ノート:中田重治

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中田重治と日本ホーリネス教会は切っても切れない関係にありますが、中田重治個人の生涯がもっとはっきり浮き出るように編集を試みたいと思います。--More blessing 2010年2月11日 (木) 02:28 (UTC)[返信]

再臨運動[編集]

1917年の再臨運動は、日本ホーリネス教会中田重治だけの運動ではなく、内村鑑三木村清松、また反対派は海老名弾正など、当時のキリスト教会にセンセーションを起こした、各派の重要人物が関わっている、日本キリスト教史上重要な運動なので、中田重治の記事から一部分割させて新規作成して、さらに加筆して詳しく記事を発展させたいと思います。

しかし、再臨運動の名称がふさわしいのか判断が付きません。再臨運動は世界の教会史ではしばしば起こっています。1917年の日本の再臨運動を、指し示すもっともよい名称を、だれか教えてください。もし、なければとりあえず、再臨運動として分割させてして、後に名称を変えたいと思います。もしくは、曖昧の回避の記事のいずれかを作成したいと思います。--More blessing 2010年3月13日 (土) 06:19 (UTC)[返信]

とりあえず再臨運動で作成して内容が増えてから分割でもよいのではないですか。日本では中田監督、木村師、内村兄の再臨運動を指すことが圧倒的に多いかと思います。--Evangelical 2010年3月13日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうざいます。とりあえず、再臨運動で作成したいと思います。1917年日本の再臨運動を内容をメインにして、教会史上その他の再臨運動も加えたいと思います。--More blessing 2010年3月14日 (日) 04:06 (UTC)[返信]

日本ホーリネス教会[編集]

戦後の日本ホーリネス教団は、戦前の日本ホーリネス教会の再建であるとしていますが、やはり、日本ホーリネス教会は、日本ホーリネス教団は、ホーリネス信仰という点では同じですが、組織の性格から言っても別の組織だと思います。だから、両者を分けて作成するべきだと思います。日本ホーリネス教団の前半を分割するか、または、新しく日本ホーリネス教会を作成したいと思います。同じ事は、東京聖書学院についても当てはまり、戦前の聖書学院もしくは柏木聖書学院と戦後の東京聖書学院の連続性に疑問があります。建物がある場所は同じでも、両者は別の組織と考えたらいいのかもしれません。東京聖書学院記事を分離したらどうでしょうか。ご意見をお願いします。--More blessing 2010年3月15日 (月) 10:30 (UTC)[返信]

--Evangelicalさん、ありがとうございます。『中田重治伝』に掲載されている、和協覚書では、「甲(中田監督側)使用の聖書学院所在地不動産に就いては、乙(委員会側)は譲歩し、右不動産を甲(中田監督側)に於て占拠使用することに何等意義なき事を表明す」(496ページ)とあります。そして、中田重治監督も車田秋次師も署名捺印しております。ですから、和協覚書が、わずか13年後の、1949年にも有効であったとすれば、日本ホーリネス教団は、東京聖書学院を設立することはできないはずです。日本ホーリネス教団の教職の山口幸子氏が書いた『ホーリネスの流れ』では、「いろいろな事情」とか「聖書学院の問題」(82ページ)という曖昧な言い方をしています。すでに天国にいる車田先生に本当のことを聞くことはできませんが、事情を良く知っている日本ホーリネス教団の内部の人たちにお願いします。これらの隠された事実を公にするべきではないかと思います。本家である東洋宣教会との関係の事情もよく分かりますが、中田派の団体はすべて自分が正統派であると主張しているようです。うわさによると、日本ホーリネス時代の資料は、東京聖書学院の図書館にあるという話で、他のホーリネス系の団体が歴史を書くのに困っていると聞いたことがあります。ですから、どちらが正統派ということではなく、歴史的な真実のために、隠れたことを、明るみに出していただけるように強く切望します。歴史の真実を公にすることが主の御心にかなうものであると信じます。

学問的に、日本ホーリネス教団側に偏っている内容の修正を目指して、日本ホーリネス教団東京聖書学院に分割の提案を告知しました。--More blessing 2010年3月17日 (水) 10:36 (UTC)[返信]