ノート:伏見 (名古屋市)

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そもそも伏見の「範囲」はどこまでなんでしょうね?[編集]

旧町名記事である伏見町 (名古屋市)が立項されている訳ですが、そちらによると旧伏見町の範囲は「丸の内一・二丁目および錦一・二丁目の各一部」だそうです。

現在、この記事に記載されている「主な施設」で立項済みの建物の所在地を見ると、錦1丁目にある名古屋観光ホテルと錦2丁目にあるNTTデータ伏見ビルを除いてほとんどが栄1丁目・2丁目に所在しており、伏見の範囲が確定できない限り、これらを「(伏見にある)主な施設」とするのは適当でないようにも思われるのですが。そもそも、私は名古屋生まれ・名古屋育ちの名古屋市民であの辺りをうろついたことも数え切れないくらいありますが「ここからここまでが伏見」ってのは記憶に無いんですよね。せいぜい、伏見駅の周辺くらいで。--KAMUI会話2015年6月16日 (火) 13:11 (UTC)[返信]

  • 伏見町(旧町名記事)の立項者です。昭和30年の国土地理院1:10000地図によると、旧伏見町の範囲は東西の幅がほぼ伏見通・北端が外堀通・南端が日銀名古屋支店の真ん中あたりとなっています。確かに伏見というエリアがあることは異論を俟たないところではありますが、この記事がどの範囲を指そうとしているのかはよくわかりません。それを明確にするために、座標を示してみましたが、そもそもそれが伏見であるかどうかの根拠がよくわかりません。『角川地名辞典』『なごやの町名』をざっと目を通してみましたが、通称地名であるところの「伏見」についての項はありませんでした。『愛知百科事典』にもなし。記述があるとしたら、『中区誌』か栄小学校誌でしょうか。--円周率3パーセント会話2015年6月16日 (火) 14:08 (UTC)[返信]
旧伏見町はこんな感じですかね・・・「現在の名古屋市民が認識してる伏見」は地下鉄伏見駅の周辺、しかも路線の通ってる「錦通伏見交差点」ではなく、出口の多い「広小路伏見交叉点」を基準にしてるように思われます。一応、南側は白川公園までを含めても大丈夫かな?と思いますが、北側は日銀交差点まで行くと「丸の内駅があるから丸の内だろ?」って印象がありますし、西は竪三蔵通より先は納屋橋の範囲でしょう。東はなおさら微妙で、長島町通から長者町通のあたりから先は「栄」じゃないかと。『中区誌』には目を通したことはありますが、伏見に付いての詳細な言及はあったかなぁ?・・・時間が取れたら一寸調べてみます。--KAMUI会話2015年6月16日 (火) 21:21 (UTC)[返信]
旧伏見町に関しては大体その範囲です。地図をよく見たら、南伏見町ってのが広小路通の南側から若宮大通まであったようです。なので、白川公園まで「伏見」という感覚は当時の町割りを知る世代なら持ち合わせているのかもしれません(もしかすると、南伏見町がいわゆる伏見の範囲なのかも。広小路以北の○○町に対して、以南の南○○町という例はいくつかあって、武平町と南武平町とか伊勢町と南伊勢町とか、特に南伊勢町にある証券取引所を伊勢町と通称するのと一緒なのでは)。旧伏見町の位置を伏見の範囲として見られない見解は同じです。伏見町がこんな位置にあったことに記事を立てるときに驚いたくらいですから。ただ、独自研究を積み重ねても仕方が無いので、突破口にしようと思って、典拠として新聞を示してみました。公式の歴史をいくつかひもといてみても言及がなかったので(中区誌やら栄小学校誌やら長者町の歴史やら新修名古屋市史やら)、通称地名だから俗っぽい資料を当たらないといけないかと思って、鶴舞中央図書館新聞スクラップの中区地誌からいくつか漁ってみたものです。あと有望そうなのは旅行ガイドブックの類でしょうか。--円周率3パーセント会話2015年6月17日 (水) 12:21 (UTC)[返信]
伏見駅 (愛知県)が開業した1957年(昭和32年)当時は「伏見町駅」ですが、この時点で「伏見町駅は伏見町にあった訳ではない。ただし出口は南伏見町にもあった。」ってことですよね。伏見町が丸の内と錦に編入されたのが1966年(昭和41年)で、同年に「伏見駅」に改名されてるので、現在の記事が指すべき「伏見」はこれ以降に駅周辺を指す形で定着したのかなぁ?と思ったりもしますが。資料探しと記事の改善にはちょっと時間がかかるかも知れませんね。--KAMUI会話2015年6月18日 (木) 10:27 (UTC)[返信]