ノート:三好義賢

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記事名について[編集]

記事中で「三好義賢」が正しい名前ではないことを明記しているので、このまま「三好義賢」で通すのはどうかと思います。思い切って三好之虎にするか、あるいは穏便に「三好実休」にした方がいいのではないでしょうか。「武田信玄」みたいに戒名を記事名にするのは問題ないようですし、「三好実休」で知名度も問題ないでしょう。一応、研究者に「之虎」が使われている傍証として、ネット上にある学術的な用例を挙げておきます。

  • 天野忠幸「大阪湾の港湾都市と三好政権 ―法華宗を媒介に―」(PDF)『都市文化研究』第4号、2004年、87-97頁、ISSN 1348-32932013年10月24日閲覧“顕本寺は三好元長の自害の場となった由緒により,位牌所として,子の三好長慶,長慶の弟である三好之虎(のちの実休)と安宅冬康より,軍勢の寄宿免許という特権を獲得する。” 

--Askr会話2013年10月24日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

文献を提示します。

  • 長江正一『人物叢書 三好長慶』吉川弘文館、1968年(新装版、1989年4月)。ISBN 978-4-642-05154-5
  • 今谷明『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』洋泉社(MC新書)、2007年4月。ISBN 978-4-86248-135-1
    • この二つは、執筆された年代がやや古いので、「義賢」を諱としていますが、彼に言及する際、殆ど「実休」と呼んでいます。
  • 天野忠幸『三好長慶』(ミネルヴァ日本評伝選) 2014年 ISBN 978-4-623-07072-5
  • 今谷明・天野忠幸『三好長慶』宮帯出版社、2013年。ISBN 978-4-86366-902-4
    • 上は「之虎」が実名で、「義賢」は十河存保が一時期名乗っていた「三好義堅」と混同されたものだと、明白に誤謬だと指摘しています。下の文献も、「義賢と言う名前は一次史料に確認できない」と記述しています。そして、双方とも「実休」と呼称している箇所の方が多いです。

改名に賛成します。というか、改名するべきであると考えます。--ShellSquid/履歴 2014年6月17日 (火) 08:18 (UTC)[返信]

もう一つ提示します。「歴史読本2013年9月号」に、三好長慶と三好義継への言及が少しあり、そこで実休についても僅かながら言及がありますが、ここでも「実休」という名前で呼ばれています。いきなり「改名すべき」と言ったのは言いすぎでしたが、このまま「三好義賢」のタイトルのまま記事の名前を維持するのが妥当である、という意見が、相応の根拠を伴って出て来なかった場合は、改名するべきだと考えます。--ShellSquid/履歴 2014年6月17日 (火) 08:21 (UTC)[返信]

「義賢」を主要な呼称とする書籍も提示しておきます。

あとは、コトバンクも「三好義賢」表記です。--ShellSquid/履歴 2014年6月17日 (火) 13:57 (UTC)[返信]