を示すだけで、「とても思想的や政治的に中立であるとは思えません」とするのは、あまりに思慮が浅いです。元号を肯定することは日本を中心とするのに等しく、Wikipedia:日本中心にならないようににも反しますので、ご一読をお願いします。--60.238.47.232 2010年3月15日 (月) 12:45 (UTC)


Wikipedia:表記ガイド# 年月日・時間はあくまでもウィキペディアでの時系列を示したものです。

それに元号を肯定するのは「日本中心」でウィキペディアの執筆原則に反しているというのならば、元来「キリスト教歴」である西暦の使用は、イスラム教徒や仏教徒、中華民国に朝鮮民主主義人民共和国の存在を否定しているという論理も成り立ちます。

同時に、エスペラントや英語ではなく、日本語で書かれている私や--60.238.47.232 様の意見も「日本中心であり、ウィキペディアの編集原則に反している」といえます。それならばいかなる内容で、いかなる思想信条で書かれていたとしても日本語表記である限り「元号」の頁は日本中心です。

そもそもウィキペディア日本語版の存在意義はどうなるのでしょうか。

ウィキペディアは「百科事典」であり。政治討論の場ではありません。自らが元号に否定的だと自覚しておられるならば、他の場所で発表されるべきでしょう。 --115.165.2.9 2010年3月17日 (水) 13:02 (UTC)

日本における「元号使用の現況」の項目について[編集]

元号法が定める部分は以下の二つだけです。

  1. 元号は、政令で定める。
  2. 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

元号法は日本における紀年法の主従関係を決めるものではありませんし、公文書などにおいて元号の使用を規定するものでもありません。書類に西暦の項目がない理由と西暦には元号法のような法律規定がないこととの因果関係は不明で、わざわざ「法的根拠がない」と記述する必然性は見られないため該当箇所を除去しました。また、主従関係の記述についても前述の理由に加え出典の信憑性が疑わしいため該当箇所を除去しました。どうしても記述したい場合は、法律規定がないこととの因果関係について信憑性のある出典を明記してください。--ニューロン 2011年4月11日 (月) 02:50 (UTC)

西暦と元号の数え方[編集]

西暦と元号の数え方」の項目の"解釈の仕方"は、個人研究に該当しないでしょうか。数え方という視点において、数字の加除の部分は「計算方法」として理解できますが、「1868年(慶応4年=明治元年)から100年なので「明治101年」」とか「平成20年は昭和43年から40年経っているので「昭和83年」に相当する。」のような解釈は、公的な解釈でも一般的に認知されているものでもないと映りました。「歴史的な節目の年を対応させて覚える方法」も、「節目」の"解釈"の仕方や「覚える方法」が一般的な節目でも覚える方法でもないと思われます。

実は数え方としては記事にあるものの他に、例えば平成なら「平成20年→時計の20時は08PM→2000をプラスして2008」というやり方も世の中にはありますが、私がこれを記事に加えようとしたとき、もしかして「個人研究の加筆に該当するのではないか?」と気がついたため、中止し、メモとしてここに残します。特定のPOV的説明を一切付加せずに、元号ごとの加除(マイナスする数字)の計算式のみ(例:昭和 1947年 : 1947-1925 = 22 →昭和22年 のような)の記述が、数え方の節として妥当ではないでしょうか。-218.221.134.18 2011年10月7日 (金) 22:52 (UTC)